【愛の◯◯】『負けヒロイン属性』を勝手につけてくる兄

・AM8:50

 

土曜だからといって遅くまで寝たりはしない。そこら辺はキチンとしているんである。
で、大親友と通話中。

「今日ダイチとデートなの」

電話の向こうの大親友のソラちゃんが告げてきた。そっか。そっかそっか。土曜日なんだもんね。デートにはうってつけだよね。

だけど、

「ソラちゃんの彼氏、もしかしたらまだ寝てるんじゃないの?」

「かもねー。そうだったら、ダイチが遅刻する確率99パーセントだな。遅刻を謝ってくる前にカバンで叩かなくちゃ」

「ソラちゃんもバイオレンスだねえ」

あたしは笑いながら言うんだけど、

「ヒナちゃんもわたしと同じくらいバイオレンスじゃない?」

と言われたから途端にテンパり始め、

「な、ななっ、なんでっ」

大親友で、距離が近いから……分かるんだ。それに女の子同士だもんね」

あたしは話題を変えたくて、

「どこで遊ぶつもりなの!? お昼ご飯は何を食べるつもりなの!?」

「当ててみなよ」

「……」

沈黙。考え込み。不甲斐ない。

ラチがあかずに、

「あたし、あたし、顔を洗ってくるっ。戻ってくるまで待機してて……!」

 

× × ×

 

・PM13:15

 

彼氏なんて持ったことも無いから、デートスポットもデートご飯もなかなか想像できない。

 

現在デート真っ只中であるはずの水谷ソラちゃんと会津ダイチくんを少し羨みながら、ダイニングテーブルの横を通ってリビングに近づく。

兄がアニメを鑑賞していた。

「土曜の昼下がりからお兄ちゃんはどうしよーもないね」

「そりゃどんな挨拶だ、ヒナ子よ」

「挨拶ってなに、ヒナ子ってなに。おかしいよ」

「おかしくない☆」

何か重量のあるモノで兄の頭を叩きたかったが、それこそバイオレンスなので思い直し、テレビ画面を睨みつける。

「これ、『負けヒロインが多すぎる!』ってアニメだよね?」

「よく知ってたなヒナ子。公式の略称は『マケイン』だ」

青髪の女の子が眼を見開きながら叫び声を上げている。確か八奈見杏菜(やなみ あんな)って娘(こ)だ。

「なーなー。こういうアニメを観ていて、おれには感じるコトがあるんだが……」

ろくでもない発言が飛び出すに決まっているから身構えるあたしに、

「おまえも『負けヒロイン属性』持ってるよな」

と兄は……!!

「兄貴ッ!!」

「なんだよ怒ったか」

「あたし、女の子なんだからね!!」

「へ?」

「そ・れ・に!!」

「なに」

『負けヒロイン属性持ってるよな』って言った人間が、負けヒロイン属性を持つんだからっ

「いや非常に意味が分からんぞ、それは」

 

× × ×

 

・PM19:30

 

晩ご飯の時、右隣に居た兄貴の足の脛(スネ)を蹴りたくて仕方がなかった。でも、できなかった。

 

兄貴に対するヘイトが収まらずに、自分の部屋にスナック菓子を3袋持ち込んだ。

コンソメパンチなチップスの袋を雑に開け、チップスをどんどん口に放り込んでいく。

むしゃくしゃしながら、ムシャムシャする。

あっという間に完食。

あと2袋残っている『救い』はあるんだけど、

「兄貴の失言のせいで、カロリーオーバーになっちゃう」

と、ベッドの側面に身を委ねながら呟き、剰(あまつさ)え、

「カロリーオーバーになるべきは絶対に兄貴の方なんだからっ。明日の日曜日、丸1日使って、兄貴を太らせる方法を考えなきゃ……」

と、クドクド独(ひと)りごちる。

日曜にデートの予定でも入っていれば、こんなこと考えるわけもない。

つらい。

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】ふたたびの背中グリグリ

 

リビングに突入する。ゴールデンタイムのテレビ番組を視ている兄の後頭部が見える。

わたしはその後頭部目がけてずんずん進撃していき、

「おにーーーちゃんっ」

と大きめな声で呼びかける。

「あすか。おれが今何をしてるのか分からんのか」

お笑い番組を視て笑うことで仕事のストレス解消」

「甘いな~」

何が甘いの。

いつもだったら右拳を握り締めてるよ。

今日は……いつもとは違って、拳を握り締めるつもりなんか無いんだけど。

「隣に来て一緒にテレビ視ないか?」

そう言ってくるのは予測の範囲内。

だから、両手を腰に当てつつ、柔らかに朗らかに、

「キモいこと言わないでよ。バカ兄貴」

やや間(ま)があり、それから、

「おまえな~」

と不満げに兄が振り向いてきて、

「『バカ兄貴』とか呼ぶの、やめた方がいいぞ。もっとキレイな言葉づかいをしろ」

わたしはココロ穏やかに、

「お兄ちゃんもだよ。お兄ちゃんだって、言葉づかいには気をつけなきゃ。ガサツな言葉づかいすること多いじゃん」

兄は少し俯き、

「……『お兄ちゃん』呼びに戻ったのは、評価できる」

「何かな、その微妙な言い回し」

兄はもう一度テレビの方に向いてしまい、

「何か用があってここに来たんじゃねーのか?」

わたしは腰に当てていた両手を離し、兄の後ろにさらに接近し、

「お兄ちゃんに用があって、来た」

少し言葉を溜めてから、兄は、

「意見や批判や要望でも言いたいんか」

と真面目含みの声で問う。

「ちがう」

「ち、ちがうのかよ」

「ねぇ」

テレビの方に視線を伸ばしながらわたしは、

「この番組、後でWEB配信とかしてくれるんじゃないの? そういうアプリあるじゃん。視るのは後にしてほしいんだけど」

「なぜに」

「テレビはちょっとだけ消してほしいな」

「だから、なぜに。なにゆえに」

「テレビ消して、わたしのそばに来て。今年最大のお願い」

兄は沈黙。わたしに呆れているのではなく、わたしがこれからしようとしているコトに薄(う)っすらと勘づいてきているんだろう。

「もしや」

わたしに振り向いてくれてはいないものの、背筋を伸ばして、

「スキンシップか?」

ほんのちょっぴり胸がくすぐったくなったわたしは、

「よく分かったね。大正解」

バアッ! と、兄が一気に立ち上がった。

わたしの立っている場所にすぐに歩み寄ってくれる。

「おまえ21歳だったよな」

眉間にシワを寄せながら、

「オトナになっても、兄であるおれの背中であったまりたいってか」

「ピンポーン」

「……おのれは11歳か」

「年齢とか関係ないでしょ」

わたしがそう言うと、困ってしまったような顔になって、

「気が滅入るコトでも……あったのかよ」

「ううん」

アッサリと否定するわたしに、

「わーったよ。理由とか動機とかは言わんでもいい。さっさとひっついちまえ」

と言い、背中を見せてくれる。

兄の照れ顔を見逃すはずも無かった。

歩を進めて、お兄ちゃんの背中とゼロ距離になる。

両手を伸ばして、お兄ちゃんのお腹を押さえつける。

ギュッと抱き込む。わたしのカラダの前側とお兄ちゃんのカラダの後ろ側が重なる。

お兄ちゃんはとっても暖かかった。

寒い季節の寒い夜だから、お兄ちゃんの暖かさで満ち足りた気分になることができる。

暖かさだけじゃなくて、お兄ちゃんのカラダの筋肉質なトコロまでもが伝わってくる。

ゴツゴツしている部分もある。鍛えた結果のゴツゴツだから、受け入れられる。女の子特有の柔らかさとは真反対。そこが、お兄ちゃんの美点になり、魅力になる。

お兄ちゃんのカラダのお兄ちゃんらしいトコロを、しばらく味わい続けたくなる。

胸が密着しているコトなど気にも留めずに背中に顔を埋める。

そしてそれから、その背中を数回グリグリする。

背中グリグリを成し遂げた後で、

「利比古くんとは、ちがうよね」

と言葉を漏らす。

「は!? いきなり利比古の名前出しやがって。おまえ、利比古にもこーいうコトしてるわけじゃねーんだろ!? ま、まるで、あいつのカラダまで、把握してるかのごとく……」

「戸惑うよね。当たり前だよね」

「一体全体なんのこっちゃなんだが」

「お兄ちゃんはそれでいいんだよ」

「よ、よ、よくねーよっ!!」

……かわいい悲鳴だ。

 

 

 

 

【愛の◯◯】お母さんとわたしの結構ヒドいやり取り

 

お母さんがビールをぐびぐび飲んでいる。某県某所のクラフトビール。わたしも呑みに付き合っている。ビールの風味の違いだとかまだよく分からない。でも、美味しいビールであるのは確かだ。

それにしても、

「相変わらずたくさん飲むね……お母さんは」

ダイニングテーブルの椅子に座るお母さんの前に空き瓶がいっぱい並んでいる。クラフトビールの瓶も最後の1本になってしまった。

その最後の1本をお母さんは持ち上げ、

「まだまだ夜は長いのよ~、あすか」

と不穏なことを言う。

「飲み足りないの!? わたしは付き合わないよ」

「エッ、わたしを独りにさせちゃうつもりなの……!!」

あからさまな演技だった。つぶらな瞳を作ろうとしているけど上手く作れていないし、悲しみのこもった声を作ろうとしているけど上手く作れていない。

溜め息をついた後で、

「分かった分かった。アルコールはもう摂取しないけど、居てあげる」

「うれしい……!!」

「はいはい」

 

【第2ラウンド】を始めてからも酔う気配の見られないお母さん。どんだけアルコールに強いの……と思っていたら、

「あすか。アツマが明日帰ってくるわよね」

わたしは緊張を感じながら、

「兄貴の帰省が……どうかしたの」

「どうかするわよぉ~~」

「え」

「あなたは『兄貴』とか言ってるけど、内心嬉しいんでしょ。『お兄ちゃん』に甘えたいんじゃないの~~??」

 

× × ×

 

途端に顔の全部が熱くなった。取り乱して、いろんなコトバを喚きたててしまった。

取り乱しの理由は時間と文字数の都合で省略する。

 

× × ×

 

「反抗期みたいになってゴメンナサイ」

「ちゃんと謝れて偉いわねっ☆」

「……」

口を結んで手前のテーブルを見る。わたしが制作に携わっている『PADDLE(パドル)』のバックナンバーが重なって置かれている。

ダイニング・キッチンからリビングに移動していたのだ。流石にお母さんはもうお酒を携えてはいない。わたしの右斜め前のソファでわたし同様に『PADDLE』に視線を向けている。

「相変わらず結崎純二(ゆいざき じゅんじ)くんの責任編集なのね」

「来年度もだよ。6年間じゃ卒業は無理だった」

「それは逞(たくま)しいわねえ」

「逞しい!? ぶっちゃけスネかじりなんだよ、あの男子(ひと)!?」

「うふふ」

「な、なにその笑顔」

「スネかじりはあんまり関係ないと思うわよ?」

「お母さんは結崎さんの生き方を支持してるの……。ショックだよ」

「――あすかには『お悩み』があるのよね? 『PADDLE』の記事執筆に関連して」 

会話の流れをぶった斬り、いきなり核心を突いてくる。

いつもニコニコしているお母さんのこういうトコロが怖かった。

わたしは左腕で頬杖をつき、

「自分で言うのもアレだけど、自分の書く記事は高いレベルで安定してると思う。でも、『伸び代』が無いって思っちゃうんだ。もう一皮剥けたいって感じがしていて」

お母さんが何故か右斜め前のソファを離れ、わたしの横に接近してくる。

それ、どんな動きかな。

今にもわたしの方にカラダを傾けてきそうな気配。戸惑う。

「あすかは向上心があるから大好きよ」

「向上心だけあったって。伸び悩んでたら意味をなさないし」

「おバカ」

「!?」

「ごめん、今の取り消して☆」

「お、おかーさんっ」

「常に自分に満足しないのはとっても良いコトだわ。あなたにはこれからもそういう調子で行ってほしい」

ついに左肩をわたしの右肩にペッタリくっつけてきた。

あれだけお酒には強いんだけど、酔いが少しもまわってないわけじゃなかったり??

「ねえ。母であるわたしからの、今月最大のお願い」

「……なに?」

「利比古くん呼んできてよ。利比古くんにも『PADDLE』のあなたの文章を読んでもらおーよ」

「ななななんで彼に!?」

「なんとなくぅ」

「ちゃ、ちゃんとした理由無いのなら、呼ばないよ」

「呼んでくれたら図書カード5000円分~」

「と、図書カードで釣らないでよっ!!」

ここで、なんと、大変不都合なことに、わたしの背後に足音。

振り向けば、流(ながる)さんだった。母娘のヒドいやり取りの横を通過しようとしていたのである。

「アッ流くん!!! ちょうど良過ぎるトコロに。あのねわたしね、利比古くんをここに呼んできてほしいのぉ」

「お母さんは流さんを使ってまで利比古くんを呼びたいの!?」

「なんでそこまで抵抗するのかな」

お母さんの疑問を無視して、助けを求めるように流さんを見る。

『首を横に振ってほしい』と流さんに対して願う。

しかし、この邸(いえ)の住人で2番目に年齢の高いアラサー男性の彼は、不穏な微笑み顔。

眼鏡の奥に、わたしにとってこの上なく不都合な思惑が潜んでいる気がして。

それでそれで。

首を横に振ることなく、無情なアラサー独身男性・流さんは、口をゆっくりと開いていき、それから……!!!

 

 

 

 

【愛の◯◯】フィクションではないさやかさんの◯◯

 

午後2時台。邸(いえ)の中で3番目に大きな規模のリビング。周りにはわたしとさやかさん以外誰も居ない。さやかさんは本を読み耽り、わたしはスマートフォンをぽちぽちしていた。

わたしが友人とのLINEのやり取りを終えた時、眼前(がんぜん)のソファのさやかさんが本を閉じた。

「読書は終わりなんですか?」

訊けば、

「キリのいいとこまで読んだからね」

という答えが返ってくる。

わたしは長テーブルにさやかさんが置いた本に眼を向ける。分厚くてハードカバー。ハンナ・アーレントという人の書いた本らしい。

「流石はさやかさん。わたしなら15ページも読めずに挫折しちゃいそうな本を読むのに没頭していて」

そう言ってから、本からさやかさんへと視線を移して、

「尊敬します」

と言い切る。

「照れちゃうな~」

そう長くはない髪に右手の指で触れながら言う彼女。

髪から指を離した後で、

「わたしだって、あすかちゃんを尊敬してるんだよ?」

「エッ。どこに尊敬する要素あるんですか」

「音楽活動」

あーっ……。

バンドのことか。

「『ソリッドオーシャン』ってバンド名だったよね。あすかちゃんの高校時代からずっと続いてるんでしょ? 息の長さが特筆モノだと思う」

「ボーカルは交代したんですけどね」

「男の子になったんだよね」

「成清(なりきよ)くんですね」

「彼1人だけが男子メンバーってスゴいよねえ。バンド内恋愛みたいな事態が発生しそうなのは不安要素かも」

「今のところは平穏です」

「ホントぉ?」

わたしはぐぐ、とやや前のめりになり、

「実は『フラグ』が立っていたり立っていなかったりなんですけども」

「マジ!? それ、すっごく興味深いんだけど」

さやかさんも結構乙女(オトメ)だなー。

『桃色の脳細胞』なんて言ってしまったら怒らせちゃうから絶対に言わないけど。

 

× × ×

 

それから、さやかさんに請われたので、バンド『ソリッドオーシャン』のレパートリーや、最近わたしがよく聴いている楽曲について話した。

「趣味いいよね~~。あすかちゃん、わたしなんかよりも絶対、聴く音楽の趣味がいいよ」

「またまたぁ。それほどでも」

内心では嬉しいわたしは、

「さやかさんはクラシック音楽に造詣が深いじゃないですか。ヴァイオリンも弾けるんだし。そこは到底及びませんよ。自分が作ったプレイリストの中にクラシックの曲なんて1曲も入ってないし」

モーツァルトも?」

「ハイ」

ショパンも?」

「ハイ」

「それは逆に『スゴい』って思っちゃうかも」

「アハハ」

 

× × ×

 

お菓子と飲み物を持ってくるためにいったんダイニング・キッチンに行った。大きい丸型トレーにペプシコーラのペットボトルとスナック菓子諸々を載せてリビングに戻った。

すると、どういうわけか、わたしが座っていた側のソファにさやかさんが移動していた。

「あ、あのー、なんでそっちのソファに?」

ペプシとお菓子、ありがとう」

「し、質問してるんですが」

「――だね。こっちに来た理由を説明する前に『ありがとう』って言っちゃった。順番を間違えた」

長テーブルにトレーを置いて説明を待つわたしに、彼女は、

「女の子同士じゃなきゃ出来ないハナシがしたかったの」

インパクトのある発言を。

「そ、それって……時と場所によっては、相応しくないようなハナシじゃないんですか?? おやつタイムのリビングで、そういうハナシを展開するのって、果たして……」

「あすかちゃんの隣で耳打ちすれば、ダイジョーブ」

「耳打ち!?」

「ホラホラ、わたしの隣に早く腰を下ろして」

……本当は『覚悟』みたいなモノを決めてから彼女の隣に座らないといけないんだと思う。だけど、覚悟も何も定まらないままに、さやかさんのペースに巻き込まれてしまう。巻き込まれてしまうから、不安に包まれながらも、彼女の言う通りにしてしまう。

腰掛けたわたしの左隣から彼女が身を寄せてくる。

 

× × ×

 

『荒木先生と相当距離が詰まってきてるの』

『女子校を卒業してから出会った回数も両手の指で数え切れなくなったし、出会う頻度も上がってるし』

『『デート』の3文字以外の何物でもない。バレたら厄介だから、バレないように、時と場所は慎重に選んでる』

『もう、荒木『先生』って呼ぶのも『卒業』なのかも』

 

立て続けにこんなことを耳打ちしてくるさやかさんだった。

ダメ押しで、

『――禁断の愛って、あすかちゃんはどう思う? 憧れる?』

と問われたから、とっても辛かった。

 

× × ×

 

さやかさんは帰っていった。

昨日のアカ子さん。今日のさやかさん。2日連続で年上女子に弄ばれてしまったような感覚がある。

背中や肩のくたびれが重かった。

長テーブルには片付いていない丸型トレー。さやかさんに耳打ちされた位置にわたしは着座し続けている。

地上波でもBSでもCSでも何でもいいからテレビを視ようかと思って、丸型トレーのそばに置かれたリモコンに触れようとする。

しかし、触れようとした瞬間に誰かの足音が。

これは、利比古くんの足の運び方だ。

 

× × ×

 

「テレビはつけなくて良かったんですか」

「利比古くんが来たから気が変わった」

「不思議な理由で気が変わるんですね」

「そう思う?」

向かって左斜め前のソファに陣取った利比古くん目がけ、

「わたしの気分屋さんなトコロ、もうちょい分かってくれたっていいのに。共同生活もとっくに4年を過ぎてるんだよ?」

「4年ですかぁ。4年前はぼくもあすかさんも高校生でしたし、ぼくの姉も高校生でしたよね」

「だね。そして、さやかさんも高校生だった」

「えっ。そうでしたけども……なんだか唐突に、さやかさんの名前が出てきた気も」

「さっきまでさやかさんがここに来てたから」

「アッなるほど」

「彼女の今日の来訪は利比古くんにも伝えてたと思うんですけどねー」

「忘れてました」

溜め息をつく。溜め息をつかざるを得ないので。

それから、

『利比古くんにイジワルなこと言わなきゃ、気が済まない』

という風なキモチがむくむくと盛り上がり、

「ねーねー。利比古くんが桐原高校に通ってた時にさー」

と言い、

「同級生が先生に告白したりとか、そういう『イベント』は無かったワケ?」

と、攻撃的な問いを攻撃的に投げかけてみる。

二枚目な眼を彼は大きく見開き、

「い、いきなり何を訊くかと思えば。生徒が、先生に、告白、だなんて。そういうのは、9割方、フィクションの産物のはずで」

「なんでコトバをいちいち区切って話すのかな」

「こ、こっちは、うろたえて、いるんですっ!」

「――無かったみたいだね、そういう楽しい『イベント』は」

「く、繰り返しに、なりますがっ、『禁断の愛』的なモノは、フィクションの枠に、留まるモノなんであって」

「あれ~~? フィクション『じゃない』例、利比古くんは認知してなかったんだっけ~~??」

「……あ、あっ、ももももしかしたらっ」

「なーんだ。きちんとインプットしてるんじゃん☆」

勝ち誇るわたし。

イジワルに成功して勝ち誇りながらも、こんなことを思っていたりもする。

『『事実は小説よりも奇なり』ってフレーズ、利比古くんは知ってるのかなあ? 帰国子女で海外に居たのが長いし、知らないのかも。もっとも、海外にもこういうフレーズ存在してそうだけどね……』

 

 

 

【愛の◯◯】お泊まりから帰る前に寄り道して、それからそれから。

 

心(こころ)さんの助けを借りずに起床できた。心さんが作ってくれた朝ごはんを食べた。トーストがカリッとしてフワフワだった。『どうやったらこんなに美味しいトーストになるんだろう!?』と思ってしまった。おねーさんのお母さんにしてお料理の師匠。やっぱり【別格】なんだな……。改めてそう感じた。

【別格】の朝食を堪能した後で(心さんの手はもちろん借りずに)身支度を済ませたわたしは玄関で羽田夫妻に挨拶をした。名残惜しかったから必要以上に頭を深々と下げてしまったような気がした。

頭を深々と下げた時、ひょっとしたらご夫妻のどちらかが頭をナデナデしてくるんではないかと思った。でも、そんなことは無かった。手厚くもてなされたから、最後に愛情表現としてもしかしたら……と思っていたんだけどな。

『今回はナデナデされなかったけど、次回はナデナデされちゃうのかも』

ご夫妻の一軒家を出て玄関に背を向けながらココロの中でそう呟いた。

 

午前中の内に邸(ウチ)に帰るつもりは無かった。

わたしの住んでいる邸(いえ)ではなく、『あの女性(ヒト)』の住んでいる邸(いえ)に向かうのである。

 

× × ×

 

「父が『ペルソナ4』っていうアニメにハマってしまっていて」

「あー、小学生の頃に流行ってた気が」

「主人公の声やセリフの言い回しを頻(しき)りにモノマネするのよ。痛々し過ぎるわ」

大企業社長たるお父さんのオタクぶりに頭を悩ませているアカ子さんが右手でこめかみを押さえる仕草をした。

「いったい今幾つだと思ってるのかしら。呆れるばかりよ。しかもより一層悪いことに、同年代に『同好の士』が何人も居るらしくて……」

「その人たちも大企業の重役だったりするんですか?」

「……大きな声では言えないんだけれどね。あすかちゃんだからカミングアウトできるのよ」

「嬉しいです。わたしに信頼を置いてくれていて」

苦笑い混じりだけど柔らかく麗しい微笑で、

「長い付き合いじゃないのよ。あすかちゃんは大切な大切な存在だわ」

嬉しさに嬉しさが重なる。胸の辺りがジンワリと暖かくなる。

 

× × ×

 

アカ子さんがダイニング・キッチンで蜜柑さんとやり取りをしている間に、『ペルソナ4』の主人公の声優をこっそり調べてみた。

浪川大輔さんだった。

 

× × ×

 

湯気が盛んに立ち昇っている。そんじょそこらの肉まんとはモノが違うみたいだ。どこのお店の肉まんなのかアカ子さんは教えてくれたけど、諸般の事情で店名は伏せておく。

わたしの真正面のソファに再び座ったアカ子さんが、

「山盛りになってるし、熱い内に一緒に早く食べてしまいましょうよ」

と促す。

「アカ子さんのスピードについていけるかな」

わたしは思わず苦笑する。

「配慮してあげるから心配要らないわ」 

そう念を押しながら彼女はもう既に1個目の肉まんを口に持っていっている。

瞬く間に1個目が消えた、と思いきや2個目も瞬時に無くなった。そして3個目も光のような速さで彼女の胃袋の中に消えていった。

『配慮』っていったい何だったんですか、アカ子さん。

わたしは最初に手に取った肉まんを口に持っていけないまま唖然とするしかない。

圧倒的なスピードで肉まんの山を崩すアカ子さんが、

「あら? どうして手が止まっちゃってるの? 食欲不振とかではないでしょう?」

と言ってくる。

焦りつつわたしは肉まんを半分に割ろうとする。

けれども、

「もしかして、男の子のコトを意識していて、肉まんに集中できなかったとか?」

と、非常に明るく非情なまでに明るい声で、アカ子さんが信じがたいほどに突拍子も無いことを言ってきたから、せっかく半分に割った肉まんが手からこぼれ落ちていく……!!

 

× × ×

 

まったくもうっ。

男の子のコトを意識しながら肉まんに向かうワケが無いじゃないですか。

絶対からかいたかったんですよね。絶対そうでしょ。だから、男の子がどうとか、強引に。

アカ子さんっ。アカ子さんは何ゆえに、異性との関わり的な◯◯でもって、わたしを揺さぶりたかったんですか!?

アカ子さんとはいつでも仲良く楽しく過ごしたいのに、正直ちょっとヒリヒリした気分になっちゃってたんですけどっ。

反省を要求します。

 

× × ×

 

帰る電車に乗っている間ずーっと、ココロの中でアカ子さんにブツブツグチグチ言っていたような気がする。

 

そんなこんなで、なんだかんだで、自分の邸(いえ)まで帰ってきた。

玄関ドアに続く道をぺたぺたと歩く。

午後1時前の陽射しが少し眩しい。玄関のドアノブが輝くように光る。そのドアノブを捻(ひね)って屋内に入る。靴を脱ぐ。脱いだ靴を完璧に揃える。ピンク色のスリッパを選び、ぺたぺたぺたと歩き始め、広大な空間へと向かって行く。

 

1階フロアのど真ん中の邸(いえ)でいちばん大きなリビング。

利比古くんが午前中で授業を受け終えて帰る予定だったのは知っていた。

だから、この時間帯ならば帰宅済みでたぶんリビングでくつろいでるんだろうと予測はついていた。

利比古くんの立っている後ろ姿。

お姉さん譲りの髪の色がイジワルなほどまばゆい。短くはない髪の長さ。残念ながら背丈は170センチに届いていない。でも、当然のごとく細くてシュッとしている体型。立っている後ろ姿だけで、老若男女問わず惹きつける容姿であるのが分かってしまう。

「……女の子にモテるだけじゃないんだよね。女の子にモテるだけじゃ、『魅力がある』とは言いがたい」

ひとりでにそんなコトバが口から溢れ出てしまう。

『やらかす』のは何度目だろう。もうなんだか、彼の間近に居ると、ヒトリゴトが溢れ出るのを堰(せ)き止められる自信が皆無になってきている。

利比古くんが振り返った。見慣れたハンサムな顔。見慣れているだなんて、言うまでもなく贅沢だ。

「そのコメントの意図はいったい何なんですか、あすかさん」

やんわりと問われる。

だけど、

「ただいま。利比古くん」

と、『言い返す』。

一瞬だけ彼は不意を打たれるけど、

「……おかえりなさい。あすかさん」

と、シッカリと、ハッキリと、挨拶を返してくれた。

 

 

 

【愛の◯◯】最終手段の電話帳には……

 

とっても美味しかった。おねーさんと利比古くんの姉弟(きょうだい)のお母さんである心(こころ)さんが作ってくれた料理だった。おねーさんに料理を教えた女性(ひと)なんだから、美味しいのは当たり前なんだけどね。

食器の全部片されたダイニングテーブルで心さん&守(まもる)さん夫妻と向き合っている。わたしの正面に心さんが座っていて、わたしの右斜め前に守さんが座っている。

羽田夫妻とこうやって向き合うと緊張しちゃうな……と思って少しカラダが硬くなっていたところに、

「あすかちゃん、お酒飲む?」

と真正面から心さんの声。

いきなり「お酒」というワードが出たのでビックリした。俯き気味だった顔が自然と上昇した。心さんがニコニコと笑っている。守さんもニコニコと笑っている。

「お酒は……まだ早いかな、って」

わたしはヘンテコな応答をしてしまう。

「あすかちゃん21歳じゃないの」

そう言う心さんは満面のニコニコ顔だ。

「邸(あっち)では利比古と飲んだりはしないのかい?」

心さんと同じくらいニコニコ顔な守さんが訊いてきた。

「彼と一緒に飲むのは……まだ早いかも。彼はハタチになったばかりですし」

すかさず、

「いいじゃないのよぉ、ハタチになって合法なんだから、積極的に飲ませたって。あの子にお酒の味を教えてあげてよぉ」

と心さんから……。

「強制は……良くないかと」

夫妻の勢いに押されながらも言うが、

「強制するぐらいがちょうどいいのよ」

と、心さんの勢いは止まらない。

「あ、あの、わたしそろそろお風呂に入りたいかなーって」

逃げようとしてしまうわたしに、

「エッ、夜は長いのに」

と、心さんは容赦が無い。

「おっおふたりは、明日の朝出勤しないといけないのではっ」

「そうだな。その通りだ。あすかちゃんは真面目で素晴らしいな。真面目がいちばんだ、真面目が」

今度は守さんが言ってきた。なんでわたしの真面目を褒め称えるんだろう。

「あすかちゃんをゆっくり休ませてあげよう。酒盛りはまた次の機会だ」

そう言って守さんは心さんに目線を送る。

「あなたが言うなら仕方ないわね。楽しみをお腹の中にしまっておくわ」

機嫌を損ねることなく心さんは守さんに従って引き下がる。

……「お腹の中」?

 

× × ×

 

心さんが苦手なわけではない。『せっかく泊まりに来てくれたんだし、わたしと一緒に寝てみない?』みたいに言われると辛くなるけど。さっき寝室に向かって階段を上がろうとした時もそんな風なことを言われてしまった。

ベッドに腰掛けて溜め息をつく。充電ケーブルをコンセントに差し込み、スマートフォンを接続する。照明を消し、ゴロッと横になる。

暗い天井を眺め続けても仕方ないので、眼を閉じてココロの中で好きなロックバンドを挙げていく。羊を数える代わりだ。いつもと違うベッドだけど、こういう風にすれば寝入ることができると思った。

しかし、邦楽洋楽問わず幾らロックバンドの名前を挙げても、眠気はなかなかやって来なかった。

ちょっとマズい。眠れないまま夜が更ける危険がある。

もちろんもちろん、心さんにこの寝室に来てもらったりなんかしない。恥ずかし過ぎる。ヘタに階段を下りたりしたら彼女に見つかって『寝れないの? わたしがやっぱり居てあげた方がいいみたいね』と言われかねない。わたしはここから動けない。

いったん立ち上がって部屋を明るくして睡魔を待つべきか……。

本棚には羽田夫妻の所有物の本が多くはないけど並べられている。それに眼を通していたら自然と睡魔がやって来るかもしれない。

だけど、読書という気には全然なれなかった。羽田夫妻と、特に心さんと渡り合ったがゆえのくたびれがあって、そのくたびれはわたしを知的活動へと向かわせない類(たぐい)のくたびれだった。

だったら、音楽?

充電中のスマートフォンが枕元にある。好きな楽曲が大量に詰め込まれている。

ただ、詰め込まれているのは騒がしい音楽ばかりで、安眠を誘(いざな)うのとは完全に反対の性質のモノだった。

わたしを睡眠に誘導してくれるモノに乏しい。だんだん途方に暮れてきてしまう。

暗い天井を睨みながら考えに考えた。

考えに考えた末、1つの手段を実行してみようという気になった。まさに最終手段という感じだったけど、やってみるしかなかった。

充電ケーブルを繋いだままスマートフォンを掴む。電話帳を開く。『おねーさん』というひらがな5文字をタップする寸前になる。

おねーさんに電話をかけて、おねーさんの声を聴く。そうすれば、安心して眠りにつけると思ったのだ。

でも。

『おねーさん』の5文字をタップする寸前でわたしに迷いが兆し始めた。

自分でもよく分からない迷いだった。

わたしの兄とマンションのお部屋でラブラブなところを邪魔してはいけない。そんな思いから来る迷い、ではなかった。

おねーさんの他に、声を聴くことで眠りの世界に誘(いざな)ってくれる人物がいるのでは? ……そういう思いが立ちのぼり、おねーさんへの通話をためらわせた。

以前だったら、こういうシチュエーションになってしまった時、おねーさんに頼ることしか考えていなかった。

今は違う。違うのだ。おねーさんの他にも『そんな存在』がいる。

その存在は日増しに大きくなっていて、存在の膨らみをわたしは上手く制御できないでいる。

「できない」理由は、性別が同じではないから。

気付けば、スマホ画面をスクロールしていた。トクトクトク、と鼓動が速まる。

『利比古くん』

その名前までスクロールして、手を止める。

わたしの指がふるふる震え始める。

 

 

 

【愛の◯◯】後輩女子とバッタリ会って◯◯

 

高輪(たかなわ)ミナが寄り道したまま戻ってこない。昼飯を食った後で散歩していたらいつの間にかどこかに消えやがった。昔からこういう悪い点は変わっていない……!

12月の昼下がり。明らかに冬の空気だ。時折吹く風がおれを冷たくする。高輪も戻る気配が無いし独りで立ち尽くしているのが本当にツラい。

本当に本当に途方に暮れていた。

すると背後からいきなり、

『郡司(ぐんじ)センパイじゃないですか!! 凄い偶然』

という女子の声が聞こえてきたのだ。

ビビって振り向く。

黒髪ストレートの凛々しい眼。穿いているのはジーパン。ジーパンがトレードマークのような年下女子。

大井町侑(おおいまち ゆう)であった。

大井町は現在4年生で卒業間近だ。某サークルでおれの1個下の後輩だった。

かなり「当たり」の強い性格の女子だと思っていた。同期男子の新田にしょっちゅう厳しいコトバを投げつけていたし、同期女子の羽田愛とはピリピリギクシャクしたりしてなかなか仲良くなれていなかった。

ただ、今の表情は柔らかかった。性格に優しさが増したのだろうか。キツい眼つきではなく、愛嬌すらこもった眼差しでおれを見据えてきている。

「おまえの言う通り偶然だな。ここら辺をよくブラブラしたりするんか?」

「いいえ、そんなに」

「へぇ。おれは高輪と昼飯を食った後なんだが、大井町も近くのどこかで昼飯を?」

「ミナさんと一緒に行動してるんですか!?」

おれの問いそっちのけで興奮しながら言う大井町

「だけど、ミナさん見当たりませんよね。はぐれちゃったとか?」

「まぁ、そんな感じだな」

「連絡してみなくちゃ。ミナさんと早く合流しなくちゃ」 

大井町はいつの間にやらイジワルでコドモじみた笑顔になっていた。大井町らしからぬ表情。そして甘く柔らかな声。

たじろいでしまっていると、

「卒業してからも仲がいいんですね、ミナさんと。高校も大学も一緒なだけありますよね」

と言われてしまうから、胃袋が締め付けられる。

大井町侑は着実におれとの距離を詰めていた。

「腐れ縁ってだけだ。あいつと渡り合ってるとくたびれる」

「えーっ」

至近距離の大井町は笑みを崩さず、

「そんなこと言うモノでもないですよぉ。一刻も早くミナさんを取り戻さないと」

「取り戻すって。おまえなぁ」

「語弊がありましたか?」

「……あった」 

「それはスミマセンなんですけども」

まるで高校生のごとき幼さを含ませて、

「はぐれちゃったのは、半分郡司センパイの責任なのでは?」 

「おまえも……容赦ないな」

容赦ないのは新田に対してとかだけではないらしい。

おれに厳しい後輩女子は両手を後ろ手にして、やや前のめりな姿勢で、

「わたしサークルでは郡司センパイに結構怒られてたじゃないですか。その『お返し』というか何というかで」

『お返し』というよりも『仕返(しかえ)し』というんではなかろうか。

それにそもそも、大井町に怒った記憶がほとんど無い。

「おれはそんなにおまえに厳しかったか? 思い込みが激しくないか」

「わたしの認識を尊重してくださいよ」

「そ、尊重するといっても、おまえはおれを何だか誤解していて……」

押される一方のおれ。

追い打ちをかけるように大井町が満面の笑みを見せてきた。

当然ながら未だかつてこのようなスマイルを眼にしたことは無い。

大井町からこういうスマイルを見せつけられることが、劣勢であることを象徴していた。

そうだ。劣勢なのだ。

別に大井町と対決したりとかするつもりは無い。この場で勝ち負けをつけたいとか思っていない。

しかし、おれはコイツより年上なのだ。

「威厳」だとかそういうコトバを持ち出してしまったら上から押さえつけるみたいになってしまう。そこまでキツくは当たらない。

そうではないのだが、後輩女子にやられっ放しでは悔しいというキモチは強い。だから、「反撃」の糸口を探りたい。

「どうしちゃったんですか、せんぱーい。真面目過ぎてガチガチな顔になって」

依然ニコニコしながら視線をおれの顔面に当ててくる。

後輩女子のニコニコを耐え忍び、「ウィークポイント」を一生懸命に探っていく。

大井町侑という女子のサークルでの振る舞いを思い出す。やはり新田への厳しさがまず浮かんでくる。新田を罵倒したり、新田に説教をかましたり。

新田。

新田……か。

そうだ。

揺さぶりの「糸口」がようやく見えてきた。

背筋を伸ばす。大井町の凛々しい顔を見つめ返す。

それから、

「おまえに知らせてほしいことがあるんだが」

大井町は少し首をかしげ、

「と、いいますと?」

おれはほんの少し息を吸い込んでから、

「新田について知らせてほしいんだよ。新田の現状を教えてくれないか」

そう問いかけた瞬間、後輩女子の眼が見開かれた。どういうわけか数歩後(あと)ずさり、うろたえの色の濃い表情になった。

「オイどーした。なんで『新田』って言った瞬間にそんな反応になるんだ」

そう言いつつも、

『反撃がどうやら成功したようだ』

という思いもおれの中には産まれていた。

そうか……。やっぱり新田は、コイツにとって攻撃対象であると同時に、ウィークポイントでもあったんだな。

新田だって攻撃されっ放しではなかったんだもんな。大井町に対して反発したりたしなめたりもしていた。もちろん頻度は高くなかったけども。

新田との関わりで不都合なことも経験していたから、弱いところを突かれたような格好になる。

……にしても、だ。

大井町、おまえ、うろたえが大袈裟過ぎないか??

ブワアアアッ……って、顔面が赤く染めあがってきてるぞ。

そんなに顔が炎上するなんて想定外だ。『新田』というワードを口にしたのがそんなに「こたえてる」ってか??

わからん。

おれの見ぬ間に関係性の変化だとか進展だとかあったというのか。それはそれで興味深いが。

とにかくおれは大井町のデリケートな部分に触れてしまったらしい。新田とのコトをこれ以上掘り下げるのが憚られるぐらいになってしまった。

大井町は99パーセントの困り顔だ。目線が下向きになり、まるで高校1年生に逆戻りしたかのようなコドモっぽさを見せている。単にコドモっぽくなっただけではない。困惑だ。困惑があるのだ。高校1年生の女子がどんな時にここまで困惑しまくるのか、想像はできないのだが……。

ほっぺたに微熱が取り付いている。うろたえに恥ずかしさのようなモノが混じりあっているんだと思う。

こういう時……高輪ミナがどこかに消えているのが、ありがたかったりもする。

 

 

 

 

【愛の◯◯】創作している女子(ヒト)は1人だけではなく

 

旅行ガイドブックの類(たぐい)で埋め尽くされている棚があった。その棚を興味深く見つめる。「るるぶ」だとか「地球の歩き方」だとか、わたしのマンション部屋(べや)の本棚にはほとんど入ってないものね。新鮮。

それから、CD棚に眼を移す。意外と言ったら失礼だけど、比較的硬派なミュージシャンのアルバムが並んでいると思った。『八木さんもなかなかやるなぁ』と思う。音楽の趣味の良し悪しだけで人を値踏みしてはいけない。だけど、八木さんのCD棚を見てホッとした気分になったのは事実だし、彼女へのリスペクトの度合いが上がった。

ドアが開く音がした。八木八重子(やぎ やえこ)さんがコーヒーカップの2つ載ったお盆を持って入ってきた。

「インスタントでゴメンね」

「いえいえ」

「羽田さんは砂糖もミルクも入れないよね? わたしよりオトナだなぁ」

「またまた~。社会人の八木さんの方が絶対オトナですって」

八木さんは腰を下ろし、小さなテーブルの上にコーヒーカップをことん、と置く。

「素直に嬉しいよ、そう言ってくれて。……ところで、わたしの本棚やCD棚はショボくなかった? 羽田さんから見ると物足りないラインナップだったんじゃないかなーって」

わたしは八木さんに身を寄せていく。

「物足りなくなんか全然ありませんから。本棚もCD棚もすごく魅力的でしたよ」

同じ女子校を出た尊敬すべき先輩たる彼女の間近で告げてあげる。

告げられた八木さんが少し照れる。

「八木さんって小説を書いてるんですよね? わたしなんて創作活動をする気なんか少しも起こらないのに。創作しよう! って意志がある時点でスゴいってレベルを超えてます」

もっと照れさせたくて言ってみた。八木さんのほっぺたが明確に赤くなった。

 

× × ×

 

小説執筆の進捗状況を八木さんは報告してくれた。

「無闇にアドバイスしない方がいいですよね」とわたし。

「葉山が『編集者』になってくれてるしねぇ」と八木さん。

「葉山先輩なら安心。読み巧者であるのは間違いないんだから」

「葉山みたいな存在が身近に居るってすっごく恵まれてるんだよね。あそこまで文学に詳しい女子もなかなか居ないんだし」

その通りだ。

「女子校の同期として葉山先輩とめぐりあったこと自体が、奇跡的なめぐりあいだったんだと思いますよ」

言われて、八木さんはしみじみと頷(うなず)く。

感慨深い表情が10秒間ぐらい続き、それから、

「葉山といえばさぁ……」

と言いながら、徐々に愉快げな表情になっていく。

「羽田さんもとっくに知ってるよね。葉山は葉山で創作活動に手を染めてるってコト」

「ポエムですか」

「ポエムだよ」

「八木さんはたぶん、葉山先輩の最新の『ポエムノート』を既に眼にしてるんですよね?」 

「してるしてる! 葉山の『ポエムノート』、どんどん余計なデコレーションが増えてるんだよ。この前葉山は24歳になったけど、まるで12歳みたいなデコレーションのセンスだった」

「それは興味深い。わたしもなんとかして彼女の最新ポエムノートが見てみたいです。でも、もしかしたらセンパイに抵抗されちゃうかな……」

「強奪すればいいじゃん」

「それはちょっと可哀想かも」

「葉山の抵抗には、強気だよ。強気に出れば、羽田さんなら屈服させられるよ」

「なんだか八木さんの言い回し、物騒かも」

「そう言いつつも『その気』になってきてるんでしょ? 笑顔が物語ってるよ。誤魔化せないよ」

「するどいですね~」

「するどいよ」

八木さんのとっても愉しそうな笑みが眼にうつる。

わたしも八木さんと同じくらい愉快な気分。

だから、気付けば……笑い声を漏らしつつ、満面の笑顔を互いに見せ合っていた。