【愛の◯◯】メタフィクショナル長電話

 

前回のあらすじ。

『6年劇』の稽古。スパルタ式の水無瀬さんの演技指導は苛烈を極め、とくに主演の八洲野(やすの)さんをしごいていた。

水無瀬さんの専横(せんおう)ぶりはエスカレート。

しかし、稽古を見学していた脚本担当の愛が、堪忍袋の緒が切れたというわけではないが――「本気モード」を発動させ、水無瀬さんとの『対話』を試みはじめたのだった。

 

稽古が終わったあと、愛と水無瀬さんは、居残りで打ち合わせをしていたようだ。

打ち合わせ、というよりも――『ちょっと水無瀬さんの話を聞かせてもらえないかしら?』と、愛が要求した形で。

水無瀬さんに対する『尋問』――とは行かないまでも、ここはひとつ問い詰めてみようじゃないの……という意思を感じた。

彼女の独断専行ぶりを見かねたのか。

居残りで、タイマンで、脚本と演出は向かい合っていた。

もっとも、主導権は――完全に愛の手の中だった。

どんなふうにして、愛は水無瀬さんを問い詰めたのやら。

 

× × ×

 

帰宅後、夜、愛とわたしは通話していた。

 

「会議室にずいぶん居残ってたみたいじゃん」

『そうね。水無瀬さんと、ふたりきりでね』

「あんたが一方的に水無瀬さんを問い詰めてたんじゃないの?」

『物騒な言いかたしないでよぉ、さやか』

「だってさ、本気だったでしょ、あんた」

『なにが?』

「本気で水無瀬さんから話を聞き出したかったんでしょ。そんな気迫だったもん」

『――話って、具体的には』

「八洲野さんとのこととか。きちんと説明してほしいって思ったんじゃないの」

『あー』

「わたしだって――気になってるから。水無瀬さんなんであんなに八洲野さんしごくのか、あのふたりのあいだには、なにか因縁めいたものがあるんじゃないかってさ」

『さやかは勘がいいね』

「稽古の場にいる人間だったら、だれだって思うでしょ」

『そうかも』

「あんたが『話がしたい』って言ったのは、そういうことを問い質(ただ)したかったからなんでしょ?」

『そのことだけじゃないけど、『どうして八洲野さんをそんなにいじめるの?』とは訊いた』

「ほら、やっぱり」

『『むかし、なにかあったんじゃないの?』って、言ってみた』

「ずいぶんと愛も勇気あるね」

『だって、このままじゃダメになるじゃん、劇』

「まあいえてる」

『八洲野さんの主演も、水無瀬さんの指名だったんだし、事情があるのなら、きちんと説明してほしいと思ってた。筋を通す、っていうのかな……煮え切らないままは、イヤだったから』

「で、説明してくれたの?」

水無瀬さんは、いかにも強情なタイプだし、わたしだったら説得しきれない。

いくら本気モードの愛が相手でも、簡単には口を開かないんじゃなかろうか、という懸念はあった。

しかし愛はわたしの疑問に対し、

『してくれたよ、説明』

「マジ!?」

『うん。元来素直じゃないんだろうから……突っ込んだとこまでは、話してくれなかったけど。ふたりの過去が、少しはわかった』

「なにがあったっていうの、ふたりに、むかし。気になるよ」

『えーっとね、事実だけ話すと――』

「うん、うん」

『八洲野さんもね、演劇部に居たのよ、もともとは』

「もともとはってことは――」

『中等部のときに、演劇部を辞めてる』

「なんで」

『水無瀬さんは、『ヤスノは逃げ出したんだ』って言い張ってた』

逃げ出した、か。

「まー、水無瀬さんなら――そう言いそうだ」

『因縁っていうのは、そういうことね。軋轢(あつれき)が尾を引いてるというか』

「それで、今になって八洲野さん引っ張り出して、いじめてるってこと? ちょっと理解しかねるねー。八洲野さんがそんなに気に食わないの、途中で辞めたからって」

『気に食わないからいじめてるのかどうかまでは、わかんないよ。八洲野さんが元・演劇部だったっていう事実以上のことは、話してくれなかった』

「そこはもうちょっとツッコんでほしかったなー。動機だよ動機。『なぜ』八洲野さんに対してああなのか、っていう」

『そりゃわたしも知りたかったよ。でも、はぐらかされた』

「あんたの『本気モード』をもってしても、水無瀬さんの口を割れなかったか」

『強情そうだから』

「わかる」

『あんまり追及しちゃうと、スネちゃいそうだったから。貴重な演出家の気分を損なうのも、いまは禁物(きんもつ)、ってことよ』

「したたかだね」

『とにもかくにも、デリケートな関係性のようだし、そこは頭に入れたうえで、稽古を見なくちゃって思った。さやかも、演じる側として、接しかたを考えてあげて』

「とくに、八洲野さんとの接しかた――だよね」

『同じ演者として、気を配ってあげてね』

「了解。……共通点があるのも、わかったことだし」

『共通点?』

「鈍いなあ。過去に関する共通点だよ」

『……あ~、弦楽部のこと?』

「そうだよ。似た経緯があるでしょ。八洲野さんは演劇部中退、わたしは弦楽部中退」

『中退』の使いかたがおかしくて、思わず愛は吹き出してしまったようだ。

「うまいこと言うと思ったでしょ」

『思った。……まあ、部活中退組で、似た者同士ってことか』

「似た者同士、は言いすぎかも……ともかく、同じような過去の事情を、お互い抱えているんだから。八洲野さんとの接しかた、考えてみるから」

『よろしくね』

 

「ずいぶん長電話になったね」

『そうね、もうこんな時間』

「宿題、終わったの?」

『やりながら話してたよ』

「ずいぶんと器用だなあ。器用なのか不真面目なのか」

『……長電話で、さやかの勉強の邪魔しちゃいけないよね』

「何時間もしゃべり続けてるわけじゃないから、かまわないよ」

『そう。じゃあさ、もう少しだけしゃべってもいい?』

「なにを?」

愛は一拍(いっぱく)置いて、

『――ブログのこと』

はぁ!?

『あのね、このブログの管理人さんから、ダイレクトなお手紙が来て』

「……」

『一緒にプレゼントも送られてきたから、わたしうれしかった』

「……プレゼント?」

『わたしがもらって大喜びするものよ。管理人さん、好みがわかってるの』

「プレゼントは……どうでもいいとして、どんなお手紙」

『ざっくり言うと、

本シリーズ600回突破。応援ありがとうございます

 って、こんな感じ』

「本シリーズってなに、本シリーズって」

いつも記事の最初に【愛の◯◯】ってついてるでしょ。そういうことよ

「や、どーゆーことよっ。記事ってなに、記事って」

日曜日の記事で、【愛の◯◯】が600回到達したのよ』

「わたしの疑問スルーするな」

『管理人さん、独特の筆跡(ひっせき)でこう書いてた。

【100回ごとのキリ番報告はしつこいかもしれないけど、やっぱり嬉しいものは嬉しい】

【更新を重ねるのは、年輪を刻むようなものだと思っている】

過去ログもよかったら閲覧(えつらん)してくださいね

――だって。』

「――3つ目のは、余計じゃない?」

『余計じゃないよ。ブログタイトルの真下(ました)に過去ログ見られるリンクがあるんだから』

 

わたしは、だれに対してでもなく、ハァ……、と溜め息ついて、

「……ひどい売名ね。」

『PR、PR』

 

 

 

 

【愛の◯◯】修羅場は修羅場で打ち消せる

 

大変なほど、燃える。

 

甘い!!

 そんなんじゃ、お客さんは喜ばないよ!

 

演出の水無瀬さんの、熱血指導である。

望むところよ……といった感じで、舞台上から水無瀬さんを見る。

メガホンを通して、

「青島さん、もう一丁」

とリテイクを出す。

燃える。

今度はやってやる。

モチベーションが滾(たぎ)る。

 

3回リテイクが入って、3回とも「甘い!!」とダメ出しされた。

そのたびに、そうこなくっちゃ……という気分にわたしはなって、メラメラと燃え上がった。

水無瀬さんのダメ出しは、むしろ、わたしの向上心をあおった。

大変なほど、キツいほど、からだが熱くなる、血が沸騰する。

水無瀬さんの熱血指導と、相性がいいってことなんだと思う。

みんながみんな、水無瀬さんと折り合えるかどうかってのは、別問題だけど……。

それにしても、なんで彼女はメガホン持って稽古してるんだろ。

リテイク、という表現をしたけど、映画の撮影みたい。

――ま、いいか。

性質なんでしょ。

 

その調子!! 今度は『甘い』なんて言わせないでね、青島さん

ねぎらいなんだかわからない言葉をかけられて、水無瀬さんの厳しい指導から一旦は、解放される。

『6年劇』の稽古も、2週目に入った。

松若さんと共同で脚本を書いた愛が、見学に来ている。

松若さんは来ていない。

「尻込みしちゃったのかな」と、苦笑いしながら愛は言っていた。

たしかに。

水無瀬さんのコワさに気圧(けお)されるのは、わかる。

見に行かなくて済むのなら、行かないでおこう、という気にもなるわ、そりゃ。

でも、松若さん原作者なんだけどな。

原作者が来ない、っていうのもなんだか。

いや、『来ない』ではなく、『来られない』のか。

松若さん自身のせいじゃなくて。

水無瀬さんの存在が、松若さんを遠ざけている――。

 

「それってどうなの?」と、愛が思っているかどうかはわからない。

松若さんといっしょに脚本を作り上げたんだもの。

イニシアティブが完全に水無瀬さんに移って――まぁそれは自然の成り行きではあるんだけども、でも水無瀬さんのワンマン体制みたいになってる現状に対して思うところもあるんじゃないかと、わたしは勘ぐっている。

ダメ出しばかりの水無瀬さんに、逆にダメ出ししたっていいんじゃないの? 少しぐらいは。

諫言(かんげん)ってやつ?

松若さんが尻込みしたのは、しょうがない。

だけど松若さんが居ないのなら、水無瀬さんになにか言う権利を行使できるのは、あんただよ、愛。

行使できる、というか、行使すべき。

そのほうが、この『6年劇』――もっと良くなるとわたしは思う。

 

愛は、水無瀬さんの近くに座っている。

愛と水無瀬さんのあいだの距離が、近くはあるけど、なんとも言えない微妙な距離感だ。

 

きょうの愛は、なんだか一味違う。

というのは――先週までは、水無瀬さんのスパルタ指導ぶりにビックリしていて、萎縮しながら稽古を眺めている印象だった。

ところが、きょうは違った。

松若さんが音(ね)を上げてしまったことが、愛になにかを決意させたんだろうか。

真剣に稽古を見ている。

水無瀬さんにビクビクしていた愛は、もういない。

座席から身を乗り出して、舞台をひたすら見すえながら、水無瀬さんの熱血指導に耳を傾けている。

必死で稽古に食らいついている。

これが――本来の愛だ。

 

『水無瀬さんが妥協しないなら、こっちも妥協しないよ』

『松若さんのぶんまで――わたしが稽古を見届けなきゃ』

『言うべきことがあったら言うよ水無瀬さん。そのつもりでいて』

 

そんなことを、無言で語っているんじゃないかって、舞台上から愛を見下ろしながら、勝手に妄想してしまう。

 

× × ×

 

主役の八洲野(やすの)さんへの演技指導は、苛烈を極めていた。

ほかの演者にも厳しいが、主演女優への厳しさは――次元を超えた、『しごき』である。

度を越してるんじゃないか――そこが、懸念材料だ。

あんまり度を越すと、八洲野さんまで、稽古場に来なくなってしまう気がして。

八洲野さん、繊細なタイプに見えるから。

いまは、踏みとどまってるけど、この舞台上で泣き出してしまわないか。

泣き出すなら――まだマシか。

逃げ出してしまったら――最悪の事態。

 

追い詰めて、追い詰めて、ホンモノの演技を引き出す。

そういう水無瀬さんの『流儀』を、否定はしない。

でも、追い詰めすぎて、八洲野さんを潰してしまうようなことがあったら、この劇は崩壊してしまう。

 

潰れる寸前まで八洲野さんをしごいて、そこでやっと完成した芝居になる、ようやく彼女は『役者』になる。

――たぶん、そんな腹づもりなんだ。

でも、ぜんぶ、水無瀬さんの思い通りになるとは限らない。

この場にいる全員が、水無瀬さんの思う通り、言う通りに動いてくれるという保証はない。

水無瀬さんは、その『落とし穴』に、気づけているんだろうか?

なんだか――最大の『落とし穴』が、しごきの対象である八洲野さんに潜んでいる気がして。

邪推?

八洲野さんだって、水無瀬さんの操り人形なわけじゃない。

八洲野さんが何から何まで思うがままに動いてくれると思ったら、それは危ない考えだよ、水無瀬さん。

 

……そんなことを思い始めてしまった。

たしかに水無瀬さんとわたしは、波長が合う。

でも、波長が合うからといって――水無瀬さんと八洲野さんのあいだに漂う不穏さを、見過ごすわけにはいかない。

 

稽古が終わったあとで、水無瀬さんに意見してみようか、他人(ひと)の話を聴かないかもしれないけど……そういうことを考えながら、八洲野さんがしごかれるのを見ていた。

ウンザリするほどのダメ出しの果てに、メガホンを放り出して、舞台ぎわに駆け寄ってくる。

そのまま舞台に駆け上がってくるんじゃないかと思うぐらいの勢い。

黙ったまま、睨みつけて、八洲野さんを脅迫するみたいに威圧する。

怒鳴るより、もっと怖い。

静かに激怒する演出家。

 

「……何度言っても、わからない」

そしていっそう睨み眼で、

……もういいよ。

 考えて、自分で。

 自分のなにがダメなのか、ヤスノが気づくまで、わたしなにも言わない。

 その代わり、わたしはここから動かない。じっとヤスノを見てるから。

 ヤスノが答えを出さない限り、きょうの稽古は終わらない。

 ヤスノのせいで、稽古が終わらないから、みんなに迷惑がかかる

滔々(とうとう)と水無瀬さんは話していた。

その語り口が、大声で罵倒するよりも、怖かった。

修羅場――なんだろうか。

ほんとうに言葉通り、舞台ぎわから動く気配もない。八洲野さんへの睨みつけをやめる気配もない。

独(ひと)りよがりなことを――水無瀬さんは言っている。

八洲野さんに、罪をなすりつけて。

彼女のせいで稽古が終わらないなんて理屈。

稽古を終わらせないという、スタンドプレー。

水無瀬さんの独善で――場が混迷を極める。

収拾がつかない。

出ていって、主演女優と演出家のあいだを取りもったほうがいいかもしれない、だれかが水無瀬さんを止めなきゃ――。

わたしが、足を踏み出そうとした、そのとき、

 

愛が――、無言で水無瀬さんの背後に歩み寄っていった。

 

水無瀬さん

演出家の背中に、声をかける。

水無瀬さん……ちょっと、こっち向いてくれないかな?

 

これ以上ないくらい、説得力のある声だった。

ぐうの音(ね)も出ない、説得力。

 

舞台袖から、愛の顔が見えていた。

怒り顔ではない。

マジギレしてるわけではない。

だけれども、

あの顔は――、

愛が、本気モードのときにしか見せない顔だ。

真剣に、なにかを相手に伝えたいと思っているときの顔。

わたしは本気だよ、っていう意思表示。

わたしは本気だよ、だからあなたも本気になって――全身で、そう語りかけている。

 

愛の本気が、水無瀬さんに、とうとう向けられた。

 

水無瀬さんは、振り返らざるを得ない。

 

力関係の逆転。

 

向かい合うふたり。

水無瀬さんの顔は見えないけれど、背中が語っている――彼女の、うろたえを。

 

話があるの。

 水無瀬さんとふたりで――話したいことがある。

 いいよね?

 ――よかった。承諾してくれてる表情だよね、それは。

 だから、稽古は終わらせなきゃ、だめ。

 だめだよ? ――あんまり他のひとを、手間取らせちゃ。

 これ、あなたと八洲野さんのふたり芝居じゃないんだよ?

 あなたのひとり芝居でも、もちろんない。

 もっと言うと、演者と演出家だけが、芝居に関わってるわけじゃないんだから。

 劇ってみんなで作るものでしょ。

 気持ちはわかるけど――ね。

 だから、お話ししましょう。

 わたしとあなたの対話を、もっと――ね

 

 

思わず、声が出た。

「説教が長すぎるよ、愛……」って。

てへへ、とわたしに向かって愛は笑う。

 

 

修羅場を修羅場で打ち消した。

まぁ、こんなのも…アリか。

とりあえず、愛には感謝したい。

 

 

 

 

【愛の◯◯】あなたの背中に憧れて

 

以前から、「休日の朝にジョギングがしたい」と愛にせがまれていて、朝走るにはちょうどよい季節になったということで、早起きして公園に来ている。

ただ、愛とふたりだけでジョギングするわけではない。

 

「おはようございますアツマさん」

ジャージ姿のアカ子さんが挨拶。

この上ない新鮮さだ。

アカ子さんが、ジャージ姿……。

「なに見とれてんのよ、スケベ」

……これまでのパターン通り、愛になじられ、愛に腕をつねられる。

フフフ、と上品に笑ってアカ子さんは、

「アツマさん、きのうはありがとうございました」

「ああ。でも、なんにもできなくて、ごめんな」

「そんなことありませんよ」

満ち足りた、笑顔。

 

そして、

アカ子さんの隣には、ハルが。

きのう、試合に敗れ、ハルの高校サッカーは終わった。

悔しかっただろう。

立ち直れるか気がかりだった。

ただ――ハルはおれが思っている以上に、切り替えが早かったみたいだ。

疲れた様子もなく、打ちのめされた様子もなく、ピンピンしている。

そしてこうして日曜朝ジョグにも参加してきている。

一晩で立ち直ったっていうのか。

すごいな……。

 

「ハルおまえ筋肉痛とか大丈夫なのか」

「平気ですよ」

そう言って腕をグルグル回し、好調をアピール。

「丈夫だね、ハルくんは」

愛が感心している。

「アツマくんも見習ってよ」

「ん……」

「なにその『ん……』っていうリアクション」

 

「おれのほうがアツマさんを見習いたいですよ」

「え、どこに見習う要素があるっていうのハルくん」

「全部だよ、羽田さん」

ポカーンとする愛。

「だれだって、アツマさんには憧れるからさ」

「なにをいってるの……ハルくん」

「運動部のみんながアツマさんに憧れてるよ」

「ウソでしょ」

「ほんとだよ。運動部だけじゃない」

「信じられない」

「羽田さんはもっと……アツマさんを信頼してもいいと思うな」

「信頼……してるよっ」

「じゃあもっと」

「そうね。わたしもハルくんと同じ気持ちよ」

「アカちゃん……同じ気持ちって……」

「パートナーなんでしょ?」

意地悪く微笑むアカ子さん。

愛の困惑は頂点に達しつつある。

どんな茶番だよ。

ラチがあかないから、愛の腕を無理やりつかんで、

「行くぞ」

「行くって」

「走るんだよ。おれとおまえで先導役だろ?」

「アツマくんが先に行ってよ」

「やだ」

「なんでよ」

――なにも言わず、愛を引っ張りながら、走り出す。

「ちょっと!! コケちゃうでしょ」

「なーに言ってんだ。おまえだったらついて来れるだろ」

そうやって――なし崩し的にジョギングは始まったのだった。

 

× × ×

 

おれが先に行け、とか言ってたわりに、愛のほうが先行している。

「あんまり離れんなよ……ひとりで突っ走りやがって」

「たぶん愛ちゃん、恥ずかしいんですよ」

うわっアカ子さん!

「すみません、ビックリさせちゃって」

「――平気かい? けっこうなハイペースだが」

「ついていけます。運動には自信があるんです」

「それは――けっこうなことだ」

うふふ、と笑って、

「『パートナー発言』は、まずかったでしょうか?」

「べつに」

「愛ちゃん、きっとそれで、照れちゃってるんだから」

「『パートナー』ってのを、意識して?」

「そうです」

「きみとハルだって『パートナー』には変わりないじゃないか」

「――さすがです、アツマさんは。みんなのこと、よくわかってる」

アカ子さんにベタ褒めされるのは嬉しいが、

「憧れられると――戸惑っちゃう部分もあってさ、おれ」

「素直に喜んでいいと思いますよ。

 憧れられることが――支えになることだって、ありますから。

 わたしにとっても、ハルくんは『パートナー』であると同時に、『憧れ』なんですから」

 

「口数が大きいよ、アカ子。ぐだぐだしてると羽田さんに引き離されちゃうよ」

ハルがアカ子さんの横まで来る。

アカ子さんを男ふたりが挟んで、3者併走状態。

「へばらないな、きみは」

「心外ね」

「べつに……見くびってる、わけじゃないし」

「あなたのほうが心配よ、きのうの疲労蓄積でヘロヘロになって付いてこられないんじゃないかって」

「いやそれは舐めすぎだから」

「あらそう? 悪かったわ」

「…そんなにしゃべり続けながら走れるってことは、体育の成績『5』は伊達じゃなかったんだな」

「だから言ったじゃないの」

「そこは……誤解してた。謝る」

「謝るのってなかなか出来ることじゃないわ。偉いわね、あなたは」

「ありがと」

「蜜柑なんか自分の間違いをどこまで行っても認めないし。それに比べるとあなたは立派ね」

「蜜柑さんを引き合いに出さなくても」

「……立派だから、ますます憧れるのよ」

「おれだって……アカ子はまぶしいよ」

「あなたってときどき言い回しが芝居がかってくるわよね」

「悪いか?」

「そんなことない」

 

――会話のスタミナも無尽蔵なのか、このふたり。

いいパートナーであることの証(あかし)か。

 

 

× × ×

 

 

アカ子さんが、木陰のベンチで休んでいる。

とうとう彼女は、一度も置いていかれることなく、朝ジョグを完走した。

それでも羽休めは必要で、スヤスヤといった感じで、眼をつむって静かにクールダウンしている。

眠ってしまいそうで心配だ。

「ハル、アカ子さん、疲れちゃったのかな?」

「気持ちよく疲れてるんだと思いますよ」

そう言ってハルは、アカ子さんの隣にそっと座ってあげる。

 

ま、疲れるのは良いことだからな。

ふたりをそっとしてやって、芝生に腰を下ろしてスポーツドリンクを摂取している愛のところに行く。

「いい汗かいたわ」

「おれはまだ走れるぞ」

「……わたしだって、と言いたいところだけど」

悔しそうに、そして照れくさそうに、

「どこまで走っても――いまのアツマくんには、敵(かな)わなさそう」

そばに立っているおれの顔を見上げる。

憧れまじりの眼で。

「アツマくん……」

「んっ?」

「わたし……あなたの背中が好き

 

!??!?!

 

「どういう意味だよっ」

「……ごめん、語弊があったっ」

ハルとアカ子さんには――聞こえてないよな、いまの。

「追いかけたいのっ、背中を追いかけたいって、そういうことっ」

「でもおまえきょうはひたすら前を走ってたじゃんか」

そーゆーことじゃーないのよっ!!

「じゃーどーゆーことなんだよー」

「……あなたの背中に憧れてるって。それだけ。」

「……そりゃどうも。」

 

 

憧れられるのも、厄介なこともあるが、

こういう憧れられかたは、なかなかどうして、嫌いじゃない。

 

 

【愛の◯◯】神さまがくれた、アディショナルタイム

 

1点差。

 

1点差で――負けてる。

 

0対1。

 

すでに後半、時間は刻々(こっこく)と経過していく。

 

 

元マネージャーの藤村さんやマオさんはもちろん来ているし――約束通り愛ちゃんも来てくれた(アツマさんを連れて)。

わたしの右隣にはあすかちゃん、あすかちゃんの隣には、彼女の部活の先輩の岡崎くんと、後輩の加賀くん。

岡崎くん――夏祭り以来だった。

あすかちゃんからは前もって伝えられていた、

「ハルさんと訳(ワケ)ありなんですけど、勘弁してあげてください。なんか変なこと言い出したら、わたしがお仕置きしますから」

お仕置き、は――する必要もないと思うけれど。

ハルくんと、なにがあったか知らないけれど、試合場に来てくれたってことは、応援する意志があるってことでしょう。

終始、ムスッとした顔で、試合を眺めているけれど。

岡崎くん、いつもこんなに寡黙(かもく)な男の子なのかしら……って、あすかちゃんに訊いているゆとりもない。

 

 

がんばって……ハルくん。

 

同点に追いつけば。

同点に追いつけば、流れがこっちに傾くかもしれない。

流れを引き寄せられれば――勝ち越せる。

 

がんばって、まずは1点よ!!

 

「ほら、アカちゃんみたいに声援を送ってあげて、アツマくん」

「……」

「なんでそこで沈黙するのよ!? あなたの母校がこんなに頑張ってるのよ」

「……、

 集中力!!

「微妙でしょ……その応援は」

「ヘタなこと言えないから。精神論かもしれないけど」

 

「アツマさんなりに、ことばを選んでくれてるのよ、愛ちゃん」

「いちばん頼りになると思って連れてきたのに…こんなのでゴメンねアカちゃん」

いつも以上にアツマさんに容赦ない気もするが、そんなこと言っちゃダメよ……とたしなめているゆとりもない。

一方、あすかちゃんは、お兄さんのアツマさんに気を払うヒマもなく、固唾(かたず)を飲んで戦況を見守っている。

 

正直、攻めあぐねている。

逆に、攻め入られている――がりがりと、こちらのパワーを削られているみたいに。

 

アディショナルタイムが近づいてきた。

 

「よし――取った。ここ、ここですよ、ハルさん」

祈るように、あすかちゃんが言った。

ドリブルでどんどんハルくんが攻め上がっていく。

ディフェンスを抜く。

 

行け、ハル!!

 

藤村さんとマオさんが同時に叫ぶのがわかった。

ここで決めてほしい。

ここで、決めなきゃ。

 

センタリングを上げるハルくん。

シュートが撃たれる。

ゴールポストに弾かれる。

でも……まだ、終わってない!

ボールが生きている!

 

決めて!! ハルくん

 

ペナルティエリアに突っ込んで、

彼が放ったシュートは、

 

 

 

……無情にも、ゴールポストに弾かれた。

 

こぼれ球……。

 

こぼれ球を――相手チームに奪われたかと思うと、瞬時に、一気に自陣に攻め込まれていく。

 

カウンターだ。

 

均衡が破れたのは、あっという間だった。

 

ゴールネットが揺れた。

 

0対2。

 

もう……残り時間は。

 

 

 

声が、出なくなった。

それはわたしだけではなく、応援席のみんなが沈黙にとらわれていた。

絶望に包み込まれかけているのは、応援席だけではなかった。

集中力の糸が切れたみたいに、ピッチの選手たちの動きが緩慢になっていく。

あれだけの運動量を見せていたハルくんが、トボトボと歩くようになっている。

あれだけ、全速力で、走りつづけていたのに。

アディショナルタイムで、2点差。

現実は、重すぎるくらい重くて、わたしたちは潰されかけていた――、

 

そのときだった。

 

急に、岡崎くんが、立ち上がって、

あきらめんなよ!!

 あきらめんなよ、おい!!

 ハル、てめぇ!!

 無様な格好しやがって!!

 いまのてめぇみたいに気弱な野郎なんか、誰も応援しねぇぞ!!

 走るんだよ!!

 時間がある限り、走れ、あきらめんな!!

 

 

――突然の絶叫に、彼の左隣のあすかちゃんが呆然としている。

もう黙っていられないという表情の、岡崎くんだった。

なんだか――わたしまで、叱られている感じがした。

応援することを、声援を送ることを、わたしは勝手にあきらめていたのかもしれない。

 

「岡崎センパイ……大丈夫だよ。

 勝負を捨てた顔じゃないよ、あれは」

岡崎くんの右隣で、加賀くんがボソリとつぶやいた。

 

 

歓声が、よみがえっていく。

きっかけは、もちろん岡崎くんの絶叫。

アディショナルタイムが何分かなんてことも忘れて、わたしたちは、声を枯らしてピッチの11人を励ましつづけていた。

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

「そっとしといてあげたほうがいいかな……」

誰からともなく、そういう声が出た。

 

ひとり、またひとりと、応援席から姿を消していく。

 

虚空を見つめるようにして、グラウンドを眺めている。

もうだれも駆け回っていないグラウンドを。

「アカちゃん」

そっと声をかけてくれるのは愛ちゃんだった。

「名残惜しいのは、わかるけど、さ」

ごめん。

ごめん、愛ちゃん。

わたしまだ――やり切っていない。

やらなきゃいけないことを、やり切るまで――、

アディショナルタイムは、続いていく。

だから。

 

× × ×

 

それからわたしはスタジアムの周りを彷徨(さまよ)った。

サッカー部が、現地解散かどうかは、知らされていない。

けれどもそれはどうでもよくって、

きっとハルくんは――まだ、ここのどこかにいるはずだから、

信じて、彷徨(さまよ)いつづけ、彼をさがし求めつづけた。

 

× × ×

 

迷子になった子どもみたいだ、いまのわたし。

ゲートやスタンドからかけ離れたような場所に、ふらふらと迷い込んでしまった。

でも案外、こういう人気(ひとけ)のない場所に居残りたい、という気持ちに、ハルくんはなっているかもしれない、

半ばやけっぱちでそう思っていたら、

 

なぜか岡崎くんが――わたしの眼の前に現れた。

 

「アカ子さん」

恐縮そうに口を開いた岡崎くん。

「アカ子さん。残念ながら、ハルを見かけてしまった。

 きみが……ついていてあげてくれ」

 

 

× × ×

 

 

ドキドキしながら、岡崎くんに教えられたとおりに、ハルくんに向かっていく。

足取りは、自然と速くなって。

全速力で駆けていた。

ランナーズハイみたいになってたかもしれない。

 

――けれども、わたしはとうとう見つけた。

彼を。

わたしだけは――彼をそっとしておけない。

いったん、立ち止まった。

聞こえるか聞こえないかわからない声で、

「ハルくん……。」と名前を呼んだ。

ハルくんは初め、眼を見開いて、『なんでここがわかったんだ』という様子で、でもそのあとで、しょうがないなあ……と言わんばかりの、笑い顔になった。

けれども、

寂しさも、

虚しさも、

哀しさも、

情けなさも、

くたびれも、

彼は――全然、拭(ぬぐ)えていない。

 

だから、わたしはふたたび駆け出した。

ハルくんに、突進していって、勢い余ってぶつかった。

からだが、ぶつかって――、

気付いたら、彼を……押し倒していた。

 

無我夢中で、息切れがした。

呼吸を、少しだけ整えてから、

 

ハルくん……わたしを撲(なぐ)って

 

なにを言ってるんだ、というような顔になるのは当然だ。

わたしでも、なにを言っているんだか、わからない。

 

「どうかしたのか……アカ子」

「どうもしないわ。

 でも、お祈りしたでしょ、ことしの初詣のとき。

ハルくんが、ケガしませんように』って。

 神さまとの約束――自分から破っちゃった」

 

こんなふうに押し倒したら、ハルくん、痛いに決まってる。

 

「だから。ケガさせちゃったから、いま。約束破った罰で、わたしを撲ってくれていいから……」

 

ゆっくりとからだを起こして、

なぐさめるようにして、

わたしの右肩を、そっと抱く。

「そんなバカみたいなこと、出来るわけないじゃないか」

「だって…」

「おれはどこもケガしてないよ。きみの早とちり」

「強がらないでっ」

「強がってるのは――どう考えたってきみのほうだよ」

 

言いたいことばは、あふれるくらいあるのに、

うまく喋れない。

 

ただ、ひとことだけ、

「もっと……くやしがってもいいのよ」

「くやしがりすぎなぐらい、くやしがったさ」

 

わたしの背中を、ポンポン、と、さするようにして叩く。

「なんで、どうしてそんなに、優しくなれるの……負けたのよ、あなた」

精一杯の嘆きが漏れ出す。

彼は、

「負けた勝った以前に、納得なんてしていない。していないけど、これが終わりじゃないってことだけは、はっきりとわかる」

「これからどうするの……あなた」

「そうだな――」

笑いかけて、彼は、

「アカ子が、そばにいてくれたらうれしい。支えになってくれるのなら、もっともっとうれしい」

「それならお安い御用よ」

どうしようもなく、本音が漏れた。

「……よかった」

「今度こそ――神さまに誓うわ。

 あなたを、絶対に見捨てないって」

 

穏やかな笑(え)みが、自然とこぼれる。

見つめ合って、笑い合って――お互いに、また、これからもずっと、

支え合っていける。

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】男子って、頑固に見えて、素直じゃないだけだったんだ!!

 

「ハルさんの応援に来てください」

「おれが行く理由が……」

「応援が足りないんです。もっと必要なんです」

「嫌いな奴の応援なんて……する気になれない」

 

加賀くんといい――男子ってなんでこうめんどくさいんだろ。

 

「じゃあ野次を飛ばすだけでもいいです。思う存分ハルさんに怒りをぶつけてください。日頃のうっぷんを晴らすいい機会ですよ」

「わざわざ試合場まで行って、なんでそんなこと……」

「ハルさんのプレーも観ないで、アンチを自認するんですか?」

「観なくたっていい。観たって変わらない。こんな厄介なことになるなら、同じ学校じゃなきゃよかったのに」

「同じ学校にいるのも――運命ですよ」

「そういう考えは好きじゃない」

「すれ違ったまま終わり、なんて後味悪すぎ」

「勝手にそう思っといてくれ」

「岡崎さん、

 岡崎さんは、きちんと落とし前をつけるタイプだと思ってたのに。

 中途半端に終わる前に――、

 ケリをつけるって」

 

岡崎さんの顔つきが変わった。

 

「全部ちゃんとするって。

 ハルさんのことだけじゃなくって。

 たとえば、

 桜子さんとのこととか――。

 人間関係のこと、卒業までにちゃんとケリをつけてくれるって思ってたのに」

 

岡崎さんは独り言のように、

「ケリを、つける……」

 

「そうですよっ。

 桜子さんのこと、好きなんでしょ!?

 

「こ、声が大きいよ」

 

構わず、

「打ち明けたからには――もっと、ちゃんとしてくださいよ」

 

真顔でじっ、と岡崎さんを見つめて、彼のことばを待った。

なのに、

「話がすり替わってるよ――桜子のことと、ハルのこととは完全に別問題だ」

 

――なにそれ。

なんでこんな煮え切らないわけ?

 

期待外れで、罵倒もできない。

 

 

おもむろにきびすを返す岡崎さん。

説得、失敗。

失敗以上に――失望。

 

がっかりして、体育館裏の壁を蹴った。

痛かった。

痛かったけど、だれもそこに来る気配がなかったから、もう一度蹴った。

 

 

 

× × ×

 

 

ヒリつく足に、お湯が滲(し)みる。

浴槽につかりながら、放課後のイライラを鎮(しず)めようとする。

ストレス発散には、不満を声に出すのがいいと思って、

どうせだれも浴場にはいないんだから、思いっきり、

岡崎さんなんて大キライっ

と叫んで、お湯のなかで右脚を蹴り上げた。

 

……岡崎さんの背中を蹴るような感触には、程遠い。

 

なんだか、むなしくなってきたところに、

浴場の入口が開く音がした。

 

おねーさんが静かに入ってきた。

 

× × ×

 

おねーさんが身体(からだ)を洗っているあいだじゅう、スポーツ新聞部の男子部員に対する不満をぶちまけ続けていた。

その罵詈雑言(ばりぞうごん)を、黙って聞いていたおねーさん。

彼女も、湯船にポチャリとつかって、

「……言うとラクになるのは、わかるけど」

穏和(おんわ)な口調で、

「怒ってばかりいるのも……よくないよ」

「たしかによくないです。それは知ってます。でも、金曜日になると、溜(た)まってるものも一杯一杯なんです」

「岡崎くんに対する不満がいちばんみたいね」

「彼には失望しました」

「いっしょにタコ焼き食べたから……なおさら?」

 

 

 

 

「どうして知ってるんですかおねーさん……夏祭りのこと」

 

「だって」

浴槽にもたれながら、

「あなたと岡崎くん、同時にいなくなったじゃない」

ズバリの指摘。

わたしは押し黙る。

「『ホエール君』」

追い打ちがかけられる。

「かわいいよねホエール君。わたしも欲しかった。岡崎くんだったら、もうひとつ――」

からかうのはやめてくださいっ

 

不満の矛先は、いつの間にかおねーさんに。

当のおねーさんは、ゆったりとお湯を満喫している。

 

「ここに水鉄砲があったら、おねーさんに連射してたのに。」

「あらそう♫」

「なにそのリアクション」

 

もう、踏んだり蹴ったりだ。

おねーさんのことなんか知らない……なんて言わないけれど、これ以上この場にいても仕方がない。

勢いよく、湯船から立ち上がる。

すると、

「男の子ってさ」

おねーさんが呟(つぶや)き始める。

「男の子って、頑固に見えて――素直じゃないだけかもよ」

 

――わたしは、おねーさんのほうを見ないで、浴場を出る。

 

 

× × ×

 

 

バスタオルを頭にかぶせながら部屋に入ると、LINEの通知が来ていた。

 

不意打ちだった。

 

岡崎さんから、ひとことだけ。

 

アンチでもいいなら

 

 

 

× × ×

 

「おねーさん、おねーさん!」

「なぁに慌てて? 髪、ちゃんと乾かさないと――」

「そんなことどうでもいいんです!!」

「え、何ごと?」

「――おねーさんの言った通りでした。

 岡崎さん、素直になれないだけだったんです」

「話が見えてこないよあすかちゃん」

「そんなことどうだっていいんです!!」

「な、何ごとなの……」

「岡崎さん、来てくれるって! 明日の試合!

 ハルさんのサッカーを、観てくれるんです!!

 わたし、岡崎さんのこと、大好き!!

 

 

 

 

【愛の◯◯】ぼくも視てました! 昨日の『東大王』

 

放課後、職員室に用事があって、その用事を済ませて廊下を歩いていたら、バッタリと放送部の甲斐田部長に出くわした。

 

「利比古くん奇遇ね」

「甲斐田部長、きょうは部活はないんですか?」

「ないんだよ残念ながら」

「それは……ヒマですね」

「やることはいっぱいあるんだけどね」

彼女は窓の外をふと見上げた。

「ま、いいや」

なにが「ま、いいや」なんだろうと思っていると、

「利比古くんきょうの放課後は?」

「とくになにもないです。麻井会長は『来ても来なくてもいい』って」

「ずいぶん適当ねぇ麻井も。――そうだ」

なにかひらめいたように、

「私たち、お互いヒマなんだからさ、放送室で時間潰さない?」

「え。放送部の活動場所にぼくが?」

「ちょうど飲み物やお菓子もあったし。それに――」

そこでことばを一旦切り、

「話も、したいしさ」

 

× × ×

 

 

放送部の放送室は、やっぱり広い。

久々に入室する気がする。

ペットボトルと煎餅(せんべい)などのお菓子が置かれたテーブルを挟んで、ぼくと甲斐田部長が向かい合う。

とうぜんふたりきり、1対1だ。

 

「あのあと、篠崎くんに何かされてない?」

甲斐田部長が言う。

「篠崎――『番長』さんですか。あれから関わりは、ないですね」

「そうか。彼も案外誠実ね」

それはどうだろうか、と内心思う。

「愛さんに迷惑がかかるようだといけないから」

「姉はこっちで私設応援団が作られようと平気ですよ」

「ほんとう?」

「強いので――姉は」

「――なるほどね。愛さんは最強だよね。篠崎くんなんか歯牙(しが)にもかけなさそう」

最強、と言われた姉。

ぼくは苦笑いして相づちを打つよりない。

 

「ところで」

「はい」

「……麻井の様子は、どう?」

伏し目がちに彼女は訊く。

気にしすぎなくらい、気にしてるってことだろう。

「元気に活動してますよ。後輩をイジメるのが玉にキズですけど。ただ……以前よりトゲが取れて、丸くなったような気もします」

「殺伐とした感じが減った?」

「多少は」

「それは良いことだねえ」

うんうん良いことだ、と、彼女はひとりでに頷(うなず)く。

「安定してるのは、良いことだよ――国立大学に行きたいんだからさ、あいつ。教科が多くて負担がかかってるから。勉強とKHKとの両立だったり、家庭の問題だったり、そういうことに押し潰されないか心配で心配で」

「国立志望なんですね」

「お兄さんのためにだよ――絶対」

「…大丈夫ですよ。ぼくを含め、背中を後押しするひとがいっぱいいるんですから」

「『一匹狼』は卒業だね、麻井」

「とっくに卒業済みだと思いますよ」

 

「ところで……」

今度は、ぼくの側から訊いてみたいことがあった。

せっかくの機会なので。

「麻井会長のことについてなんですけど」

「うん」

「麻井会長は…彼女は、どういう『きっかけ』で、番組制作にのめり込んだんでしょうか?」

眼の前の甲斐田部長なら、知ってないはずがないと思って。

「…うーんとね。

 まず、私と麻井は、同じ中学だったのね」

「はい」

「利比古くん…『職場体験学習』って知らない?」

え、なんだろう、それは。

キョトンとなってしまったぼく。

「……知らないです」

「あ。そうか。帰国子女だからか」

「おそらく…」

「中学2年のときに、好きな職場を選んで、グループでお仕事体験をさせてもらいに行くの。

 それで、私と麻井、同じ班だったんだけど、どこに行ったと思う?」

「と、言われましても――」

「考えて。現在(いま)、私と麻井がやってることに関連してる」

「やってることって――放送――あっ! 

 わかりました、テレビ局とかでしょう」

「あたり」

「フジテレビとかですか?」

「もっと規模の小さい所だよ。地元のケーブルテレビ」

「ああ…、まぁ、そうなりますよね」

「そこでね。

 ケーブルテレビの番組制作を、手伝わせてもらって。

 麻井はそこで『味をしめた』みたい。

 ミキサーに触れるのとか、新鮮な体験で、楽しかったんだろうね。

 中学生だけで番組1本作ったんだけど、イニシアチブは完全に麻井だった。

 そのときから、もしかしたら――KHKなんて旗揚げする下地(したじ)はあったのかな。

 ともかく、1本の番組作るのが楽しくて仕方がないみたいだった、麻井の溌剌(はつらつ)とした表情を――いまでも私、思い出せるんだ」

 

「――ちゃんとした『きっかけ』、あったんですね」

「思い起こせば――放送部でくすぶってたのも、理解できる。

 あとの祭りにすぎないけど」

「甲斐田部長は――会長に、放送部に、残ってほしかったんですか」

「そうじゃない。いま、後悔したって、仕方ないし。

 それよりも私は――、

 麻井と、もう一度友だちになりたい

 

 

しみじみとした、沈黙が下りてきた。

 

 

何か言わなくちゃ――と思って、

「麻井会長は、番組作りに情熱をかけてますけど」

「けど、?」

「かといって、テレビに関心があるかというと、疑問なんですよね。だって会長、『テレビなんか視(み)ない!』って言っていた覚えが」

「そうだよ、あいつはテレビ視ない。映画鑑賞や読書のほうが好き」

「……わかります」

KHKで接していて、彼女の趣味のことも、なんとなくわかってくるのだ。

バックボーンが、映画とか本とかなんだろうなあ、って。

彼女は、麻井会長は、どんな映画が、どんな小説が好きなんだろう?

訊いたら、怒るかな――会長。

「だけど、テレビ番組を作っちゃうんだからね。あんなに速く、あんなに多く、あんなに上手に。――不可思議な話だよ」

 

「甲斐田部長は、どうなんですか?」

「どうって?」

「テレビ、視ますか?」

「視るよ。麻井よりは――昨日は家族3人で、TBSの『東大王』視てた」

「あっ、視てました視てました、ぼくも、昨日の『東大王』!」

「奇遇ね」

「ほんとですね」

「愛さんといっしょに視たんじゃないの?」

「はい、姉も。――姉の正解率が、とんでもないことになっていました」

「愛さんも答えるんだ」

「テレビに向かって答えてました」

「――鈴木光ちゃんが、卒業するんだから…愛さんが代わりに出演すればいいのにね」

「いや、それはナシでしょう」

「やっぱり?」

「だってそもそも姉は東大受けませんよ」

「受けないの?」

「受けません」

「じゃあどこ受けるの」

「…麻井会長に訊いてみては。彼女は知ってるんで」

「この場で利比古くんが言えばいいじゃないの」

「それでは……その、面白くないので…」

「焦(じ)らすね」

「……」

「CMが頻繁に挿入(はい)る民放のバラエティ番組みたい」

「……的確なたとえ、ありがとうございます」

 

 

 

 

【愛の◯◯】稽古を見ているだけでヘトヘト

 

放課後。

『6年劇』の稽古を見に行こうとしたら、アカちゃんに呼び止められた。

 

「ハルくんの試合が土曜日にあるの」

「知ってる。あすかちゃんから聞いたよ」

「あいてる? 土曜日」

「――応援したげるに決まってるじゃないの」

「来てくれるのね! よかった」

「アツマくんも引っ張ってくよ」

「うれしいわ。応援する人が多いほうが――チームも頑張れる」

「勝たなきゃ最後、だもんね」

「相手はちょっと手強いみたいだけれど…」

「それでも勝つって信じなきゃ」

「アツマさん――アツマさんから、なにかアドバイスもらえないかしら?」

「ハルくんに?」

「ハルくんだけじゃないわ。サッカー部みんなに向けて」

「あ……アツマくんは、サッカー専門じゃ、ないからな~」

それでもアツマさんでしょ

 

アツマくんが……守り神みたいな存在になってる。

そこまで崇(あが)めるかー。

さすが、母校にとっては、伝説の男……。

 

× × ×

 

 

松若さんといっしょに、稽古を見学している。

 

水無瀬さんの稽古はやっぱり怖い。

主役の八洲野(やすの)さんをしごいている。

 

ヤスノ!! 何度言ったらわかるの」

 

苗字を名前みたいなイントネーションにして、「ヤスノ!!」と、八洲野さんを……恫喝(どうかつ)しまくる、水無瀬さん。

 

あんたこの6年間、いったい何をしてきたの!?

 これはわたしたちの集大成なんだよ!?

 聴いてる!?

 集大成。

 6年間の。

 この学校で学んだ、中高6年間の、長い月日の!!

 そのための『6年劇』なんでしょーがっ!!!

 なんにもしてこなかった、なんて言わせないんだからっ!!

 あー、それとも。

 ほんとにヤスノ、あんたなんにもしてこなかったんだね。

 こんなにたっぷり時間があって。

 怠けてたんだー。

 あんたさ、

 なんにもできないんならさー、

 ここにいる意味……あんの?

 そこに立ってる意味、舞台に立ってる意味、ないんじゃないのかなー?

 

 

――怖い。

怖すぎるし、言い過ぎ。

言い過ぎだと思うが、水無瀬さんに何か言えるような雰囲気じゃない。

隣の松若さんも、息を呑んでことばを失っている。

 

怯える舞台上の八洲野さん。

大丈夫なのかな――?

でも、こんなに水無瀬さんにどやされても、

彼女は一度たりとも泣き顔を見せない。

泣き出しちゃっても、おかしくないような立場なのに。

 

 

× × ×

 

「よくふんばるよね、八洲野さん。あたしだったら、あの舞台にはとても立てないよ」

心底疲れたような表情で松若さんが言う。

わたしも疲れた。

演者なわけじゃないのに。

稽古を見学するだけで、こんなに疲弊(ひへい)するなんて、先が思いやられる。

演出するのは、水無瀬さんなんだけど。

「――ついていけるのかな? みんな。水無瀬さんに」

こう言わざるをえない。

「疑問だよね。かといって、あたしが口出しするのも憚(はばか)られるような空気だし――」

「松若さんには言う権利があると思うよ。劇の『生みの親』なんだし」

「『生みの親』ねぇ……、どっちが『生みの親』なんだか、わからなくなるよ。あんな稽古見せられると」

「…参っちゃうよね」

ふたりして、嘆息(たんそく)。

 

わたしと松若さんは図書館で文芸部活動――とは名ばかりの反省会、もといクールダウンをしている。

「ヘトヘトだね、ふたりとも」

木幡(こわた)たまきさんだ。

いつもどおりマイペースなたまきさんを眺めていると、少しは精神が和(なご)む……。

「ねぇたまき」

「なーに、マツワカ?」

「あんた、水無瀬さんと八洲野さんの間柄について何か知らない?」

「水無瀬さんと八洲野さんって――あぁ、『6年劇』のことか」

「八洲野さんの主役は水無瀬さんの指名だったんだよ。どういう背景があって、水無瀬さん彼女を指名したのかなーと思って」

たしかに。

「水無瀬さんは一切理由を明言してないものねぇ」

「そこだよ! 羽田さん」

松若さんとわたし、同じ疑問を抱いている。

水無瀬さん直々(じきじき)に八洲野さんを指名した理由。

繋(つな)がりがあってのこと。

そういうことでしょ、水無瀬さん。

あそこまで八洲野さんを罵倒できるってことは――深い繋(つな)がりが存在することの、裏返しじゃないのかしら。

 

因縁?

 

水無瀬さん――説明責任があると思うの、あなたには。

今度、説明を要求してもいいかしら。

 

「――羽田さんがコワい顔になってる」

「え!? えええ!? どうしてわかるの、たまきさん」

「考えごと?」

「考えごとは、してたけど……」

「深刻な悩みごとでも」

「ないない。そうじゃなくって、劇のことで。というか、水無瀬さんのことで」

「ふ~~~む」

たまきさんは持っていた本を置いて、わたしと松若さんのほうに向き直り、

「残念ながら、水無瀬さんや八洲野さんと親しいわけではないから」

「……わからないか、ふたりの関係とか」

「マツワカ、わたしを情報通か何かと思ってるのなら、誤解だよ」

「思ってないよ!」

そう言って松若さんは立ち上がり、たまきさんの傍(かたわ)らに近づいて、今しがたたまきさんが机に置いたばかりの本に眼を落とした。

「…へぇ」

「なに」

「いま読んでるのは、これか~」

「なんでそんなにわたしの読んでる本に興味しんしんなの?」

「たまきの読書傾向に興味を抱かないひとなんていないよ」

「なにそれ」

「――『東北地方における酪農の歴史』」

たまきさんは少しムッとなって、

「書名を読み上げなくたっていいじゃない」

「面白そう、この本――」

「ホントにそう思うの?」

「疲れてるから――どんな本でも、面白そうに見える」

「マツワカ!? お、おかしくなっちゃあだめだよ、マツワカ」

ページを繰(く)る松若さん。

「まるで――文学だね」

マツワカ、もどってきて、マツワカ!!

いつになく慌てるたまきさんが――疲労困憊のわたしたちにとっては、むしろ癒し。

「すべての書物は文学書なんだね――たまき。ね、そう思うでしょ?」

疲れすぎて、なにも考えたくないぐらいだけど――、

松若さんの意見には、ちょっと同意。

 

 

 

【愛の◯◯】『地獄の季節』、これまで何回読んだ?

 

放課後、アカちゃんと、喫茶店メルカド』でお茶することにした。

 

× × ×

 

わたしはいつもどおりホットコーヒーをブラックで飲み、

アカちゃんは紅茶を飲む。

 

紅茶のカップを手にしてアカちゃんが、

「演劇の稽古が始まってるわね」

「昨日から。――きょう、ちょっとだけ見学に行ってみた」

「どうだった?」

「演出の水無瀬さんが、なかなかスパルタでね……」

「あら」

「まあスパルタだろうな、とは思ってたけど、案の定」

わたしは苦笑い。

「演劇部って、ああいうものなのかな。スケジュールが切羽詰まってるってのもあるんだと思うけど、水無瀬さん必死すぎるくらいに必死で。演者がついていけるのかなあ」

「さやかちゃんはどう?」

「さやかは、水無瀬さんのあの勢いとは、波長が合いそうな気がする」

「でも、言ってしまえば演技の素人を、ビシビシしごくってことでしょ」

「『しごく』は言い過ぎかもしれないけど――正直、怖いよね」

「そんなに怖いの、水無瀬さん」

「わたしが口を挟んだらいけない感じ」

アカちゃんは紅茶のカップを置き、

「…いいじゃないの、ちょっとぐらい口を挟んだって」

「だけど……」

「…水無瀬さんがひとりで突っ走っちゃうの、愛ちゃんは平気?」

「平気、ねぇ……、どうなんだろ」

「劇の作者として、思うところもあるんじゃないかしら?」

「わたしは手伝っただけだよ、松若さんを」

「謙遜しちゃダメだよ」

そう言って微笑むアカちゃん。

猪突猛進型の水無瀬さんと、どう折り合っていくか。

悩ましい。

とりあえず――もっと稽古を、見てみよう。

 

「最近、わたし思うんだけれど」

「どんなことを?」

「愛ちゃんは」

「?」

「もっと自分に自信を持ってもいいと思うわ」

「それは……謙遜しすぎ、ってこと?」

「それもあるわねぇ。自分に対する誇り――というか、『プライド』があったほうが、もっと愛ちゃんらしいと思うの」

「『プライド』、ねぇ……。でも、プライドが他人(ひと)を傷つけることだって、多いでしょ。無責任な自我が――」

「愛ちゃんは――プライドで誰かを傷つけたりなんてしないよ」

「どうしてそこまでお見通し、みたいなの……アカちゃん」

「親友だからよ」

単刀直入な答えが返ってきた。

「強気な愛ちゃんが愛ちゃんらしいと思う。たぶん、そう思ってるひと、多いんじゃないかしら――強い愛ちゃんが好きなのよ」

 

アカちゃんは店員さんを呼んで、紅茶のお代わりをオーダーした。

強気がいい、強いわたしが好きだって、アカちゃんは言ったけれど。

眼の前の彼女にしたって。

単純なお嬢様気質じゃなくって、『芯の強さ』を持った子だと、わたしは思っているから。

「――アカちゃんにしたってさ」

「愛ちゃん――?」

「わりと――勝ち気だよね」

「か、勝ち気って――どんなところが」

「強い女の子なんだよ――あなたが思ってる以上に、あなたは」

戸惑いながら、アカちゃんは、

「もっと自覚したほうがいいってこと?」

「自分に対する正しい認識」

「それを自覚、って言うんだと思うんだけれど……」

「プライドがあって、芯が強くって、押しも強い」

「愛ちゃん……いつからわたしのこと、そう思って……」

「昔っからだよ。長いつきあいじゃないの」

 

珍しく、不満げにむくれたような顔をしているので、

「ぜんぶ、ほめ言葉だから。勘違いしてほしくないなー、って」

「ごめん、フクザツ……受け止めきれてない」

「親友だから言うんだよ」

「……」

「それに、もうすぐ卒業だし」

彼女はハッとする。

「言いたいことは、言っちゃったほうがいいかなと思って。――もちろん、ほめ言葉だから、言うんだけどさ」

 

お代わりの紅茶がアカちゃんに運ばれてきた。

しかしアカちゃんは、手を動かさない。

 

双方、沈黙。

 

 

――複雑な表情だったアカちゃんが、柔和な顔を取り戻して、

「中等部のころを――思い出しちゃった」

感慨を込めて言う。

「わたしもだよアカちゃん、仲良くなる前のこととか――。偶然じゃないよね、これ」

「お互い様ってことね」

「いがみ合ってるわけじゃなかったけど、けっこういろいろあったよね」

「……わたしが一方的に愛ちゃんをライバル視してただけのことよ」

「ずいぶんぶっちゃけるね」

「親友だから。卒業間際だから。」

「でも……アカちゃんが、わたしをライバルだと思ってくれたおかげで、わたしとアカちゃんは仲良くなれた」

「なにそれ。変な言い方」

彼女は笑いながら言った。

 

自分でも、変な言い方してると思う。

アカちゃんのわたしに対する認識が、『ライバル』から『親友』に変わったのは、中等部3年のときだった。

 

体育館裏に近いテラスのベンチで、泣きながら居眠りしていたら、アカちゃんに目撃されて、心配されて、ハンカチを渡されて。

 

あのとき、なんで居眠りしながら泣いてたんだっけ?

夢を見ていたんだ。

どんな夢を?

つらい夢? 悪い夢?

 

「――もう、思い出せないや」

びっくりしたアカちゃんが、

「どうしたの、思い出せないって、何を!?」

「ごめんね――個人的な話」

 

夢は夢のままに。

その夢が、悪夢だったのなら――なおさら。

 

「わたしが思い出せたのは――アカちゃんがハンカチを渡してくれたこと」

「……!!」

よかった。

通じた。

「あと――アカちゃんが、アポリネールが好きだったとか、そういうことも」

「ど、どうして唐突に詩人の名前が」

「中3のとき、アポリネールがどうとかヴェルレーヌがどうとか言ってたような気がして」

「それは……わたしが張り合ってたんだわ、アポリネール読んでるか読んでないかとか、ヴェルレーヌよりアポリネールのほうがすごいんだとか。今思えば……バカみたいなことで、張り合ってて」

「アカちゃんはバカじゃないよ。それは今も昔も変わらない」

そして、アカちゃんも記憶力いいなあ…と思いつつ、

「アカちゃん、アポリネール、今でも好き?」

「……好きよ」

ヴェルレーヌは?」

「好きよ」

ランボーは?」

ランボーも好き」

岩波文庫から新訳出たよね、ランボー

「出たわね。対訳で」

「アカちゃんは……『地獄の季節』、これまで何回読んだ?」

「4回。たぶん」

「負けた。わたしは3周しかしてないや」

 

クスッ、と苦笑いするアカちゃん。

 

「…こんなことで張り合うなんて、どうしようもないじゃないの」

「いいじゃない。久々に――張り合うのも」

「中等部に戻ったみたい」

「いいことじゃない」

「愛ちゃんがそう言うなら――いいことなのね、ぜんぶ。

 そういうことに、しておくわ」

 

そうやって――お互い笑い合う。

声を出して笑い合うぐらい、今のやり取りが可笑(おか)しくて。

 

いつの間にか、陽(ひ)は落ちて、窓から見える街灯に、明かりが灯(とも)っている。

 

こうやって長話できるのも――親友の証(あかし)だよね、アカちゃん。