「アカ子さんは居ないんですか?」
「彼女はドライブに行きました」
「ドライブに!」
「スポーツの日だけに、スポーツカーに乗って」
ムラサキくんは、「なるほど」と軽く笑って言ったあとで、アカ子さんの心境を慮(おもんばか)ったのか、心持ち硬い顔つきになって、
「気分転換、なんでしょうね」
「だと思います」
「んっと、彼女の彼氏のハルくんが、海外に飛び立ってしまったそうで……」
「とんでもない大きさのダメージだったようですから」
「やっぱり、蜜柑さんはアカ子さんと一緒に暮らしてるから、アカ子さんのダメージの度合いも……リアルに」
「はい。感じてます、肌で」
わたしはそう答えつつも、『こういう話が際限なく続くのもマズいかな。ムラサキくん表情が硬くなる一方だし』と考えて、
「ムラサキくん。シリアスなトークはいったん打ち切りませんか?」
「えっ」
「なんだかムラサキくん、ガチガチになっちゃいそうな勢いですし」
「ガチガチ!?」
「はい。わたし、ガチガチをほぐしてあげたい気分になってきました」
「ほぐす、ですか」
「場所を変えませんか」
「場所移動ですか? だけど、ここの客間から、いったいどこに」
「それはですねぇ……」
× × ×
ムラサキくんが、ゆっくりとゆっくりと、邸(いえ)の2階廊下を歩いています。
そんなにソロリソロリと歩く必要も無いでしょうに。
「逆に緊張してるのかしら? わたし、ほぐしたかったから、ムラサキくんを階上(うえ)に案内したんだけど」
「……正直に言うと」
「まあとにかく部屋に入りましょうよ」
『部屋』というのはわたしの部屋です。
自分の部屋の方角を向いてムラサキくんを促すのですが、彼はキョロキョロとして、わたしが促すほうをなかなか見てくれません。
やれやれ。
やれやれー、ですね。
「ムラサキくん。そこはお風呂場です」
バスルームの扉に注目していた彼が慌てて視線を外します。
× × ×
メイド服を着たまま、わたしはわたしのベッドに着座します。
ムラサキくんは床座り。わたしがムラサキくんを見下ろす構図。
メイド服を着たままになったのは、さっきまで彼のために紅茶を振る舞っていたからなので、致し方ないんですけども。
それでも窮屈です。
いくら見咎める人間が不在だからといっても、メイド服のままでベッド上に両脚を投げ出すわけにもいきません。
脚はちゃんとする代わりに、
「ムラサキくん」
「……なんでしょうか」
「髪を結んでるリボンを外すわ。いいわよね?」
「と、当然です。ご自由に」
しゅるり、とリボンを外します。
そのリボンを右サイドに置きます。
それから、左腕をアゴにくっつけて、
「どうしようかしら」
と、本音半分・冗談半分で言います。
「場所移動したら、あなたの肩も軽くなるのかな……と思った。問題は、あなたの『耐性』で。つまり、女子のお部屋に今までどのくらい入ったことがあるのか」
彼をじーーっと見下ろしながら言って、
「その様子だと、そういった経験に乏しいみたいね」
と言って、
「ごめんなさい。突拍子も無くあなたを部屋(ここ)に連れてきた、みたいな感じになっちゃったわね」
と、ひとまず謝ります。
ですが、謝るとともに、
「でも、わたしのワガママを押し通させてもらうと、せっかく部屋(ここ)に来てもらったんだし、くつろいでほしいのよ」
「く……くつろぐといっても、どうすれば」
わたしは思わず笑ってしまって、
「見て? わたしの本棚、ほぼ漫画オンリーでしょ」
と、彼の眼を本棚に向けさせます。
「無教養のまま、こんな歳になっちゃったの。お嬢さま――アカ子さんの本棚とは大違い。真逆なのよ」
反応に困っているムラサキくん。
あちゃー。
あちゃー、なんですけど、ワガママだから、構わずに、
「わたしの無教養ぶりをさらけ出したら、あなたの肩も少しは軽くなってくれるのかしら」
と、半分以上『もてあそび』の気分で言って、
「CDでも聴く? ムラサキくんは音楽鑑賞サークルの所属なんだし、音楽のこと、わたしに教えてほしいかも」
と言いつつ、ややダラけた座りかたに姿勢を移(うつ)ろわせて、
「もっとも、大したCDなんか所有はしてないんだけど、それでもアカ子さんから譲られたアルバムだったり、アカ子さんの部屋から勝手にパクってきたアルバムだったり、あなたの興味を引く音源も少しはあるって思うから」
と、見下ろしている彼に向けてニッコリと視線を注ぎます。
「どーかしら。わたしのCD棚をちょっと見てみてよ」
照れて無言で床座りのままでCD棚に寄っていく彼。
CD棚を凝視していく彼。
ザッピングを始めた彼の背中を眺めるわたし。
『ほんとうにわたしより小柄なのね……』と思うと、くすぐったくも楽しい気分になってきて。
『それに、声質はボーイソプラノだし』とも思って、微笑ましさの度合いが高まるあまり、
「カワイイ」
と、思わず声に出して呟いて。
ザッピングに真剣になっている彼だから、こんな呟きも耳に届かず。
「これが聴きたいです……」
下目づかいでCDを手渡すムラサキくん。
「いい趣味ね」
と言ってから、
「これは本音よ」
と釘を刺す。
釘刺しをしてから、立ち上がって、ピンク色のラジカセにCDをセット。
今や完璧に『もてなし』から『もてあそび』の態度へと移ったわたし。
そんなわたしだから、再生ボタンを押す前に、
「ムラサキくーん。あなたが腰を下ろしてる場所、ドア近くだけど。そんな場所に床座りって、わたし、不満足なのよ」