【愛の◯◯】珍しく妹思いな彼氏に◯◯

 

朝食のほとぼりもさめたあとのダイニングテーブルにて『青春(せいしゅん)スポーツ』を熟読している。愛すべき妹分のあすかちゃんが記者として勤めているのだから、紙面に隅々まで眼を通さないワケが無い。

競馬面。あすかちゃんのコラムが掲載されている。入社1年目にして執筆者に抜擢されたあすかちゃんのコラムが占める規模は小さくない。新人記者が担当するコラムとしては異例の長文は読み応えタップリだ。

つい先日、メイショウタバルが宝塚記念を連覇した。メイショウタバルのお父さんはゴールドシップ。今日のコラムにおいてあすかちゃんは、ゴールドシップの牝系(ひんけい)をピックアップしている。

ゴールドシップの牝系は実は由緒正しき牝系で、8代母の「星旗」は1931年に官営の下総御料牧場(しもうさごりょうぼくじょう)がアメリカから輸入した繁殖牝馬であるという。

「星旗」が産んだ「月城」、「月城」が産んだ「梅城」、「梅城」が産んだ「風玲」……と、ゴールドシップの血統表の8代母から5代母の欄には漢字2文字の馬名が記されている。カタカナや西洋語だけじゃなくて漢字も血統表に記載されてるなんて面白いわね。

ゴールドシップは気性が激しくてとてもヤンチャなイメージがあるけど、実は由緒正しき家系であるというワケで、いわゆる「ギャップ萌え」みたいなモノを感じてしまう……と、あすかちゃんはコラムの後半部分で述べている。

 

× × ×

 

土曜朝のテレビ番組を見ながら筋力トレーニングしていたアツマくんがダイニングテーブルに接近してきた。

スポーツドリンクのペットボトルを右手に持ったアツマくんがわたしの向かい側に着席する。

わたしは、すぐさま、

「あすかちゃんのコラム、読んであげなさいよ。今日のはスゴい力作(りきさく)なのよ?」

と言いながら、あすかちゃんのお兄さんたるアツマくんに『青春スポーツ』を差し出す。

受け取るアツマくんに、

「たぶん、あすかちゃんは今日のコラムを書くために相当勉強したんだと思うわ。もしかしたら、西新橋の『Gate J.』って施設まで出向いて資料を漁ったりしてたのかもしれない」

と言い、

「あなたには真似できない勉強熱心よねぇ☆」

と、イジワルに笑いながら言い放ってあげる。

言い放たれた「お兄さん」は一旦は紙面に眼を凝らすものの、短時間で視線を上げてしまう。

「ちょっとちょっとー。もっとちゃんと読んであげなさいよー、あなたの実の妹が書いてるコラムなのよ?」

「……あとで、ジックリと読んでやるから」

「長文読むのが面倒くさいってワケじゃーないわよねー」

「違うから。あいつが相当頑張って書いた文章なのなら、時間をとってジックリ読んでやらんといけんと思うし」

「あなたってそこまで妹思いだったの!?」

「やめーや、いきなり大声出すのは」

「だって、ビックリしちゃったんだもの」

「おれの発言のどこに驚く要素があったというのか」

例によって疑問に取り合わないわたしは、

「読んだあとで、あすかちゃんに感想を送ってあげたら? LINEとかでいいから」

「感想、ですか」

「そーよ。あすかちゃん、きっと喜ぶわよ」

「それなら」

わたしに向かって視線をまっすぐ伸ばしてくるアツマくんは、

「できれば、自分の妹の上手なホメ方を、おまえに教えてもらいたいんだけど」

あらぁー。

ずいぶんと真剣な眼つきで言ってくるのねぇ。

妹思いなのが眼つきから伝わってくるから……わたし、上手なホメ方だけじゃなくて、あすかちゃんを喜ばせる方法、たくさんレクチャーしてあげたくなってきちゃったわ。

 

 

【愛の◯◯】3年生の先輩同士が泥沼

 

【第2放送室】にはエアコンが無いんだけど、あたしは冷房が苦手な体質だから、好都合であると言ってもいい。扇風機にあたりながら団扇(うちわ)でパタパタ、これで猛暑をなんとかやり過ごしていきたい。

さて、現在のあたしは、【第2放送室】入り口ドア付近から、3年生コンビのやり取りを観察している真っ最中である。

部屋の奥の方に居る3年生コンビ。あたしから見て左前方にタカムラかなえ先輩、あたしから見て右前方にトヨサキ三太(さんた)先輩。

タカムラ先輩が、笑顔で腕組みしながら、

「トヨサキくーん。キミの期末テストの現代文の点数、当ててあげよっかぁ」

トヨサキ先輩は、苦々しげな顔になってしまって、

「あいも変わらず趣味が悪いな。『テストの点数当てごっこ』みたいなのは中学生で卒業するべきはずなのに、おまえは高校3年生になっても卒業できなかったんだな」

「つべこべ言わない!!」

戒めのコトバを発するタカムラ先輩。笑顔で腕組みし続けているけど、笑いながら怒っている感じも……。

「トヨサキくんは、文系のくせに現代文が得意じゃないから――」

タカムラ先輩は、

「――57点。」

と、点数予想を声に出す。

57点って、微妙だ。タカムラ先輩はたぶん、『文系ならば75点以上は取らなきゃいけない』って認識のはず。でも、平均点って概念もあるんだし、57点だからって悪い成績であるとは限らない。

『おまえはどうだったんだよ』って、トヨサキ先輩が言い返す……そんな流れになるって思っていたんだけど、

「ふざけやがって」

と、まさに捨てゼリフのように、斜め下方向に視線を逸らして声をこぼすだけだった。

 

× × ×

 

「夏休みの活動スケジュールに関わるコトなんだが」

トヨサキ先輩が、タカムラ先輩に視線を伸ばして、

「7月26日の日曜日は、おれ、学校(ここ)に来れないから」

「なんで?」

タカムラ先輩が短く訊く。

「模擬試験」

トヨサキ先輩が短く答える。

「予備校で?」

とタカムラ先輩。

「予備校でな。朝から夕方まで、1日じゅうだ」

とトヨサキ先輩。

「フフッ」

と、タカムラ先輩が小さな笑い声を発して、

「もがき苦しんでるのが眼に浮かぶよ、現代文のテスト問題に」

と、挑発的なコトバをトヨサキ先輩にぶつけていく。

「現代文のテスト云々でどこまで引っ張るつもりなんだよっ!!」

怒りのトヨサキ先輩は、

「タカムラは、7月のあいだに、模試を受けたり講習に行ったりとかしないのか!? KHKのコトばっかりで学業をおろそかにしてると、入試本番になって足元をすくわれるぞ!?」

『KHK』とは、あたしたちのクラブ活動『桐原放送協会』の略称。

たしかに、『3年の夏休みにもかかわらずクラブ活動ばかりに熱中して勉強をサボっていたら、入試本番でしっぺ返しを食ってしまう』というトヨサキ先輩の警告は、あたしも筋が通っていると思う。

あたしはまだ1年生だけど、タカムラ先輩が夏休みに入っても勉強なんかそっちのけでKHKの活動に没頭し続けたら、不安を覚えずにはいられないだろう。

警告されたタカムラ先輩の顔色が気になって、眼を向けてみた。

満面のニコニコ顔と言ってもいい表情になっているタカムラ先輩が眼に飛び込んできた。

あたしがビックリしている暇も無く、

「トヨサキくんに注意事項を伝えてあげるよ」

と、タカムラ先輩は落ち着き払って告げる。

「模試の時に、志望大学書くんでしょ?」

彼女はそう言ったかと思えば、

「絶対にダメだよ、『津◯塾大学』とか書いたら☆」

トヨサキ先輩が途端にガバアアァ!! とパイプ椅子から立ち上がった。

タカムラ先輩を睨みつけ、右拳を強く握り込む。

完全にキレちゃってる。

あたしも、『『津◯塾大学』と書いたらなぜダメなのか』を理解できちゃうから……トヨサキ先輩がキレちゃう理由も理解できちゃうし、この状況が泥沼と化していくのも感じ取れちゃう。

 

 

【愛の◯◯】トヨサキくんに対して終始優勢

 

団扇(うちわ)で上半身をパタパタとあおいでいる。不幸にもエアコンが設置されていない【第2放送室】。1台の扇風機が稼働しているものの、到底暑さをしのげるワケもなく、団扇の類(たぐい)が必需品となっているのである。

ところで、

「ねえトヨサキくん!! キミ、昨日の放課後、『未来形占術(みらいけいせんじゅつ)クラブ』のお部屋で天ヶ原(あまがはら)さんに言い寄られたんだってねぇ」

矛先を向けられたトヨサキ三太(さんた)くんの団扇をあおぐ右手が停まる。

木造り椅子に座るわたしから見て約3メートル先のパイプ椅子に座っているトヨサキくんは、ミキサーに左肘を引っ付けつつ、

「言い寄られたワケじゃねーよ。『KHK』の内部事情が気になって訊いてきた天ヶ原さんのテンションが高過ぎたってだけだ]

ふうーん。

『KHK(桐原放送協会)』。わたしたちのクラブ活動。その内部事情に、天ヶ原さんも興味をお持ちであると……。

わたしは、ニヤけてくるのをガマンできなくなっていって、

「流石は、天ヶ原さんだねぇ」

と言い、

「髪型もカラダも声もわたしよりオトナっぽいのに、高校1年生みたいな好奇心を隠し切れないだなんて……!」

「……タカムラおまえ、天ヶ原さんのコト、ホメてないだろ」

「ホメてないよ。『ホメてる』とでも少しでも思っちゃったのなら、トヨサキくんがそれだけ幼いってコト」

トヨサキくんは、やや眉間にシワを寄せ、

「やっぱすげー面倒(めんど)くせーんだな、女子同士って」

「どーゆーコト?」

わたしが柔らかく訊いたら、

「今みたいに、同級生女子のコト、からかうような言い方したりとか」

「からかってない、からかってない」

即座に否定するわたしは、団扇をあおぐスピードをアップさせて、

「たしかに、ホメてはいない。でも、天ヶ原さんのコトが嫌いなワケじゃないから」

「男子としては、そこら辺が、すげービミョーで不可解なんだが」

苦笑の声を漏らすのをこらえ切れないわたしは、

「オンナノコとつきあってみたら、理解できるんじゃーないの?」

「なななっ」

驚きのトヨサキくんが、前方にのめっていく。

慌てて姿勢を元に戻そうとする彼なのだが、顔の向きが何故か後ろ向きに。

もしや、彼の背後のスタジオで映像作品を視(み)ている藤ノ森明菜(ふじのもり あきな)ちゃんの様子が気になるとか?

「なんでわたしから眼を背けるの? もしかしてトヨサキくん、明菜ちゃんとつきあってみたいの?」

大げさな身振りで視線を元に戻す彼が、

「ばかを言うなっ」

と反発するけど、

「トヨサキくんって、年下好きだったんだ~。高校に入学したばかりのオンナノコ、狙ってるだなんて~~」

と、わたしは攻めるのをやめない。

「……なぁ。タカムラよ」

何かを問い掛けてこようとするトヨサキくんだけど、わたしの勢いによる萎縮を隠しきれていないから、あまり怖くない。

「こんな下世話な話よりも遥かに重要なコトが、おれたち3年生にはあるんじゃないのか?」

「進路とか受験とかのコト?」

わたしが軽く訊き返すと、

「まさしく」

と答えて、顔のマジメ度合いを強めてくる。

それから彼は、

「もう幾つ寝ると、夏休み。予備校の夏期講習行くだとか、そういうプランを、おまえは……」

「もっとハッキリ喋った方がいいよ。せっかくマジメ顔になってるんだから」

段々と苦しくなってくるトヨサキくんは、

「……大丈夫なのかよ、おまえ。まさか、夏期講習の予定とか、最初っからスケジュールに組み込んでないとかなんでは……!」

「わたし、キミに『知る権利』を保障してるワケじゃないんですけど♫」

「は!?!?」

余裕ありまくりのわたしは、右手の団扇をビシッ!! とトヨサキくんに突きつけながら、

「『知る権利』を保障しない代わりに――キミのヒートアップ気味な顔を、パタパタあおいであげよーかっ☆」

 

 

 

【愛の◯◯】『ゆるふわ』を否定した途端に豹変

 

校舎の中にはヒンヤリとした静けさが漂っている。1階の廊下を突き進むおれはやがて、数十年前までは理科準備室として使用されていたという小規模な部屋の入り口付近までたどり着く。

占い系のクラブ活動が3つも存在している我が校なのだが、『未来形占術(みらいけいせんじゅつ)クラブ』はその中で最も規模が小さい。確か、籍を置いているのは3人だけだと思う。

『未来形占術クラブ』はコンピューターを駆使する未来予測が「売り」となっていて、その合理的な方法(メソッド)をおれは気に入っている。狭い活動部屋だが周囲が全く騒がしくないのも良い。

左拳で入り口扉を叩く。『どうぞ』と言ってくるのが聞こえてくる。左手で入り口扉を引き、室内に足を踏み入れる。横長デスクの手前の椅子に腰掛けている同級生女子と向かい合うカタチになる。

「トヨサキくんとこうして向かい合うのも約2週間ぶりだね」

天ヶ原(あまがはら)さんとは逆サイドの椅子に腰掛けるやいなや、そう指摘される。

「梅雨が去って、カラリと晴れて、本格的な夏が来て。大多数の女子生徒はとっくに盛夏服、トヨサキくんもこの部屋に来るまでに、盛夏服の女子のグループとすれ違ったりしたはず」

そう言う天ヶ原さんは盛夏服じゃないですね。しかも、夏服の上に1枚羽織ってるし。唸りを上げているエアコンから放たれる冷たい風が冷た過ぎるというコトなんでしょうか。

「あ、トヨサキくん、今、こう思ってるんでしょ。『何か羽織るんじゃなくて、エアコンの温度を調節すればいいのに』って」

うっ。

するどい。

「いろいろ意見はあるだろうけど……女子高校生は、3年生にもなると、エアコンの設定温度じゃなくて着る服の枚数で体感温度を整えるモノなんだよ」

んんっ……。

「やっぱりピンと来ないか、男子には☆」

 

× × ×

 

おれの現状を聞き取り、聞き取った情報をデスクトップPCに打ち込んでいく。この繰り返しで、天ヶ原さんは未来予測を進めていく。

エンターキーを勢い良く強打する天ヶ原さん。「結論」が出たみたいだ。

「あなたの相談内容はあなたの卒業後の進路に関するコトなので、わたしがこれから言うコトだけを参考にするのではなく、先生方や親御さんの御意見にも耳を傾けてあげてください」

前置きの彼女。案外マジメなのである。

「あなたは進学先の候補を3つ挙げてきて、もし入学した場合、どの大学が自分にいちばんフィットするのか……というのを予測してくれるように言いましたね?」

「ああ」

頷きつつ答えるおれ。

「まず、あなたが『第1志望の最有力候補だ』と言ってきた都内某・私立大学ですが……」

彼女は、コトバを短く溜めてから、

「分析の結果、『刺激が強過ぎるのではないか?』という答えが出てきました」

「刺激が、強過ぎる」

「ハイ」

彼女は、彼女から見て右サイドのデスクトップPCの画面に目線を寄せながら、

「『100人単位の規模でバカ騒ぎするような環境には、向かない可能性が高い』と分析結果には記されています」

へぇぇ……。

ずいぶん厳しい分析結果ではあるが……言われてみれば、何百人かで大騒ぎするようなサークルに身を置くとか、おれには耐えられないような気もするな。

「トヨサキくんの所属しているクラブ活動のメンバーも、わたしたち『未来形占術クラブ』と同じく、計3名でしたよね?」

「そうだ」

「『小ぢんまりとしたコミュニティに居た人間が、巨大な集団にいきなり投げ込まれると、適応するのは非常に困難なのではないか?』とも、分析結果は記述しています」

「なるほど」

「これは、あなただけじゃなくて、わたしにも言えるコトです」

「なるほどな。おれらと同じで、計3名でクラブ活動してるんだもんな」

「体育会系ではなく文化系。どこまでも『ゆるふわ』な空気。……わたしたちのクラブのコトなんですけど、自虐的にならざるを得なくって」

右のこめかみを右人差し指で押さえる天ヶ原さん。

なんだか、占いや未来予測から逸れていっているが、

「『未来形占術』は、『ゆるふわ』なんか。それはちょっと、羨ましいな」

と、おれは、逸れていく流れに敢えて乗っていくコトにする。

天ヶ原さんの眼が見開かれて、

「エッ、トヨサキくんのトコは、『ゆるふわ』じゃないの!?」

と、驚きの籠(こ)もった声がおれに直撃してくる。

予測できなかった反応。

大丈夫か、天ヶ原さん。

……そもそも、

「天ヶ原さんには、この部屋で、ちょくちょく話を聴いてもらってるし……おれのクラブが気の休まるような環境ではないってコトも、伝えておいた記憶があるんだが」

「わたしにそんな記憶は無いッ」

天ヶ原さん!? 急に前(まえ)のめりかつ早口になるのは、ドッキリするから、できればやめて!?

「アレなの?? 残る2人が、トヨサキくんを痛めつけたりしてるの?? 残る2人がそんなに攻撃的だとしたら、衝撃的過ぎるんだけど!!」

あのね!? 猛スピードで身を乗り出してこないで!? 男子であるおれにカラダをどんどん近付けてくる方が、よっぽど衝撃的だよ!?

わかる!? プライベートゾーンって、わかる!?

「わたし、気になり出したら止まらなくなる性質(タチ)なんだよ。わかるでしょ、わかってくれるでしょ!? トヨサキくんの両肩だって、掴みたくなっちゃうんだからッ!!」

 

 

【愛の◯◯】息苦しくなるほど悲しいほのかちゃんがいるから

 

普通の夜ではなかった。

川又(かわまた)ほのかちゃんと一緒のベッドで寝ているのも普通とは違うシチュエーション。だけど、ほのかちゃんとのベッドの共有ならばこれまで何回も経験している。

この夜を普通とは違う夜にしている最大の要因。

それは、ほのかちゃんの……止まない泣き声。

 

× × ×

 

日曜が月曜に変わる一歩手前。

泣き止まないほのかちゃんにわたしは直面している。

啜(すす)り泣きの声が大きくなっていったかと思うと、激しい泣き叫びが部屋全体に響き渡る……その繰り返し。

LEDの灯らない真っ暗で真っ黒の室内。深い闇が、ほのかちゃんの泣き声を絶え間なく切実にさせる。

ほのかちゃんのご両親に泣き声が届いているのかは分からない。ご両親の寝室はそう遠くない所にあるんだけど、ほのかちゃんママやほのかちゃんパパの足音は今のトコロ聞こえてきていない。もしかすると、娘が号泣しているのは察知しているけど、全てをわたしに託しているのかもしれない。

右腕を掴んできたのが分かった。縋(すが)るように掴んできた。

しゃくり上げる声が次第に荒くなってくる。苦しいから、苦し過ぎるから、息苦しくなるまで悲しみを表現するしかなくなる。

右腕を掴んでくるチカラが弱くなってくる。

良いタイミング、だから、

「お母さん代わりで、お姉さん代わりね……今夜のわたしは」

と優しく言ってあげたあとで、ほのかちゃんの腕から右腕を自然な感じで離して、それから、ショートボブの後頭部を右手のひらでナデナデし始めてあげる。

「せぇんぱぁい」

悲しみがダイレクトに伝わってくる声音。

「せんぱぁい、羽田(はねだ)せんぱぁい……。ツラいよぉ……」

タメ口になってしまうのも必然だ。

誇れないから弱点になる胸に、やがて、ほのかちゃんのオデコの感触が到来する。

呻(うめ)くように、

「シツレン、って、こんなにカンタンにゼツボウをよびおこすモノだなんて、わたし、しらなかったっ」

と言うほのかちゃんの、切実さ……。

わたしの中の全ての『共感のチカラ』を動員して、彼女の悲しみと痛みと傷(いた)みを、わたしの内部へと染み込ませていく。

こみ上げてくるモノが、わたしにも、ある。

だけど、この場においてわたしは、ほのかちゃんのお母さん役とお姉さん役を務めなきゃいけないんだから、眼を滲ませる手前で、踏みとどまる。

小さめの背中に両腕を回して、抱き込んでいく。

わたしの彼氏のお母さんである明日美子(あすみこ)さんが、わたしがダメになっちゃった時、しばしば、ダブルベッドでカラダを包み込んでくれた。

わたし、ほのかちゃんを、上手に包み込めてるかな?

明日美子さんみたいな域にはなかなか到達できないけど……それでも、頑張んなきゃ。

 

 

【愛の◯◯】『傷のお手当て』がしたくて、後輩女子の家に来た

 

川又家(かわまたけ)の3人と共に食べた夕ご飯はとっても美味しかった。試験終了後の開放感だけではなく、調理を担当してくださったお母さんの「まごころ」もお料理をとっても美味しくしてくれていたのだった。

 

× × ×

 

日曜夜の川又ほのかちゃんのお部屋に入っている。

床に設置した折りたたみ式のテーブル上にお酒が並んでいる。缶ビールが3本、日本酒のボトルが2本。金色に輝く缶ビールはほのかちゃんが飲む分、小さめの日本酒のボトルはわたしが飲む分。

わたしはロックグラスに日本酒を注ぎ入れたあとで、

「乾杯の前に、ほのかちゃんに『約束』しておきたいの」

真向かいに腰を下ろしているほのかちゃんは、

「缶ビールを絶対に横取りしないって『約束』、ですよね」

よく分かってるんじゃないの。

「炭酸が入った液体を少しでも口につけたら、たちまち暴走しちゃうからね。自分で自分をコントロールできないと、あなたの先輩女子として失格だから」

「……羽田(はねだ)センパイにしては、マジメですね」

おおー。

「わたし、安心したわ。そういうコトを口から出せるエネルギーが、あなたの中に残ってて」

鋭(するど)めのわたしの指摘に対する反応は視線の急降下だった。

視線を上昇できないままに、ほのかちゃんは金色のビール缶を右手で鷲掴みにする。

その直後に、わたしのロックグラスにビール缶をぶつけてくる。

小気味良い音が響いたかと思うと、ビール缶の飲み口を口に押し当てる愛すべき後輩女子の姿が眼に映り込んできたのだった。

 

× × ×

 

「ねーねー、そっち側に回ってもいい?」

わたしのそんな要求に直面して、

「えっ」

と、ほのかちゃんが短く声を放つ。

「寄り添いたいのよ。寄り添ってあげたいのよ」

狼狽(うろた)え気味のほのかちゃんに向けて愛情たっぷりの「先輩スマイル」をプレゼントしてあげると同時に、愛情を120%詰め込んだコトバもプレゼントしてあげる。

学年内で常に成績最上位を争うほど国語が得意だったほのかちゃんは文脈を読み取るのが得意だから、わたしがどういうキモチでもって『寄り添ってあげたいのよ』と言ったのかも容易に理解するコトができる。

その証拠に、ビール缶から指を離して約10秒間口を引き結んだあとで、

「センパイ、『傷のお手当て』がしたくて、採用試験を受け終わった直後にわたしの家にやって来たんですね」

「ご明答」

即座に応えてあげてから、

「だって、ダイスキな川又ほのかちゃんなんだもの。『傷のお手当て』のためならば、世界中のどこに居たって駆けつけてあげるわ」

ダイスキな後輩女子の柔らかいほっぺたに赤みが兆す。

ふにふにと柔らかいお肌の発熱を抑えられない。当然の成り行きだと思う。

わたしはもう既に腰を浮かせている。逆サイドの後輩女子の傍(そば)にいつでも行ける。

 

× × ×

 

「月曜日の前日の夜でしょ? 仕事場に向かう前に、『傷口の消毒』は絶対にやっておくべきだって思うわ」

右隣で縮こまり気味のほのかちゃんは飲み切ったビール缶に視線を傾ける。

声を出しあぐねている御様子だ。

可愛いから、

「できるなら、傷付いたキモチの中身を打ち明けてほしい。ふたりきりの空間なんだから。わたしは、秘密を守れる先輩女子なんだから」

と、お願いしてみる。

後輩女子はなかなか口を開けない。まだ、コトバをカタチにできない。

打ち明ける準備ができていない後輩女子、なんだけど……左肩を寄せてきてわたしの右腕に軽く触れてきてくれるから、なんとも言えず、嬉しくってくすぐったくなってくる。

スキンシップにはスキンシップで応えてあげなきゃ……だな。

どの部分からフニフニしてあげようかしら。

 

 

【愛の◯◯】聞かせてほしいキョウくんの声

 

静寂が漂うマンションの部屋。おれ独りきりの日曜のマンション部屋は、そこはかとなく寂しい。

パートナー不在の中で調理した海老チャーハンがイマイチ美味くなかったのには、おそらく、パートナー不在が影響していて……。

 

昼飯のあとで、リビングのカーペットに寝転んでしまう。いつもは、リビングで横になるコトなんてほとんど無いのに。

天井を眺めていると、余計な不安が頭の中に割り込んできてしまう。もちろん、『おれのパートナーは、ちゃんと筆記試験を受けられているだろうか?』というような不安だ。

昨年度の試験でしくじったコトが、あいつの平常心を揺らがせたりしていないだろうか。あいつがテンパっていないかどうか、とても気がかりだ。

リビングの真ん中辺りの小テーブルに置いておいたおれのスマートフォンが、いきなり震え出した。

身を起こして、画面を見たら、

【葉山むつみ】

という5文字が……。

心地良くない汗が、ダラリと背すじを滑る。

 

× × ×

 

『戸部(とべ)くん寂しいんでしょ、孤独なんでしょ。あなたの姿を実際に見られなくたって分かるわぁ』

葉山むつみのそんな陽気な声により、おれの胃袋に痛みが走る。

『羽田愛(はねだ あい)さんって女の子の不在が、あなたをジワジワと追い詰めてくる』

「……追い詰められてるワケじゃないし」

『ホントぉ!?』

うるせえ。

『わたし、是非とも『穴埋め』をしてあげたかったのよ。寂しさや孤独っていう名前の穴を、埋めてあげたくって。あなたに今日電話するのは、1週間前から既に決めてたわ』

うるせえよおい。

言い回しがいつにも増して気色悪いし、おれにテレフォンしてくるのも、1週間前から既に決めてただと……?

「長電話は止(よ)してくれ、葉山」

『ヤダ。ある程度の通話時間がないと、あなたの穴を埋めてあげられない』

コイツ……!

 

× × ×

 

おれの寂しさや孤独への気配りも最初だけで、葉山の趣味たる『お馬さん』のコトなどに話題は移っていってしまったのであった。

『上半期G1を長々と振り返り過ぎだろ』とツッコミを入れたら、『あなた、自分の妹さんが競馬記者だっていうのに、お馬さんに関心が無いワケ!? ジュウリョクピエロが勝ったオークスとか、一般ニュースでもあれだけ取り上げられてたってゆーのに!!』と、葉山の声が暴れ出した……。

 

「知っとるわ、この前のオークスのコトも、ジュウリョクピエロのコトも、今村聖奈(いまむら せいな)のコトも」

『今村聖奈騎手が、あなたの妹さんのあすかちゃんと同年産まれなコトも?』

「それも、インプット済みだ」

『ふぅん』

おれをどこまでも軽んじるような声音で相づちを打ってきやがる葉山むつみが、

『――ところで、話は、大きく変わるんだけど』

と告げてくる。

おれのココロが不穏によって締め付けられていく。

握る手に余分なチカラが入り過ぎていたので、スマホを小テーブルの上に置いた。

その途端に、

『戸部くんって、オトコ友だち、いないわけ??』

という疑問の声が、スマホから……!!

『前から、不自然だって感じてたんだけど。あなたから、同年代のオトコ友だちの話とか、一切聞かされたコト無いのよね。普通は、大学みたいな場で、同学年の同性の友だちが、1人や2人は出来るモノだって認識なんだけど』

……おれは、感情がグニュグニュしているのを自覚しながら、

「オトコの知り合いが、居ないワケじゃないから」

と声を絞り出す、のだが、

『あなたの言う『オトコの知り合い』って、みーんな、年下か年上でしょ??』

と、さらに追い込まれていく。

『同い年の『マブダチ』みたいな存在が居ないのを、少しも隠し切れてないじゃないの』

やめーや、『マブダチ』とか、そーゆー表現は。

おまえは、見た目だけは端麗なんだから、昭和っぽくて俗っぽいコトバを使うのは、もっと抑制するべきだぞ!?

『オンナノコの知り合いの方が多いって事実は、もう浸透済み。……ま、それはそれで、良いんだけど』

少しコトバを切ってから、葉山は、

『同い年のオトコ友だち作った方が、絶対楽しいと思うんだけどなーっ』

と、弄(もてあそ)ぶが如き声で言ってくる。

テンパり始めているおれの口から、反射的に、衝動的に、

「おっ、おまえには……同い年の幼馴染のオトコノコが、常に寄り添ってくれてるから、いいよなあ!?」

という言(げん)が、流れ出る。

『何を言うの戸部くん!? あなたに同い年のオトコ友だちが居ないコトと、わたしにとってのキョウくんの存在のコトとは、何の関係も無いじゃないの!?』

案の定の、葉山からの罵倒。

……苦し紛れに、本当に苦し紛れに、

「な、なぁ、葉山よ。おまえがダイスキな、おまえと同い年の幼馴染のオトコノコである鎌倉(かまくら)キョウくんは、現在(いま)、おまえの近くに居たりしないんか」

約5秒間の空白のあとで、

『……居る。今さっき、わたしのお部屋に入ってきてくれたトコロ』

情報を得たおれは、卓上のスマホに向かってかなり前のめりになって、

「おれ、キョウくんの声が……少しだけ、聞きたいかも」

『はぃ!?!?』

「キョウくん、おれと同じ年度産まれの男子だから……もっと、お近付きになりたいって、そんなキモチがあって」

『……キョウくんと〝おともだち〟になりたいってコトかしら』

「……イケないんか?」

『この場で通話するのは、百歩譲って許してあげるけど。〝おともだち〟になるのを許すかどうかは、全然別の問題だから』

「ガードが固いな」

『当たり前でしょ』

「彼の存在が、宇宙で一番大切なんだな……」

『あっあたりまえでしょッ』

 

 

【愛の◯◯】同じ方角を向いて

 

机に向かって作業中の新田俊昭(にった としあき)くんは猫背だ。相変わらず、見栄えが良くない猫背だコト。漫画を描くのに必死なのは分かるけど、あなたの猫背は絶対に矯正した方がいいと思うわよ? ――姿勢が良くなったら、作業能率も向上するでしょ。

 

新田くんのアパート部屋の新田くんのベッドに腰掛けて、作業中の彼の猫背をしばらく眺め続けていた。

正午を告げるチャイムが外から鳴り響いてきた。

このチャイムが響き終わった直後、わたしは、

「新田くん? 猫背になって作業に没頭してるトコロに割り込むみたいで、悪いんだけど……そろそろ、お昼ゴハンの時間にしたらどーかしら」

「昼飯時、か……」

呟くように言う新田くんは、振り向いてもくれないし、手を止めようともしてくれない。

「わたし、おなかが、けっこうペコペコなんだけどなーっ」

いつもはあまり用いない口調で、彼を揺さぶっていこうとする。

彼の右手がなかなか止まらない。作業に固執している。

「呆れたわね。わたしのキモチ、酌(く)んでくれないのね」

呆れを滲(にじ)ませた声を彼の猫背に突き刺し、それから、

「手を止めてくれないと、『大井町侑(おおいまち ゆう)オリジナルパンチ』よ?」

この「通告」が非常に効いたようで、新田くんの右手からGペンがポロっとこぼれ、コロコロと机上を転がったのであった。

 

× × ×

 

非常に都合良いコトに、注文から僅か30分で、お寿司屋さんの出前がアパート部屋に届けられてきた。

なお、出前のお寿司がやって来るまでの30分間、わたしと新田くんが何をしていたのかは、文字数などの都合で省略する。

 

ベッドと机の中間にある丸テーブルに特上握り寿司が2人前。わたしが全額負担しようとしたんだけど、新田くんが『俺の方から、最低2000円は出すから!』と主張したから、彼の思いを尊重してあげるコトにした。

さて、一刻も早く食べるだけ、なんだけど、

「新田くん、わたしの方に回ってきてくれない?」

「えっ……。どゆこと、それ」

「向かい合って食べるんじゃなくて、隣同士で食べたいのよ」

「いっいやいや、普通は、向かい合って食べるでしょ」

「特上握り寿司は、普通のお食事じゃないわよねえ?」

「そんな理屈……」

「あなたと隣同士で食べた方が、絶対に美味しいから」

「……こだわるんだな、横並びで食うコトに」

「こだわるに決まってるでしょ」

「ただ、きみの隣に来て食うとなると、寿司の味に集中できなくなるかも」

「なに言ってるのあなた!? そんな懸念材料、今すぐ捨てちゃいなさいよ」

「とっ突然叫ばないでくれっ」

「叫ぶわよっ。あなた、よっぽど『実力行使』に出られたいみたいね……!!」

 

× × ×

 

特上握り寿司の容器を片付けたあとで、わたしとわたしの彼氏は、わたしの彼氏のベッドに横並びで座った。

わたしの彼氏が右隣に居てくれるから、美味しかったお寿司の味の名残りが未だにある。

だけど、お寿司でお腹とココロを満たしただけでは、まだ完全に充たされない。

だから、

「ねえ。わたしだけど……実を言うと、かなり『ヘロヘロ』なのよ」

「『ヘロヘロ』?」

「そう。月曜から金曜の5連勤で、残業も結構あったし」

「疲労してるってコト? 今日のきみに、5連勤の疲労なんて感じられないんだが。この部屋に来た瞬間から『破竹の勢い』じゃあないか」

「なーんにもわかってないのねー。社会の荒波に揉まれてないだけあるわねー」

「うっ」

新田くんが中途半端に呻(うめ)くのが許せない。

許せないから、より一層甘えさせてもらう。

わたしは瞬く間に、わたしの右肩を新田くんの左肩に、密着。

「たくましさ」のようなモノが少しも感じられない左肩なのは残念だけど、さっきまでよりも更に安らいだ気分にさせてくれるから、「合格」ってコトにしてあげる。

「感謝するわ」

甘い声音で告げてから、

「こうして肩をくっつけてると、優しいキモチがココロの底から湧き上がってくるのを自覚できる。寄り添ったりスキンシップしたりするのをあなたが許してくれるから、昨日までとはまるで違う大井町侑になるコトができる……」

押し黙っちゃっている新田俊昭くんのカラダの温度を把握できる。

彼は、『作業に復帰させてもらいたいんだが』なんて言わない。

彼のそういう配慮がわたしの胸を満たすからこそ……もっと、彼という存在を思いのままにしたくなってきちゃう。