【愛の◯◯】「番長」、それは、弄(もてあそ)ばれる運命(さだめ)――

 

共通試験前日ということで、昼休み後のホームルームが終わると、放課後になった。

 

さて。

KHKの後輩は、まだ授業を受けている。

どうやって夕方まで学校で過ごそうかな――と思っていると、

教室前の廊下で、甲斐田がアタシを呼び止めた。

 

 

「麻井はこのあとも学校いるんでしょー?」

「いる。夕方までどうしよっかって、思ってたとこ」

「勉強しようよ。穴場があるんだよ」

 

× × ×

 

進路指導室のとなりに、自習スペース。

 

「――知らなかった」

「あんたが旧校舎ばっかり出入りしてるからでしょ。でも、認知してないの、麻井だけじゃないんだよ」

 

さっそく自習スペースに入っていこうとする甲斐田。

だが、なぜかピタリ、と足が止まる。

 

「ひとつ、懸念材料があった」

「懸念材料?」

「もしかしたら、先客がいるかもしれない」

「いいじゃん、べつにいたって。穴場なんでしょ、たくさん人が来るわけじゃないんでしょ」

「うん、先客がいるとしたら、ひとりなんだけど……」

「厄介なヤツなの」

「とても厄介」

「……まさか、篠崎?」

 

× × ×

 

的中してしまった。

よりにもよって、篠崎もこのスペースの常連らしかった。

篠崎は『番長』という通り名で有名な元・応援部だが、非常にうさんくさいヤツだ。

まず、外見。

 

「なんで室内で学生帽かぶってんのかアタシに説明してよ」

「これは、気合いだ」

「はあぁ!?」

「学生帽をかぶりながら勉強に取り組んでいると、あすあさっての共通試験本番へのモチベーションがみなぎってくるのだ」

 

そう。コイツはこういう言い回しで有名なのだ。

うさんくさいったらありゃしない。

というか、キモい。

できれば、関わり合いになりたくないのだが……アタシと甲斐田だって、自習スペースを使いたいんだから、しょうがない。

甲斐田と篠崎が、向かい合う席に座っている。

よくコイツと向かい合えたもんだ、甲斐田は。

アタシ? アタシは『お誕生日席』みたいなところで、甲斐田と篠崎の両方を見ている。

もし、甲斐田に、篠崎がヘンなことを言ってきたら、制裁する準備はできていた。

 

「ときに麻井」

「なんなの、アタシにあんまり絡んでこないでよっ」

「おまえは俺の学生帽に違和感を表明したわけだが――」

お誕生日席のアタシに、顔を向けてくる。

こっち見んな。

「――俺には、おまえが年中(ねんじゅう)パーカーを着ているほうが、よっぽど不思議だ」

あっそ

「そんなにそのパーカーが気に入っているとでもいうのか? パーカーにこだわりがあったりするのか?」

しつこい。アンタにいちいち説明したくない」

ゲンコツを食らわせるより、徹底的に無視したほうが、ダメージを与えられると思って、アタシは問題集を解き始めた。

 

「おしゃべりはそのへんにして、手を動かしなよ、篠崎くん」

甲斐田の言うとおりだ。

なのに、

「これはウォーミングアップだ」

……徹底シカトという方針を転換して、殴って黙らせたほうがいいんじゃないかと思えてきた。

「それに、おまえらとしゃべりながらでも、手を動かして問題が解ける余裕がある。マルチタスクには、自信があるのだよ」

……笑いながら言うな。

腹立つ。

 

でも、マルチタスクに自信があるのは、嘘じゃなかったらしい。

ほんとうに篠崎は悠々と手を動かしながら、アタシたちふたりに、あることないこと、さかんに話し続けてくるのだ。

悔しいけど、勉強が得意でないと、こんな芸当はできない。

頭が良いか悪いか、はべつとして――少なくとも、学業では、アタシたちふたりを圧倒している。

だから、余計にムカつく。

アタシだって甲斐田だって、定期テストでは常に10位以内にランクインしてるのに。

2学期の期末の結果が、すべてを物語っていた。

学年1位が篠崎だったのだ。

なんでこんなオトコが……桐原高校3年の頂点に君臨してるわけ。

不条理だよ。

 

「どうしたんだ麻井、手が止まっているぞ」

アタシが無視を決め込むと、

「試験前日でナーバスになっているとでもいうのか? おまえにしては意外だな」

癇(かん)にさわることを、いちいち……。

「うるさい。アタシ、あしたのことを考えてたわけじゃない」

「それなら、なにを考えていたのだ」

「しのざきくーん」

たしなめるように言ったのは、甲斐田。

「麻井を追及するのはそのぐらいにしなよ」

「追及とは人聞きの悪い。心配しているのだ――物思いにふけっているようだったから」

「ありがた迷惑、ってことばがあるでしょ。あんがい麻井はデリケートなんだから。そっとしておく、っていう選択肢もあるんだから」

「む……」とたじろぐ篠崎。

甲斐田の思いやりはうれしかったが、

「――アタシ、深刻なことなんて、考えてないよ」

ほんとうに? とアタシを見る甲斐田。

「アタシはさ、」

篠崎のおめでたい顔に視線を向けて、

「コイツの学業優秀を、呪っていただけ」

不意を突かれた篠崎。

「の、呪う、とは、物騒な」

アンタには是非とも赤門の手前でスベってほしいわ

不合格祈願に逆上したらしく、

拳(こぶし)をワナワナと握りしめたかと思うと、

ガバアッ、と篠崎は立ち上がった。

「…短気なんだ」

「共通試験の前日なのだぞ。不用意にもほどがあると思わないのか」

「篠崎のほうが、よっぽどデリケートなんじゃん…」

頬杖をつきながら、

篠崎とにらみあう。

 

「まぁまぁ」

甲斐田の、仲裁(ちゅうさい)。

「落ち着きなさいよ。とりあえず篠崎くんは座って」

「挑発に乗るなというのか、甲斐田」

つべこべ言わずにおすわり

「……」

 

「麻井も大人げないよ。ひとの不幸を願うなんて」

甲斐田の、お叱り。

納得できず、

「だって――、炎上したほうが楽しいじゃん、篠崎は」

「炎上だと!? なぜわざわざネットスラングを使うか」

「心当たりないなんて言わせないよ」

鋭い視線を篠崎に突き刺す。

「『羽田愛さんの私設応援団騒動』」

――ほら、一発で、篠崎、どうしようもなくうろたえてる。

「アタシのKHKも噛んでる事案だからねー。ずいぶん2学期、炎上してたよね」

スマホ社会は怖い。

一瞬で拡散し、炎上するんだから。

篠崎の自業自得とはいえ、憐(あわ)れんでやりたいぐらい、ひどい仕打ちを受けていた……みたいだ。

「……認めたくはないが、百歩譲って、甘んじて認めるにしてもだ」

落ち武者の亡霊みたいな声になって、篠崎は、

炎上と……受験失敗は……結びつかんだろ…

だんだん笑えてきたアタシ。

「アンタだったら、東大落ちた瞬間に、炎上しそう」

どんな理屈か……俺に怨(うら)みでもあるのか……怨むなら、怨み返すぞ…

 

「爆笑しちゃ篠崎くんがかわいそうだよ、麻井。あんただって、不合格はイヤでしょう?」

「――そうだった」

「自分の不幸ほど、つらいものはないからね。お互い様、ってやつ」

甲斐田、いいこと言うねえ、アンタ。

 

「篠崎、顔上げなよ。怨んでなんかないって。アタシがイジメすぎちゃった」

篠崎がヌ~ッ、と顔を上げる。

「あのさ。せっかくだから、訊いておきたいことがあるんだけど」

篠崎の反応、希薄(きはく)。

虚空(こくう)を見つめるようになってる。

構わずにアタシは、

「アンタの下の名前って、大作(だいさく)だっけ、大輔(だいすけ)だっけ」

曖昧なのは、ハッキリさせておきたい性質(タチ)だから、訊いてみた。

しょぼしょぼと篠崎は、

「…大輔」

「そうなんだ。ありがと」

――これだけで、コイツを解放する、わけがない。

「そ・れ・と」

まだ――篠崎で、楽しみたくて、

「もうひとつ、訊きたいこと、あるんだけど」

さっきまでの威勢(いせい)とはまるで違うテンションの低さで、

「…俺のなにに興味がある」

と言ったから、

「興味があるのは、アンタの甘党

スマホ社会。

SNS全盛。

甘いものを食べるのが好き――という篠崎情報も、容赦なく拡散しているのである。

あまねく全校に行き渡る、篠崎の弱み。

「甘党を…差別するな」

「してないよ。でも、おもしろいよね」

「それが甘党をコケにしてるという証拠なのだっ」

「わかった、わかった。ブドウ糖は大切」

「……俺の甘党について、いったいなにを訊き出したいのだ」

「えっとねー」

「焦(じ)らすのは許さんぞ麻井」

わかった。

わかったから。

あーっ、おもしろい。

「篠崎、

 じゃあ、訊くんだけどさぁ――」

 

 

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】先走りの先を、先走った先には。

 

あさってが共通試験なので、とても早く授業が終わった。

 

向こうの教室まで出向いて、愛としゃべっている。

 

「きのう、文芸部で修羅場っちゃって」

そっかー。

修羅場っちゃったかー。

にしても、この時期に部活やって修羅場るなんて、余裕あるねえ。

「――でも、おさまったんでしょ、修羅場?」

「なんとかね」

苦笑して愛は言う。

「いつまであんた部長やんの」

「…もう少しよ。もう少しだけ部長なの」

あ、そう。

「わたし、さやかが最近図書館に来なくて、少しさびしいの」

「なかなか、慌ただしくってね」

「…そりゃそうか」

 

窓の外の景色を見る。

当然、桜の花は、まだ咲かない。

 

「早く、暖かくなるといいのにね」

そうポツリとわたしは言う。

「春が――やってきたら、卒業か」

わたしがつぶやくと、愛がしんみりとした顔になり、

「こうやって、教室でおしゃべりすることも、なくなっちゃうのね」

進路は必然的に分かれる。

同じ大学で仲良しこよし……なんてことには、なり得ない。

「さやかは、わたしの受ける大学、すべり止めにはしないんだよね」

「うん、すべり止めはべつの大学」

「具体的には?」

「アカ子が進む大学とか」

「やっぱり、そうなるよねー」

第一志望が、第一志望なだけに。

ところで、

「愛が私立文系を志望校にしたのは、意外だったな。あんたの学力だったら、もっと高望みできたのに」

2学期の期末テストの学年順位も、直近の模試の偏差値も、わたしより愛のほうが上だった。

「もったいない、って思ってる?」

笑って愛は問いかける。

「…正直。」

「でもさ、やりたいことを曲げてまで、偏差値重視で大学を選ぶなんて、そっちのほうがもったいないとわたしは思うよ」

考えかたが柔らかくていいな…愛は。

「勘違いしてほしくないのは――さやかの進む道を、否定してないってこと。

 さやかが、やりたいことを曲げてる、なんて、そんなことぜんぜん思ってないから」

優しくわたしを見つめて、

「東大を受けるのだって――さやか自身の意志でしょう?」

そう問いかける愛の顔が、自然な優しさに満ち溢(あふ)れていたから、思わずドキッとしてしまう。

 

「進路のことを話しているの?」

アカ子がやってきた。

「この時期に、進路以外のことを話すのも、なんだかヘンでしょ」

軽くツッコむわたし。

「そうよね、あさって――だものね」

アカ子は言う。

「愛ちゃん、あんまりさやかちゃんにプレッシャーかけないのよ?」

「かけてないよぉ~」

無邪気な愛。

「さやかちゃん、体調だけは、崩さないでね」

「気づかってくれて、ありがとう」

感謝しつつ、アカ子の顔をまっすぐに見る。

ん~、

「アカ子、あんたさ――」

「えっなに、さやかちゃん」

「――オトナっぽくなったよね」

そのことばにビックリして、

「どうしてそう思うの!? さやかちゃん…」

「根拠は、とくになし」

「そんな」

「…まあ軽く受け止めてくれたらいいんだけど、それはそうとして」

「まだなにかあるの…?」

「ある。あんたに訊きたいこと」

「……言ってくれる?」

「うん、言う」

なにが言いたいのかしら、と若干不安そうな表情のアカ子に、

「ハルくんの志望校……教えてくれない?」

「え……どうして、とつぜん、ハルくんのこと訊くの……」

わたしだって、親友の彼氏は、気になるよ。

イジワルかもしれないけど。

でも、たまには、ちょっかい出したくなっちゃうよね。

 

× × ×

 

3人でおしゃべりしたのが、ちょうどいい息抜きになった。

持つべきものは、親友だな。

ここまで、愛やアカ子と仲良くなるなんて、思いもしなかった。

孤立無援だったわたしを、ふたりが救ってくれた。

卒業しても――手放したくない。

友情は、ずっと続いていく。

 

× × ×

 

廊下を歩いていたら、荒木先生に出くわした。

出くわした弾(はず)みで、わたしは立ち止まる。

荒木先生が、気づく。

なんとも言えない表情の先生。

 

――気まずい。

 

11月24日の事件以来、まともに荒木先生と意思疎通できていない。

音楽の授業は、受けている。

だけど、授業中、わたしは一切発言しなくなった。

だんまりを決め込んでいる。

教壇に視線も向けなくなった。

先生のほうでも……わたしの席に眼を向けるのを、躊躇(ためら)っているのかもしれない。

 

久々に、視線が出会った。

 

どうコミュニケーションすればいいんだろう。

わたしは、考えをめぐらせる。

 

……気まずいまま、終わりたくない。

残り少ない、先生との関わりを、大切な時間にしたい。

 

そういう願望が……言えない。

 

願いが、願いのまま、宙に浮いていく。

 

視線を逸(そ)らして、逃げようとした。

あきらめの足を踏み出した、その瞬間。

 

「青島さん」

 

久方ぶりに……先生が、わたしの苗字を呼んだ。

呼んでくれた。

呼んでくれたのなら、

逃げる必要も、あきらめる必要もない。

 

「青島さん、」

もう一度、呼んでくれた。

ことばの続きは、予測するまでもない。

「ちょっと、話があるんだ」

 

 

× × ×

 

 

音楽準備室に入るのも、11月24日の事件以来だった。

 

「けっこう、度胸あるんですね、先生も」

「度胸?」

「教え子と音楽準備室でふたりきりも、何度目ですか」

「――もう数えてないよ」

「そういうところが、度胸です」

「しょうがないな、青島さんも……ま、ホメ言葉として、受け取っておくよ」

 

床に落ちた楽譜やらプリントやらを拾いながら、ことばを交わしている。

交わしているうちに、氷が溶けるようにして、わたしと先生は打ち解けていく。

 

机の上で、拾ったプリントの山を、トントンと整頓する。

それを見た先生が、

「――要領いいね、青島さんは」

「要領が良くなかったら、わたしこんなに学業優秀になってません」

わざとらしい自慢だったのだが、

「自信があって――いいと思うよ。きっと入試も、うまくいく」

「気になるんですか? わたしの大学入試が」

「小耳に挟んじゃったんだよ――きみが、すごい大学受けるんだって」

「先生が話したいことって、もしかして、東大入試の心構えだったり」

冗談で、揺らしてみる。

「東大を出てない人間が東大入試の心構えを言えるわけないじゃないか」

型通りの、ツッコミ。

「そうですよねー。先生は東大も出てなければ、東京藝大も出ていない」

「ずいぶんおちょくってくるね」

「この際(さい)だから」

 

は~っ、とため息ついて、

「あのね。ぼくが話したいことは、そういうことじゃないんだよ」

 

一気にわたしは身構える。

 

「たしかに、共通試験も、その先の試験も、青島さんにはがんばってほしいと思ってる」

「はい……」

「でもそれだけじゃないんだ」

窓を、見ながら、

「桜の花が咲くまでに……なんとかしておかないといけないことがある」

そして、目線をわたしに移し――、

「悲しい思いや寂しい思いを、きみにさせてしまった。すまなかった」

 

謝られた。

ひとことで、わたしはぜんぶ、理解した。

先生が、彼が、どんなことを、謝っているのか。

 

11月24日以来のわだかまりが、清算されていく。

ギクシャクしなくなる代わりに、

わたしの胸が、ドキドキと高鳴る。

 

「――大事な入試前に、かえってマズかったかな」

「そんなこと、ないですっ」

「ほんとうかい?」

「ほんとうですよっ」

 

そして、ひとりでに、身を乗り出し、

先生!

「……青島さん?」

ちゃんと謝ってくれて、わたしうれしいし、

 それに……それと……わたし……。

 せ、

 先生の……、ことがっ、

 

……そこで、宙づりになる、わたしの、ことば。

 

「……、

 ごめんなさい、

 これ以上、先走れない」

 

震え声。

机に押し当てた両腕まで震えてくる。

 

胸のなかで、いろんな気持ちが、震動している。

 

こころのうねりが、耐えきれなくて。

 

これ以上、先走れないけど――やっぱりわたしは、先走る先を先走りたい

 

メチャクチャな日本語。

こころがおかしくなりそう!

だから、

わたしは叫んだ!

 

ずっと、ずっと好きだったの!!

 

 

 

 

 

 

――言ってしまったら、

ぜんぶが、楽になった。

 

 

荒木先生は、いま、わたしの清々(すがすが)しい気持ちとは、真反対だろう。

そんな先生を思いやって、

なにも言えない先生を思いやって、

あの日、11月24日に言えなかったことば、

「またあした。」

を、こんどは、ちゃんと言って、

音楽準備室を、わたしは引き払った。

 

 

 

× × ×

 

名残惜しい、音楽準備室の扉。

 

「またあした。」ともう一度、扉に向かって、声をかける。

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】修羅場を振り切って、部長を指名して

 

「ねえ、羽田さん……」

「なあに? 松若さん」

「えーっとね、

 きょうって……水曜日でいいんだよね

 

えっ。

どうしちゃったの……松若さん!?

 

「きょ、きょうはどっからどうみたって水曜日よ、OK? 松若さん」

「そうだよねー」

彼女は、恥ずかしそうに笑って、

「月曜日が、祝日だったでしょ? それで、曜日の感覚がつかめてないんだと思う」

 

「マツワカがそんなふうになっちゃうのも、わからないでもない」

たまきさんが、松若さんに共感を寄せる。

「わたしもね、きのうの夜、『もうすぐ月9ドラマの時間だよね』とか、一瞬思っちゃった」

 

よ、曜日って、間違えるものなのかな。

 

「――だからマツワカもあんまり気にしなくていいと思うよ」

「そう言ってくれるとありがたいよ、たまき」

 

たまきさんは「あんまり気にしなくていい」って言うけど、

わたしは少しばかりでなく心配だった。

松若さん――きょうが何曜日かわからなくなるぐらい、切羽詰まってる?

 

× × ×

 

文芸部である。

共通試験が間近に迫っているが、平常営業。

最高学年がここまで居残る部活は、わが校では文芸部が唯一だろう。

まあ――部活動の負担とか、あってないようなものだし。

わが文芸部は自由なのだ。

小説を書いてもよし。

ただ本を読んでるだけでもよし。

おしゃべりしてるだけでもよし。

受験勉強を持ち込んだって構わない。

入試が迫るにつれて、3年生のあいだで勉強サークル色が強まってきているのは――良し悪し。

入試の情報を交換しあっているわたしたち最上級生を、後輩がどんな目で見ているのかは――気になる。

 

「川又さん、迷惑してない?」

気になったから、かわいいかわいい後輩の川又さんに、思い切って訊いてみた。

「迷惑……? なにがですか」

「最近、受験勉強の話ばっかりじゃない? わたしたち3年」

川又さんはキョトンとして、

「気のせいでは」

「正直に言っていいのよ」

「じゃあ正直に言いますけど……センパイが考えすぎなんだと思います」

「うっそー」

「たしかに受験の話題は増えた気はしますが……羽田センパイ、赤本ばっかり解いてるとか、そういうわけじゃないでしょ」

「まーねぇ」

「むしろ、赤本じゃなくって、岩波文庫の赤を読んでる」

わたしの手元を見て、

「きょうだって――そんなに分厚い岩波の赤を」

「読んでるねー」

「――入試前なのに、余裕があって、尊敬します」

「あら、ありがとう」

「たまきセンパイだって、いつもどおり、マイペース読書だし」

「ほんとうね」

「松若センパイが……きょうは参考書とにらめっこしてないのは、意外ですけど」

「ほんとうだ」

 

松若さんと、川又さんの、眼が合った。

 

「す、すっ、すみませんっ、失礼なこと言っちゃいましたか!? わたし」

松若さんは首をかしげ、

「なぜ川又さんテンパるかな」

「いや…その…」

あたふたしている川又さんを優しく包み込むように、

「落ち着いてよ」

と、なだめる松若さん。

「心境の変化があってさ――『いまさらジタバタしても、しょうがないじゃん』って」

右手で頬杖(ほおづえ)をつきながら、

「だからあたし、勉強をし過ぎないようにしたの」

 

松若さんの手元には、なにも置かれていない。

 

「――ずいぶんドラスティックな心境の変化ね」

わたしは思わず言ってしまった。

「羽田さん、不安? あたしのことが」

松若さんは、動じず。

「不安よ……切羽詰まってるんじゃないかと思ってたら、急に気持ちを切り換えたようなことを言うんだもの」

 

川又さんがハラハラしているのを感じ取りながらも、

 

「そんなにいきなり――気持ちを切り換えられるものでもないでしょうに」

 

ピーン、と張り詰めた空気が形成されてくるのは……わたしのせい。

部長失格。

 

「松若さんのことが心配なのよ、わかってよ」

閉じた岩波文庫

悪寒にも似た、冷たい空気。

「……きょうが何曜日かもわからないっていうのは、余裕がないことの証拠じゃないのっ」

 

捨てゼリフ。

それとともに、乱暴に立ち上がって、

乱暴な足取りで、図書館の出口に向かう。

 

松若さんの顔を見られない、自分への怒りが、

わたしの足音を大きくさせる。

 

 

× × ×

 

 

なにも持たずに出てきてしまった。

空気を破壊した挙げ句、部長みずから逃亡。

最悪だ。

なにやってんだろ。

 

自分で自分に、平手打ち。

ほっぺたがアザになるのが怖くて、中途半端なビンタになる。

なにやってんのよっ。

わたし。

 

バカっ

 

ひとりでに大声が出た。

びっくりして、通りがかった子が足を止める。

下級生?

周りに、気を払っていなくて、

他人の存在に気づかなかった。

自分ビンタしてるところも、もしかしたら見られちゃったのかも。

だとしたら、恥ずかしすぎる。

 

下級生らしき子が、足早に去っていく。

 

 

これからどうしよう。

いまのわたし、半分が虚脱感でできてる。

あーーっ。

 

大きな樹(き)の幹が、眼の前にある。

右手を幹に押し当てて、眼を閉じる。

 

 

 

『……なにしてるの? 羽田さん』

 

声が聞こえてきた。

松若さん以外のだれでもない声だ。

 

「よく見つけられたね……」

弱気な声で言うわたし。

「すぐにあたし追いかけたよ。いろんな子に『羽田さんらしき女の子、目撃しなかった?』って訊いてまわって」

わたしは松若さんに振り向く。

そしたら、

「なんで……片方のほっぺたが、赤くなってるの?」

肩を落としつつわたしは、

「自分で自分をビンタしたからに決まってるでしょ」

「……責任感、感じすぎだよ、それは」

わたしに近づいて、

「あたしのこと、『心配してる』って言ってくれたけどさ、逆じゃん、ほんとうは」

「逆、って」

「あたしのほうが、羽田さんを、心配しちゃうってこと」

 

なにも、言えない。

 

「ホラ、さっさと戻っちゃおうよ。だれも気にしてないって」

 

謝りたかった。

謝りたかったけど……なかなか、口からことばが出てこずに。

 

うなだれて、松若さんの背中を追って歩く。

 

このままじゃダメだ。

このままじゃ、部活には復帰できない。

なにか、松若さんに言ってあげないと――わたしは、図書館の自分の席に戻って行けない。

 

『ごめんなさい』でもない。

『ありがとう』でもない。

 

もっと――かけるべきことばがある。

 

それは、

その最適解は。

 

 

「――がんばって

 

 

図書館の眼の前まで来て、ようやく、言えた。

 

 

がんばって、松若さん。

 わたしもがんばるから、がんばって

 

 

わたしに背中を向けたままで、松若さんは言う――、

「やっぱり、スゴい、羽田さんは。」

「どうして、どうしてスゴいって思うの」

「だって――本気で応援してくれてるんだって、わかるんだもん」

「気持ちが、伝わったのなら、うれしい…かな」

「伝わった。『愛』がこもってた」

「『愛』って。わたしの名前に、掛けてるのかな」

「するどい。さすがだ、羽田さん」

 

ようやく、気持ちの矢印が、上向きになってくる。

 

松若さんが、わたしのほうを、振り返る。

「ひとつだけ、約束してほしいことがあるんだ」

「なあに? いまなら、なんでも約束してあげるよ」

「そう。

 ――じゃあ、言うんだけど、

 自分で自分を、傷つけないで。」

「……、

 自虐的な考えに走らないで、ってことかしら」

「それもある」

「『それもある』ってことは……まだなにか、あるってことよね」

「そ。

 もう一点。

 物理的なこと…なんだけどさ」

「物理的って……もしや」

「その、『もしや』だよ。

 自分で自分をビンタするのは、あたしが許しません――ってこと」

「――ダメ? 自分ビンタ」

「ダメ!

 まだほっぺた腫(は)れてんじゃん、微妙に。

 羽田さんが、自分で自分の顔を痛めつけるなんて……あっちゃいけないよ」

「でも――自分の顔は、自己責任だし」

「そーゆーところっ」

「ど、どういうところよ…」

「なんでそーゆーとこだけ、ニブいのかなぁ」

「……?」

「あたしが男子だったら――とっくに惚れてるぐらい、羽田さんは美人なんだよ」

「……!!」

「というか――絶対に、一目惚れしちゃってるよ」

 

 

× × ×

 

「センパイ、わたしちょっと怒ってます」

川又さんがムッとしてる。

「……自分勝手に、その場を放り出して。中等部の子みたいなワガママぶりでしたね」

はい。

ワガママでした、わたし。

「部長としての自覚を持ってください――といっても、こんな時期に言ったってしょうがないですけど」

「わかったわかった」

「反省……ほんとにしてますか?」

「部長がこんなんじゃ、川又さんも安心して引き継げないよねえ

「……え??」

 

もう一度、言ってくれませんか…と、川又さんの表情が、言っている。

 

次期部長は、川又さん、あなただから。…これだけわたしに説教できるのなら、心配しなくったって、任せられるわね」

 

動揺する川又さんをよそに、

「あたしも太鼓判押すよ」と松若さんが賛同し、

「羽田さんの言うとおり」とたまきさんも同意を示してくれる。

 

「ま、正式な引き継ぎは、また今度」

「きゅ、急展開すぎませんか?」

「なにを言うの、川又さん」

「えぇ……」

「よろしくね」

「よろしくね、って」

ほーのーかちゃんっ♫

「ななななんで下の名前いきなり」

「だってわたしは『ほのかちゃん』がかわいいんだから」

「…『ほのか』ってあんまり呼ばないでください、『川又』でいいですっ!」

「そういう突っぱねかたが…いちばんかわいいのよっ♫」

「……羽田センパイの思考回路が摩訶不思議です」

 

 

 

【愛の◯◯】絶好調。短パンが適当だったこと以外は。

 

無難に授業を受けて、帰宅した。

 

夜。

例によって(?)、アツマくんの部屋をノックする。

 

「アツマくん」

「なに」

「勉強」

「――勉強が、どうかしたか?」

「わたしが勉強道具を抱えてるのがわかんないの?」

「アッほんとだ。受験勉強かー」

ほんとにもう……。

 

× × ×

 

「わざわざおれの部屋まで来て勉強すること、増えたよな」

「ひとりでやるより、あなたがいてくれたほうが、勉強がはかどるのよ」

「マジで」

「――そういうもの。」

 

午後8時。

 

「あなたもダラケてないで、本でも読んだら?」

「んー……。読書はちょっと、遠慮かな」

「どうして」

「ほら――きのう、本読んでたら、ヘンな思考回路に、なっちゃったし」

 

まだ、尾を引いてるのかしら。

きのうアツマくんが、こころの調子を崩した。

崩したきっかけが、難しい本が読み進められなくてストレスを感じたこと、らしい。

 

「読書アレルギーみたいになっちゃってる? ひょっとして」

「そうかもしれん……ま、じきによくなるさ」

「無理しなくたっていいのよ。病み上がりなんでしょ」

「愛は優しいな」

「たまには、ね」

 

「じゃ、おれはスマホで音楽でも聴いてる」

「いいと思うわ」

 

ワイヤレスイヤホンを耳に装着するアツマくん。

 

「いつの間にそんなイヤホン買ったの」

「うらやましいか?」

「ワイヤレスって高いんでしょ、お値段」

「まあそれなりに高かったな」

「そんなお金がどこに…」

「バイト代が余ってるんだよ」

「――アツマくんはガサツだから、もらったバイト代はすぐに全部使い果たしてると思ってた」

「ひ、ひでぇ」

「意外と堅実なのね」

「あすかのみならず、愛にも『ガサツ』と言われるとは……」

「あすかちゃんにも言われたかー」

「なんだそのイジワルそうな笑いは」

バカにすんな――と言わんばかりのアツマくん。

「はいはい」

「フンっ」

「――それだけ突っぱねられるってことは、元気が戻ってきたって証拠じゃないの」

「るせー。おまえは早く勉強しろ」

「はいはい♫」

「まったくおまえってやつは……」

 

× × ×

 

3教科で、受ける。

私立文系で、教科数が少ない分、試験問題の密度は高くなる。

つまり、3教科とも、みっちり勉強しておかなきゃいけないってこと。

3教科、どれも、極められれば――受かる。

 

国語と英語と、それと世界史だ。

 

世界史を勉強していると、『この知識は大学の勉強で役に立ちそうだな』と思うことが、しばしば。

おもしろい。

ちなみにこのブログの管理人さんの得意教科は世界史だったらしい。

『山川の詳説世界史Bをボロボロになるまで読んだ』とか、豪語していた。

『大学に入ったら、全部忘れた』と付け加えていたけど。

『たぶん、高校時代は、世界史に関しては、キミより得意だったと思うよ』という自慢を聞かされたこともある。

なんの根拠があってですか? と問いただしたら、

『そりゃ、ボクが管理人だからだよ』っていうどうしようもない答えが返ってきた。

過去の栄光に……すがりつかないでくださいね。

 

 

「はぁ、脱線しちゃった」

「え、なんだなんだ、愛」

「ごめん。メタフィジックな話よ」

「またかよ」

「いつもじゃないでしょ」

「メタな話も、伝統芸になってきてんな」

「そうね……」とわたしは苦笑いして、

「ちょっとわたし休憩する」

 

「なあ、肩がこらないか?」

「わたしはそんなに。からだ、鍛えてるから」

「関係あるかなあ、体力と」

「アツマくんだって、そんなに、こらないんでしょ?」

「そういえば肩や背中がガチガチになるのは、あんまりないなあ」

「疲れ知らずってことよ」

「おまえもな」

「……わたしに、肩叩き、したかった?」

わざと、彼をゆさぶってみる。

「そんなこと思ってねえよ……」

「じゃあなんで『肩、こってないか』なんて訊いたのよ」

「気くばりってやつだ」

気くばりだけ~~?

「絶好調だな……おまえ」

 

勉強机の椅子に座って、

「世界史の勉強がおもしろかったから、いまのわたしは絶好調よ」

「……それは結構なことだが、なぜにわざわざ、おれに対して上から目線になるような位置に移動したか」

「――『絶好調!』といえば、中畑よね」

おれの質問スルーすんなよ!!

「そして中畑といえば駒沢大学

「それがどうしたそれが」

「ねえ、アツマくんの大学って――駒沢大学より、偏差値高い?」

うるせぇよ

「なんで答えないの、知らないの」

「知らないもなにも、『このブログはフィクションです』ってやつだ」

「で、出た~」

「なにが出たんだっ、なにが」

 

失敗した……と思っていそうな顔になるアツマくん。

 

そのアツマくんが、絶好調モードのわたしを下から目線で見上げて、じっくりと眼を留(と)めていたかと思うと――いきなり、

「――なんかフニャフニャした格好だな、おまえ」

は!?

「いや、服の着かたが、ゆるいというか――」

「どこが!? どこらへんが!?」

「――短パン」

 

痛いところを突かれてしまった……!?

 

「短パンが、いかにも適当に選んで穿(は)きました、って感じだ」

「どうしてそんなにカンがいいの……」

「おいおい、絶好調じゃなかったのかよ」

 

思わず眼をそらし、時計を見たら、午後9時だった。

――今季の火曜9時のドラマ、なんだっけ。

どうせ観ないんだけど、ほんの少しだけ気になる――、

じゃなくって!!

 

「アツマくん、クイズ」

「え」

「問題。わたしがこの短パンを穿(は)こうと思うまでに何分時間を要したでしょう」

 

真剣になって答えを考える、彼。

真剣になるほどのことでも……あるのかどうかは、不明。

 

「……3分」

「大不正解……」

「やっぱりかー」

真剣なようで、適当だったのね……。

「でもよ、3分でできることって、意外と多いぜ?」

「…ぐ、具体例」

ウルトラマンが怪獣を倒せる」

「……」

カップヌードルが出来上がる」

「……」

「キューピー3分クッキング」

「……話がどんどんズレていってない?」

「だな、ファッション関係ないな」

「軌道修正してよっ!」

「じゃあおれに3分間だけ時間くれ」

「……その『3分』に対する並々ならぬこだわりはなんなの」

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】1年に一度のSOS

 

「成人の日だね、お兄ちゃん」

「ああそうだな、あすか」

「お兄ちゃんも、もうちょっとしたらハタチかー」

「感慨深げだな」

「べつに?」

 

コンニャロッ。

 

「お兄ちゃんには、ふだんからもっとオトナでいてほしいなー」

「……具体的には?」

「いろいろガサツじゃん」

「ちっとも具体的じゃないぞ」

「じゃあ具体例言ってあげる」

 

そうか、言ってくれるか、具体例。

おれはうれしくないけどな。

 

「今朝、洗面所の水、出しっぱなしだったでしょ」

「え、そうだった?」

「気づかなかったの!?」

「気づかなかったから……出しっぱなしにしてたんだろ」

「言い訳になってないよ、お兄ちゃん。そーゆーところがガサツなんだよ」

「……水に流してくれよ、水だけに」

「寒いこと言わないでよっ、日本全国のみなさんがどんだけ寒波(かんぱ)に苦しんでると思ってるの!?」

「おれのギャグで――沖縄にも雪が降る、ってか」

「そういうひたすら寒いことしか言えないのも改善してよね」

 

× × ×

 

「いろいろ自覚してほしいな、できればハタチになるまでに」と言って妹は去っていった。

おれの妹は24時間容赦ない。

自覚――か。

とりあえず、洗面所で水を出すときは、気をつけよう。

 

 

部屋に戻った。

なにもやることが思い浮かばない。

ベッドに寝っ転がって、やることを考える。

でも、思いつかない。

なにか、やるべきことはあるだろうに。

 

読書をすることにした。

はじめは机に向かって読んでいた。

集中力が続かず、ふたたびベッドに舞い戻り、仰向けで読もうとした。

分厚いうえに難しい本で、なかなか読み進められない。

文章の意味がわからないと、自分の読解力のなさを呪ってしまう。

理解できないのは、おれのせいだ……そう思い始め、次第に読書がストレスになっていく。

 

 

× × ×

 

ふとした瞬間に、過去が現実になって、おれの意識を襲ってくることがある。

イヤな思い出ほど、脳に定着する――だれだって、そうだけど。

イライラした弾(はず)みで、イヤな思い出が剥(む)き出しになったりする。

ひとたび、過去がぶり返してくると、腫(は)れ物が炎症を起こすみたいに、マイナスの感情が全身に行き渡っていく。

 

――いじめられっ子だったもんな、おれ。

 

主に、中学時代の、苦い思い出。

 

復讐しても、消えない傷(いた)み。

 

おれは――中学時代のいじめっ子の同級生を、最終的に半殺しにしたことがある。

 

物騒だけど、これは事実だ。

 

半殺しが不適当ならば、再起不能、と言い換えてもいい。

 

いじめっ子に逆襲したら、その復讐で、夢の中に化けて出てきましたよ……というお話。

 

復讐の連鎖、ってやつだ。

 

あのいじめっ子は、いまどうやって生きてるんだろう。

 

 

 

 

……いつの間にか、こんなヤバい思いに、感情が支配されてしまっていた。

 

もう読書どころではなかった。

 

負の感情が全身を包み、ベッドから起き上がるのさえ億劫(おっくう)になる。

次から次へと悪い考えが浮かんでくる。

せき止めようと思ってもドバドバ溢(あふ)れて止まらない。

 

いじめられた過去だけではなく、もっとつらくて悲しい過去がやってきて、あたまのなかでグルグル回り始める。

 

おかしい。

発作みたいだ。

1年に一度……がきょうだったのか。

 

だれか助けてくれ。

 

限界だ。

 

苦しさが、頂点に達しようとしていた瞬間――、

部屋をノックする音が聞こえた。

 

苦しかったから、だれがドアを叩いているのか、わからなかった。

苦しかったけど、おれは死力(しりょく)を振り絞って、ドアにたどり着いた。

 

……愛だった。

ドアを開くと、愛がすぐそばに、立っている。

 

「わたしアツマくんの部屋で勉強しようと思ったんだけど――」

なにも知らない愛のことばが、精神(こころ)に沁(し)み入(い)ってくる。

「――どうしたの? 泣きそうな顔で」

「愛」

助けてくれ、なんて言わない。

おれがいま、言うのは、

おまえがいてくれて……うれしいよ

 

愛は呑(の)み込みが早い。

だから、すぐに、覚(さと)った顔になってくれる。

「なにかあったのね」

「あった。ダメになりそうになった、おれ。死ぬかと思った」

「大げさな」

「本を読んでたら……イライラがやってきて……イライラついでに、よくなかったことをどんどん思い出して、過去のイヤな記憶で頭がいっぱいになって、完全におかしくなってた……発作みたいだった」

「1年に一度くらい、そうなっちゃうことあるよね、アツマくんって」

よくわかってんじゃねぇか。

ほんとうに……おれのことを、よく知ってくれている。

「ああ。その1年に一度が、よりにもよって成人の日だったみたいだ」

「――わたしが来たからには、もうだいじょうぶよ」

そのことばで、涙が出るほど安心する。

「いろいろあるんだよね、アツマくんにも。ふだんはわたしたちのほうが助けられてるんだけど、こうやってSOS出したくなることが、あなたにだってある」

「情けねぇ」

「そんなこと言わないの」

「めんどくさくて、ごめんな……」

「お互いさまでしょ? ふだんわたしのこと『性格ブス』って言ってるのは、どこのだれよ」

「おまえは……性格ブスでもなんでもねぇよ」

そう言うと、

「アツマくんが、アツマくんじゃないみたい」

「爆笑しながら言うんじゃない」

「だって。」

「ったく…」

「――少し元気になったみたいね」

とびきりの美人の、優しい笑顔。

凍(こご)えそうだった精神(こころ)に、温度が戻ってくる。

 

× × ×

 

「わたしが『洗面所の水出しっぱなし』とか言ったのが、いけなかったのかな」

リビングのソファ。

右隣に座るあすかが、反省気味に言う。

「おまえはなんにも悪くない」

「でもお兄ちゃん鬱じゃん。お兄ちゃんが鬱なんて大事件だから、わたしも責任を感じて――」

「もう元気になった。思い詰めるな、あすか」

「立ち直り、はやっ」

妹は若干呆れながらも、

「お兄ちゃんらしいけどさ」

と付け加える。

 

左隣には、愛がいる。

「わたしとあすかちゃんで、両側からアツマくんをあっためてあげよう、っていう作戦だったんだけど」

いったいどういう作戦かっ。

「――もうだいじょうぶみたいね」

そう言いながらも、おれの左手を、右手で愛はずっと握ってくれていた。

あったかい。

「……幸せものだな、おれは」

「そうよ、感謝してよね」

リア充だよお兄ちゃんは。両サイドから女子高生にサンドイッチされてるんだよ!?」

「サンドイッチってなんだ、サンドイッチって」

 

いつも――ふたりには、振り回されている。

愛に振り回され、あすかに振り回され。

 

でも、そんなふたりが――、

こういうときは、いつにもなく、ありがたい。

 

 

 

 

【愛の◯◯】パジャマ脱ぎ散らかして、間に合わせのワンピース、すっぽり被(かぶ)って……。

 

いちおう起きたけれど、まだ早朝。

もう少し寝ていても、いいわよね……。

それにしても、お布団、あったかくて、気持ちいい。

 

 

× × ×

 

 

……部屋のドアを強打する音で目が覚めた。

『お嬢さま、お嬢さま』と、しきりに蜜柑がわたしを呼んでいる。

寝ぼけまなこでドアに近づくわたし。

眼をこすりながら、

「どうしたのよ、大雪でも降ってるの?」

『なにを言いますか、お嬢さま』

「だって、あなたそんなに慌てて――」

『慌てもしますよっ!』

怒るように蜜柑は言う。

「どうして?」

そう言ってドアノブに手をかけた瞬間、

ハルくんがもう来てます

 

――びっくりして、即座に手を引っ込めた。

 

えっ……、

もう、そんな時間!?

 

『……いま何時だと思ってるんですか、アカ子さん』

置き時計で時間を確認する。

ようやく、事(こと)の重大さに気づく。

 

寝坊しちゃったんだ……わたし。日曜の朝だからって、油断してた。掛け布団にくるまるのが、あんまり気持ちよかったから。

 

「ハルくんはどこにいるの」

『1階の客間で待機です』

 

パジャマのままで出ていくわけにもいかないし……いろいろと、このままではまずいので、

「もう少し時間がかかるって、彼に伝えておいて」

 

× × ×

 

急(せ)いては事を仕損じる、とは言うけれど、

それなりに、急がなければいけない。

いろいろ、ちゃんとしないと。

ふだんより速く、身だしなみを整え、部屋をセッティングする。

 

また部屋をノックした蜜柑が、

『スタンバイ、できました?』

今度はドアを開けて、

「いちおう、ね」

「アカ子さんが朝ごはんを抜くなんて、久しぶりですねえ」

「ごめんね、蜜柑。朝ごはんせっかく作ってもらったのに。それから、寝坊したのも、ごめんなさい」

「寝坊したのはハルくんに謝らないと」

「そうね……でも、蜜柑にも迷惑かけたから」

蜜柑のありがたみを感じるのは、こういうとき。

「――怒ってる?」

「なにをおっしゃいますか、怒ってるわけありません」

「あしたから、もっときちんとするから」

「はいはいはい」

わたしの頭にポン、と手を置いて、

「アカ子さんは……よくやってると思いますよ。むしろ、楽しいですわたし。こうやってアカ子さんがてんてこ舞いになるのを見るのが」

「楽しいの」

「だって、めったに見れないじゃないですか、ドジっ子なアカ子さんは」

「ドジっ子言わないでよ」

「いいえ言います」

「言わない!」

「言います!」

「だめ!!」

「だめじゃないです!!」

「だめといったらだめ!!」

「だめじゃないといったらだめじゃないですっ!!」

 

 

× × ×

 

「ごめんなさい、ハルくん、いろいろと……」

「しょげないでよ、アカ子」

「……蜜柑と茶番劇を繰り広げて、さらにあなたを待たせてしまった」

「言い合いの声が、客間まで聞こえてきたよ」

「恥ずかしいわ」

「や、面白かったから、べつにいいんだよ」

「わたしと蜜柑のやり取り……そんなに面白いかしら……?」

「うん」

「いっしょに住んでるから……ウンザリすることも、多々あるのよ」

「きみは蜜柑さんにもっと素直になるべきじゃないかな」

「素直になるって……なに?」

「蜜柑さん相手だと、なぜかツンツンしてるよね」

「すっ、素直に向き合ってるってことよっ」

ハルくんは軽く笑って、

「あるいは、そうかもしれないね」

 

おしゃべりしてる場合じゃない。

お勉強、始めないと。

まずは、漢字と英単語の小テストを解かせる。

そしたら、きょうはずいぶん出来がよかったから、驚き。

わたしが怒り狂うほど、先週は悲惨だったのに。

もちろん、持ち直してもらわないと、困るんだけれど、

ハルくん――今回は、ちゃんと復習してきてる。

 

「――復習、がんばったのね」

「ほめてくれるの?」

「努力の成果が――出てる」

ほめたいのは山々(やまやま)だけれど、

いったい、どうほめればいいのかしら。

「ごめんねハルくん――ほめたいけれど、ほめることばが見つからないわ」

ハルくんはおかしそうに笑って、

「いいんだよ、無理にほめことばを探そうとしなくたって。

 おれは――合格したとき、きみが『おめでとう』って言ってくれたら、それでじゅうぶんだよ」

「『おめでとう』は、お祝いのことばでしょう」

「似たようなもんだよ」

「ほめことばと?」

「そう。」

「雑(ざつ)ね」

「え」

 

ほめるのと、お祝いするのを一緒くたにするなんて、雑にもほどがあるけれど。

ハルくんが無事に受かって、彼に『おめでとう』を言えるように、わたしもがんばって教えなくっちゃ……と思った。

 

× × ×

 

サッカーで鍛えただけあって、集中力が途切れないのは、さすがだと思う。

休憩を挟まず、ぶっ通しで教えていたら、もう正午近く。

 

「――時間が経つのが早いわね」

「おれもだよ」

「疲れない?」

「ぜんぜん」

「疲れなんて知らないぐらい、勉強に没頭してたのね」

「きみだって、夢中になって教えてたじゃないか」

「ようやく、あなたが本気になってくれたからだと思うわ」

「そりゃあね。入試近いし」

「これまでは、『マジメに勉強する気があるのかしら?』って思うことが多かったけれど」

「けっこう、きみを怒らせてしまっていたよね」

「毎週毎週、あなたに怒っていた気がする」

「これからも、叱ってくれよ、だめなときは」

「…わたしだって、叱ってほしい」

「…きみを?」

「たまにはわたしを叱ってほしい。至らないことが、必ずあるだろうから。たとえば、今朝みたいに、寝坊したときとか……。もっとわたしに厳しくしてくれてもいい」

「厳しく、かあ。

 ――きっとアカ子は、他人にも自分にも厳しいんだね」

「他人(ひと)に優しくないわけじゃないわ。

 ……言われてみれば、自分には、厳しいのかもしれないけれど」

 

自分に厳しく、他人に優しいのなら、最高。

――なかなか、そう上手くはいかないのが、人間という生き物だけれど。

 

「ちょっと、自分に厳しくしてみようかしら」

「ん?」

「ハルくん、わたしを見て」

「見てるよ?」

「もっとしっかり見て」

「しっかりって、どういうふうに」

「3分間。3分間、わたしを観察して」

「観察!?」

「観察…というより、点検、っていったほうがいいのかしら。

 きょうわたし、寝坊しちゃったでしょう? 急いで身支度したから、どこかヘンになっていないかしら…と思って。鏡もろくに見てないし。寝グセだって、言われないと気づかないと思うから」

「蜜柑さんには、なにも言われなかったの?」

「蜜柑はイジワルだから、気づいても言わないのよ」

「そんなもんかなぁ」

「とにかく!! 3分間だけ、わたしの身だしなみをチェックしてっ」

 

 

そして、

3分間きっちりと計(はか)って、ハルくんにわたしの身なりを点検させた。

 

「どう……? 寝グセが立っていたりしたら、遠慮なく言って」

「寝グセは、なかった」

「……信じるわよ」

「にしても、きみの黒髪ストレートはきれいだなぁ」

すぐ関係ないこと言うんだから!!

「おこられちゃった」

「……次。服装」

「ん~」

「なにか……気になった?」

 

気になるような眼、だったから、

不安になって、彼の返事を待った。

 

「――いつもより、適当かな」

 

言われちゃった……。

 

「……間に合わせだったの。寝坊の影響」

「ま、しかたないよ」

 

彼はそう言うけれど、悔しがる気持ちは抑えられない。

あと15分早く起きていれば、服装が間に合わせにはなっていなかったはず。

だから、自分を悔やむ。

 

「……わたしいま後悔してる」

「そんなに悔やまなくたって。

 たしかに、『パジャマを脱ぎ散らかして、手っ取り早く着られるもの探して、すっぽり被(かぶ)るだけのワンピースを選びました』っていう言い訳がぴったりの服装だけど」

「……」

「お~いアカ子?」

「……わたしの着替えを説明してくれてありがとう」

「図星か~!」

「ほとんどあなたの言ったとおりよ……でも、」

「でも?」

「あなたの想像力が……若干気持ち悪かった」

「えっ」

「男の子って……そういうこと、想像するものなの?」

「ん~~、どうだろう」

するのよね、ハルくんだってするんだから

「――無神経かな、おれ?」

「ハルくんも蜜柑と同等にスケベだったのね」

「そ、そんなに、『すっぽり被るだけのワンピース』とか言ったのが、無神経だったのか」

「無神経というか、とにかくスケベ

「……いやらしかったのなら、ごめんなさい」

 

その想像力を……現代文の小説問題の読解で発揮させてよ。

 

男の子の想像力って、あらぬ方向に行きがちなのね。

よくわかったわ。

ほんとうによくわかったわ。

わかりすぎるくらいわかったから……今回は許してあげる。

 

 

 

【愛の◯◯】まぶしい彼氏のホメ倒しかた

 

椛島先生の都合がついてよかったな」

竹通(たけみち)くんは、そう言うけど、

「――ダメだったの? どっちかの家で勉強する、じゃ」

なにも、土曜にわざわざ制服着て、登校しなくても……とわたしは思った。

でも、こうして、土曜にもかかわらず制服姿で、学校に来て、椛島先生を竹通くんと待っているのである。

けっきょくは、彼の意見に、折れたのだ。

「きょうは、あなたの言うとおりにしたけど――べつに、わたしの家に来たっていいのよ。こころの準備はできてるし」

「こころの準備って」

大げさだろ、と言わんばかりの、彼の顔。

「むしろ、あなたのほうが、女の子の部屋に入るのをためらっちゃうかしら」

「桜子の……部屋?」

「どうなの」

「いきなり、桜子の部屋に、お邪魔……するのか」

「遠慮なしよ、竹通くん」

「だって――」

彼が言いかかるのを遮(さえぎ)るように、

「わたしたち、いつまでも子どもじゃないのよ、わかるでしょ。わかってよ」

「――それ、どういう意味」

……ニブっ

「――なんか言ったか?」

「言ってない」

 

やれやれ、といった口調になって、

椛島先生、来たみたいだぞ」

と竹通くんは言う。

彼と同じ方角を向くと、遠くから椛島先生がやって来るのが確かに見える。

 

× × ×

 

「土曜出勤、ご苦労さまです」

「いいのよ一宮(いちみや)さん、やらないといけない仕事もあったし。ほかの部活も、けっこう練習に来てるでしょ」

積まれた仕事に、部活動の指導……。

「教師って、たいへんなんですね」

ねぎらうつもりでわたしは言ったのだが、

「いまさらかよ? 桜子」

竹通くんに、横槍を入れられる。

「竹通くんはわかったような口をきくのね」

「バカにすんな」

「してないっ」

「してるっ!」

「してないっ!!」

 

「――仲良しね、ふたりとも」

 

えっ。

そんな。

 

「口喧嘩(くちげんか)が――仲良しなんですか」

焦り気味に、わたしは先生に問いかけるけれど、

「仲良しじゃなきゃ、口喧嘩できないと思う」

ぐうの音(ね)も出ない意見が、返ってきた。

「仲良しの根拠はまだあるよ。たとえば、一宮さん、岡崎くんを『名前』で呼ぶようになったでしょ?」

 

とたんに上昇するわたしの体温。

 

「――どうして名前呼びになったのかな、って、わたしは思っちゃうな」

だいぶ婉曲(えんきょく)的な言いかたで、先生は関係の変化を探ってくる。

これが、オトナの……余裕。

 

わたしたち3人は、いつもの活動教室の扉に近づいていた。

「わたし、職員室で仕事してるから」

カギをあけながら先生が言う。

「顧問がいないほうが――はかどるでしょ?」

はかどるって、なにがですか、先生。

「あなたたちふたりは、なんだかんだで、マジメだから」

マジメだから、なんなんですか、先生。

「信頼してるってこと」

そう言ったかと思うと、

「信頼してるから……安心して、あなたたちを送り出していける。次の進路に行っても、きっとうまくやっていける」

まさに……教師目線の、語り口。

椛島って先生がいたことも、ときどきは思い出してね」

先生は、言い添える。

 

「あの、先生――」

「なーに? 一宮さん」

「ありがとうございます。それと、ありがとうございました」

感謝に感謝を、重ねて。

「どういたしまして」

先生は、微笑む。

 

× × ×

 

ふたりともお幸せに――と言いたそうな、若干イジワルめいた表情を見せながら、椛島先生は活動教室から離れていった。

 

椛島先生ペースだったな」

「そうね……わたしたちのこと、覚(さと)ってるみたいだった」

「ま、とにかく勉強だ」

「そうね」

竹通くんの言うとおり。

 

× × ×

 

だいぶ勉強したな、と思ってきたとき。

「――休憩がてら、おれの話につきあってくれないか」

「つきあうわよ。つきあってるんだから」

「……そうですか。

 じゃあ、話すけど。

 夏休みの終わり頃に、夏祭りに行った。

 あすかさんに、誘われたんだ」

「わたしも誘われたけど、受験勉強を理由にして、断っちゃったのよね」

「そうだ、桜子は、いなかった。

 それで――おれ、じつは、あすかさんとふたりで、屋台をまわったりしたんだけど――」

「初耳」

「――ほんとは秘密なんだ。でも、この際言ってしまったほうが、むしろ誠実だろうと思って」

「わたしに対しても、あすかちゃんに対しても」

「そういうことだ」

「話って、それ?」

「いや、違う。

 話したいのは、べつのことで。

 べつのことといっても、夏祭りのときのことであるには変わりないんだが。

 大所帯だったんだよ。

 あすかさんやアツマさんの知り合いだけじゃなくって、いろんな方面から、人が来て。

 ――桜子は、羽田愛さんと会ったことはあるか?」

「ないわね。この学校に来たことがあったみたいだけど、そのとき話したりはしてない」

「そうだよな…。

 まあ、羽田愛さんは、あすかさんとアツマさんの自宅に住み込んでるわけだが」

「なおかつ、アツマさんと恋人同士」

「おれの話を先取りしてくれるな」

「いいじゃないの。――とうぜん、愛さんも夏祭りにいたんでしょう」

「浴衣が、よく似合ってた」

「……そんな眼で、愛さんを見てたの?」

「違う、誤解してくれるなっ」

「……それで」

「――まあ、愛さんは、アツマさんのとなりに、立っていたわけだが」

「自然の成り行きよね」

「――まぶしく見えた」

「ふたりが?」

「ふたりが。

 両想いって、いいな……って、素直にそのときおれは思った。

 もとから、おれはアツマさんに憧れてたんだけど。

 愛さんがとなりにいると、アツマさんがもっとまぶしく見えて。

 もちろん、愛さんの浴衣姿も……キラキラしてて、まぶしかったんだ」

「やけに愛さんの浴衣姿を強調するのね」

「仕方ないだろ。おれと同い年でこんな女の子がいるなんて信じられなかったんだから」

「妬(や)くわ」

「そう言うと思った……おれが好きなのはおまえだけどな」

「……サラリと恥ずかしくなるようなことをブチ込んでこないでよ」

「おれはおまえが好きだから、妬(や)かなくたっていい」

「……話の続きをどうぞ」

「――愛さんがキラキラしてる理由も、あるんだろうなと思って。理由ってのは、やっぱ、アツマさんの存在だよな、って」

「で?」

「ここからが本題なんだが」

「まだ前置きだったの。あきれた」

「本題というか、いちばん言いたいこと。

 おれたちふたりも――あんなふうになれたらいいなあ、と、思うんだ」

「愛さんとアツマさんみたいに? 理想が高くない?」

「理想が高くて悪いか?」

 

みょうに、「理想が高くて悪いか?」と言ったときの竹通くんの顔には、説得力があった。

 

思わず、竹通くんの顔を見つめてしまう。

 

「ほら、夏目漱石だって言ってんだろ、『向上心のないやつはバカだ』って」

「それは漱石が書いた『こころ』の登場人物が言ったことばだと思うんだけど」

「細(こま)けぇよ」

「こういうところで細かくないと、理想には近づけないわ……愛さんだって、細かいところに気を配ってるはず」

「悪かったな、現代文の授業の、付け焼き刃な知識で」

「ほんとうに付け焼き刃ね。向上心もなにもない」

「ないわけではない」

「いいえ。あなたの向上心は、まだまだよ。

 でも……」

「んっ?」

あなた……いい顔をしてる

「……なんで、顔の話になるのかな」

 

本心だから。

話題を無理やり変えたみたいだけど、彼をバカにするよりも、彼のいいところを、これからたくさん見つけていきたいから。

いいとこ探し。

これまでわたしは彼に、厳しく接しすぎた――そんな自己反省がある。

接しかたを変えたい。

だから、手始めに、彼の顔を、ホメてみる。

 

いまの竹通くん、アツマさんより、いい顔してる

「なんの根拠があるってんだ……」

「根拠なんて、あるわけないでしょ」

「おいっ」

根拠で好きになんか……ならないよ

「…桜子?」

「好きだから……あなたをどんどんホメ倒してあげる」

 

いいでしょ?

直感で、好きになっても。

直感で、あなたをホメ倒しても。

 

竹通くん……。

あなたこそ、とってもまぶしいよ。

 

 

 

 

【愛の◯◯】手作りおにぎりの告白

 

昼休みに入った途端、恵那(えな)からLINEが来た。

 

『お昼』

 

いや…、『お昼』だけじゃ、なんにもわかんねえよ。

 

『お昼ってなんだ

 もしかして、昼飯のことか』

『弁当』

 

…『お昼』に『弁当』。

2文字しか送ってくれないから、恵那の意図を理解するのに、ものすご~く苦労する。

骨を折る。

文字通り、骨折してしまうんじゃないかと不安になるぐらい、骨を折る。

これ以上、ケガするのは、ごめんだぞ……恵那。

 

× × ×

 

『お昼』に『弁当』を作った。

だから、いっしょに食べよう。

 

――やり取りの末、恵那の伝えたいことがようやくハッキリした。

 

で、そっと教室を抜け出し、忍び足で、約束の場所へとやって来たのだった。

 

たぶん、ここなら人目につかないだろう。

たぶん。

 

「そんなキョロキョロしないで」

恵那は容赦なく怒ってくる。

「わかったよ…」

「ほんとにわかったわけ!?」

なんでそんなに容赦ないの。

「見られたってどうでもいいでしょ。どうせあと少ししたら卒業しちゃうんだし」

「たしかに…」

立ったまま向かい合っている、おれと恵那。

袋に包まれた弁当箱を、恵那が渡してくる。

「サンキュ」と、感謝のことばを言いながら受け取る。

すると、これまでになかったような、幸せそうな笑顔を、恵那が見せてきた。

なんとも言えないぐらい……優しさにあふれている、笑顔。

恵那が笑っているのを見ること自体が少なかった。

こんな笑い顔を……作れるなんて、思ってもみなかった。

 

作ってもらった弁当は食べなきゃいけないので、とりあえず、そこらへんに腰を下ろす。

ほとんど同時に、恵那がとなりに腰かけてくる。

自分が食べるぶんの弁当を出して、スカートの上に置く。

丈(たけ)が短い……とか思ってる場合ではもちろんなく、袋をほどいて弁当箱のフタを開ける。

そして、女の子に弁当を作ってもらったのは生まれて初めてだよなあ……と感慨にふけりつつ、恵那が作ってくれたオカズを味わう。

 

「……おにぎりは最後に取っておくんだ」

興味深そうに、手元を観察してくる恵那。

つーか、もうおまえ弁当食ったのかよ。

食うのが早(は)えーよ。

――それはいいとして、

「このおにぎりも、おまえの手作りなんだよな」

「なんでそこ疑うわけ、失礼なっ」

「いや、ちょっち語弊(ごへい)があったな」

「はぁ?」

「おれが言いたかったのは……、自分でおにぎりをにぎるぐらい、おまえはがんばったんだなー、って」

「自分でおにぎりにぎるに決まってんでしょ、手作り弁当なんだから」

「ことばが、まだ足りなかった……ふたり分の弁当を作るんだから、おまえはがんばりすぎるぐらい、がんばったんだよなあ。何時間もかかったはずだ。早起きだったんだろ? 朝は寒いのに。――どんだけ感謝しても、しすぎることはない」

 

おもむろに、おにぎりを口に運び、もぐもぐと食べ始める。

 

ひとつ目は、梅干し。

ふたつ目は、明太子――おいおい、凝(こ)ってんな、具。

 

「宏(こう)、お茶……」

差し出すコップを受け取り、飲む。

水筒もふたり分持ってきたのかよ。

……重かっただろうに。

それはいいとして、お茶が、温かい。

 

唐突に、

……告白……しても、いいかな?

と、恵那が切り出した。

120パーセント不意打ち。

タイミングが悪ければ、飲んでるお茶にむせるところだった。

 

「あのー、恵那さん? 告白は、もう済んだと思うんですが、お互い」

「わかってないなー」

「なにを」

「そういう告白とは違うから」

「じゃあどういう告白だよ…」

「告白というより……白状。」

「へっ?」

しどろもどろに彼女は、

おにぎり……おにぎり、わたしだけで作ったんじゃなくて……つまりどういうことかというと……、つ、つまりね、たしかに、わたしはおにぎりにぎったんだけど……にぎったのは、事実として、おにぎりの中身選んだのがわたしなのも、事実として――ん~っと、え~っと、

「おちつけ」

「ん……」

――お母さんに、おにぎりのにぎりかたを、教わったんだな

どうしてわかるの……

 

 

 

かわいいなあ。

かわいいったら、ありゃしない。

恵那の、もうひとつの素顔――、

いまのところ、おれだけが、知っている。