【愛の◯◯】原因不明のパートナーの優しさ

 

愛(あい)のニコニコ顔がいつも以上にキラキラしている。

キッチンに腰を押し付け、真向かいのダイニングテーブルの椅子に座っているおれを見据えながら、

「今日は、夕食の食器洗いと片付け、わたしが全部やってあげるわ」

おれは、

「……わかった」

と頷きながら言うしか無かった。

愛のキラめく笑顔とキラめく声に引っ張られたのだ。

 

鼻歌を歌いながら、愛が食器を洗っていく。

鼻歌はどこかで聞いたようなメロディ。

鼻歌までもが美しいから、おれは愛の背中をつい見つめてしまう。

いつにも増して栗色ロングヘアに光沢がある気がする。

いつもは詰めが甘いので「アホ毛」が必ずと言っていいほど発生している。しかし、今夜は違う。完璧だ。

 

× × ×

 

カーペット上の丸テーブルに本を置いて読み始めていたら、静かな足音を立てて愛が近寄ってきた。

エプロンを外しつつ腰を下ろす姿を目の当たりにする。エプロンの外し方にドキッとしてしまう。なぜドキッとしてしまったのかはおれの都合で省略する。

エプロンを丁寧に畳んで両膝よりも少し上に置く愛が、

「食器、片(かた)し終わったから」

と報告してくる。

とても涼やかな声。いつもよりも20%増しの涼やかさだ。

なんとも言えない気分になるおれがいる。『なんとも言えない気分』をもっと具体的に説明できる能力がおれには無い。

「あんがと」

忘れずに感謝のコトバを言うコトはできた。

しかし、

「おまえは……本、読まんの?」

と訊く声が誰がどう聴いても不甲斐ない声になってしまったので、自己嫌悪が芽生えてきてしまう。

「読むわよ」

すぐに答えてくる愛が、

「その前に、あなたにしてあげたいコトがあるけど」

と付け加える。

ゴクッと息を呑んでしまったおれの自己嫌悪が加速する。

開いたページに眼を落とし込んでいるおれの背中におれのパートナーが接近してくる。

「真夏の夜の特別サービス」

涼やかで上品な声で若干下品なコトバを言い放ってくるパートナー。

「スキンシップしたいんだな、したいんだろ、絶対」

開いたページを凝視したまま言ったら、

「あたり」

と甘めの声が聞こえてきて、

「あなたがいつも頑張ってるから、癒やしてあげたいの」

と、シットリ過ぎるほどシットリとした声が鼓膜を震わせてくる。

数秒後には、右肩に、パートナーの感触。

ほっぺたをスリスリしてきているのが容易に分かってしまう。

……いったい何が、今夜の愛をここまで優しくさせているのか。

 

【愛の◯◯】弟がいつも以上に◯◯

 

利比古(としひこ)のニコニコ顔がいつも以上にキラキラしている。

キラキラを持続させたまま、

「お姉ちゃん。食器洗いと片付けは、ぼくに任せてよ」

と思わぬコトバを発してくる利比古。

アツマくんの帰りが遅くなるので利比古とふたりで夕食を食べるコトにした。現在(いま)は『ごちそうさま』を言い合った直後。

ブラックコーヒーに満たされた専用マグカップの取っ手を持つ右手指が震えてしまっているわたしがいる。いつもの姉に成り切れず、真向かい席の弟に上手に目線を寄せられなくなる。

弟が軽やかに椅子を引く音が聞こえる。わたしの背すじがヒヤリとする。

「アフターコーヒーをじっくりゆっくり味わってほしいな」

そうチカラ強く言いながら弟は背中を向ける。

いつもより大きく見える背中。姉のわたしを包み込んでくる大きな戸惑い。

 

× × ×

 

全ての食器を元の場所に戻してくれた利比古が、ダイニングテーブルのわたしの真向かいの椅子に再び腰を下ろした。

専用マグカップの中身を飲み切れないままに目線を上げて利比古の顔を見ようとする。

いつも以上に柔らかい笑顔だったからドキドキッとする。

現在(いま)の利比古の笑顔は、数え切れないほどの女の子を一目惚れさせてしまうパワーのある笑顔だ。

「どーしたのさ、ぼくの顔を凝視しちゃって」

わたしは、眼をやや逸らしながら、ぐぅっ……と息を吸って、

「今日の利比古、いつも以上に……なんだか、スゴいから」

と、声を吐き出す。

声が濃厚な震えを帯びていて、恥ずかしくなる。

「ちょっとお姉ちゃんらしくないなー、『なんだか、スゴい』とか、曖昧過ぎない?」

柔らかにダメ出ししてくる弟。

専用マグカップの中身を飲み切る自信が失せていく姉。

懸命に、

「食器洗いと片付けを全部引き受けてくれた時点で、いつもと違ったし」

と応えるけど、

「今日ぐらいは休んでほしかったんだよ。お姉ちゃんいつも、アツマさんのために家事を頑張ってるんだからさ」

というコトバの破壊力によって、ドクドクンッ! という心音(しんおん)がわたしの中に産まれてきてしまう。

弟の破壊力に打ち負かされそうになりながら、

「どうして、今日のあんた、そんなに優しいの……?」

と問うと、

「えー、まさか、『いつもはこんなに優しくないのに……』って認識だったとか?」

という答えが……。

「ぼく、お姉ちゃんに対しては、24時間365日優しく接してあげたいって常日頃思ってるんだけどなー」

俯かざるを得ないわたしは、

「自分を……セブンイレブンで喩(たと)えないでよ」

弟は間を置くコトなく、

「セブンイレブンだけじゃないでしょ、コンビニエンスストアは。ローソンもあれば、ファミリーマートもあるし、ミニストップだってある」

「どっ、どれにしたってコンビニじゃないのよっ!! わたし、わたし、あんたのコト、コンビニみたいにありふれた存在だなんて思ってないしっ!!」

「顔が一気に上がったね☆」

「……」

 

 

【愛の◯◯】いつもと違う侑さんが……!!

 

大井町侑(おおいまち ゆう)さんは夕暮れ時にやって来た。

明日の午前中まで職場に行かなくてもいいみたい。

「今日の夕食当番は誰なの?」

侑さんが『リビングC』のソファに腰を下ろすと同時に訊いてきたから、

「お母さんです」

と答える。

「明日美子(あすみこ)さんが!」

両手を打ち合わせながら嬉しそうな声を出す侑さん。

彼女が両手を打ち合わせるのを見て少しビビってしまったわたしは、

「そんなに……嬉しいんですか?」

「だって、明日美子さんなのよ? 明日美子さんがゴハンを作ってくれるのよ!? あすかちゃん、あなたはあの女性(ヒト)の娘なんだから分かるでしょ!?」

「わ、分かるって、何をですか?」

「あなたのお母さんが作ってくれる料理がすこぶる美味しいってコト」

「あー。それは……そうですよね」

「なによ~、ビミョーな反応ね~~」

わたしから見て右前方のソファの侑さんがニッコリとたしなめてくる……。

困惑を拭えない。

今日の侑さん、いつもとちょっと違う。

 

× × ×

 

『リビングC』中央の長テーブル前に腰を下ろしている侑さんは幸せそうな表情だ。お母さんの夕ご飯が感動的に美味しかったのだろう。

午後8時。長テーブルの上にはお酒のボトルが5本。ボトル1本1本のサイズは細くて小さめなんだけど、

「飲み切れるんでしょうか。わたしと侑さんの2人で飲むにしても、5本は多いのでは……」

「飲み切れなかったら明日美子さんに『おまかせ』するのよ。あの女性(ヒト)はアルコールに激強(げきつよ)で名高いんだし」

『侑さんにしては無責任だ』と思ってしまう。いつもの侑さんだったら、飲み切れなかったボトルをお母さんに押し付けるなんて発想には至らないはずなのだ。

職場で何か不都合なコトがあったんだろうか。それとも、おつきあいしている男子(ヒト)との折り合いが悪くなったりとか……?

ソファに座るわたしは向かい側の侑さんに注意深く眼を凝らす。

「どーしたのよー。真剣な表情しちゃってー」

侑さんにしては軽々しい声音だった。水色のアルコール飲料が入ったボトルを右手でクルクルと回している。

わたしの眼つきはより一層険しくなる。

いきなり侑さんがガバアァ!! と立ち上がる。

わたしに混乱がやって来る。向かい側の年上女子が何がしたいのか本格的に分からなくなる。

「ごめんね驚かせちゃって」

水色のアルコール飲料のボトルを右手に掴む彼女がわたしのソファに向かって動き始める。

ピンチだ。これはピンチだ。

 

× × ×

 

わたしの部屋の中を思うがままに眺め回す侑さんが、

「オトナっぽいお部屋になったわね~~!!」

と感嘆の声を上げたかと思うと、ジーンズの両脚をまっすぐ前方に伸ばしていく。

長くてキレイな脚がベッド座りのわたしの眼に映る。

真向かいの年上女子を制御できなくなってきているから、長くてキレイな脚を味わう余裕なんてあるワケもない。追い詰められている。さっきの『リビングC』の時よりもさらに危ない事態が到来してしまうかもしれない。

「――やっぱ、脚伸ばすの、やーめた。あすかちゃんのお部屋がこれだけオトナっぽいんだから、わたしもオトナっぽくならなくちゃ」

不思議なロジックがジワジワとわたしを侵してくる。

侑さんのスマートなカラダがゆっくりとしかし着実にわたしのベッドに近付いてくる。

わたしのTシャツに伸ばしてくる侑さんの目線に不埒なモノを感じずにはいられなくなる。

「あなたのTシャツ、たぶん、イギリスのBlur(ブラー)ってバンドのアルバムジャケットのパクリよね?? 著作権うんぬんで訴えられるのがコワくないのかしら」

「……よく分かりましたね、Blurパクってるって」

「わたしの音楽的知識ナメちゃだめよ」

そう言いつつ侑さんはわたしの上半身から視線を外してくれない。

剰(あまつさ)え、

「あすかちゃんのTシャツはあすかちゃんのおかげでいろいろ『充実』してるから、何時間でも見続けてたいって思っちゃうわ~~☆」

と極めて不都合な発言を直撃させてくるから、もはや、もはや……!!

 

 

【愛の◯◯】ミハイル・バフチンよりも、ドストエフスキーよりも……!!

 

行きの車内では庄司薫(しょうじ かおる)の『赤頭巾ちゃん気をつけて』を読んでいた。いつ読んでも、いい小説だ。

湘南地方某所某駅のホームを出て、7月の風を目一杯吸い込む。

海が近いし、海の日なんだし、浜辺で海風に当たれば気持ちいいコトだろう、けども。

 

× × ×

 

「わたし、お外に出て海風を感じるよりも、このお部屋でしたいコトがあるのよ」

太刀川(たちかわ)ヒカリのお部屋に入るなりお昼寝を始めたわたしは、目覚めると同時にそう告げてみたのだった。

身を起こしてベッドの敷き布団に両膝をくっつけているわたしをカーペットから見つめてくるヒカリは、わたしのしたいコトがイマイチ分からない御様子。

見つめ返して、ヒカリの長い手足を眼で味わいながら、

「たぶん、階下(した)の冷蔵庫の中は、アルコール飲料で充実してるんでしょ?」

「……どうして分かったの」

「わかるわよ~」

狼狽(うろた)え気味になるヒカリに向かって、畳み掛けるように、

「アルコール飲料をこのお部屋に持ち込んで、『1学期反省会』がしたいの! あなたの方は、正しくは『1学期』じゃなくて『前期』だけど」

 

× × ×

 

「……ダメだからね、あたしの缶ビールを強奪したりしたら。愛(あい)、あなたの炭酸飲料に対する耐性の無さ、あたしもインプットしてるんだから」

「それはありがとう」

「いやいや、『ありがとう』じゃないから。不安になるじゃないの、あたしの間近のヱ◯スビールにあなたの目線が伸びてるのを見ちゃうと」

「だいじょーぶよ。きょーみがあるってだけ♫」

「きょっ、興味を示されたら、ますます不安が増しちゃう」

慌て気味のヒカリを眼でネットリと味わいながら、グラスの中の冷たい日本酒を喉に流し込んでいく。

それから、

「教えてる女子生徒の中にね、『羽田(はねだ)先生』じゃなくて『愛先生』って呼んでくる子もいるの。そういう子たちはコドモっぽいんだけど無邪気で可愛いから、『愛先生』って呼ばれるたびに、優しくてあったかいキモチで胸が満たされるの……」

 

× × ×

 

「教師って身分をすこぶる満喫してるみたいね」

5本目の缶ビールを置いてから、流し目を送りつつヒカリが言ってくる。

ベッドに腰掛けヒカリを見下ろすわたしは、

「仮免な身分は脱却したいトコロだけどね、一刻も早く」

「そりゃそーでしょ」

そう応えてきてから、ヒカリは5本目の缶ビールをグビッと飲んでいく。

余裕のあるわたしは、ヒカリの飲みっぷりを堪能してから、

「今年は絶対にダイジョーブよ。筆記試験絶対にパスしてるし、面接試験にも絶対的な自信があるし」

ヒカリは左手でビール缶を握りつつ、

「『油断大敵』の4文字も、あなたには関係なさそうね」

「関係あるワケないじゃないの☆」

「はあ」

可愛い溜め息をついてきたかと思えば、

「あたしの研究生活のコトも、少しは語らせてよ。あたしだってあたしなりに充実してるんだから。あなたほどの充実ぶりじゃないかもしれないけど……ね」

カーペット上で背すじを正す院生1年の親友女子は、

「ミハイル・バフチン熱が高まってるのよ」

「ヒカリの中で?」

「もちろん。あたしの中で。」

「ふぅーーん」

イタズラっ子っぽい笑みを顔面に創り上げていくわたしは、

「白水社から、ミハイル・バフチン論の大著が出たばっかりだもんねえ」

「良く知ってるわね。流石だわ……」

「ロシア文学大好きっ子をナメちゃーだめよ☆」

「……そうだった」

イタズラっ子っぽい笑みを持続させて、目線をやや下げたヒカリを眺めて、胸の中を満たす。

そしてそれから、

「せっかくバフチンの名前が出たコトだし、ドストエフスキーについて存分に語り合いたいってキモチも高まってるんだけど――」

と言ったあとで、すぐさまベッドから降りて、ヒカリとの距離を詰めていく。

手足が本当に長いヒカリのカラダは、もう、すぐそこ。

ヒカリの体型にささやかなジェラシーを抱きつつ、わたしはわたしの右手をヒカリの左肩にそっと置く。

「ドストエフスキーを語り合うよりも、さらに愉(たの)しいコトがあるって思うの!」

「え、えっ」

ヒカリの動揺に構うコトなく、

「文学とか勉強とか研究とかよりも、ひょっとしたら大事かもしれないコトがあるでしょ?」

「たっ、たとえばっ?」

ヒカリの声の震えを耳で味わいながら、

「恋愛」

と答えるわたし。

「まさかの……恋バナ、リクエスト……。」

ヒカリの声の青ざめを耳で味わい尽くしながら、

「一方的にリクエストするんじゃないからぁ。あなたにだって、リクエストする権利はあるんだからぁ」

と言ってあげて、左手をヒカリの背中へと近付けていってあげて……!!

 

 

【愛の◯◯】期待を裏切るから、バッティングセンターに……

 

『清涼感溢れる食卓を創り上げられた』と満足している。会心の出来の夏料理だ。

真(ま)ダコの海藻サラダの真ダコの色と海藻の色のコントラストとか何とも言えないほどに良い。地中海風ドレッシングも素晴らしい仕上がり。アツマくんには是非ともサラダを絶賛してもらいたいトコロだ。

 

× × ×

 

「美味しいな、この海藻サラダ。彩りも良いし、真ダコの食感も良いし、ドレッシングの塩梅もちょうど良いし」

ダイニングテーブルにて、真向かい席のアツマくんから期待通りのコメントがやって来る。

嬉しいから、

「ホメてくれてありがとう。お礼に、女子ソフトボール部の練習試合の報告をタップリしてあげるわ」

「おまえが指導に関わってる部活動の練習試合報告が『お礼』なのかよ」

構わず、

「女子ソフトの子たちはみんな良く頑張ってくれた。暑さに負けるコト無く。――結局は、負けちゃったんだけどね」

と報告し始める。

「負けちゃったけど、良く食い下がってた。善戦してたから、悔しそうだった。わたしが思う以上に、負けず嫌いだったの。きっとこの経験が、大きな糧になるはず」

微笑みながらそう語るわたし。

 

× × ×

 

練習試合の内容について詳しく熱く語っていたら、お外の夕焼けの色が濃厚になってきていた。

「アツマくん」

彼氏の名を呼んで見据えるわたしは、

「どう思った? どう感じた? わたしの試合レポートを聴いてて」

と、コメントを引き出そうとする。

夏真っ盛りに相応しいアツいコメントをわたしは期待していた。

だが、

「熱中症で倒れたりする子が居なくて、良かったな。試合結果と同じぐらい、そういうトコロは大事だと思うから」

あのねえー。

「たしかに、あなたの言う通りよ。教え子の健康管理もオトナの義務。だけど――」

「だけど?」

「あなたは、わたしの詳細なる試合の描写を耳に入れてて、何か思うトコロは無かったの? わたしの可愛い教え子たちが精一杯プレーしてる姿が、眼に浮かんでこなかったの!?」

「んんーーっ」

左手を顎に当てるという謎の仕草と同時に中途半端な声を漏らす彼氏は、

「あのさあ」

と間の抜けたような声で言ってきたかと思うと、

「『わたしの可愛い教え子たち』って言ってるけど、おまえは正式な顧問じゃないよな。『可愛い教え子たち』って言えるのは、顧問を正式に務めてる先生だと思うんだが」

……可愛くないツッコミしてくるのね。

ええ、そうよ。わたしは監督じゃなくて助監督やヘッドコーチ的なポジションに過ぎない。指揮権は別の先生にある。仮免教師に過ぎないわたしの何十倍も場数を踏んでいるオトコの先生に。

だけどだけど、

「……決めたわ、わたし」

「え? なんだよいきなり」

「来週末、あなたをバッティングセンターに連行するコトに決めたわ」

「『連行』?? まーた、物騒な表現を」

「あなたが不甲斐無いコトばっかり言うのが不満なのよ」

「不満だからバッセンなのかよ」

「侑(ゆう)も連れて行くから。きっと都合がつくはずだし。わたしと侑のふたりがかりで、あなたをイジメ倒してシゴキ倒してあげるわ」

「まーたまた、突拍子もない」

うるさいうるさい。

「できれば、新田俊昭(にった としあき)くんもバッセンに呼びたいわ……!」

「へ? 新田くん?? まさか、新田くんも、イジメてシゴく対象にするつもりなんか!? それはコンプライアンスの域を超えてるんじゃないのか」

「違うわよ!! イジメてシゴくのは、あなただけ!!」

「じゃあなんで新田くんまでも」

「育て上げたいの、新田俊昭くんというオトコノコを、侑の彼氏であるのに相応しいオトコノコに。だから、バッセンという場で指導をするの」

「教育的指導ってやつかー? 嫌な予感しかしないぞー?」

「優しく指導してあげたいって思ってるから!! 新田くんはバッセン初心者だし!! あなたに対しては全く容赦しないつもりだけど」

「ダイニングテーブルでそんな大声は、おまえに似合わないゾ☆」

「……」

 

 

【愛の◯◯】羽田愛先生って、いったいナニモノ?

 

外は猛暑なので真新しいエアコンに助けられている。エアコンが涼しさを提供してくれるおかげで読書が捗る。

だが、

『羽田(はねだ)先生って、いったいナニモノなんだろうな』

という後輩男子の声が聞こえてきたので、捗っていた文庫本読書を敢えて中断し、目線を上げて、後輩男子くん同士のやり取りに意識を向けるコトにする。

羽田愛(あい)先生の名前を出してきたのは鳰ノ海稲葉(におのうみ イナバ)くん。私から見て左斜め前に着席している1年男子だ。

イナバくんは実のところ我が文芸部の部外者であり、色んな文化部に神出鬼没で出現しているコトで有名になっている。比較的小柄な体型で私と身長がさほど変わらず、見た目が幼い。何も情報を所有していなかったら中学1年生だと思い込んでしまうかもしれない。

飄々(ひょうひょう)とした性格であるという認識が定着しつつあるイナバくんが、

「昨日の終業式が終わったあと、大騒ぎだったもんな。『校歌斉唱の時、羽田先生がピアノ弾いてた!!』って」

とテンション高く言う。

「小野寺(おのでら)先生が体調不良だったから、ピンチヒッターに指名されたらしいな」

そう言ったのは、私から見て右斜め前に着席している斐伊川薫(ひいかわ かおる)くんだった。

イナバくんと向かい合っている斐伊川くんは、『周りの人間と比べてテンションが常に20%引き』という定評が形成されつつある1年男子だ。イナバくんに対する先程の受け答えも、だいぶ低めのテンションの声によるモノだった。目線も下向きを持続させている。

斐伊川くんは私やイナバくんより10センチ程背が高い。170センチ台前半のはずだ。イナバくんよりも髪のボリュームがあるせいだろうか、イナバくんより大人びて見える。何の情報も所有していなかったら高校1年生でなく高校3年生だと誤認してしまうかもしれない。

「そこなんだよ斐伊川。そこがポイントなんだよ」

依然としてアッパーなテンションのイナバくんが、ダウナーなテンションの斐伊川くんを右手で指差しながら言う。

「なぜ羽田先生が、校歌のピアノ伴奏に指名されたのか!? ぼくは、気になって仕方がない!!」

決め台詞を言い放つようにイナバくんは言い放つ。

斐伊川くんがイナバくんに応えて、

「ピアノが得意なのが教職員にも知れ渡ってたんだろ。いつぞやの『拡散(バズ)り』もあったし」

都内某所のストリートピアノで羽田先生が弾き語っていた模様が少し前に拡散された。斐伊川くんはその件に触れているのだ。

いささか前のめり気味になって手指を組むイナバくんは、

「『小野寺先生のピアノ演奏技術をかなり凌駕してるのでは!?』という評判も高まっているからなあ」

と言い、

「注目すべきは、羽田先生が社会科を教えているという点だと思うんだ」

と言いつつニヤリとなって、

「社会科担当なのに音楽科の先生を凌駕するほどのピアノスキルを持ってる、だけじゃない。『社会科担当なのに体育科の先生を凌駕するほどの運動神経を誇る』だとか、『社会科担当なのに家庭科の先生を凌駕するほどのお料理技術を所有してる』だとか、色んな噂が絶えず立ってるだろう? ――ますます、正体を掴みたくなってくるじゃーないか」

中身が好奇心で充満していそうなイナバくんに対して、斐伊川くんは、

「ファクトを入念にチェックすべき情報も流れてると思うがな」

と、呟きの如くボソリと言う。

「あーっ、斐伊川はいつもいつもノリが悪いんだもんなーっ」

前のめりから一転、のけぞるような姿勢になって、後頭部の辺りで両手を組むイナバくん。

「あやめ先輩は、どういう風に思われますか?」

私に視線を転じてきて、2年生の先輩女子たる私に御意見を伺うイナバくん。

私が、

「『どういう風に思われますか?』なんて、漠然とし過ぎた問いだから、答えるのは難しいな」

と突き放してみると、

「これは厳しい。痛烈だ」

と言いつつ、旺盛な好奇心を如実に表すような顔つきになって、

「あやめ先輩が、内心で、羽田先生に憧れてたりしたら……こっちとしては、すこぶる面白くなってくるんですけどねえ」

フム。

私にどこまでも食い下がっていきたいキモチが強いんだな……イナバくん。

「羽田先生、ビックリするぐらい、美人ですし」

邪(よこしま)なニュアンスを声に混じらせながら、イナバくんが私に食らいつく。

後輩男子の『揺さぶり』などには簡単には動じない私は、イナバくんの眼に自分の眼を合わせながら、

「大学を出たばかりのピチピチな美人女性教師だから、私が少なからずジェラシーを抱いてるとでも?」

イナバくんの眼がやや弱り、

「『ジェラシー』……? 『憧れ』じゃなくて、『ジェラシー』ですか?」

羽田先生に対する私の『憧れ』を期待しているイナバくんのキモチは解る。

しかしながら、強引ではあるけれども、私は私の言いたいコトを押し通したくて、

「もし、私が『ジェラシー』のようなモノを胸に秘めてるとしたら……イナバくんは、面白くなってくるだろうか」

と……弄んでいくと同時に、微笑する。

 

 

【愛の◯◯】元気過ぎるくらい元気な後輩たち

 

去年の学祭(がくさい)の時以来だから、およそ8か月ぶりの母校というコトになる。

旧校舎に続く道を歩いていた。

付近にいた女子生徒3人がこっちを見てきた。

「あのっ!!」

3人の内の1人が呼び止めてきて、

「OBの、羽田利比古(はねだ としひこ)さん、ですよねっ!?」

ほとんど絶叫に近い問い掛けによって足を止めざるを得なくなり、

「……どうしてぼくのコト知ってるのかな」

呼び止めてきて問い掛けてきた娘(こ)は「照れ」のようなモノを表情に滲ませて、

「だって、有名人ですもん……利比古さんは。」

ううぅむ。

 

× × ×

 

写真を撮らされた。

3人とも『利比古さん』と下の名前呼びだった。

若い勢いに押されて背中に「くたびれ」のようなモノを早くも感じてしまいながら、旧校舎に入り、階段を上っていったのだった。

 

× × ×

 

懐かしの【第2放送室】の入り口ドアに背を向ける形でぼくは椅子に腰掛けている。

ぼくから見て左前方にはタカムラかなえさん。ぼくから見て右前方にはトヨサキ三太(さんた)くん。3年生コンビも椅子に腰掛けている。

そしてぼくの真向かいには、1年生女子の藤ノ森明菜(ふじのもり あきな)さん。

ベリーショートヘアの新入部員女子・藤ノ森さんも椅子に着席済みだ。ニコニコとした笑い顔。快活さに満ち溢れているという印象を受ける。

ニコニコを持続させたまま、

「思った通りだ」

と藤ノ森さんが口を開く。

『思った通り』?

不穏な違和感を覚えるぼくに、

「利比古さん、在校生の時、ゼッタイ女子にモテまくってましたよね!?」

というコトバを藤ノ森さんが飛ばしてくる。

不都合なコトバがマシンガンのように射出されたので、ぼくの背すじにジュワリと汗が浮かんでくる……。

「おっおい藤ノ森ッ!! いきなり『それ』は、マズいだろ」

「『それ』ってなんですかあ、トヨサキ先輩??」

「『ゼッタイ女子にモテまくってた』とか、デリケートな部分に遠慮無しに触れていくような……」

『良く分からない』と言いたそうな眼で藤ノ森さんがトヨサキくんの顔を見ている。

いいんだ、いいんだよ、トヨサキくんも、藤ノ森さんも。

『こういうパターン』、もう慣れちゃったから。

『もう慣れちゃった』とか言っちゃうと、少なからぬ層からひんしゅくを買っちゃいそうだけどさ。

トヨサキくん。藤ノ森さんの発言、大目に見てあげて??

 

× × ×

 

『KHK(桐原放送協会)』は最近テレビ番組を2つ制作したという。

『本と読書は、これからどうなるの?』。デジタル化の浸透に伴って書籍を取り巻く環境が激変し、書店の数が急激に減少している昨今。『読書力養成クラブ』という校内のユニークなクラブ活動に密着取材したり、生徒や先生に大規模なアンケートを行ったりして、本や読書の今後を模索してみた。意欲的で真面目な企画だ。

『100%の夏休みの過ごし方』。夏休みを前にして、充実した過ごし方を提案する。教務主任の先生に直撃取材して、夏休みの宿題を効率的に終わらせる方法をレクチャーしてもらう。保健室の先生にも直撃取材して、夏バテ予防のアドバイスをいただく。家庭科の先生からは取っておきの冷やし中華レシピを伝授され、なんとタカムラかなえさんが顔出しで冷やし中華を調理している模様も収録されたのであった。

 

「タカムラさん、きみは……『体当たり』だね」

隣のスタジオに移動して『100%の夏休みの過ごし方』の映像を視聴していたぼくたち4名。映像を視終(みお)えたぼくは、タカムラさんに振り向いて言う。

「これぐらい『体当たり』しなきゃ、良質な番組は作れませんから」

応えるタカムラさん。さっきから腕組みし続けてるのはどうしてなのかな……?

「タカムラおまえずいぶんドヤ顔だな。冷やし中華の調味料の分量勘違いしてて、3回撮り直す原因を作ったクセに」

見かねたのか、トヨサキくんがコトバを差し込んでくるが、やはりタカムラさんの様子が急変して、

「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!!」

と『うるさい』を5回も連呼したかと思えば、

「調味料の分量、勘違いしたままにしておくべきだった!! トヨサキくんに激マズ冷やし中華食べさせて、消えないトラウマを植え付けるべきだった」

「なんだとぉ!?」

トヨサキくんも急速にカッとなって、

「食い物を甘く見るなタカムラ!! 食い物のコトで生じた恨みは恐ろしいんだぞ!?」

「キミに食べ物の恨みの何が分かるってゆーの!?!? おかしいよおかしいよ」

喚いて抵抗するタカムラさん。

収拾がつく可能性が着実に消えてゆく。

……元気だなぁ、高校生って。

 

 

【愛の◯◯】OGに勝利するチャンスにノイズ

 

「今日はこのあとOBやOGが訪問してくるから、米丸(よねまる)さんはいったん部屋から出てくれないかな?」

しかし米丸ルイさんは、

「せっかく羽田(はねだ)くんの孤独を埋めてあげてるのに『出ていけ』だなんてあまりにもヒドい!! フェアじゃない!!」

と目に余る大声を上げて……。

 

× × ×

 

予定時刻よりも10分以上早く吉田奈菜(よしだ なな)さんが入室してきて、ぼくは米丸ルイさんを追い出すコトに見事に失敗したのであった。

 

どういうワケか、吉田奈菜さんと米丸ルイさんは笑顔で向き合っている。

米丸さんよりも小柄な吉田さんが、八重歯をのぞかせながら、

「羽田くんをイジメる愉しさ、そろそろ膨らんできてるんじゃないの?」

と、ぼくにとって不都合な問い掛けを……。

「割れそうなほど膨らんできてます」

満面の笑みで答える米丸さん。勘弁してくれ。

「吉田センパイも――」

サークル部外者のクセして吉田さんを『センパイ』呼びする米丸さんの口から、

「彼をイジメたいキモチが『はち切れそう』なんですよね!? 平日なのに休みもらって母校のキャンパスに来るぐらいなんだし」

と、テンションの高い声が……!

「良く分かってんじゃないの。米丸さん、あなたは羽田くんの100倍将来有望だわ」

ついカッとなるぼくは、

「『100倍』ってなんですか『100倍』って。誇張表現はやめてくださいよ、吉田さんッ」

米丸さんの方を向いたままぼくに左人差し指を突きつけてくる吉田さんは、

「ほらぁ、案の定でしょ? OGに対するリスペクトが、全然感じられな~~い」

と、神経を逆撫でしてくるコトを言い放ってきて……!!

 

× × ×

 

「馬場(ばば)っちも荘口(そうぐち)センパイもなかなかやって来ないね。もう少し羽田くんで遊ぶしかないね」

「吉田さんはぼくを何回オモチャにすれば気が済むんですかッ」

答える素振りも見せず、

「今日のあなた、いつも以上にピリピリね。栄養バランス足りてないんじゃないの?」

「ぼくは常日頃、栄養バランスのある食事を心掛けてますからッ!!」

「なーにムキになって説得力の無いコト言ってんの」

あなたのせいでムキになるんです吉田さんッ。

それに、

「こう見えても、けっこう自炊もするんですよ!? 吉田さんよりも、栄養バランスある料理を作れる自信があるんですから」

ヘラヘラ笑っていた吉田さんが急速に真顔になっていく。

きっと、お料理スキルに自信が無いんだ。あまり自炊をするコトも無いんだ。ぼくに痛いトコロを突かれたんだ。

いける、いけるぞ。吉田奈菜さんに勝利するチャンスだ。

「羽田くんもしかして、お料理スキルなんかで吉田センパイにマウント取るつもりなの!? どーかしてるよ」

米丸さんは黙ってて。

「どーせ大したモノも調理できないクセに。中途半端な調理スキルしか持ってない男子ほどマウントを取りたがるんだよね、この世の普遍の真理!!」

いや無駄だから、そんなコト喚いたって。米丸さん、悪あがきみたいなのはカッコ悪いよ?

「なんなのその目線!? ぜんっぜんイケてない目線。イケメンに定評のある男子がダサメンな目線飛ばしてくるなんて、考え得(う)る限りでいちばん最低!!!」

……米丸さーん。

少し、アタマ冷やそうか……。