【愛の◯◯】壁側と利き腕

 

さやかさんが難しそうな本を読んでいる。いったいどんな本なんだろう。彼女の座るソファから少し距離がある。だから、背表紙が見えにくい。ハードカバーの学術書であるのは間違い無い。流石は『最高学府』の4年生。教養学部所属らしく、教養バリバリな感じだ。彼女のソファの周囲に彼女の知性が横溢(おういつ)しているみたい。

そして、彼女は間違い無く髪を切った。高校2年生ぐらいの頃の短さに戻っている。近頃では髪が長くなっていて、ひょっとすると、わたしよりも長く伸びているのかもしれない程だった。わたしの髪の長さは長年両肩に触れる程度だ。最近のさやかさんの髪は両肩よりも下まで伸びていたんでは無かろうか。だけど、この邸(いえ)を今日訪ねてきたさやかさんの髪は、ショートカットの領域に近付いていた。

わたしは自分のソファから立ち上がり、ぺたぺたと彼女のソファとの距離を詰めた。左斜め前に彼女の居るポジションのソファに腰を下ろす。絶賛読書中の彼女が本に送る視線の角度を上向きに変えたのを見計らい、

「さやかさーん」

と呼びかける。

わたしをチラ見したさやかさんに、

「髪、切ったんでしょ。切りましたよね、100パーセント」

さやかさんはスマートな苦笑いで、

「バレたか」

「バレますってー」

「そうだよ、あすかちゃん。切ってもらったばっかりなんだよ」

「イメージチェンジでもしたかったり?」

「そんなワケでは無くて。夏真っ盛りだから、爽やかな感じにしたかっただけ」

「さやかさんはいつでも爽やかじゃないですか!! 『さやか』って名前にも、『爽やか』ってニュアンスが感じられるし」

「流石はあすかちゃんだねぇ。『さやか』を辞書で引くと、『爽やかな〜』って書かれてるんだよ」

「やっぱりー」

難しそうな本を閉じ、ほんの少しだけ照れた顔になり、

「着ていく服とかも、もうちょいサッパリとした感じにできたら良かったんだけどな。詰め、甘かったよ。このジーンズとか、代わり映えしないやつだし」

「さやかさんは『代わり映えしない』って思ってるかもしれませんけど、わたし、そのジーンズ、さやかさんだからこそ見映えがするんだと思いますよ?」

「マジ?」

「マジですとも。さやかさんの長い脚にぴったりフィットで」

「……『ぴったりフィット』かぁ」

ふふふっ。

さやかさん、あたかも、自分の穿いているジーンズに対して照れているみたいになっている。

 

× × ×

 

夜。わたしの部屋。ゴハンも食べたしお風呂も入ったし、互いにもう寝るだけ。

さやかさんはベッドに腰掛け、わたしはカーペットに腰を下ろしている。この体勢だと、さやかさんの長い脚がよく見える。膝丈より少し長いスウェット的なナイトウェア。身長が163センチあるって良いよね。155センチしか無いわたしは羨ましい。体型に関してわたしの方が『勝っている』部分もあるにはあるんだけど、慎み深くなるためにオブラートに包んでおく。

さて、さやかさんの脚を眺めてばかりではスケベな中年男性なんかと変わりが無くなってしまうので、

「眠くなってきましたかー? さやかさん」

と問い掛けて、腰を浮かす。

立ち上がったわたしに、

学術書を読む集中力が無くなるぐらいには、頭がぼーっとしてきたよ」

「だったら、もうじき就寝体勢ですね」

「そんなトコ」

さやかさんを驚かせるかもしれないけど、

「ベッド、共有しましょうよ」

とわたしは促す。

「え、共有っ!?」

彼女は大きくビックリして、

「そ、それってさ、アレだよね。あすかちゃんのベッドを、ダブルベッドみたいに運用して……」

「睡(ねむ)り方を忘れちゃイヤですよー、さやかさん」

「ど、ど、どーゆういみ」

「そんなにビックリが大きかったら、ダブルベッドでの『作法』を忘れちゃって、寝付けないかもしれない。不安だな〜、わたし」

さやかさん、唖然。

その場から、動けない。

うつむきつつ視線が泳ぐ。ダブルベッド的運用でもって就寝するのに対する恥ずかしさがガンガン伝わってくる。きれいな脚の両膝をくっつけて、わたしから視線をやや逸らしてしまう。

ラチがあかない状態に彼女がなっているのなら、もっと積極的になるしか無い。だから、わたしもベッドに上がり、するすると彼女に躙(にじ)り寄り、正座になる。

「さやかさん。こんなワガママは、この夏で1度きり。だから、わたしのワガママ、受け容れてくださいよ」

依然うろたえて、

「いっしょに、寝るんだよね? よ、寄り添うのは、良いけど、わたし、あすかちゃんよりは、たぶん細くなくって……」

「わたしのベッドを甘く見ないでください」

「!?」

「それにそもそも、さやかさんは十二分に細身じゃないですかぁ。ダイジョーブですよ。ダイジョーブ博士ですよ。ふたりのカラダ、すっぽり入るし、きっとベッドはフィットすると思うから」

わたしの方を向いてくれるんだけど、とても照れくさそうに、わたしから見て右のほっぺたをポリポリと掻く仕草をして、

「どっちが、どっちになるの? ……っていうのは、ほら、あすかちゃんとわたしのどっちが壁側に寝るのか、とかの問題……」

「さやかさんはわたしの右サイドに寝てください」

即答した。

ビクッ!! というリアクションの後(のち)に彼女は、

「ってコトは、わたしが、壁側」

「それでよろしくお願いします」

「……あすかちゃんが、わたしの左側で寝たい理由って?」

「利き腕が右手だからですよ」

「え、えっ、それは、何を意味して……!?」

「自分で考えてください。現役東大生なんだから、わたしの意図を自分で推し測れますよね? さやかさんならきっと推し測ってくれるはずだと思う。わたしとさやかさん、知り合ってからもう6年ぐらい経つんだし……」