【愛の◯◯】商店街の楽しい人々

 

朝の小鳥の声。

むくりと身を起こす。

ベッドの下では侑(ゆう)ちゃんがスヤスヤ眠っている。

侑ちゃんは昨夜アルコールに負けてしまい、サークルの同期の男の子の悪口を大声で言い続けたりしてしまっていた。喚く彼女を寝かせるのには少し手こずった。

でも、今は熟睡できている。安心。

ベッドからゆっくり立ち上がる。侑ちゃんを起こさないように忍び足みたいに鏡台へと向かう。

鏡台の前に座る。

「さて」

わたしは独(ひと)りごちて、

「4連休の前日なんだから、頑張らないといけないわね」

と鏡に誓って、自分の黒髪に右人差し指で軽く触れる。

 

× × ×

 

大学の最高学年というコトもあり、授業に出席するよりもアルバイトをする方が忙しかったりする。

アルバイト中の模型店がある商店街に着いたのは午前9時台だった。

模型店の店主のイバセさんがのろのろとシャッターを開ける。イバセさんは面倒くさそうにシャッターを開けたけれど、開店は10時から1秒も遅れるコトが無かった。

 

3連休と4連休の谷間みたいになっているからお客さんは多いのかもしれないと思っていたけれど、案外だった。

わたしに遠慮無しにものを言う生意気男子小学生も来店しない。ちゃんと小学校に行ってお勉強してるのね……。

 

お昼ご飯を食べ終えたわたしにイバセさんが、

「あと1時間ぐらいしたら商店街をブラブラしてきて良いよ」

「えっ、良いんですか」

「どうも『ヒマな日』みたいだからな」

確かに。

珍しく模型店には閑古鳥。

「夕方には放課後になった小学生どもがやって来るだろうから、応対してくれたら助かるけど」

「それまでわたし、フリーになっちゃっても良いんですか?」

「なっちゃっても良いよー。アカ子さん、きみって古書店とかレコード店とかが好きみたいじゃないか」

お店の奥からカウンターに入ろうとしていたわたし。

イバセさんは後ろから声を掛けてきている。

ずっとニコニコ顔のイバセさんが、

「羽根を伸ばすのも良いコトだよ、アカ子さん」

 

× × ×

 

夕方までお店が閑散とするコトは確かだった。イバセさんに素直に従い、商店街のアーケード通りに出ていった。

どう過ごそうかしら?

レコード店に行っても古書店に行っても退屈せずに時間を潰せると思う。

いいえ、『時間を潰せる』なんて、それぞれのお店のご主人に失礼よね。

時間を潰すんじゃ無くて、レコード店古書店を訪ねるコトで『時間を充実させる』んだわ。

まず向かうのはレコード店古書店かの2択になった。

迷うけれど、

レコード店のご主人の針生(はりゅう)さん、『ジョン・コルトレーンの輸入盤がもうすぐ店に入る』っておっしゃってたわよね。コルトレーンの輸入盤のコト、わたしも気になってたし……』

 

× × ×

 

ためらうコト無く1万円札を針生さんに差し出し、目当てだったコルトレーンを購入する。

針生さんはイバセさんよりさらに年上の男性である。もしかすると、わたしの父より祖父の方に年齢が近いのかもしれない。

そんな針生さんはカウンターでイバセさん同様暇を持て余しているみたい。

「アカ子さん」

わたしを呼び止めて、

「お茶していかないかい? コーヒーしか無いけど」

「え、コーヒーを淹れてくださるんですか?」

針生さんはわたしの表情を読み取って、

「コーヒーに前向きな顔だねえ」

「前向きです。でも、ジャズ喫茶みたいに居座ってしまって良いんでしょうか」

「むしろ私は居座るのを奨励したいが」

針生さんはユーモアに長けた人である。

『居座るのを奨励したい』というのもユーモアだろう。

針生さんのユーモアが上手(じょうず)だから、わたしは素直にカウンター前の丸椅子に接近する。

そして、お互いに微笑み合う。

 

コーヒーが手前に置かれる。

焼き物のカップにコーヒーは入っている。素人の目利きではあるけれど、高い技術力で職人さんが焼き物を作り上げたコトが伝わってくる。

わたしが焼き物のカップを見つめていたから、

「きみなら柳宗悦(やなぎ むねよし)を知ってるよね」

と針生さん。

「ハイ。もちろん」

答えるわたしに、

河井寛次郎(かわい かんじろう)は?」

「もちろん知ってます」

「ハハハ。かなわないなぁ」

角砂糖を静かにコーヒーに落とし込むわたしに、

「民藝(みんげい)だとか、そういった話題は私よりも天堂(てんどう)さんの専門なんだろうが」

「ですよね。天堂さんは如何(いか)にもそういう方面に詳しそう」

天堂さんとは、わたしがすっかり行きつけになった古書店のご主人のコトだ。

針生さんのレコード店と天堂さんの古書店の距離は近い。互いにお店を行き来したりもしばしばなのである。

「こんな話してると天堂さんが乱入して来ちゃいそうだな」

「針生さん、『乱入』だとか物騒ですよー」

もちろんわたしは本気でたしなめているワケでは無い。軽いツッコミ。

 

噂をすれば何とやら……では無いけれど、わたしのコーヒーカップの中身が3分の1ほどになったところで、ガチャ、と誰かがお店のドアを開ける音が背後から聞こえてきた。

「天堂さんよー、もうちょいドアは丁寧に開けてくれよ」

針生さんの苦笑い。

「自分の商売は良いのかよ」

と天堂さんに訊いたりもする。

「お客があまりにも来なかったんでイヤになっちまったんだ」と古書店のご主人。

「それでこっちに駆け込んで来たんか」

「そーよ針生ちゃん。とりあえず1杯」

「オイオイ。アカ子さんが来てるんだ。誤解を招くような表現はしちゃダメだぜ」

天堂さんに振り向いて笑いかけるわたしに、

「おー、良く来てくれたなアカ子ちゃん」

「コラコラ。勝手に私の店を自分の店に吸収合併させないでくれ」

天堂さんをたしなめる針生さんの表現が面白くて、わたしは笑い声を出してしまう。

「針生さんよ。アカ子ちゃんのツボにハマッちまったみたいだぞ」

面白過ぎて笑い声まで漏らしてしまったテンションを落ち着かせてわたしは、

「天堂さん。そんなにお客さんが来店しないのなら、わたしが『お客さん』になりますよ」

「ん。俺の店に行くんか?」

首をふるふる振って、

「いいえ。わたしは『ここ』でお客さんになります」

「エッ、アカ子ちゃん、それはどういう」

針生さんが見かねるように、

「あんたの『お相手』になってくれるってコトだよ、天堂さん」

「そーなんか、アカ子ちゃん」

「針生さんのおっしゃった通りです」

「んー。なーんかアカ子ちゃんにも針生さんにも悪い気がするけど」

「わたし、天堂さんと本の話がしたいところだったんですよ」

「したいんか、本の話」

「ええ。だからカウンターの席に座ってください」

そう言って天堂さんをカウンター席に促すわたし。

丸椅子1つを隔てて木椅子に天堂さんが腰を下ろした。

丸椅子1つ隔てるんじゃ無くて、丸椅子に座って隣同士でも全然構わなかったんだけれどね。

「コーヒーだな、天堂さん」と針生さん。

「ああ。熱いの頼む」と天堂さん。

「お菓子の代わりのBGMは何が良い?」

「針生さん針生さん、それは彼女に決めてもらうもんだろ」

わたしがBGMをリクエストする流れになってきた。

「そうですね」

思案しながら、

「異国情緒、があった方が良いかも」

「異国情緒?」

と、針生さんは『もう少し詳しく……』というお気持ちの表情。

丸椅子1つ隔てたところから天堂さんが、

「ラテン系かな?」

とわたしに訊く。

「ズバリです」

 

ブラジルとかアルゼンチンとか、そこら辺の音楽が良かった。

南米大陸の音楽を聴かせてもらえたら、南米大陸にいるわたしの彼氏のコトを身近に引き寄せられるから。

そう。ハルくん。地球の裏側に行ってしまってからハガキすら1度も送ってきたコトが無いハルくん。

ラテン系の曲を聴いて地球の裏側のハルくんを想って泣きそうになる時期はもう終わった。

今は、地球の裏側の音楽を聴けば、地球の裏側の好きなヒトを間近に引き寄せられるから、悲しい気持ちの反対になるコトができる。

 

わたしとハルくんにまつわる裏事情的なコトを針生さんも天堂さんも知らない。

そもそもハルくんの存在に言及したコトも無かったような気がする。

だけれど、人生経験豊富な方々なのだから、彼が遠ざかった愁いとか、遠ざかった彼に向けた想いとか、わたしがコトバにしなくても、それとなく気が付いているのかもしれない。

 

針生さんがレコードを回し始める。

「天堂さん。本のコトでいっぱい喋りたいコトがあるんですけど、ワガママな女子大学生になっても良いですか?」

「女子大学生はワガママなモノだろう? 俺はそんな認識」

「天堂さん、あんたフィーリングでモノ言ってないか」

「良いんです良いんです針生さん。わたしが『面倒くさい社長令嬢』だっていう認識も浸透しているんで」

「それ、どこに浸透してんの」

訊く針生さん。

「各方面に」

答える、ワガママでイジワルなわたし。

地球の裏側の彼氏の話までも、口から飛び出てしまいそう。