吉祥寺駅で下車。姉の後ろをついていく。
「カフェまでもう少しだからね。ちゃんとついてくるのよ、利比古」
そう言って姉が振り向いた。
11月下旬。過ぎゆく秋の吉祥寺に陽射しが降り注いでいた。その陽射しが姉の長髪を輝かせていた。栗色の長い長い髪がきらめいている。陽射しと栗色の相乗効果が凄い。
今日の姉は青を基調とした服装である。横浜スタジアムに応援に行く時のような格好となんだか似通っている。ベイスターズ応援団的な服装との差異はロングスカート。上着より控え目な青色のロングスカート。身長はさほど高くないのに脚が長く見えて、ロングスカートからすぐに眼を逸らしてしまう。
「なーんかキョロキョロしてるわね、あんた」
マズい。姉に指摘されてしまった。不審な挙動だったか。
薄い微笑で、
「わたしの今日のコーディネート、『ベイスターズ的』だって思ってるでしょ」
とさらなる指摘。
アタフタしてしまって、
「に、日本一になったんだから……しばらく、余韻には、浸っちゃうんだよね」
と情けない返答をしてしまう。
その途端に、姉の左手がぼくの右手に触れた。
姉は右手を優しく包み込んでくる……!
× × ×
姉の目当てのカフェが目前に迫った時のことだった。
『オー、羽田くんじゃーないか!! こんなところで会うとはなぁ』
男勝りの声が右耳に響いた。振り向けば、短めの茶髪の若い女性が立っていた。164、5センチくらいで、姉よりも背丈が数センチ長い。
紛れもなく、ぼくが所属しているサークル「CM研」の先輩たる荘口節子(そうぐち せつこ)さんだった。
突然の出会いでぼくの鼓動が早くなる。寒気がジワリ、と出てくる。姉と2人で居たところに割って入られたような感じだった。これから何か不穏なことが起きてしまう気がする。
「そ、荘口さん……。おはよう、ございます」
ビクビクしながら挨拶のぼく。
「『おはよう』じゃないだろうに。もう午後2時に近付いてるんだし」
ツッコミを入れる荘口さんが満面スマイルで本当に怖い。
ここで、姉が、
「え、もしや、利比古の上級生の荘口さん??」
と興味を示してくる。
「そうだよ、羽田愛さん」
姉のフルネームを言いつつ、荘口さんは姉に向かって右手を差し出してくる。
「同じ2002年度産まれだったよね、ヨロシク」
「こちらこそ、荘口さん」
握手の女子2人。
「いや〜〜、こうして間近で眼にすると」
不穏な満面スマイルでもって荘口さんは、
「思ってしまうよ……。『もしテレビCMに出たりしたら、一瞬の内にバズって、拡散していくんだろうなぁ……』って」
「わたしのルックスを褒めてくれているの?」
なんだか姉が挑戦的な口調になってるんですけど。
「褒めるさ。褒めずにはいられないよ」と荘口さん。
「ありがとう。わたしの見た目を褒めてくれた人は数え切れないほどいるけど、あなたもその中の1人になってくれて嬉しいわ」と姉。
× × ×
結局カフェには3人で入店することになった。
ぼくの左隣に姉が座っていて、姉の真正面に荘口さんが座っている。
荘口さんの思わぬ介入。姉弟2人で仲睦まじくしたかったのに割って入られて、姉は不機嫌になってるんじゃなかろうかと不安だったが、今のところはニコニコとしている。
3人分のコーヒーが運ばれてきた。姉だけが何も足さず、ぼくと荘口さんはミルクと砂糖を足す。
「愛さんはコーヒーをブラックで飲めるのか!?」
驚きの声を荘口さんが発した。驚愕ボイスも程々にしてくださいね?
「コーヒー本来の風味を楽しみたいの。ずーっとこうしてきたのよ」
「ずーっとこうしてきた、というと、何歳ぐらいから……」
「12歳ぐらいじゃない? 小学校卒業までに、ミルク砂糖入りは卒業してたと思う」
「早熟なんだな」
「ありがとう」
コーヒーカップを両手で少し持ち上げつつ、姉はニッコリ。だが、予断を許さない。ココロの奥底でどのような感情がうごめいているのか……。
「あなた、サークルでCMをずいぶん作ってきたんでしょう? 自信作はあるの?」
姉が問う。
「今年の春、海辺で撮ったCMがあるんだが、アレが過去1年間の中では自信作だな」
「海辺って、湘南の?」
「湘南の」
「スラムダンクの聖地とか近いんじゃないの」
「オーッ、その通りだ、流石だ」
姉が、やや前のめりに、
「今、見せてくれたりしないの」
「見せてあげられるよ、スマホに映像データが入ってる。興味を示してくれて嬉しいよ」
荘口さんが、スマホをポチポチ。
不穏当な展開にならないといいんだけど。
× × ×
で、30秒間のCM映像を、集中力を研ぎ澄まして姉は視聴した。
顔を上げ、
「春の海には夏の海とは違った魅力があるわよね。春の海らしい雰囲気が良く描写されていたわ」
と荘口さんを賞賛する。
ここまでは良かった。
のだが、
「だけど、わたしなら、画面に犬は登場させないと思う」
と、小悪魔的な笑みを浮かべながら意見し始めて、
「犬よりも猫の方が相応しいと思ったわ。季節が春だから、子猫ちゃんを出す方がシックリ来ると思うの。季感(きかん)……って分かる? 子猫ちゃんを出したりすれば、春らしさがもっと感じられたはず」
不意打ちのように改善点を言われた荘口さんは眼を丸くしている。
やや気落ちした感じで、ミルク砂糖入りのコーヒーが入ったカップに視線を落とす。無言。初めて出会った相手に自分が作ったCMの疑問点を言われてしまったから、ショックなのかもしれない。
半分ダークモードな笑みを崩さない姉は、
「ごめんね、ダメ出しをしてしまって。だけど、わたし、思ったことは口に出さないと気が済まないタイプなの。ハッキリと気持ちを口に出さないと、後で自分のことが自分でイヤになっちゃうから」
と言い、
「荘口さんも、もしかしたらそういうタイプなんじゃないの? わたしはそうだって感じるんだけど。あなたの方からも、ぶつかってきてほしいわ。遠慮は要らないから。反論でも何でも」
と言う。
約20秒間、荘口さんは黙っていた。
その後で、顔をゆっくりと上げ、姉を正面からジトリ、と見つめて、それから、
「私、羽田くんから、愛さんが熱烈な横浜DeNAベイスターズ信者だと聞かされてるんだが……」
「えっ?」
と言って姉は思わずぼくの方を見て、
「あんた、言ったの!? 荘口さんに」
ぼくは、
「ごめん、言っちゃったんだ。『きみのお姉さんの贔屓球団を知るまでは帰れない!!』って迫られて」
少し戸惑う姉は、
「たったしかに、わたしは誰よりもベイスターズを応援してるけど……。荘口さん、あなたが突然そんなことを言う理由は、なに? どうして、プロ野球の方に話題を転じようとしてるの?」
「私の贔屓球団も知らせたかったんだよ」
「ま、まさか、あなたもベイスターズだとか」
「残念ながらDeNAじゃないんだな」
困惑混じりのシリアスな口調で姉は、
「それなら……読売?」
「読売でもないから安心してくれていい」
「せ、セ・リーグとは、限らないわよね??」
「いいやセ・リーグだ」
「じゃ、じゃあ、阪神か広島!?」
「いいやヤクルトだ。東京ヤクルトスワローズだ」
「……へ、へぇーっ」
姉がロングスカート付近でこっそりと右拳を強く握っているのが視界に飛び込んできてしまった。
ぼくは憶えている。
ペナントレース終了後、
『ヤクルトは今後3年以上はBクラスに甘んじるんじゃないの?』
と、悪い笑顔で姉が予測していたのを……!