戸部邸のリビング。
戸部アツマくんがいつも通りクリームソーダを作ってくれた。
わたしの前にクリームソーダのグラスを置いてくれる彼に、
「どうもありがとう、『アツマくん』」
「……なぜ下の名前で呼ぶか」
彼はちょっぴり困惑顔。
「特別サービス」
「は!?」
吹き出したくなるぐらい可笑しかったが、こらえて、
「ごめんなさいねえ。いきなり特別サービス食らったら、テンパっちゃうわよねえ。いつものように『戸部くん』って呼んであげるからぁ」
「葉山が、おぞましい面倒くささを発動させている」
なによー、それ、戸部くーん。
「わたし面倒くさくないわよ」
ソファに座っているわたし。テーブルを挟んで棒立ちみたいになっている戸部くんを見上げる。
戸部くんはやや早口に、
「クリームソーダのアイスが溶けちまうから早いこと食え」
「分かってるわよ、あなたに言われなくても」
わたしは、
「座ったら? あなたの後ろにソファがあるじゃないの」
と促す。
しかし、
「イヤだ」
と彼は。
「どーしてかしらねー。素直じゃ無いわねーっ」
「だ、だからおまえは早く、クリームソーダのてっぺんのアイスを……!」
ふふっ。
戸部くんが可愛い。
× × ×
わたしと戸部くんの茶番のごときやり取りを羽田愛さんは間近のソファに着座してバッチリ眺めていた。
戸部くんがヨロヨロと別の所に消えていき、クリームソーダを味わうわたしに羽田さんが接近してきた。
わたしの左横に腰掛けている彼女。
キレイな座り方。
そしてキレイなスマイルフェイス。
いつもながらパーフェクトである。
ガサツな戸部くんとは大違い。
だけど、凸凹(でこぼこ)カップルというか何というか、欠点のほとんど無い彼女と欠点だらけの彼氏だから、ピタリと合うんだろう。凸凹ゆえの相性の良さ。
さて、そんなコトも考えながらほぼクリームソーダを味わい尽くしたわたしは、
「羽田さん。今日は羽田さんの部屋でお勉強をしましょう」
「リビングで勉強するんじゃないんですね」
「今日は羽田さんルームの方が良いの」
「どうして?」
「気まぐれよ」
この上なく便利な「気まぐれ」というコトバを使って答える。
羽田さんは可愛くニッコリ。
「センパイの『気まぐれ』、卑怯。」
チャーミングに笑いながら「卑怯。」と言ってくれる彼女が居る。
× × ×
それで、羽田さんルームでわたしの受験勉強の個別指導を受けていたんだが、
「羽田さん、少し疲れてきたわ。ここで休憩を入れましょうよ」
「あ、センパイ肩とか凝ってきましたか? わたし肩凝りをほぐしてあげますよ」
「……」
返答せずに、右隣に座っている羽田さんを眼を細くして見る。
「ど……どーしましたセンパイ」
「羽田さん」
「はい」
「マッサージとか、スキンシップ的なコトはね」
「……はい」
「『とっておき』よ」
戸惑う彼女を横目にわたしは組んだ両手を頭上に伸ばして背伸びをする。
それから勉強机の前の椅子から丁寧に立ち上がり、後ろのベッドに丁寧に歩み寄り、静かに腰を下ろす。
それからそれから、自然な感じでベッドにごろ〜ん、と寝転がり始める。
「……自由ですね」
彼女がわたしの方に顔を向ける。
「呆れちゃった?」
「いえ。ベッドに寝るのに、いちいち許可取ったりとかしないので」
「嬉しいわ」
「休憩タイムが何だか長引きそうですけど」
「かもね」
彼女はスカートの両膝に両手を置き、考えているコトがあるような顔つきでわたしを見下ろす。
そしてそれから、
「センパイ。まだ先の話ですけど。もし、京大に受かって京都で暮らすコトになったら、どんな所に住むつもりなんですか? 正直わたし、ひとり暮らしは大変だと思います。何か伝手(ツテ)があって、その人の所に下宿できるとかだったら良いんですけど……」
その件についてはわたしもちゃーんと検討している。
『アテ』は、ちゃんと有ったりする。
でも、でもでも、羽田さんも言うように、それは遥か先の話で。
わたしはむしろ、わたしの将来の◯◯よりも、羽田さんの将来の◯◯について話してみたい。
ゴロゴロ寝転びながらも羽田さんに視線をしっかり向ける。
今日の彼女はモスグリーンの長くも短くもないスカート。わたしもこういうスカートを持っている。趣味が似通うモノなのね。
「せ、センパイっ。そんなふうに苦笑いする意味って」
「あのね羽田さん」
苦笑から、柔らかな微笑になって、
「わたしの京都生活を心配してくれるのは当然嬉しい。でもね、そんなコト心配するよりもね、あなたにはわたしのお話を聴いてもらいたいのよ」
「おはなし??」
「常日頃、わたしには思ってるコトがあって。あなたについて」
「わたしについて? どんな思いがあるんですか」
「1年プラスされちゃったとはいえ、あなたも近い将来は大学を卒業して働き始めるんでしょう?」
「わたしの進路のコトですか? どうしてセンパイが、わたしの将来設計のコトだとかを……」
「考えるわよ。わたしの愛する後輩の羽田愛さんの未来のコトなんだから。トコトン考えてる。わたしにとってこれは『義務』」
彼女の視線はわたしの方へ向かっているというよりもベッドの手前のカーペットに落ちている。
うろたえが兆している。
一気に言ってみたかった。
彼女はますますうろたえちゃうかもしれない。でも、わたしの本当の気持ちを伝えたい。
「ズバリ」
寝転がり続けながらも、気持ちを込めた声で、
「あなたの『天職』、学校の先生以外に無いと思うの」
彼女の動揺が加速した。
眼は大きく見開かれ、ほっぺたの上の方には赤みがさしている。
モスグリーンのスカートの両膝に置かれていた手を、お腹の手前で組み始める。
猫背気味になって、縮こまる。
彼女のカラダがわたしの眼には通常より小さく見えている。
ビックリドッキリさせちゃったみたい。
多分他の子にも『教師が天職』みたいなコトは言われているんだと思う。
でも、彼女をずーっと見てきているセンパイなわたしから面と向かってそう言われると、戸惑って、うろたえて、小さくなっちゃうのは避けられなくなる。
そんな羽田さんの反応がわたしには嬉しかった。
ビックリドッキリしたあとで今みたいな感じになっちゃうのって、わたしのコトバを真剣に受け止めてくれた証拠だから。
寝転ぶのをやめて、起き上がってみる。
淡い黄色のロングスカートをちゃんとしてから、まっすぐに最愛の後輩を見つめて、笑ってあげる。
羽田さんはまだいつもの羽田さんにはなっていないけど。
「高校教師よ」
「え? え!?」
「高校教師よ。あなた、教師の中でも断然、高校教師に向いてる。共学の高校教師の方がベターだと、わたしは思う」