リビング奥のわたし専用テーブルの前に腰を下ろしている。小さなテーブルの上に日記帳を置く。日記帳には、先月すなわち8月の記録が書き留められている。8月の「おさらい」がしたいというワケである。
猛暑だったけど、9月に近付くにつれて、暑さの質が変容したような感じがした。8月下旬には2度花火を観た。大所帯で行った夏祭りの花火。レストランの窓からあすかちゃんとふたりだけで観た花火。絵心があれば、日記に添えて花火のイラストが描けるんだけど、残念ながら絵心はあまり無い。
小中学校の「図工」や「美術」の成績は良かったんだけどね……と思いながら、あすかちゃんとふたりだけで花火を観た日の日記を読み返していたら、卓上のスマートフォンがブルブルと震えた。
『あすかちゃん』
スマホ画面にはそう表示されている。あすかちゃんとの思い出に浸りかけていたら、あすかちゃんから電話が来た。
「もしもし、あすかちゃん」
『おねーさーん、おはよーございますー。早速ですが、兄貴がダラダラしながらテレビを観ていたりしませんか?』
「テレビはつけてるけど、ダラダラしてるんじゃなくて、筋トレしてる最中よ」
『それは良かった。ひとまず兄貴も合格だ。日曜の朝だからといってダラダラしてたら、失格の判定を下すところだった』
「きびしーのねぇ、あすかちゃんも」
『当たり前です!』
「あはは」
『ところで、ですね……』
「んー?」
『実は、兄貴のコトなんかは滅茶苦茶どうでも良くて。おねーさんに、重要な『報告』がしたくって。というのはですね、利比古くんに関する◯◯な報告なんですけど』
「利比古の様子がおかしかったりするの?」
『するんです』
「あらぁ」
『原因は、わたしの推理によりますと――』
× × ×
「……とても良く分かったわ、あすかちゃん。利比古の姉として、対策を練っておく。利比古はしばらくデリケートな状態だと思うから、あすかちゃんは観察を怠らないでおいてね」
そう伝えてから、電話終わりの挨拶を交わして、通話を終えた。
その途端に、
「利比古がデリケート状態なんか? あいつにいったい何があったのか」
という声が聞こえた。アツマくんだ。筋トレをいつ終えたのかは知らないが、わたしの背後に忍び寄ってきていた。
「利比古がピンチなのなら、おれも助けに行ってやらんと――」
「ダメよ」
「エーッ」
「アツマくんはダメよ。自分のお仕事に専念しなさい」
「おまえはどうやって利比古の危機を救うつもりなんだよ、愛」
わたしは、アツマくんに背を向けたまま、壁に向かって微笑する。
「お、おいっ、まさか、無策ってコトは……」
「策なら幾らでもあるから」
そう答え、日記帳のページをめくりながら、
「筋トレ、再開したら? 策を練るのは、わたし独りでやるから」
× × ×
8月の日記帳には利比古に関する記述もかなりある。実の弟なんだから当然といえば当然。8月の日記で描写した弟の様子を時系列順に見ていきながら、デリケートになってしまった原因を探る。
たぶん、『あの娘(こ)』が絡んでいる。
一昨日、すなわち8月30日。弟にモーニングコールしてあげたら、『ごめん急いでる』とかすごい早口で言われてしまって、モーニングコールを強制終了されてしまった。
どうもここらへんにヒントがありそうだ。8月30日の弟の行動……。その行動は、きっと『あの娘(こ)』絡みで。
『あの娘』のイメージを頭の中に浮かび上がらせていたら、またもや卓上のスマートフォンが振動した。
『甲斐田 しぐれ』
あららぁー。
噂をすれば、なんとやら。
『あの娘』の、一番のお友達の、甲斐田しぐれちゃんからのお電話。
願ってもないタイミングだわ。
× × ×
「そう……そうなのね……。あの娘の苦しさや哀しさが、わたしにも伝わってくるわ……。ケアしてあげないとね。しぐれちゃん、あの娘をケアするスケジュールを、近日中に詰めて行こうね。たぶん、慰めるためには、しぐれちゃんのお家(うち)が最適な場所じゃないかな……」
今日は、ひとまずここで、通話を終えるコトにした。二言三言(ふたことみこと)交わした後で、通話終了ボタンを押す。
すると途端に迷惑なアツマくんが、
「『あの娘』って、誰? ケアするだとか、ずいぶん深刻な話題を――」
わたしの背中に距離を近付けながら訊いてきた彼を全力で制御したくて、
「あなたが知る必要は無いのよ」
と言いつつ、彼の方にカラダの向きを変え、じいぃ〜〜っ、と睨みつけていく。
「『秘密の愛ちゃん』ってか」
「そーよっ。秘密の愛ちゃんよ」
「何度開示請求しても無理っぽいな」
「あなたに開示請求の権利は存在しないわ。この問題にあなたが対処するのはNGよ、アツマくん」
「ふうーん」
「理解できたなら、ソファの方に行って、読書でもしてなさい!」
「おれ、1つ気になるモノが」
「はい??」
「日記帳。テーブルに置いてある日記帳が気になる。熱心に読み返すほど、面白いコトが書かれてるのか――」
「わ、わたし言ったでしょっ、『あなたには絶対に、わたしの日記帳には手をつけさせない』って!?」
「それでも気になるモノは気になっちまうんだよな〜」
「あ、あ、あのねぇ」
「8月の日記なんだろ? ここは1つおれに、『日記に書かれた8月の名場面ベスト3』を――」
反射神経の良いわたしは、瞬時に日記帳を利き腕で掴み、瞬時にアツマくんの頭部を日記帳でスパーン、と叩いていた。
そうするしか選択肢が無かったんだから、仕方ない……。