【愛の◯◯】回想。後輩の、恋

 

中2の2学期に『彼』の邸宅に住み始めてから、羽田愛さんの中でなにかが変わっていったんだと思う。

変わっていった「なにか」が具体的になんだったのかは、上手く言い表すことができない。

だけど、彼女の住む場所が変わった中2の2学期以降、2学年先輩のわたしに対する態度が変化していったのは確かだと思う。だとしたら、変わっていった「なにか」のひとつに、「わたしへの向き合いかた」を挙げてもいいのかもしれない。

彼女は先輩のわたしに気後れしなくなった。

距離は縮まった。

彼女はどんどん美人になっていった。

 

× × ×

 

母校の女子校には『ガーデン』と呼ばれる空間があった。四季を通して美しい花が咲き誇る庭園のような場所だった。

羽田さんが高等部に上がりたての頃のこと。

わたしが『ガーデン』を横切ろうとしていたら、下を向いて佇んでいる羽田さんの姿が眼に留まった。

地面に散った草花でも眺めてるのかしら、と思って立ち止まり彼女を見た。彼女は眼を閉じていて、草花なんて見ていなかった。考えごとに耽っているとしか思えなかった。

『ガーデン』まで来て植物も鑑賞しないでひたすら考えごとだなんて、明らかに違和感があったので、わたしに気づかない彼女の様子をひたすらに見続けることにした。

やがて彼女が眼を開けた。わたしの存在に気づいて、美少女過ぎるぐらい美少女な顔でわたしを見つめた。

それから彼女はなぜか視線を逸らした。『マズいところを見られちゃった』と感じているのは明らかだった。

5分間、なにも言わず羽田さんを見続けた。羽田さんもなんにも言わなかった。

「羽田さん」

牡丹(ぼたん)の花が咲くほうに視線を逸らしている沈黙の美少女に声を掛けた。

「おはよう」

現実の時間帯の挨拶としては到底相応しくない「おはよう」を言ってみた。

「いま放課後ですよ、葉山先輩」

ようやく開かれた後輩の口からツッコミのコトバが出てきた。

「わかってるわよ、羽田さん」

後輩はまた口を閉ざして、『このセンパイは次になにを言ってくるんだろう』と言いたげな、警戒の色の強い表情になった。

その表情が15歳の女の子らしさに満ちていて可愛かったから、たっぷりと弄(いじ)ってあげたくなってきて、

「自販機のあるところまで行かない? あなたに缶コーヒー奢(おご)ってあげるわよ」

 

× × ×

 

メロンソーダをゴクゴク飲みつつ、無糖缶コーヒーを飲んでいる羽田さんを観察した。

いろいろと覚(さと)ってしまったわたしは、コーヒーを飲み切った彼女がゴミ箱に缶を捨ててから元の場所に戻ってきた瞬間に、

「あなた、好きな男の子ができたんでしょ」

と告げた。

告げた途端に、彼女の顔面が幼くなり始めた。見る見るうちにコドモっぽさが顔面を覆い始めた。無糖でコーヒーを飲むことのできる女の子だとはとても思えないコドモっぽさの発露(はつろ)だった。

「あら、男の子を好きになったの、初めて?」

彼女はブンブンと首を横に振った。違うらしかった。

初恋ではないにしても、尋常ではない程に顔面が紅潮していた。『ホンキで好きになった男の子が居るんだ』と確信した。

「どうしてわかったの。センパイ」

弱々しく羽田さんは言った。追い詰められるとタメ口が目立ってくることも覚った。

「オンナの勘。といっても単なるオンナの勘じゃなくって、酸いも甘いも噛み分けた最上級生だけが会得することのできる……」

「わけわかんないこと言わないでよっ、センパイ」

「敬語を忘れちゃったのね。本当に取り乱しちゃってるのね」

挫折感を覚えたかのごとく、

「ごめんなさい」

とシナシナと謝る。

「別にいいから」

軽く応えて、木造りのベンチにメロンソーダの缶を置いて、立ち尽くしの彼女に急接近する。

怯え混じりの彼女の耳元に、

「お願いがあるの。明日授業が終わったら、わたしと『メルカド』に来て」

と囁(ささや)く。

 

× × ×

 

メルカド』は学校から徒歩3分未満のところにある喫茶店である。

約束通りわたしと共に入店してくれた羽田さんを真向かいに回して、メニューを熟読しつつ、

「メロンソーダが無いのよね」

と呟いたら、

「メニューには書いてないですけど、頼めば出してくれます」

と彼女。

「ホントに!? 裏メニュー!? というか、そんなに『メルカド』のこと熟知してるってことは、あなた常連客だったの」

首を縦に振ってくる彼女。

「まだまだ知らないことが多いわね、あなたについて。あなたの恋模様だけじゃなくって」

真横に顔を逸らして、

「頼めばメロンソーダは出してくれますし、追加で100円払えばメロンソーダをクリームソーダにすることもできますし」

と、肝心なる話題から懸命に逸れていこうとする。

 

美味しいクリームソーダが出てきた。

わたしがクリームソーダを完食するまでに、彼女は熱いブラックコーヒーを2杯飲んだ。

「あの、センパイ」

「なあに? クリームソーダ食レポでも所望するの」

「ちがいます。ぜんぜんちがいます」

派手に首を横に振ったかと思えば、

「あんまり……男の子のこと、だとか……恋模様、だとかで……わたしを揺さぶらないでください。センパイだって……理解できますよね? そういったコトって、秘密の中でもいちばんデリケートな部類の秘密で、安易に漏らしたくなんか……」

「分かるわよ。例えば、あなたの言うデリケートな◯◯についてこの場でわたしが言及して、それを他のお客さんに聞かれちゃったりしたら、あなたはひとたまりもないわよね」

「ひとたまりもないです」

「あなたの気持ちはとっても理解できるわよ。だからわたし考えたの」

「え?」

自分のスマートフォンをすうっ、と差し出して、

「どうしてだったんでしょうね。わたしとあなた、互いの連絡先をまだ交換してなかったでしょ」

「ほ、ほんとだ」

「ホットラインだと思って。羽田さん」

「なんのための?」

「文脈を読んでよ、それぐらい」

わたしは苦笑い。

ドギマギしている羽田さんがスマートフォンを出してくれるのを待つ。

すると、バイブレーションの音。

羽田さんのスマホからだった。

彼女は画面を見る。

急速にほっぺたが赤みがかっていく。

わたしは問いたくなって、問う。

「男の子、なの?」

彼女がスマホを伏せる。

伏せたあとで、胸の中心を右手で押さえる。

『そこまでドキドキしちゃうの』

戸部アツマくんのことなんか全く知らなかった当時のわたしは、そう思うだけだった。