【愛の◯◯】土曜だって女子高生はお稽古

 

起きる。

カーテンを開ける。

――うん、いい天気。

 

松若さんと川又さんが、脚本合宿で、ここに泊まりに来たのも、もう3週間前。

わたしのベッドのとなりで、2人が寝ていたのを、思い出す。

 

昨日は、情けなくも取り乱してしまった。

学校で泣くなんて、いつ以来だっただろうか。

文芸部がらみだと――、先代部長の香織センパイの引き継ぎで、わたしに香織センパイが言ってくれたことばに感極まってしまったとき。

今年の1月だった。センター試験の…すぐあとだったと思う。

そっか。

引き継ぎ、といえば、今度はわたしが後輩に部長職を引き継ぐ番なんだな。

だれに?

……実はもう、決めている。

 

それにしても、松若さんや川又さんに対して、昨日はヒドい態度を取ってしまった。

わたしらしくもない。

あまり、引きずるのもどうかと思うけど――今朝になっても、反省しきり。

松若さんには今日、会うとして、

川又さんにもお詫びしなきゃ。

お詫びの代わりに――メルカドでなにか奢(おご)るのが、無難かな。

 

たまきさんにも。

空回りしまくってたわたしを、助けてくれたから。

たまきさんにも、感謝しなきゃ。

感謝するだけじゃなくって――なにか、「お返し」を、しなきゃだな。

 

 

今日の朝食当番はあすかちゃんで、まだ7時台だし、階下(した)におりていくにはまだ早い。

「自分の時間」ができたから、勉強机で、読書を始める。

読書を始めたのはいいが、著者の文体になかなか馴染めない。

読点の打ちかたがヘタで読みにくい。

 

× × ×

 

埒(ラチ)もあかず、読書を中断し、階下(した)のダイニングに向かう。

キッチンでは、あすかちゃんが、朝ごはんを盛り付けている。

「おはようございますおねーさん」

「おはようあすかちゃん」

「……なんでそんな、ムスッとしてるんですか?」

「やっぱりわかるのね。…本に、ムカついちゃって」

「本に?」

「そう。正しくは、本に罪があるんじゃなくて、著者に罪があるんだけど」

「それでイライラしてるんですか。やっぱりこだわりがあるんですねおねーさん、読書に関しては……」

「音楽と本には、特にね」

「わかります」

「このブログの名前を見てください、って感じ」

…そしてお互い、小さく笑い合う。

 

「朝ごはん食べたら気も晴れますよ」

そだねー

盛り付けられたお皿を見ながら、

「美味しそう」

「ですか?」

「お世辞なんか言わないよ」

 

ところで。

「ところで」

「?」

「あすかちゃんは――いま高校2年だよね」

「はい」

「ってことは、川又さんと――同学年か」

「川又さんって、おねーさんの後輩の、この前泊まりに来た」

「そうだよ」

「――どうかしたんですか? それが」

「ううん、どうもしないの」

「???」

 

× × ×

 

制服は着たけれど、土曜登校には、まだ少し時間がある。

時刻は午前10時をまわった。

わたしはテレ朝の「題名のない音楽会」を観ている。

 

いつの間にか、「題名のない音楽会」の放送時間が変わっていた。

それを知らずにいつものように日曜9時、テレ朝にチャンネルを合わせたら、仮面ライダーが始まってギョッとした。

日曜朝9時っていったら「題名のない音楽会」じゃないの。

どうして放送時間変えるのよ。

わたし、幼少期から、プリキュアなんかに目もくれず、日曜朝9時になったら、テレビの前に正座してたのに。

あ、正座ってのは、誇張でした。

だけど真剣に観てたのは確かよ。

――不都合はあった。

周りの女子のプリキュア談義に、ついていけなかった、悲劇――。

小学校のクラスの誰も「題名のない音楽会」を観ていなくて、話し相手になってくれる子がいなくって。

なによ、フレッシュって。

なによ、ハートキャッチって。

女子がみんな自由帳にプリキュアの絵を書いていた小学校低学年のころ、わたしはひとり寂しく、自由帳に五線譜を作っていた。

わたしの自由帳、オタマジャクシだらけだった。

 

――そんな悲しい過去を思い出していたら、番組も佳境に入っていた。

そろそろ10時半。

そろそろ行くかな、学校。

 

立ち上がろうとしたら、そこにアツマくんがやってきた。

「なぜに――制服?」

「女子高生は忙しいの。休日出勤だってしなきゃなんないの。あなたとは違うのよ、アツマくん」

「ふ~ん。…文化祭がらみ?」

「そうよ、劇の稽古に立ち会うの」

「脚本だけじゃなかったのかよ」

「そうもいかなくなったの。大変なんだから、いろいろと」

「ふむ。」

「いかにも大学生活謳歌(おうか)してますって顔ね。別にいいけど」

 

カバンを持って、玄関に行こうとした。

そしたら、アツマくんが、後ろから右手をつかんできた。

 

ちょっと! なんなのよ

「大変なのは……わかった。だが、」

「……?」

「おまえ、ヘアブラシ、持ったか? ちゃんと」

 

……え?!

 

「その顔は『マズい忘れてた』って顔だなぁ」

 

たしかに……忘れていたのは、事実だけど。

 

「大切なヘアブラシなんだろう?」

「どこまで知ってるの……? わたしのヘアブラシのこと」

「文芸部の先輩が卒業するときに、くれたヘアブラシなんだろ。言われたんだよな、『肌身はなさず持ち歩いてほしい』って」

 

どうしてそこまで知ってるの……

 

「パパは何でも知っているんだ☆」

「ふ、ふざけないでよっ」

「取りに行ってこいよ、部屋に」

「言われなくたって――」

パパのいうことを聞きなさい

「聞いてるわよっ!! ちゃんと」

 

 

× × ×

 

なんて、茶番……。

朝から、悔しかった。

 

× × ×

 

で、登校して、稽古スタート。

 

 

「来てくれてありがとう松若さん」

「約束は守るよ。行くって決意したんだから、稽古から目をそらさないって決めたんだから」

「あんまり肩肘(かたひじ)張らなくてもいいって」

「でもさ、話し合ったでしょ? 昨日」

「そうだね、せっかく話し合ったからね。たまきさんも加勢してくれたんだし」

「今日は、あたしもなんか言おうと思う」

 

ふと、なにかに気づいたように、松若さんが、

「羽田さん」

「え、なに」

アホ毛が1本」

「あ……あほげ????」

「ごめんごめん、オタクワード言っちゃった」

「オタクワード?」

「んっとね、ピーンと1本、髪の毛が伸びてるから」

「わたし? どこに……」

「ほら、ここだよ」

「ああっほんとうだっ、寝グセ、直してきたはずだったのに」

情けない。

すかさず、カーディガンのポケットに入っていた、香織センパイがくれたヘアブラシで、『アホ毛』を直した。

 

× × ×

 

違う!

 

相変わらず、水無瀬さんの怒号が飛んでいる。

月曜に、会議室で1対1でお話ししたんだけど、水無瀬さんの八洲野(やすの)さんに対する接しかたには、変わりがない。

 

う~む。

様子を見て、水無瀬さんと八洲野さんの関係のことを、もっと訊き出してみたいところだけど。

今度は、八洲野さんにも、接触できないものか。

強情気質の水無瀬さんよりは、秘密を打ち明けてくれる可能性は高いと思うけど。

もうちょっとだけ様子見かな。

 

 

休憩。

「水無瀬さん、お茶だよ」

湯呑みをそっと差し出してみる。

「あー、ありがとう」

水無瀬さんがお茶を飲み終えるのを見計らって、

「水無瀬さん、脚本担当からお願いがあるの」

眼の前の彼女は、空っぽの湯呑みをつかんだまま、

「なんの、お願い?」

今度は、わたしに代わって、松若さんのターン。

勇気を出して――松若さんは、水無瀬さんに要望を伝える。

「演技指導に関する――意見というか、要望というか。

 原作者として、お願いしたいんだけど、

 それぞれの幕が、起・承・転・結であることを意識してほしいの。

 構成というか……幕ごとの役割、というか……ごめん、うまく、説明できなくって」

応答する水無瀬さん。

「つまり、例えば――第3幕は、『転』の役割を担っているから、第3幕に出てくる青島さんには、物語の『転』に見合う演技をしてほしいってことでしょ。

 ――わかった。そういうふうに指導してみる」

 

伝わった……。

よかったね、松若さん。

 

スローでも、着実に、劇が前進している。

そんな感じがする。

 

劇が前進するとともに、わたしたちは、少しずつ変わっていって――、

成長していくんだな。

成長がなきゃ、嘘だ。

 

 

 

【愛の◯◯】涙の図書館

 

谷崎潤一郎の『春琴抄』」

「読んだ」

志賀直哉の『暗夜行路』」

「読んでない」

川端康成の『伊豆の踊子』」

「読んだ」

三島由紀夫の『潮騒』」

「読んだ」

安部公房の『砂の女』」

「読んでない」

「えーっ。…大江健三郎の『芽むしり仔撃ち』」

「読んだ」

「じゃあ、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』」

「あー、読んでない」

「……」

 

「川又さん、日本文学から離れましょうよ」

「何文学にしますか?」

ロシア文学はどうかな?」

ドストエフスキーしばりとかどうですか?」

「いいわよ、かかって来なさい」

「では…、『罪と罰』」

「読んだ」

「『カラマーゾフの兄弟』」

「読んだ」

「『悪霊』」

「読んだ」

「『白痴』」

「読んだ」

「『未成年』」

「読んだ」

「……えーっと、『地下室の手記』…」

「読んだ」

「ま、『貧しき人びと』」

「読んだ」

「『永遠の夫』は……」

「読んだ♫」

 

『もう、何なら読んでないんですかっ』

そう言いたげな表情になる、わたしの可愛い後輩の川又さん。

 

わたしが誇らしげにしていると、

 

「だめよー。何を読んでるかとか読んでないかとかで、自分を語っちゃ」

 

伊吹先生の横槍が入った。

 

わたしと川又さんは、名付けて『これ読んでないんですよゲーム』に没頭していたのだ。

川又さんが作品名を言っていき、わたしが読んでるか読んでないかを答えていく。

今はわたしのターンだけど、ひとしきり答え終わったら、次は川又さんのターン。

 

ところが伊吹先生に横槍を入れられてしまった。

苦笑いしながらわたしは、

「べつに自分語ってませんけど」

と応戦する。

「ハタから見てると、ずいぶん不毛なゲームだと思っちゃう」

不毛だからいいんじゃないですか!!

「え~~っ」

「伊吹先生も、参加しませんか?」

わたしの要請を華麗にスルーして先生は、

「川又さん川又さん。ドストエフスキーでも、羽田さんがたぶん読んでない、って作品があるよ」

「えっ知ってるんですか先生」

あたしに任せてよ――と言わんばかりに、わたしのほうに向き直り、

「『賭博者』。

 『賭博者』は、さすがに読んでないんじゃないの?」

 

甘いなー先生も。

 

「残念、読んでます」

「どうして……」

「どうしてもこうしてもないです。多分、『賭博者』っていう題名だけ知ってるってパターンでしょ先生」

 

ギックリ、と伊吹先生は固まってしまうのだった。

 

「でも羽田センパイも、結構有名な作品を読んでなかったりするものなんですね」

「例えば?」

「『砂の女』とか。センパイは安部公房好きだったような気が……それに『砂の女』、薄いから2時間で読めちゃうと思うんですけど。それなのに」

「ほんとうに2時間で読めちゃうのかな」

 

あえて、鋭い指摘で、可愛い後輩をからかってみる。

 

返答に窮(きゅう)する川又さんに、

「ほら、次は川又さんのターンだよ」

 

「もう、不毛だなあ」

しつこく「不毛」という表現を使いたがる伊吹先生にたまりかねたわたしは、

「そう言いつつも、先生もさっきゲームに参加してましたよね。『賭博者』はさすがに読んでないでしょ~、とか言って」

「…………しょぼーん」

「『しょぼーん』を声に出さないでください」

「羽田さん…………稽古は? 劇の稽古、見学行かないでいいの?」

「話を逸(そ)らさないでくださいっ」

 

伊吹先生の頃は、『6年劇』はまだあったのかな。

それも気になるけど、『これ読んでないんですよゲーム』のほうが優先だ。

 

× × ×

 

「――川又さんもなかなかやるじゃないの。わたしが読んでない作品読んでたり」

「それほどでも」

「おあいこ、ってところかな」

「それ言い過ぎですよっ、センパイの勝ちです」

「だけど勝敗をつけるのってこのゲームの目的じゃないでしょ?」

「たしかに。そうでした」

 

「羽田さん、きょうは稽古見学には行かないの?」

 

伊吹先生の次は、たまきさん――か。

たまきさんの疑念に対し、

「そろそろ行くかな~」

「あ、やっぱり行くんだ」

図書館ご自慢の、年代モノの振り子時計を見つめながら、

「きょうは、松若さんが気になったから、文芸部で松若さんの様子を確かめてから行こうと思っていたの」

 

だけども、松若さんは、未(いま)だ図書館に現れていない。

『これ読んでないんですよゲーム』は、実のところ、時間稼ぎも兼ねていたのだ。

 

「マツワカなにしてんだろうね」

「来るはずなんだけどなあ。『行くよ』ってLINEまで、わざわざ送ってきてくれてたのに」

 

振り子時計が夕方5時を知らせた。

まずいなあ、どうしよう。

そう思いかけていたところに、

勢いよく、図書館のドアが開かれる音がした。

 

「や~ゴメンゴメン遅れちゃった」

「マツワカ、そんなに乱暴にドア開けたらだめでしょ」

たしなめるたまきさんだったが、

「『ダブルドアオープン!』ってか」

たまきさんは冷たい視線を浴びせて、

「……寒いよ、マツワカ」

「たしかに気温、低めかも」

「どこまでボケんのよ。羽田さんが心配してたんだよ!?」

 

「松若さん、稽古を見てきた――とかではないよね」

「うん。ぶっちゃけ最近、ちょっと行きにくくて」

「しょうがないよ」

「あたしが遅れたのは――進路指導に、ちょっと引っかかってさ」

「進路指導?」

「そ。先生につかまって、進路指導室で、面談という名のお説教」

「それは……大変だったのね」

「『あなたのためを思って言ってるのよ』って繰り返し言われた。あの先生の口癖なんだよね」

 

『6年劇』どころの話じゃない。

松若さん――どんどん追い詰められていってる気が、してしまう。

 

図書館で油を売ってる場合じゃなかった。

もっと、わたしが頑張らなきゃ。

 

「――そんな深刻そうな顔しないでよ、羽田さん」

「だって――!」

「あたしのぶんも頑張らなくっちゃ、って思ってない?」

「だって――そうでしょ」

「――羽田さんにしたって、『6年劇』ばっかりに関わってるわけにもいかないでしょ」

「それでも……そうだとしても」

 

続く言葉を、言いあぐねる。

気まずくて、うつむく。

 

羽田センパイ

 

……気がつくと、川又さんが、そばにいた。

「わたしも稽古を見に行きます」

「それはダメよ。自分たちの学年だけでなんとかするのが前提なの」

少し、詰(なじ)るような口調になって、後悔する。

「でも、なんとかならなくなりそうになってる。空回りみたいになってる」

川又さんの指摘が突き刺さる。

「おふたりに――提案があります。

 話し合いませんか?

 稽古に行くのがダメなら、わたし話し合いの聞き役になります。

 困ったときは、話し合ってみるのが一番だと、思うんですけど」

「あのねぇ……松若さんがどんな状態か、わかってる? 今から話し合うどころじゃないぐらい、つらいんだよ」

 

『それぐらいわかりなさいよ』という言葉を、なんとか、押しとどめる。

ごめん……川又さん。

わたし……攻撃的になってる……切羽詰まってて……トゲトゲしい言いかたになって……川又さんを、責めるみたいになってて……。

 

「まぁまぁ」

松若さんが、穏やかに、

「川又さんの言うこと、もっともだよ。あたし、原作者なんだしさ。責任や義務もある」

「松若さん……どうしてそこまで、強がるの」

「羽田さんらしくないなぁ」

彼女は温和(おんわ)に、

「強がってなんかない。引き受ける覚悟なら、できてる」

そして、あっけらかんと笑いながら、

「あした、土曜だけど、稽古、するんでしょ?」

「稽古は、するけど……見学するのつらいって、さっき……」

「気が変わったの。変わり身早いんだよ、あたし」

川又さんの顔を見て、

「川又さん。ありがとう――川又さんがズバリと言ってくれたおかげで、あたし、振り切れた」

それに応えて、

この劇で、自分を変えるんでしたもんね……松若センパイ

 

思い出した。

脚本合宿での、松若さんの決意表明。

松若さんの決意表明に、なんてわたしは応えたのか。

 

『ひたむきで、素敵だ』って、

わたし松若さんに言った、はずなのに。

「あたしはあたしを変えられる」っていう松若さんを、全力で応援するって、決めたはずだった。

それを……忘れてしまっていた。

 

 

「そんな哀しい顔にならないでよ、羽田さん」

立ち尽くすわたしを、気遣ってくれる。

「土曜の稽古――あたしも、ついていくしかないな」

 

「余計かもしれないけど…」

今度はたまきさんが口を開いて、

「話し合い、わたしも参加していい? れっきとした、高等部3年なんだし」

「そうしてくれると嬉しいよ、たまき。あんただって、『6年劇』に関わる権利は全然ある」

「『6年生』なんだもんね」

「そういうこと。」

本を閉じ、『いいよね羽田さん?』と、たまきさんもわたしに笑いかける。

 

泣きそうになっていた。

 

とりあえず、

ひどい空気作ってごめんね……

と、みんなに対して、精一杯謝る。

 

川又さんが、わたしの背中にそっと手を当てる。

「センパイだって、そんなときもありますよ」

「川又さん……ほんとごめん、イヤな気持ちにさせた」

「考えすぎなんだから。」

「あなたの言う通りだった。空回りで。空中分解までさせちゃうところで」

「言いすぎです。」

 

ずっと事の成り行きを眺めていた伊吹先生が、

「羽田さんが泣き止(や)むまで……待ってあげたほうがいいかな」

 

ちょっとしか泣いてないのに。

伊吹先生はいつでもイジワルだ。

でも、涙が出たのは事実だった。

 

……思い出すよ。あたしたちも、こんな感じだった

伊吹先生の、意味深な言葉が、聞こえてきた。

 

 

 

 

【愛の◯◯】呑んでも呑んでも呑まれちゃう

 

どうも皆様こんにちは、じゃなかったこんばんは。

蜜柑です。

アカ子さんの邸(いえ)で住み込みメイドをしている蜜柑です。

 

えー、「こんばんは」と言いましたのは、

現在、女子3人で、お酒を飲み交わしている最中なのです。

いわゆる『宅飲み』です。

わたしが作った料理をつっつきながら、楽しく呑んでいます。

なんだかカラダもあったまってきました。

 

× × ×

 

参加者は、

 

・わたし

・星崎さん

・メグ

 

の3人。

わたし以外の2人を、ご紹介しておきましょう。

 

 

 

まず星崎姫(ほしざき ひめ)さんは、戸部アツマさんの大学のご友人です。

どんな経緯でわたしが星崎さんと知り合ったかといいますと、

去年の暮れ……わたしがこころの風邪をひいてしまい、落ち込んでいたことがあって、

そんなとき、アツマさんのとりなしで、星崎さんと会わせてくれて、いっしょに遊んだことがあったのです。

星崎さんのおかげで元気を取り戻したわたしは、それから彼女と仲良くなりました。

びっくりしたのは、星崎さんとわたしの愛読書が同じだったことです。

――愛読書が同じって、運命的なものを感じませんか?

感じるはずです。

絶対。

――『その愛読書はいったいなんなのさ』って疑問に思われるかたにお教えしましょう。

スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』です。

新潮文庫の野崎訳だと、フィッツジェラルドじゃなくて、フィツジェラルド、なんですよね。

細かいことなんですけど。

でも、星崎さんもわたしも、同じ新潮文庫の野崎訳で読んでいたので。

愛読書が、翻訳者まで同じだと、なおさら運命を感じますよね。

感じなきゃウソです。

それで、彼女とわたし、『グレート・ギャツビー』について、夜が更(ふ)けるまで語り合ったりしました。

 

星崎さんとお酒を飲むのは、きょうが初めてです。

彼女の誕生日は、10月2日――「大人になりたてのホヤホヤです」と言ってましたが、ハタチの誕生日は過ぎているので、ともかく問題はありません。

ちなみにアツマさんの誕生日は来年の1月だそうです。

まだ未成年なのですね。

「まだ子どもなんですよ。かわいそうに」と、満面の笑みで、カンパイの前に星崎さんは言っていたのでした。

 

 

 

次はメグです。

メグ、はもちろんニックネームで、本名は望月恵(もちづき めぐみ)です。

彼女はわたしの高校時代の親友でした。

わたしが高校を卒業して邸(やしき)に篭(こ)もりっきりになってから、疎遠になっていました。

しかし、先ほども言いました、わたしがこころの風邪でダメになっていたとき、突然連絡してきてくれて、このお邸(やしき)に来てくれました。

お邸から一歩も外に出られない最悪のダメ状態のわたしを、助けに来てくれたのです。

もっと早く、自分からメグに連絡すればよかった――そう思いました。

でも、親友との再会は、遅すぎるということはなく、わたしとメグは高校時代以上の仲良しになって、

そしてこうして――宅飲みにも、真っ先に駆けつけて来てくれているわけです。

 

 

× × ×

 

「アカ子ちゃんは?」

メグが、わたしに尋ねました。

「宅飲みのこと話したら、『じゃあ外食するわ』って。どこかで食べて、たぶんもうすぐ帰ってくると思う」

メグは壁時計を見て、

「そうだね、もうこんな時間だもんね」

「門限とかは、別にないんだけどね」

苦笑しながら、缶ビールをわたしはゴクリ、と飲みました。

「ねぇ蜜柑テレビつけてもいい?」

「どうぞご自由に」

時刻は19時をまわっています。

酔いがまわるには、ずいぶんと早い時間帯な気もしますが、若干わたしは…まわりかけています。

やっぱりわたし、アルコールには強くないんでしょうか?

大きな大きな液晶テレビの画面に、自動車のコマーシャルが映し出されます。

「アッこれアカ子ちゃんのお父さんの会社だ」

「ほんとだ! このクルマ最近よく見かけますよ」

――我が家では日常茶飯事な光景なのですが、さすがにメグと星崎さんは、にわかに沸き立ちます。

そうなりますよねー。

テレビ画面に急接近して、やんややんやと大騒ぎな2人を遠目に見ていると、だれかの足音が後ろから聞こえてきました。

アカ子さんが帰ってきたのです。

 

「こんばんは。メグさん、星崎さん」

『おかえり~~』と同時に振り向く2人。

……なんでわたしをスルーするんでしょうか。

む~~っとアカ子さんの顔を見たところ、

「あ、ただいま、蜜柑」

まるで……飼い猫のような扱いじゃありませんか。

いくら、見慣れた存在だからって。

わたしの存在をぞんざいにしないでください。

「おかえりなさいませお嬢様っ」

「……なんで仏頂面なの?」

「ずいぶんお帰りが早かったのですね」

「あなたのお酒を飲むピッチも速いみたいね」

 

……はい??

 

仏頂面に加えて、赤ら顔になりかけてるわ」

「そんな。まだ宅飲みは始まったばかりで」

「蜜柑あなたお酒強いほうじゃないんだから――メグさんと星崎さんに迷惑かけちゃ駄目よ」

 

× × ×

 

「アカ子ちゃんと蜜柑さん…どっちが年上だかわかんないみたい」

ビールの500ml缶を片手に、星崎さんがからかいます。

「じきに、アカ子ちゃんもお酒が飲めるようになるんだよねえ」

度の強い缶チューハイを片手に、メグがつぶやきます。

「……お父さんとお母さんが、話してたんですけど、」

ぼしょりぼしょりと、空いた缶を膝上(ひざうえ)で両手で持ちながら、

「アカ子さんは……絶対お酒は強いだろう、と」

「わかる!」

メグが、ご両親の意見に同意します。

「遺伝的なものもあるんだろうけど、それはわかる!」

「メグ……くやしいのよ、わたし」

だんだん愚痴っぽくなってきました。

アルコールも、わたしの不満をあおります。

わかっていても、止(と)められません。

だんだんと制御できない勢いになって、メグと星崎さんに迷惑をかけてしまうのも、もはや既定路線です…。

にしても――なんで2人とも、赤くすらなっていないんですか。

星崎さん……お酒、飲めるようになったばっかりなのに……ずいぶんずいぶんお強いですよね……。

「蜜柑さんに質問です!」

話題を換(か)えたほうがいいと思ったんでしょうか、星崎さんが唐突にこう訊きます。

「蜜柑さんは、身長何センチですか?」

「…言いませんでしたっけぇ? まえに」

呂律(ろれつ)のまわりかたが、不穏になっていくのを自覚しながらも、

ひゃくろくじゅーはっせんち、ですけどぉ

「ああ、168センチですか! やっぱり高いですね」

まるで素面(シラフ)のままのような星崎さんが座ったまま近寄ってきて、右手でわたしと背丈を見比べるようなジェスチャーをしたかと思うと、

「わたし157しかないんですよ」

それが……どうかしたんですかぁっ

「高身長って、やっぱ憧れなんですよ! 戸部くんなんかわたしより多分20センチぐらい高いんです、身長。いちいち見上げないといけないんです」

 

ええと……星崎さんが、157センチで…アツマさんは、星崎さんより20センチほど、高くって……。

と、いうことは……アツマさんの身長は、およそ……。

あ、

あれっ。

計算が……頭のなかで……できなくなってきちゃった。

 

「――どうしたんですか? 蜜柑さん」

 

――――――――、えーっと、

 

「蜜柑さん!?」

 

「蜜柑」

メグが……なにか言ってるらしき、気配はある

 

「あなたとアカ子ちゃん、どっちが背が高いか、言える?」

 

え……。

そんなの決まってんじゃないのぉ、メグったら。

なに言い出すのよぉ。

 

――アカ子さんのほうに決まってるでしょう?

 おバカねぇ、メグも――

 

「だめだこりゃ」

「本格的に、ベロベロになってますね」

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】初めてオトコを映画に誘った日

 

しばらく、映画館に行っていない。

貯金はあるけど、ここ半年間、いろいろあったから。

小説もろくに読めていない。

同じ理由。

ここ半年間、いろいろあったから……。

 

映画を観に行くことや、本を読むこと。

好きなことが、思うようにできないのは、つらい。

 

最後に映画館に行ったの、いつだっけ?

 

――それすら思い出せなくって、

勉強机で、大きなため息をついた。

 

レンタルしたDVDの返却期限が迫っていた。

まだ、観ていない。

名作として有名な、何十年も前の洋画だ。

いわゆる「名画」。

延滞料金取られる前に観なきゃ。

観るとしたら、部屋にある安物のプレーヤーで再生するほかない。

諸々の事情で、家族の前とかでは、観ないようにしている。

家族の前だと――気をつかってしまう。

気をつかってしまうのにも、諸事情があるんだけど、それはまた別の話。

 

でも……安物のプレーヤーの、小さすぎる画面で映画を観るのは、いかにも物足りない。

映画館がいい、映画館に行きたい。

シネコンで新作を観るのでもいいし、名画座で過去の名画を観るのでもいい。

 

――高校生と、小学生の料金が同じだと、助かる。

なぜか?

アタシの身長が低すぎて、小学生に間違われることが、時々あるからだ。

アタシ高校3年生だっつーの。

もうちょっと、良く観察しなよ。

良く観察すれば高校生だってわかると思うんですけど。

制服着てなくてもさぁ。

身長だけで判断されても困る。

例えば――、

からだの……とある部分……とかさぁ……、

……脱線しちゃった。

胸に手を当てて、思考を整理する。

ともかく。

高校生と小学生の料金が同じな映画館という場所は、アタシを受け入れてくれる貴重な場所だったのだ。

高1のときとか高2のときとか、お小遣いを渡されたら速攻で映画館に行っていた。

当時、劇場で観た作品が、いまだにアタシの支えになっていたりする。

 

……もう、卒業するまで、行く機会、ないんだろうか。

これから、ますます忙しくなる。

映画鑑賞どころじゃなくなる。

 

小学生と同料金で映画を観られるのも……あとわずかだから、

名残惜しいのが、本音だ。

できたら……今年中に、もう一度……。

どんな作品でもいいから、どこの劇場でもいいから。

 

 

× × ×

 

最近は、KHKに「来ても来なくてもいい」とか言って、羽田利比古をわざとぞんざいに扱っている。

理由は――距離を、取りたかったから。

羽田がKHKに不要だとか、そういうことではない。

アタシの個人的な問題。

KHKの活動という次元から離れての問題。

アタシの、羽田に対する、意識……の問題。

距離を取りたいというのは。

いったん、遠ざけておかないと……認識が、おかしくなるから。

アタシの、羽田に対する、認識が。

ありていに言えば――、

羽田のことを、これ以上過剰に意識したくないのだ。

 

だって。

先月の合宿のときとか、ひどかったから。

なぎさに、羽田を「男の子として意識したりはしないんですか」と訊かれた途端、感情のまとまりがつかなくなって、「なんにもないから!」と否定するたび、動揺が収まらなくなっていって。

しかも、その晩見た夢で、羽田の顔が浮かんで出てきて、寝起きのアタシはとうとうヘンになってしまいそうで、なぎさに頼りっきりじゃないと羽田の前に出ていけないほど、気持ちが暴れてしまっていた。

 

冷静になりたかった。

もっと落ち着いて、羽田と関わりたかった。

だから――距離を遠ざけた。

 

万に一つ、アイツのことを異性として意識してしまうようになったら、KHKも放り出して、大学受験も放り出して、挙げ句の果てに不登校になって、卒業すらできなくなってしまうかもしれない。

 

適度な距離を保たないと、アタシがアタシでなくなるどころか、気持ちがどうしようもなくなって、自分から壊れていっちゃいそうで、

とにかく――羽田のことが好きになるなんて、ありえないことだし、あってはならないことだった。

 

× × ×

 

「来ても来なくてもいい」とは言った。

「来るな!」と言ってるわけではないから、羽田がKHKに来てしまうことはあった。

週3回ぐらいの頻度だと思う。

もともと【第2放送室】でのアイツとアタシの物理的距離は近くなかった。

でも念には念を重ねて、アイツがなにか言ってきたら、以前にもまして超適当に『あしらう』ように心がけてきた、つもりだ。

それに加えて、眼を見るとそれだけで過剰意識になっちゃうから、アイツの顔に向き合わざるをえないときは、わざと視線をズラして、喉元(のどもと)とか制服の胸ポケットとか…その辺(あた)りを見るようにしていた。

もっとも、アイツから目をそらすに越したことはないから、話を聞き流せるときは、全部そっぽを向いていた。

 

アイツは、アタシの様子が「いつもと変わらない」って、『誤解』しているはずだ。

じゃなきゃ困る。

アタシは――羽田の『誤解』を、信じている。

 

× × ×

 

羽田が【第2放送室】にやって来ないに越したことはない。

放課後の【第2放送室】にアイツが居ないと、ほっとするようになってしまった。

週3回の羽田が来る日より、週2回の羽田が来ない日を待ちわびるようになってしまった。

それでいいのか――という自分に対する疑念もある。

けれども、下校時刻が近づいて羽田が来ないのが確定的になると、ひとりでに安心して、プレッシャーから解放された気分になる。

裏返せば、逃げてるということ。

イヤなことから逃げてるということを自覚するのほど、恐ろしいことはない。

 

× × ×

 

水曜日。もうすぐ夕方6時…。

【第2放送室】。

きょうは、羽田が来ない日のほうだった。

『もう大丈夫だろう』

そういう気持ちになってしまう自分が、少しだけうらめしい。

自己嫌悪が芽生えはじめている。

なぎさとクロはもう帰った。

『ずっと、このままでいいんだろうか……』

揺らぎ始めている。

距離を取る、という手段は、もしかしたら間違いなのかもしれない。

アタシが最近羽田にとってる態度は、羽田に対する裏切りで……さらには、自分自身に対する裏切りみたいなものでもあるのかも……。

揺らいで、揺らいで、ワケがわからなくなり始めた。

突っ伏して、自分の殻に閉じこもるように、小さなからだを丸くする。

うつむいて、何も見えないから、外の廊下の人の気配なんて何にも感じなくって、

それで、

 

 

 

気付いたら――、

アイツが、羽田が、

アタシのすぐそばに、立っていた。

 

 

 

 

「アンタいつ入ってきたの。なんで今さら――」

動揺を隠せない声に、なっていた。

びっくりして、距離を取るとかそんなこと、頭から消えてしまい、

羽田の眼を、まともに見つめてしまった。

「いったん帰りかけてたんですけど、大事な用事を忘れていたので、あわてて戻ってきたんです」

「大事な用事って、なに、なんなの」

アタシがテンパっているのを知ってか知らずか、自分のバッグの中に手を入れたかと思うと、

「映画のチケットを2枚もらったんですけど、1枚余ってしまって」

羽田がバッグから取り出したのは――映画の前売り券だった。

「会長、受け取ってくれませんか? 姉は『映画館に行くのめんどい』って」

 

渡りに船、って――こういうことをいうんだろうか。

いますぐ羽田の手から、券をぶん取りたかった。

久々に、映画館に行ける。

しかも、タダで。

 

――だけど、いちおう突っぱねておくのが、『礼儀』だと思い、

「ほかのお邸(やしき)のひとにあげればいいじゃない」

心に思ってもないことだったが、言ってみた。

「みんな都合がつかないって言うんです」

アタシにとってはこれ以上ない好都合だよ。

「それに――会長、映画、好きでしょう?」

軽い、不意打ち。

アンタにそんなこと言ったっけ。

――これも、いちおうの『礼儀』として、

「なんでわかんの」

と反応を返したら、

男のカンです

 

え~っ。

なにそれ。

 

「なにそれ。羽田の口から、そんなセリフが出るなんてね」

笑いを、こらえきれない。

お腹を抱えて笑いだしてしまう。

アタシの爆笑ぶりに、不満そうな羽田。

アンタのそんな不満げな顔も、ますます笑える。

ごめん、アタシ、しばらく笑い止まんないわ。

 

「――大丈夫ですか?」

笑いすぎて、いつの間にか喘(あえ)いでいた。

「とにかく、受け取るだけ受け取ってくれませんか?」

呼吸を整えながら、羽田の手から券を奪い取った。

「ふーっ」

若干わざとらしく「ふーっ」と言ってみた。

それから、ちょっとだけ、沈黙。

 

せっかく、映画館に行けるんだから、

『いつも』と同じじゃ、楽しくない。

 

アタシの心はもう決まっていた。

 

あとは、自分の意思を、眼の前の羽田に示すだけ。

 

「ねぇ」

「なんですか」

「羽田はひとりで観に行くつもりだったの、映画」

「仕方なく」

「仕方なく、とか思ってるんならさあ……」

「え、もしかして会長」

……アタシと行こうよ

 

衝撃を受けた羽田は、

「どういう吹き回しですか!?」

どうもこうもないっ!

置いていた大学ノートをハリセン代わりにして、

羽田の頭をポカッ、と叩く。

 

「アタシだって……ひとりで観るのは、つらいんだよ」

笑顔で、半分冗談めかして、そう言った。

 

 

× × ×

 

オトコとふたりで、映画観に行くなんて、

……いわゆる、例のあれに、違いないんだろう。

 

否定なんかしない。

誘ったことに、後悔なんかない。

 

 

初めて映画に誘ったオトコが……羽田だなんて。

事実は映画の脚本よりも奇なり……だな。

 

約束は日曜日。

 

…どんなワンピース着ていこうか?

もう、そんなことまで、考え始めている。

 

 

 

 

【愛の◯◯】メタフィクショナル長電話

 

前回のあらすじ。

『6年劇』の稽古。スパルタ式の水無瀬さんの演技指導は苛烈を極め、とくに主演の八洲野(やすの)さんをしごいていた。

水無瀬さんの専横(せんおう)ぶりはエスカレート。

しかし、稽古を見学していた脚本担当の愛が、堪忍袋の緒が切れたというわけではないが――「本気モード」を発動させ、水無瀬さんとの『対話』を試みはじめたのだった。

 

稽古が終わったあと、愛と水無瀬さんは、居残りで打ち合わせをしていたようだ。

打ち合わせ、というよりも――『ちょっと水無瀬さんの話を聞かせてもらえないかしら?』と、愛が要求した形で。

水無瀬さんに対する『尋問』――とは行かないまでも、ここはひとつ問い詰めてみようじゃないの……という意思を感じた。

彼女の独断専行ぶりを見かねたのか。

居残りで、タイマンで、脚本と演出は向かい合っていた。

もっとも、主導権は――完全に愛の手の中だった。

どんなふうにして、愛は水無瀬さんを問い詰めたのやら。

 

× × ×

 

帰宅後、夜、愛とわたしは通話していた。

 

「会議室にずいぶん居残ってたみたいじゃん」

『そうね。水無瀬さんと、ふたりきりでね』

「あんたが一方的に水無瀬さんを問い詰めてたんじゃないの?」

『物騒な言いかたしないでよぉ、さやか』

「だってさ、本気だったでしょ、あんた」

『なにが?』

「本気で水無瀬さんから話を聞き出したかったんでしょ。そんな気迫だったもん」

『――話って、具体的には』

「八洲野さんとのこととか。きちんと説明してほしいって思ったんじゃないの」

『あー』

「わたしだって――気になってるから。水無瀬さんなんであんなに八洲野さんしごくのか、あのふたりのあいだには、なにか因縁めいたものがあるんじゃないかってさ」

『さやかは勘がいいね』

「稽古の場にいる人間だったら、だれだって思うでしょ」

『そうかも』

「あんたが『話がしたい』って言ったのは、そういうことを問い質(ただ)したかったからなんでしょ?」

『そのことだけじゃないけど、『どうして八洲野さんをそんなにいじめるの?』とは訊いた』

「ほら、やっぱり」

『『むかし、なにかあったんじゃないの?』って、言ってみた』

「ずいぶんと愛も勇気あるね」

『だって、このままじゃダメになるじゃん、劇』

「まあいえてる」

『八洲野さんの主演も、水無瀬さんの指名だったんだし、事情があるのなら、きちんと説明してほしいと思ってた。筋を通す、っていうのかな……煮え切らないままは、イヤだったから』

「で、説明してくれたの?」

水無瀬さんは、いかにも強情なタイプだし、わたしだったら説得しきれない。

いくら本気モードの愛が相手でも、簡単には口を開かないんじゃなかろうか、という懸念はあった。

しかし愛はわたしの疑問に対し、

『してくれたよ、説明』

「マジ!?」

『うん。元来素直じゃないんだろうから……突っ込んだとこまでは、話してくれなかったけど。ふたりの過去が、少しはわかった』

「なにがあったっていうの、ふたりに、むかし。気になるよ」

『えーっとね、事実だけ話すと――』

「うん、うん」

『八洲野さんもね、演劇部に居たのよ、もともとは』

「もともとはってことは――」

『中等部のときに、演劇部を辞めてる』

「なんで」

『水無瀬さんは、『ヤスノは逃げ出したんだ』って言い張ってた』

逃げ出した、か。

「まー、水無瀬さんなら――そう言いそうだ」

『因縁っていうのは、そういうことね。軋轢(あつれき)が尾を引いてるというか』

「それで、今になって八洲野さん引っ張り出して、いじめてるってこと? ちょっと理解しかねるねー。八洲野さんがそんなに気に食わないの、途中で辞めたからって」

『気に食わないからいじめてるのかどうかまでは、わかんないよ。八洲野さんが元・演劇部だったっていう事実以上のことは、話してくれなかった』

「そこはもうちょっとツッコんでほしかったなー。動機だよ動機。『なぜ』八洲野さんに対してああなのか、っていう」

『そりゃわたしも知りたかったよ。でも、はぐらかされた』

「あんたの『本気モード』をもってしても、水無瀬さんの口を割れなかったか」

『強情そうだから』

「わかる」

『あんまり追及しちゃうと、スネちゃいそうだったから。貴重な演出家の気分を損なうのも、いまは禁物(きんもつ)、ってことよ』

「したたかだね」

『とにもかくにも、デリケートな関係性のようだし、そこは頭に入れたうえで、稽古を見なくちゃって思った。さやかも、演じる側として、接しかたを考えてあげて』

「とくに、八洲野さんとの接しかた――だよね」

『同じ演者として、気を配ってあげてね』

「了解。……共通点があるのも、わかったことだし」

『共通点?』

「鈍いなあ。過去に関する共通点だよ」

『……あ~、弦楽部のこと?』

「そうだよ。似た経緯があるでしょ。八洲野さんは演劇部中退、わたしは弦楽部中退」

『中退』の使いかたがおかしくて、思わず愛は吹き出してしまったようだ。

「うまいこと言うと思ったでしょ」

『思った。……まあ、部活中退組で、似た者同士ってことか』

「似た者同士、は言いすぎかも……ともかく、同じような過去の事情を、お互い抱えているんだから。八洲野さんとの接しかた、考えてみるから」

『よろしくね』

 

「ずいぶん長電話になったね」

『そうね、もうこんな時間』

「宿題、終わったの?」

『やりながら話してたよ』

「ずいぶんと器用だなあ。器用なのか不真面目なのか」

『……長電話で、さやかの勉強の邪魔しちゃいけないよね』

「何時間もしゃべり続けてるわけじゃないから、かまわないよ」

『そう。じゃあさ、もう少しだけしゃべってもいい?』

「なにを?」

愛は一拍(いっぱく)置いて、

『――ブログのこと』

はぁ!?

『あのね、このブログの管理人さんから、ダイレクトなお手紙が来て』

「……」

『一緒にプレゼントも送られてきたから、わたしうれしかった』

「……プレゼント?」

『わたしがもらって大喜びするものよ。管理人さん、好みがわかってるの』

「プレゼントは……どうでもいいとして、どんなお手紙」

『ざっくり言うと、

本シリーズ600回突破。応援ありがとうございます

 って、こんな感じ』

「本シリーズってなに、本シリーズって」

いつも記事の最初に【愛の◯◯】ってついてるでしょ。そういうことよ

「や、どーゆーことよっ。記事ってなに、記事って」

日曜日の記事で、【愛の◯◯】が600回到達したのよ』

「わたしの疑問スルーするな」

『管理人さん、独特の筆跡(ひっせき)でこう書いてた。

【100回ごとのキリ番報告はしつこいかもしれないけど、やっぱり嬉しいものは嬉しい】

【更新を重ねるのは、年輪を刻むようなものだと思っている】

過去ログもよかったら閲覧(えつらん)してくださいね

――だって。』

「――3つ目のは、余計じゃない?」

『余計じゃないよ。ブログタイトルの真下(ました)に過去ログ見られるリンクがあるんだから』

 

わたしは、だれに対してでもなく、ハァ……、と溜め息ついて、

「……ひどい売名ね。」

『PR、PR』

 

 

 

 

【愛の◯◯】修羅場は修羅場で打ち消せる

 

大変なほど、燃える。

 

甘い!!

 そんなんじゃ、お客さんは喜ばないよ!

 

演出の水無瀬さんの、熱血指導である。

望むところよ……といった感じで、舞台上から水無瀬さんを見る。

メガホンを通して、

「青島さん、もう一丁」

とリテイクを出す。

燃える。

今度はやってやる。

モチベーションが滾(たぎ)る。

 

3回リテイクが入って、3回とも「甘い!!」とダメ出しされた。

そのたびに、そうこなくっちゃ……という気分にわたしはなって、メラメラと燃え上がった。

水無瀬さんのダメ出しは、むしろ、わたしの向上心をあおった。

大変なほど、キツいほど、からだが熱くなる、血が沸騰する。

水無瀬さんの熱血指導と、相性がいいってことなんだと思う。

みんながみんな、水無瀬さんと折り合えるかどうかってのは、別問題だけど……。

それにしても、なんで彼女はメガホン持って稽古してるんだろ。

リテイク、という表現をしたけど、映画の撮影みたい。

――ま、いいか。

性質なんでしょ。

 

その調子!! 今度は『甘い』なんて言わせないでね、青島さん

ねぎらいなんだかわからない言葉をかけられて、水無瀬さんの厳しい指導から一旦は、解放される。

『6年劇』の稽古も、2週目に入った。

松若さんと共同で脚本を書いた愛が、見学に来ている。

松若さんは来ていない。

「尻込みしちゃったのかな」と、苦笑いしながら愛は言っていた。

たしかに。

水無瀬さんのコワさに気圧(けお)されるのは、わかる。

見に行かなくて済むのなら、行かないでおこう、という気にもなるわ、そりゃ。

でも、松若さん原作者なんだけどな。

原作者が来ない、っていうのもなんだか。

いや、『来ない』ではなく、『来られない』のか。

松若さん自身のせいじゃなくて。

水無瀬さんの存在が、松若さんを遠ざけている――。

 

「それってどうなの?」と、愛が思っているかどうかはわからない。

松若さんといっしょに脚本を作り上げたんだもの。

イニシアティブが完全に水無瀬さんに移って――まぁそれは自然の成り行きではあるんだけども、でも水無瀬さんのワンマン体制みたいになってる現状に対して思うところもあるんじゃないかと、わたしは勘ぐっている。

ダメ出しばかりの水無瀬さんに、逆にダメ出ししたっていいんじゃないの? 少しぐらいは。

諫言(かんげん)ってやつ?

松若さんが尻込みしたのは、しょうがない。

だけど松若さんが居ないのなら、水無瀬さんになにか言う権利を行使できるのは、あんただよ、愛。

行使できる、というか、行使すべき。

そのほうが、この『6年劇』――もっと良くなるとわたしは思う。

 

愛は、水無瀬さんの近くに座っている。

愛と水無瀬さんのあいだの距離が、近くはあるけど、なんとも言えない微妙な距離感だ。

 

きょうの愛は、なんだか一味違う。

というのは――先週までは、水無瀬さんのスパルタ指導ぶりにビックリしていて、萎縮しながら稽古を眺めている印象だった。

ところが、きょうは違った。

松若さんが音(ね)を上げてしまったことが、愛になにかを決意させたんだろうか。

真剣に稽古を見ている。

水無瀬さんにビクビクしていた愛は、もういない。

座席から身を乗り出して、舞台をひたすら見すえながら、水無瀬さんの熱血指導に耳を傾けている。

必死で稽古に食らいついている。

これが――本来の愛だ。

 

『水無瀬さんが妥協しないなら、こっちも妥協しないよ』

『松若さんのぶんまで――わたしが稽古を見届けなきゃ』

『言うべきことがあったら言うよ水無瀬さん。そのつもりでいて』

 

そんなことを、無言で語っているんじゃないかって、舞台上から愛を見下ろしながら、勝手に妄想してしまう。

 

× × ×

 

主役の八洲野(やすの)さんへの演技指導は、苛烈を極めていた。

ほかの演者にも厳しいが、主演女優への厳しさは――次元を超えた、『しごき』である。

度を越してるんじゃないか――そこが、懸念材料だ。

あんまり度を越すと、八洲野さんまで、稽古場に来なくなってしまう気がして。

八洲野さん、繊細なタイプに見えるから。

いまは、踏みとどまってるけど、この舞台上で泣き出してしまわないか。

泣き出すなら――まだマシか。

逃げ出してしまったら――最悪の事態。

 

追い詰めて、追い詰めて、ホンモノの演技を引き出す。

そういう水無瀬さんの『流儀』を、否定はしない。

でも、追い詰めすぎて、八洲野さんを潰してしまうようなことがあったら、この劇は崩壊してしまう。

 

潰れる寸前まで八洲野さんをしごいて、そこでやっと完成した芝居になる、ようやく彼女は『役者』になる。

――たぶん、そんな腹づもりなんだ。

でも、ぜんぶ、水無瀬さんの思い通りになるとは限らない。

この場にいる全員が、水無瀬さんの思う通り、言う通りに動いてくれるという保証はない。

水無瀬さんは、その『落とし穴』に、気づけているんだろうか?

なんだか――最大の『落とし穴』が、しごきの対象である八洲野さんに潜んでいる気がして。

邪推?

八洲野さんだって、水無瀬さんの操り人形なわけじゃない。

八洲野さんが何から何まで思うがままに動いてくれると思ったら、それは危ない考えだよ、水無瀬さん。

 

……そんなことを思い始めてしまった。

たしかに水無瀬さんとわたしは、波長が合う。

でも、波長が合うからといって――水無瀬さんと八洲野さんのあいだに漂う不穏さを、見過ごすわけにはいかない。

 

稽古が終わったあとで、水無瀬さんに意見してみようか、他人(ひと)の話を聴かないかもしれないけど……そういうことを考えながら、八洲野さんがしごかれるのを見ていた。

ウンザリするほどのダメ出しの果てに、メガホンを放り出して、舞台ぎわに駆け寄ってくる。

そのまま舞台に駆け上がってくるんじゃないかと思うぐらいの勢い。

黙ったまま、睨みつけて、八洲野さんを脅迫するみたいに威圧する。

怒鳴るより、もっと怖い。

静かに激怒する演出家。

 

「……何度言っても、わからない」

そしていっそう睨み眼で、

……もういいよ。

 考えて、自分で。

 自分のなにがダメなのか、ヤスノが気づくまで、わたしなにも言わない。

 その代わり、わたしはここから動かない。じっとヤスノを見てるから。

 ヤスノが答えを出さない限り、きょうの稽古は終わらない。

 ヤスノのせいで、稽古が終わらないから、みんなに迷惑がかかる

滔々(とうとう)と水無瀬さんは話していた。

その語り口が、大声で罵倒するよりも、怖かった。

修羅場――なんだろうか。

ほんとうに言葉通り、舞台ぎわから動く気配もない。八洲野さんへの睨みつけをやめる気配もない。

独(ひと)りよがりなことを――水無瀬さんは言っている。

八洲野さんに、罪をなすりつけて。

彼女のせいで稽古が終わらないなんて理屈。

稽古を終わらせないという、スタンドプレー。

水無瀬さんの独善で――場が混迷を極める。

収拾がつかない。

出ていって、主演女優と演出家のあいだを取りもったほうがいいかもしれない、だれかが水無瀬さんを止めなきゃ――。

わたしが、足を踏み出そうとした、そのとき、

 

愛が――、無言で水無瀬さんの背後に歩み寄っていった。

 

水無瀬さん

演出家の背中に、声をかける。

水無瀬さん……ちょっと、こっち向いてくれないかな?

 

これ以上ないくらい、説得力のある声だった。

ぐうの音(ね)も出ない、説得力。

 

舞台袖から、愛の顔が見えていた。

怒り顔ではない。

マジギレしてるわけではない。

だけれども、

あの顔は――、

愛が、本気モードのときにしか見せない顔だ。

真剣に、なにかを相手に伝えたいと思っているときの顔。

わたしは本気だよ、っていう意思表示。

わたしは本気だよ、だからあなたも本気になって――全身で、そう語りかけている。

 

愛の本気が、水無瀬さんに、とうとう向けられた。

 

水無瀬さんは、振り返らざるを得ない。

 

力関係の逆転。

 

向かい合うふたり。

水無瀬さんの顔は見えないけれど、背中が語っている――彼女の、うろたえを。

 

話があるの。

 水無瀬さんとふたりで――話したいことがある。

 いいよね?

 ――よかった。承諾してくれてる表情だよね、それは。

 だから、稽古は終わらせなきゃ、だめ。

 だめだよ? ――あんまり他のひとを、手間取らせちゃ。

 これ、あなたと八洲野さんのふたり芝居じゃないんだよ?

 あなたのひとり芝居でも、もちろんない。

 もっと言うと、演者と演出家だけが、芝居に関わってるわけじゃないんだから。

 劇ってみんなで作るものでしょ。

 気持ちはわかるけど――ね。

 だから、お話ししましょう。

 わたしとあなたの対話を、もっと――ね

 

 

思わず、声が出た。

「説教が長すぎるよ、愛……」って。

てへへ、とわたしに向かって愛は笑う。

 

 

修羅場を修羅場で打ち消した。

まぁ、こんなのも…アリか。

とりあえず、愛には感謝したい。

 

 

 

 

【愛の◯◯】あなたの背中に憧れて

 

以前から、「休日の朝にジョギングがしたい」と愛にせがまれていて、朝走るにはちょうどよい季節になったということで、早起きして公園に来ている。

ただ、愛とふたりだけでジョギングするわけではない。

 

「おはようございますアツマさん」

ジャージ姿のアカ子さんが挨拶。

この上ない新鮮さだ。

アカ子さんが、ジャージ姿……。

「なに見とれてんのよ、スケベ」

……これまでのパターン通り、愛になじられ、愛に腕をつねられる。

フフフ、と上品に笑ってアカ子さんは、

「アツマさん、きのうはありがとうございました」

「ああ。でも、なんにもできなくて、ごめんな」

「そんなことありませんよ」

満ち足りた、笑顔。

 

そして、

アカ子さんの隣には、ハルが。

きのう、試合に敗れ、ハルの高校サッカーは終わった。

悔しかっただろう。

立ち直れるか気がかりだった。

ただ――ハルはおれが思っている以上に、切り替えが早かったみたいだ。

疲れた様子もなく、打ちのめされた様子もなく、ピンピンしている。

そしてこうして日曜朝ジョグにも参加してきている。

一晩で立ち直ったっていうのか。

すごいな……。

 

「ハルおまえ筋肉痛とか大丈夫なのか」

「平気ですよ」

そう言って腕をグルグル回し、好調をアピール。

「丈夫だね、ハルくんは」

愛が感心している。

「アツマくんも見習ってよ」

「ん……」

「なにその『ん……』っていうリアクション」

 

「おれのほうがアツマさんを見習いたいですよ」

「え、どこに見習う要素があるっていうのハルくん」

「全部だよ、羽田さん」

ポカーンとする愛。

「だれだって、アツマさんには憧れるからさ」

「なにをいってるの……ハルくん」

「運動部のみんながアツマさんに憧れてるよ」

「ウソでしょ」

「ほんとだよ。運動部だけじゃない」

「信じられない」

「羽田さんはもっと……アツマさんを信頼してもいいと思うな」

「信頼……してるよっ」

「じゃあもっと」

「そうね。わたしもハルくんと同じ気持ちよ」

「アカちゃん……同じ気持ちって……」

「パートナーなんでしょ?」

意地悪く微笑むアカ子さん。

愛の困惑は頂点に達しつつある。

どんな茶番だよ。

ラチがあかないから、愛の腕を無理やりつかんで、

「行くぞ」

「行くって」

「走るんだよ。おれとおまえで先導役だろ?」

「アツマくんが先に行ってよ」

「やだ」

「なんでよ」

――なにも言わず、愛を引っ張りながら、走り出す。

「ちょっと!! コケちゃうでしょ」

「なーに言ってんだ。おまえだったらついて来れるだろ」

そうやって――なし崩し的にジョギングは始まったのだった。

 

× × ×

 

おれが先に行け、とか言ってたわりに、愛のほうが先行している。

「あんまり離れんなよ……ひとりで突っ走りやがって」

「たぶん愛ちゃん、恥ずかしいんですよ」

うわっアカ子さん!

「すみません、ビックリさせちゃって」

「――平気かい? けっこうなハイペースだが」

「ついていけます。運動には自信があるんです」

「それは――けっこうなことだ」

うふふ、と笑って、

「『パートナー発言』は、まずかったでしょうか?」

「べつに」

「愛ちゃん、きっとそれで、照れちゃってるんだから」

「『パートナー』ってのを、意識して?」

「そうです」

「きみとハルだって『パートナー』には変わりないじゃないか」

「――さすがです、アツマさんは。みんなのこと、よくわかってる」

アカ子さんにベタ褒めされるのは嬉しいが、

「憧れられると――戸惑っちゃう部分もあってさ、おれ」

「素直に喜んでいいと思いますよ。

 憧れられることが――支えになることだって、ありますから。

 わたしにとっても、ハルくんは『パートナー』であると同時に、『憧れ』なんですから」

 

「口数が大きいよ、アカ子。ぐだぐだしてると羽田さんに引き離されちゃうよ」

ハルがアカ子さんの横まで来る。

アカ子さんを男ふたりが挟んで、3者併走状態。

「へばらないな、きみは」

「心外ね」

「べつに……見くびってる、わけじゃないし」

「あなたのほうが心配よ、きのうの疲労蓄積でヘロヘロになって付いてこられないんじゃないかって」

「いやそれは舐めすぎだから」

「あらそう? 悪かったわ」

「…そんなにしゃべり続けながら走れるってことは、体育の成績『5』は伊達じゃなかったんだな」

「だから言ったじゃないの」

「そこは……誤解してた。謝る」

「謝るのってなかなか出来ることじゃないわ。偉いわね、あなたは」

「ありがと」

「蜜柑なんか自分の間違いをどこまで行っても認めないし。それに比べるとあなたは立派ね」

「蜜柑さんを引き合いに出さなくても」

「……立派だから、ますます憧れるのよ」

「おれだって……アカ子はまぶしいよ」

「あなたってときどき言い回しが芝居がかってくるわよね」

「悪いか?」

「そんなことない」

 

――会話のスタミナも無尽蔵なのか、このふたり。

いいパートナーであることの証(あかし)か。

 

 

× × ×

 

 

アカ子さんが、木陰のベンチで休んでいる。

とうとう彼女は、一度も置いていかれることなく、朝ジョグを完走した。

それでも羽休めは必要で、スヤスヤといった感じで、眼をつむって静かにクールダウンしている。

眠ってしまいそうで心配だ。

「ハル、アカ子さん、疲れちゃったのかな?」

「気持ちよく疲れてるんだと思いますよ」

そう言ってハルは、アカ子さんの隣にそっと座ってあげる。

 

ま、疲れるのは良いことだからな。

ふたりをそっとしてやって、芝生に腰を下ろしてスポーツドリンクを摂取している愛のところに行く。

「いい汗かいたわ」

「おれはまだ走れるぞ」

「……わたしだって、と言いたいところだけど」

悔しそうに、そして照れくさそうに、

「どこまで走っても――いまのアツマくんには、敵(かな)わなさそう」

そばに立っているおれの顔を見上げる。

憧れまじりの眼で。

「アツマくん……」

「んっ?」

「わたし……あなたの背中が好き

 

!??!?!

 

「どういう意味だよっ」

「……ごめん、語弊があったっ」

ハルとアカ子さんには――聞こえてないよな、いまの。

「追いかけたいのっ、背中を追いかけたいって、そういうことっ」

「でもおまえきょうはひたすら前を走ってたじゃんか」

そーゆーことじゃーないのよっ!!

「じゃーどーゆーことなんだよー」

「……あなたの背中に憧れてるって。それだけ。」

「……そりゃどうも。」

 

 

憧れられるのも、厄介なこともあるが、

こういう憧れられかたは、なかなかどうして、嫌いじゃない。

 

 

【愛の◯◯】神さまがくれた、アディショナルタイム

 

1点差。

 

1点差で――負けてる。

 

0対1。

 

すでに後半、時間は刻々(こっこく)と経過していく。

 

 

元マネージャーの藤村さんやマオさんはもちろん来ているし――約束通り愛ちゃんも来てくれた(アツマさんを連れて)。

わたしの右隣にはあすかちゃん、あすかちゃんの隣には、彼女の部活の先輩の岡崎くんと、後輩の加賀くん。

岡崎くん――夏祭り以来だった。

あすかちゃんからは前もって伝えられていた、

「ハルさんと訳(ワケ)ありなんですけど、勘弁してあげてください。なんか変なこと言い出したら、わたしがお仕置きしますから」

お仕置き、は――する必要もないと思うけれど。

ハルくんと、なにがあったか知らないけれど、試合場に来てくれたってことは、応援する意志があるってことでしょう。

終始、ムスッとした顔で、試合を眺めているけれど。

岡崎くん、いつもこんなに寡黙(かもく)な男の子なのかしら……って、あすかちゃんに訊いているゆとりもない。

 

 

がんばって……ハルくん。

 

同点に追いつけば。

同点に追いつけば、流れがこっちに傾くかもしれない。

流れを引き寄せられれば――勝ち越せる。

 

がんばって、まずは1点よ!!

 

「ほら、アカちゃんみたいに声援を送ってあげて、アツマくん」

「……」

「なんでそこで沈黙するのよ!? あなたの母校がこんなに頑張ってるのよ」

「……、

 集中力!!

「微妙でしょ……その応援は」

「ヘタなこと言えないから。精神論かもしれないけど」

 

「アツマさんなりに、ことばを選んでくれてるのよ、愛ちゃん」

「いちばん頼りになると思って連れてきたのに…こんなのでゴメンねアカちゃん」

いつも以上にアツマさんに容赦ない気もするが、そんなこと言っちゃダメよ……とたしなめているゆとりもない。

一方、あすかちゃんは、お兄さんのアツマさんに気を払うヒマもなく、固唾(かたず)を飲んで戦況を見守っている。

 

正直、攻めあぐねている。

逆に、攻め入られている――がりがりと、こちらのパワーを削られているみたいに。

 

アディショナルタイムが近づいてきた。

 

「よし――取った。ここ、ここですよ、ハルさん」

祈るように、あすかちゃんが言った。

ドリブルでどんどんハルくんが攻め上がっていく。

ディフェンスを抜く。

 

行け、ハル!!

 

藤村さんとマオさんが同時に叫ぶのがわかった。

ここで決めてほしい。

ここで、決めなきゃ。

 

センタリングを上げるハルくん。

シュートが撃たれる。

ゴールポストに弾かれる。

でも……まだ、終わってない!

ボールが生きている!

 

決めて!! ハルくん

 

ペナルティエリアに突っ込んで、

彼が放ったシュートは、

 

 

 

……無情にも、ゴールポストに弾かれた。

 

こぼれ球……。

 

こぼれ球を――相手チームに奪われたかと思うと、瞬時に、一気に自陣に攻め込まれていく。

 

カウンターだ。

 

均衡が破れたのは、あっという間だった。

 

ゴールネットが揺れた。

 

0対2。

 

もう……残り時間は。

 

 

 

声が、出なくなった。

それはわたしだけではなく、応援席のみんなが沈黙にとらわれていた。

絶望に包み込まれかけているのは、応援席だけではなかった。

集中力の糸が切れたみたいに、ピッチの選手たちの動きが緩慢になっていく。

あれだけの運動量を見せていたハルくんが、トボトボと歩くようになっている。

あれだけ、全速力で、走りつづけていたのに。

アディショナルタイムで、2点差。

現実は、重すぎるくらい重くて、わたしたちは潰されかけていた――、

 

そのときだった。

 

急に、岡崎くんが、立ち上がって、

あきらめんなよ!!

 あきらめんなよ、おい!!

 ハル、てめぇ!!

 無様な格好しやがって!!

 いまのてめぇみたいに気弱な野郎なんか、誰も応援しねぇぞ!!

 走るんだよ!!

 時間がある限り、走れ、あきらめんな!!

 

 

――突然の絶叫に、彼の左隣のあすかちゃんが呆然としている。

もう黙っていられないという表情の、岡崎くんだった。

なんだか――わたしまで、叱られている感じがした。

応援することを、声援を送ることを、わたしは勝手にあきらめていたのかもしれない。

 

「岡崎センパイ……大丈夫だよ。

 勝負を捨てた顔じゃないよ、あれは」

岡崎くんの右隣で、加賀くんがボソリとつぶやいた。

 

 

歓声が、よみがえっていく。

きっかけは、もちろん岡崎くんの絶叫。

アディショナルタイムが何分かなんてことも忘れて、わたしたちは、声を枯らしてピッチの11人を励ましつづけていた。

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

「そっとしといてあげたほうがいいかな……」

誰からともなく、そういう声が出た。

 

ひとり、またひとりと、応援席から姿を消していく。

 

虚空を見つめるようにして、グラウンドを眺めている。

もうだれも駆け回っていないグラウンドを。

「アカちゃん」

そっと声をかけてくれるのは愛ちゃんだった。

「名残惜しいのは、わかるけど、さ」

ごめん。

ごめん、愛ちゃん。

わたしまだ――やり切っていない。

やらなきゃいけないことを、やり切るまで――、

アディショナルタイムは、続いていく。

だから。

 

× × ×

 

それからわたしはスタジアムの周りを彷徨(さまよ)った。

サッカー部が、現地解散かどうかは、知らされていない。

けれどもそれはどうでもよくって、

きっとハルくんは――まだ、ここのどこかにいるはずだから、

信じて、彷徨(さまよ)いつづけ、彼をさがし求めつづけた。

 

× × ×

 

迷子になった子どもみたいだ、いまのわたし。

ゲートやスタンドからかけ離れたような場所に、ふらふらと迷い込んでしまった。

でも案外、こういう人気(ひとけ)のない場所に居残りたい、という気持ちに、ハルくんはなっているかもしれない、

半ばやけっぱちでそう思っていたら、

 

なぜか岡崎くんが――わたしの眼の前に現れた。

 

「アカ子さん」

恐縮そうに口を開いた岡崎くん。

「アカ子さん。残念ながら、ハルを見かけてしまった。

 きみが……ついていてあげてくれ」

 

 

× × ×

 

 

ドキドキしながら、岡崎くんに教えられたとおりに、ハルくんに向かっていく。

足取りは、自然と速くなって。

全速力で駆けていた。

ランナーズハイみたいになってたかもしれない。

 

――けれども、わたしはとうとう見つけた。

彼を。

わたしだけは――彼をそっとしておけない。

いったん、立ち止まった。

聞こえるか聞こえないかわからない声で、

「ハルくん……。」と名前を呼んだ。

ハルくんは初め、眼を見開いて、『なんでここがわかったんだ』という様子で、でもそのあとで、しょうがないなあ……と言わんばかりの、笑い顔になった。

けれども、

寂しさも、

虚しさも、

哀しさも、

情けなさも、

くたびれも、

彼は――全然、拭(ぬぐ)えていない。

 

だから、わたしはふたたび駆け出した。

ハルくんに、突進していって、勢い余ってぶつかった。

からだが、ぶつかって――、

気付いたら、彼を……押し倒していた。

 

無我夢中で、息切れがした。

呼吸を、少しだけ整えてから、

 

ハルくん……わたしを撲(なぐ)って

 

なにを言ってるんだ、というような顔になるのは当然だ。

わたしでも、なにを言っているんだか、わからない。

 

「どうかしたのか……アカ子」

「どうもしないわ。

 でも、お祈りしたでしょ、ことしの初詣のとき。

ハルくんが、ケガしませんように』って。

 神さまとの約束――自分から破っちゃった」

 

こんなふうに押し倒したら、ハルくん、痛いに決まってる。

 

「だから。ケガさせちゃったから、いま。約束破った罰で、わたしを撲ってくれていいから……」

 

ゆっくりとからだを起こして、

なぐさめるようにして、

わたしの右肩を、そっと抱く。

「そんなバカみたいなこと、出来るわけないじゃないか」

「だって…」

「おれはどこもケガしてないよ。きみの早とちり」

「強がらないでっ」

「強がってるのは――どう考えたってきみのほうだよ」

 

言いたいことばは、あふれるくらいあるのに、

うまく喋れない。

 

ただ、ひとことだけ、

「もっと……くやしがってもいいのよ」

「くやしがりすぎなぐらい、くやしがったさ」

 

わたしの背中を、ポンポン、と、さするようにして叩く。

「なんで、どうしてそんなに、優しくなれるの……負けたのよ、あなた」

精一杯の嘆きが漏れ出す。

彼は、

「負けた勝った以前に、納得なんてしていない。していないけど、これが終わりじゃないってことだけは、はっきりとわかる」

「これからどうするの……あなた」

「そうだな――」

笑いかけて、彼は、

「アカ子が、そばにいてくれたらうれしい。支えになってくれるのなら、もっともっとうれしい」

「それならお安い御用よ」

どうしようもなく、本音が漏れた。

「……よかった」

「今度こそ――神さまに誓うわ。

 あなたを、絶対に見捨てないって」

 

穏やかな笑(え)みが、自然とこぼれる。

見つめ合って、笑い合って――お互いに、また、これからもずっと、

支え合っていける。