【愛の◯◯】怒られの癒し方は……。

 

放送部室のドアを叩く。

荒っぽい叩き方になってしまい、歯噛みして後悔する。

ドアが開き、中嶋小麦(なかじま こむぎ)さんの天真爛漫な笑顔が眼に映り込む。

「小泉先生だー」

小麦さんの元気な声。

入り口で立ち止まっているわたしに、

「入らないんですかー? わたしたちと一緒に、『1学期お疲れさま会』、しましょーよ」

と小麦さんが促してくる。

でも、

「ご、ごめんっ。ちょっとアタフタしててね、『お疲れさま会』、参加できないの」

と、情けないわたしは、情けない口調で。

「アタフタ?」

小麦さんは首を傾げる。

「アタフタ、っていうのはね……その……」

うつむき気味にならざるを得ず、不甲斐ない喋り方しかできない。そんなわたしに、

「だいじょーぶですか? 小泉先生」

と、小麦さんの問いかけが突き刺さる。

少し目線を上げると、彼女はキョトーンとした顔。

彼女を戸惑わせたくない。

「ごめん。ごめんね。今日はこの部屋に居るコトができない。埋め合わせは、必ずしてあげるからっ」

そこまで言って、入り口から後ずさる。

戸惑わせたくないのに、こんな言い方になって、戸惑わせてしまったかもしれない。

顧問失格。教師失格。

 

× × ×

 

放送部の子たちと関わるのを避けてしまう理由はちゃんとあった。

部の子たちには絶対言えない理由。いや、『言っても仕方が無い』という表現の方がより的確。

大人の世界で生じた不都合なのだから、大人のわたしが自己責任で処理しなきゃいけない。

放送部の子たちにフラストレーションを撒き散らすなんて論外だ。

大人としての経験の浅いわたしは、フラストレーションを撒き散らさない自信が無かった。だから、『お疲れさま会』で交わるのを避けた。避けたのだから、逃げたのと同じ。

 

× × ×

 

終業式の日であるがゆえに、昼過ぎにはマンションに帰って来られた。

『約束の時刻』が近付くまで、寝転んだり寝転ばなかったりを繰り返した。

身支度のために起き上がるのに時間がかかってしまった。

いつもよりも何倍もキチンとした服装をする必要があった。

まだ、ファッションセンスに自信が無い。服選びが難航する。

そして、待ち合わせ場所に向かって出発する予定だった時刻が過ぎてしまう。

 

× × ×

 

今まで穿いたコトも無いスカートを選んだ。わたしよりずっとずっと可愛らしい女の子なら似合うようなスカート。

 

某駅の待ち合わせ場所。

わたしは遅刻した。

申し訳無さ過ぎて、眼を閉じながら、

「ごめんなさいっ、身だしなみに手間取り過ぎた」

とやや早口で『彼』に謝る。

『彼』すなわち大川くんは、

「少しも気にしてないよ。大遅刻したワケでも無いんだし、きみが落ち込む必要も無い」

と言ってくれる。

胸に、温かさ3割、こそばゆさ7割。

「お腹すいたんじゃない?」と大川くん。

「大川くんの方が……じゃない?」とわたし。

彼は優しく苦笑い。

 

× × ×

 

和食だった。

掘りごたつの個室。わたしと大川くんで向かい合って、お魚を食べたりお肉を食べたり野菜を食べたり。

お魚もお肉も野菜も当然和食の味付け。日本酒が合う。合うからどんどん飲み進める。

わたしの方が飲むピッチが早かった。

その理由は、たぶん……。

 

× × ×

 

「このあと、どーしようか」

夜道で大川くんが訊いてきた。

夏の夜。時刻は日付の変わり目に近付いているから、大川くんのコトバに胸が少しドキリとする。

でも、

「あのね。このあとに行く場所決めるよりも、したいコト、あるの……」

とわたしは言う。

懸命に絞り出すような言い方になる。

わたしよりも少し前で歩いていた大川くん。

右斜め前の彼の背中目がけ、

「したいコト、ってのはね。……お悩み相談。」

彼が立ち止まり、

「小泉さん、もしかしたら、職場で、何かあった?」

的を射た指摘にココロがざわめく。

ざわめきが薄らいだあとで、体温が上がる。日本酒との相乗効果で、上半身が火照る。

「……あったんだよね、これが」

答えてから、勇気を出して、

「怒られ。怒られが、発生して」

と、打ち明ける。

「あーっ」

と大川くんは、

「社会人には、怒られの発生は付きものだと思う。おれだって、怒られはちょくちょく発生するしね。だけど、今の小泉さんは、相当凹(へこ)んでるみたいだね」

「さっき、飲んだり食べたりしてた時……覚(さと)っちゃってた?」

「なんかあったのかなー、とは。きみ、飲むピッチ早かったし」

ちゃんと解ってくれてるんだね。

うれしいよ。

「怒られの詳細は、言わない。説明する気力、足りないから」

とわたし。

「それで良いと思うよ。問題は、どれぐらいの『慰め』が必要なのか、ってコトだ」

と大川くん。

「……うん」

わたしは静かに言って、それから、彼の背中の間近に近付く。

彼の背中との距離が、たぶん15センチ未満になる。

もっと近付きたかった。

背中との距離がゼロセンチになれば、どうしようもないわたしの落ち込みも、癒されていく。怒られに起因する凹みも痛みも癒えていく。

そういう、確信。

確信でもって……大川くんとゼロ距離になり、縋(すが)るように、彼の左肩の辺りに、自分の顔をくっつけた。

彼のお腹に両手を回し、完全なる抱き締めの体勢になる。

「しばらく、くっつかせて」

甘い声が出た。

異性に甘えて、甘い声が出る。23歳にもなって、未体験だったコト。

 

抱き締めは続く。

この夜道に他人(ひと)が通りかからないコトを、ひたすらに祈りながら。