【愛の◯◯】ようやく果実は実を結んで……

 

朝食の後で服を着替える。

この服は「よそ行(ゆ)き」の服じゃない。出かけていく時はもう1回着替える。この服装よりも何倍もキチンとした服装にする。

出かけていく時にオシャレする理由はちゃんとあった。

でも午前中は「オシャレする理由」だとかはおいといて、部屋の掃除をしたりするコトに決めている。

 

掃除のしやすい服を着て床に置いてあるモノなどを片付ける。

出しっぱなしにしていたビデオテープが眼に入った。

5本ぐらいVHSテープが積まれている。片さなきゃ。

放送部の教え子はVHSのアルファベット3文字なんか知らないだろう。

わたしにしたって、23歳でかなりの量のVHSテープを所持しているなんて、『どんな昭和世代だよ』とツッコまれるのを回避できそうにない。

 

× × ×

 

VHSテープを5本積んだりするのには背景があるワケで。

 

わたくし小泉小陽(こいずみ こはる)は小さな頃からテレビとラジオのコトばっかり考えて育った。

幼稚園児の頃にはもうYouTubeがあった世代だ。世間的には地上波テレビなんかは既に前時代のモノになりかけていた。

でもわたしは幼少期から不思議と、テレビやラジオといった放送文化に興味を引かれていた。

テレビは地上デジタル放送に移行しようとしていたけれど、わたしはわたしが産まれる前の番組のほうに惹かれていた。

家には何冊か過去のテレビ番組を振り返るムック本があって、わたしは絵本そっちのけでそればかりを読んで育って、小学校低学年の時点でもう放送オタクだった。

相当の放送オタクだったはずだが、周りからイジメられたり除(の)け者にされるという風なコトは無かった。

それは多分、わたしが話すテレビやラジオの知識が同級生と余りにも縁遠くて、気持ち悪がられる余地も存在しなかったからだと思う。

 

中学受験をした。某名門女子校に入った。

思春期に差し掛かる年代だったが、放送オタク熱は全く冷めるコトが無く、世間一般の女子中学生が関心を持つような物事にほとんど眼を向けていなかった。

嬉しかったのは、女子校でわたしの興味の対象に一定の理解を示してくれたクラスメイトに出会えたコトだ。

葉山むつみや八木八重子は呆れながらもわたしの放送オタクトークに耳を傾けてくれていた。

中学時代にもう1つ嬉しかったのは、同じ放送オタク熱を共有しているヒト達とWEB上で繋がりを持てたコトだった。

WEBのコミュニティでいろんな世代のヒト達と交流して、距離を縮めた。

距離を縮められたから、VHSテープなんかを時々プレゼントされたりもして、リアルの世界以上にそのコミュニティは居心地の良い世界だった。

 

テレビの知識を増やすのは好きだったし、周りの女子よりテレビを視聴する時間は倍以上多かったはずだけど、テレビ番組に出てくる男性アイドルや男優に「ときめく」ようなコトは全然無かった。

女子校通いだったから、リアルでの同年代男子との接触は皆無に近かった。

身近な異性はお父さんと男の先生。

若い男の先生に惹かれていたり焦がれていたりした娘(こ)もいたみたいだけど、わたしはもちろんそんな風にはならなかった。

ただ、WEB上の歳上の異性との間で苦い経験をしてしまったコトはある。

WEBコミュニティで交わりを深めていた同好の士たる男性(ヒト)と、ある時WEB通話で口論になってしまったのだ。

きっと距離を縮めすぎたのがいけなかったのだ。

WEB上だし、距離感が分かりにくかったんだろう。

悪かったのはもちろんわたしのほう。いろいろ弁(わきま)えていなかった。若気の至り。

その男性(ヒト)とは「それっきり」みたいになって、大学に入る頃には関係は萎(しぼ)み切っていた。

もっとも、オフ会で顔を合わせるようなコトも無かったんだけどね。

高校時代に異性との関わりで唯一痛かったコト。

 

さて、リアルの男子と一切交際しないままに、わたしは某有名私立大学に進学した。

交際どころじゃない。ほとんど同年代の男子と会話しないままに。

恋や愛の味どころか、男の子がどういう性質の存在なのか少しも分からないまま大学まで来てしまった。

葉山むつみや八木八重子といった同級生の親友や、羽田愛さんみたいな後輩の女の子たちとばかり触れ合っていて。

……あー。

羽田愛さんの弟の利比古くんと、羽田愛さんの彼氏の戸部アツマくん。

この男子2人は、確かにわたしの身近に居たな。

だけど、利比古くんは年下の男の子として弄(いじく)ったりからかったりするので大満足だったし、戸部くんに関しては羽田さんと夫婦喧嘩や夫婦漫才的なやり取りをしている所を観察しているのが1番の楽しみだったし。

利比古くんも戸部くんも、わたしにとっては、異性じゃないんだと思う。

 

大学は共学。

だけど、男子と恋だの愛だのの関係に発展する機会は、ずーっとやって来ず。

ズバリ、相変わらずテレビやラジオに恋をしていたから。

わたしが惚れ抜いているのは液晶テレビやポータブルラジオだった。

『なんだそれ……』とドン引きするヒトばっかりだろう。でもそれがわたしの性質で本質だったのだ。

大げさだけど、テレビやラジオを伴侶(はんりょ)とするのが、幼い頃からのわたしの『生き方』だったのだ。

 

だけども、大学3年になったあたりから、

『わたしがモテない理由は分かってるけど、このままにズルズルと行っちゃうのかな……』

という思いが細く芽生えてきていた。

 

赤い実が弾けました……みたいな、昔の小学校高学年の国語教科書に載ってたようなアレじゃないけど、わたしの中に芽生えたモノの先っぽから、果物の実のようなモノが徐々に膨らんでいっていたのかもしれない。

だとしたら。

その果実が大きく実を結んだのは。

疑いもなく。

そう、疑いもなく……4年の教育実習の時の、あの出会い。

 

大川くん。

 

大川くんとの出会いで状況は激変した。

関心の無かった物事に関心を持ち始めた。

その物事が何だったのかはとても言い切れない。言い切れないぐらいに世界は変わった。

1つ強いて挙げるならば、ファッション。

よそに着ていく服に2時間以上悩むようになったのは、教育実習で大川くんと出会ってからだ。

大川くんとの関係を続けているわたしは、きっとこれからコーディネートを確定させるまでに4時間ぐらいかける。

お昼になった後で、彼に会いに行くまでの時間を全てオシャレに充(あ)てる。

わたしの最優先事項がテレビとラジオだけでは無くなった。

時には、彼の方が、大川くんの方が、最優先事項として、わたしの生来の趣味を上回る。

 

× × ×

 

掃除を終えて、買い置きしていた昼食をとって、それから姿見へと向かっていく。

1つ目の候補のトップスを携えて姿見の前に立つ。

そのトップスを胸に押し当てて、大川くんとの場に相応しいか考え始める。

思考がめぐり始めると共に、ドクドクと胸が高鳴り始める。