リビングのソファのホコリを払っていましたら、お嬢さますなわちアカ子さんが、にゅーっ、と姿を現してきました。
パジャマとなんら変わりのないようなダラけた服装。
まだ半分眠っているみたいなボーッとした眼をしています。
「お嬢さま、もう10時過ぎようとしてますよ。日曜とはいえ遅起き過ぎるんじゃないでしょうか」
わたしは厳しめに、
「お顔は洗ったんですか?」
するとアカ子さんは、
「洗ったわよ」
とキッパリ。
彼女はゆるゆるとした足取りでグランドピアノに近付き、グランドピアノの前に腰掛けます。
弾き始める彼女。
わたしは、彼女の演奏をBGMにしながらソファのホコリ払いを続行するのですが、彼女の弾きかたがいつもと違うことに気が付きます。
調子が良いときの彼女なら、こんな弾きかたはしないはず。
ひとことで表すならば、「ダウナー」な音です。
違和感があるほどにダウナーな演奏。
まあ、アカ子さんが調子を上げられない理由も分かりますが。
調子を上げられない理由、ハッキリとしていますからね。
ソファの手入れを終わらせて、
「引きずってますね。引きずってるでしょう、アカ子さん」
彼女はうつむいて鍵盤を見つめ、それから、
「引きずらないほうがおかしいでしょう、蜜柑」
「ですが、愛さんとアツマさんのマンションにお泊まりして、ココロの傷を癒やしてもらったのでは?」
彼女は黙って頷きつつも、
「そうよ。とても2人には感謝してるわ。だけれど……未だに朝早く起きられないし、髪も上手く梳(と)かすことができないの」
ふーむ。
「自分で上手にできないのなら、わたしが梳かしてあげましょーか?」
「それだけはイヤだ」
「じゃあだれがアカ子さんの身支度を手伝ってあげるんです? 住み込みメイドなんですよわたし。そういう『務め』だってあるんですから」
「蜜柑」
「なんですか」
「牛乳を飲むわ」
すーっとアカ子さんが立ち上がります。
脱力感あふれる歩きかたで、ダイニング・キッチンへと向かっていってしまいます……。
× × ×
昼下がり。
(いちおう)服を着替えたアカ子さんが、編み物をしています。
さかんに手を動かしているアカ子さんなんですが、いったいなにを作るつもりなんでしょうか。
そもそも、なんのために編み物を――。
「あ」
わたしの顔を見て、
「わたしがしてる編み物の不毛さを感じ取ってるのね?」
と、彼女は。
「『なんのための編み物なのか理解しかねる』っていう顔つきにあなたはなってるけれど」
精確にわたしのココロを読む彼女は、
「最初っから、目的なんて無いのよ」
と言ったかと思うと、編んでいるものをテーブルに投げ出してしまいます。
「やはり乱調ですか、お嬢さま」
「『やはり』が余計よ」
「あっ、ハイ」
左腕でアカ子さんは頬杖をつきます。
じぃーーっとアカ子さんはこっちを見てきます。
その凝視の眼が、なにゆえか柔らかくなっていきます。
彼女の眼つきが楽しそうなものに成り変わっていくのです。
どうしたんでしょーか。
アカ子さん。
そんなふうな愉快な眼つきになる理由が分かりません。
企んでません? なにか。
アカ子さんの企みはろくでもないモノが多いので、こっちは不穏な気分になっていっちゃうんですけど。
例えば……。
「蜜柑。わたし、どーしても知りたいコトがあって」
「……どんなコトを」
「蜜柑にまつわる◯◯なコトなんだけれど」
「じ、焦らさずに、早く言ってくださいませんか」
「ムラサキくんよ。ムラサキくんとあなたの『現状』について、わたしは知りたいの」
あぁ……。
やっぱり、そんなところを突いてくるんですね、お嬢さまは。
悪寒はある程度あったものの、イザ唐突に言われてみると、動揺を抑えられないのを否定できなくなってしまいます。
抑えるのが難しい動揺のせいか、胃のあたりが鈍く痛みます。
「調べたのよ」
「調べた??」
「調べたの。『このブログにおいて、ムラサキくんと蜜柑がまともに絡んだ記事は、いつまで遡れば見つかるのか』ってことを」
お嬢さまは唐突にメタフィクションで攻めてくるんですね。
「そしたら。なんとムラサキくんと蜜柑の直(ジカ)な絡みは、8ヶ月以上も前まで遡らなきゃ、出てこなかったのよ」
「……」と、わたしは呆れて沈黙します。
『呆れて物が言えない』って、絶対に今のような状況でしょ。
全部お嬢さまのせいなんですからね!?
「どーなの、蜜柑」
お嬢さまはなぜか半笑いで、
「あなた、過去8ヶ月で、何回ムラサキくんと会ったのよ? もう放置しておきたくないわ、あなたと彼のカンケイ。ここらへんであなたと彼のカンケイを掘り下げておかないと、ブログの読者さんだって納得できなくなっちゃうわよ」
だからどーして、『ブログの読者さん』だとか、メタフィクション路線に突き進んでいくんですかっ!
言えばいいんでしょ!? 言えば!?
教えます、ムラサキくんと何回顔を合わせたのか。
教えますから。
わたしが教えてあげたら、その半笑いを、即座にやめていただきたいと思います。
住み込みメイドとはいえ、わたしだってお嬢さまにキレるときはキレるんですからね!?
お分かりかしら!?