葉山先輩の誕生日は明日(あした)なのだが、戸部邸のメンバーで1日早いお祝いをしてあげることになった。
リビング。
ソファに優雅に腰かける葉山先輩。
「1日早いけど、おめでとうございます、葉山先輩」
「ありがとう羽田さん。あなたに『おめでとう』って言われると、ホントに嬉しい」
――笑顔が物語っていた。
穏やかな表情を保ってセンパイは、
「どう、コンディションのほうは?」
「わたしの調子のことですか?」
「そう。メンタルのコンディションも、フィジカルのコンディションも…。特に、メンタルのコンディションが、気になる」
「――上向きです、着実に」
「……そう。」
「心配しすぎなくてもいいですよ。――仕上がってきてますから、わたし」
「仕上がる、か」
安堵したように、
「仕上がる、とか、まるで競走馬の調子のことみたいだけど――それはともかく、あなたが回復に向かってそうで、なによりだわ」
「ですね。回復してる実感、あります。
だから――、」
「?」
「――めいっぱい、きょうは、センパイを祝ってあげたい」
「……やっぱり強いのね、羽田さんは」
「いつもいつも強いってわけじゃないんですけどね」
「意外ね、謙遜するなんて」
「えー、わたしだって謙遜ぐらいしますから」
……こんなふうに和やかにおしゃべりしていたのだが、ダイニング・キッチンの方角から、スーッとアツマくんが姿を現してきたのだった。
彼はトレーを持っていて、トレーの上にはメロンクリームソーダとアイスコーヒーが載っている。
「わあっメロンクリームソーダだっ」
派手に喜ぶ葉山先輩。
「…初っ端のひとことがそれか。葉山」
「ゴメンゴメン、運んできてくれたのは戸部くんなんだもんね」
センパイとわたしのためにグラスを置くアツマくんに、
「ありがとう。」
とセンパイが言う。
「……」
立ってセンパイを見下ろし、彼は、
「きょうは……日曜だが」
「――お馬さんの話に持っていきたいの? 戸部くんは」
「持っていきたいというより……葉山がこの時期に競馬トークをするのが、恒例になってきてるから」
「恒例なのかなあ」
苦笑してセンパイは、
「たしかに、きょうもG1のマイルチャンピオンシップがあるけど。
不用意にお馬さんのことで盛り上がったりするつもりないから、わたしは」
「……この時期は毎週G1なんだろ? 内心ではウキウキしまくってるくせに」
「デリカシー無いこと言うね~」
「……」
「あと、この時期に毎週のようにG1があること、どうしてご存知なの? 戸部くん、なんだか詳しくなってない??」
「……邸(ウチ)は、スポーツ新聞を4紙とってるんだよ。日曜日の1面の見出しが、イヤでも眼につくんだ」
「ああー、そゆことかー」
「あとで、おまえにスポーツ新聞を施(ほどこ)してやる」
「施すって、またまたぁ」
「だから、さっさとクリームソーダを味わえ」
「わかってるわよ♫」
…微笑ましい2人だ。
× × ×
あすかちゃんもやって来た。
「――葉山さん、熱心ですね」
熱心に日刊スポーツを読んでいたセンパイに、言うあすかちゃん。
「あ、夢中になりすぎちゃってたわね。ゴメン」
センパイは日刊スポーツを置く。
「いえいえ。夢中になることは、良いことですから」
「変なことに夢中になってるんだけどね、わたしは」
「え~~?? お馬さん、そんなに変なことですか~~??」
「…あはっ。敵(かな)わないな、あすかちゃんには」
「敵わなくないですよ。敵いますよ」
「面白いこと言うね…あすかちゃんも」
日刊スポーツ1面の見出しをジッと見る。
そのあと、あすかちゃんの顔をジックリと眺める。
……思惑でもあるかのような、葉山先輩。
「どうしました……葉山さん??」とあすかちゃん。
「……ちょっとね。『ひらめき』みたいなものが、あって」とセンパイ。
「……?」
戸惑うあすかちゃん。
「――いいえ、『時期尚早』、だったかな。
あんまり気にしないで、あすかちゃん」
意味深にセンパイは言う。
× × ×
友だちから電話がかかってきて、あすかちゃんは席を外した。
「いったいどんな考えが、センパイの頭に浮かんだんですか」
わたしは訊く。
「ヒミツ。とっておきだから。」
とセンパイは言う。
「…ズルいですね、センパイも」
「『ズルい女』ってヒット曲が、大昔にあったわよね。まさにわたしも、ズルい女」
「…あすかちゃんの将来のことに関する『ひらめき』、じゃなかったんですか?」
「羽田さんはスルドいねえ。スルドい女の子だ」
「…」
「――未来を。
未来を、あの子に示してあげられたら、わたしみたいな存在も、役に立つ存在になることができるかなー、って」
あすかちゃんの、未来――。
「でも、具体的なことは、ヒミツよ」
「なんとなく、あすかちゃんの未来についてのセンパイのヴィジョンが、分かる気もしますけど」
そう言ったあとで、日刊スポーツの1面見出しに、わたしは眼を凝らす。
「――勘づいちゃってる感じ?」
センパイは問う。
「――ヒミツなんでしょ?」
笑いながら、わたしは答える。
× × ×
「あすかちゃん長電話ですね」
「長電話だっていいじゃないの」
「――センパイ。」
「んー? なにかな、羽田さん」
「利比古、待ち遠しくないですか?」
「あーっ」
「利比古、イジってみたいんでしょ? センパイ」
「あなたの弟さんはイジりがいがあるもの」
「11時半までは受験勉強だそうで」
「真面目なのねえ」
「部屋から引っ張り出してきても、いいんですけど。
一刻も早くイジってみたい…って雰囲気だから、センパイ」
「…不真面目なことを言うのね、あなたのほうは」
「自覚はあります」
「アハハ……。
ある意味、あなたらしいかな。
不真面目だっていう面も、あなたらしさ」
「わたしほどじゃないですけど、利比古だって不真面目なときもあるんですよ?」
「ほほー、ぜひそこは、突っついてみたい」
……わたしはソファから立ち上がり、階段に向かっていく。
いったいセンパイがどこまで利比古を攻めていくのか、期待に胸を弾ませて。