【愛の◯◯】回想。既に「距離」は縮まっていて……。

 

高等部1年のときだった。

授業に出る気がしなくて、校舎の外のベンチで読書をしていた。

桜の木の花が散りかけていた。

花びらが微(かす)かな風に吹かれてベンチまでやって来た。

それとともに女子生徒もやって来た。

中等部2年の子。

栗色のストレートの髪。

160センチに僅(わず)かに届かないくらいの背丈。

バランスの整った体型に、すべてが整った容貌(ようぼう)。

中等部の子らしい幼さもあるけど、その幼さが良いアクセントになって、同性のわたしでも思わず胸がキュンとなってしまう。

 

羽田愛さんだった。

 

× × ×

 

羽田さんがベンチに座るわたしの間近に来て、

「葉山先輩、どうしてこんなところに居るんですか? センパイのクラスも自習時間なんですか?」

「違うわ。単なるサボタージュよ」

「『単なる』って。1学期早々から授業サボるなんて、センパイは欠席数とか怖くないんですか」

「単位はちゃーんと取るから」

「……」と羽田さんは疑心暗鬼の顔だった。

ハードカバーの本をパシン、と閉じて、

「あなたこそ、どーしてこんなとこに居るのよ。自習時間にしたって」

と言い、余裕スマイルでもって、

「わたしの真似(マネ)して、不良娘にでもなりたかったの?」

「ちがいます!!」

「叫ばない、叫ばない」

「センパイは図書館という施設の存在を知らないんですか!? 図書館で自習がしたかったんですよ、わたしは」

「図書館という施設ぐらい知ってるわよー」

余裕スマイルを持続させつつ、

「羽田さん。ホントにあなた図書館で自習するつもりだったの?」

「はい!?」

「ホントのホントは、好きな本が読みたくて、図書館に行くつもりだったんじゃないの」

羽田さんはカーッ、と顔を赤くして、

「そんなわけ、ありません!!」

「ふ~~ん」

 

× × ×

 

わたしが高1、彼女が中2の春に、こんなやり取りをしていた。

もう既に「距離」はかなり縮まっていたのかもしれない。

 

× × ×

 

同じ年。

今度は、1学期が終わりかけていたときのコトである。

 

わたしが偶然に音楽室近くの廊下を歩いていたとき。

ピアノの演奏が耳に入ってきた。

音楽室でピアノが奏でられているのは明らか。

巧い演奏ではあるんだけど、ところどころに乱暴さがあった。

もっと繊細に弾くべきところを、粗雑に弾いてしまっていると感じた。

そして、ひょっとしたらこれを弾いているのは『彼女』じゃないかと思って、音楽室のドアに近づいた。

 

覗いてみたら、やっぱり羽田さんだった。

「あっ……」

わたしに「発見」されて、彼女の顔面がカーッとなる。

眼を伏せるのではなく、カーッとなった顔のまま、わたしを直視し続ける。

うろたえの籠もった眼で、可愛かった。

わたしは音楽室に入っていく。

グランドピアノに近づいていく。

「やっぱり不良娘なんじゃないの? あなた。無断で音楽室を使うなんて、職員会議モノの悪行(あくぎょう)じゃないの」

「む、むだんじゃないですっ!」

「ホントか~~?」

まさに中等部2年といった感じの声で、

「許可は、許可は取ってるんですっ!!」

と羽田さん。

「ふぅん。どーやって取ったのよ」

と、彼女の間近に立ったわたし。

「音楽の阿久井(あくい)先生に、頭を下げたんです。『あなたのワガママが通るのは、今年あと1回だけよ』って言われて、許してもらったんです」

『あと1回、かぁ』と思って、ピアノの前に座る彼女のそばで苦笑いして、

「羽田さんって、きっとワガママっ娘(こ)でもあるのよね」

「ワガママっ娘ってなんですか。決めつけですか」

「だって」

グランドピアノに軽く手を触れてわたしは、

「あなた、中身に『ワガママ成分』が詰まってそうなんだもの」

「意味わかんない。」

「たぶん」

高等部としての余裕で、

「お母さんに反抗するときとかも、今みたいな態度を取るのよね? 『意味わかんない。』とか、お母さんにも言ったりするんでしょ」

「ぬなっ」

と面白いリアクションをして彼女は、

「反抗期じゃ……ないですから」

と突っぱねるものの、

「反抗期じゃないにしても」

と、わたしはやはり余裕しゃくしゃくに、

「なにかイヤなことがあって、ヤケになってるから、音楽室のピアノが弾きたかったのよね? そーでしょ??」

煽られて彼女は沈黙。パターン通りというかなんというかだった。

「イヤなことの中身は訊かないわ。あなただって、中2にもなれば、胸の底やお腹の底に抱えるモノだって生まれてくるんでしょう」

まだ沈黙しているから、

「わたしの言ってること難しかったかしら?」

「……攻撃的過ぎると思うんですけど」

「あら、攻撃的だなんて。こっちにはそんな意図少しもないのに」

今度は、柔らかく、優しさを籠めて、

「席を譲ってくれないかしら。お手本を見せてあげたいの」

「お手本ってなんですか……」

「あなたのピアノが荒削りだったから。まさに中学2年な未完成ぶりだったわよね」

羽田さんの眼つきが険しくなった。

「あららぁ。あなたのほうが攻撃的なんじゃないのー」

図星になって、険しかった眼つきが弱々しくなった。

羽田さんは立ち上がった。

うつむいて、悔しそうで、なおかつ「恥ずかしさ」のような感情も混じっているみたいだった。

 

× × ×

 

その年の2学期になって、羽田さんの住む場所が変わったという情報がすぐに入ってきた。

ご両親が海外赴任するので、とある邸宅に『居候』する、と。

その邸宅が東京競馬場に近いことを、当時既に隠れ競馬ファンだったわたしはすぐに嗅ぎつけた。

ただ……。その邸宅が、彼女とさほど歳の違わない高校生の男の子の実家であることまでは、嗅ぎつけられなかった。