暖かな4月下旬の日曜日。
朝からドス黒い色のホットコーヒーを愛が飲んでいる。
ダイニングテーブルで向かい合っているおれが、
「飽きないな」
と言うと、
「飽きるワケ無いでしょ」
と愛が答える。
ほとんど飲み干した自分専用のマグカップを置く愛。
両手でマグカップに軽く触れながら、ニッコリニコニコとおれに笑いかける。
いつもながら眩しい笑顔だ。
眩しいし、美しい。
ただ、こんなふうにニッコリニコニコする意図が分からなかったので、
「企(たくら)みでもあってそんなにニッコリニコニコしてるんか」
と言ってみる。
すると、
「あなた今日は何にも予定無いんでしょ」
「無いが?」
「だったら、本を読んで、音楽を聴いて、充実した休日にするべきだわ!」
あーっ。
「おれと一緒に読書と音楽鑑賞がしたいんだな、愛?」
「まぁ分かるわよね」
「おまえの気持ちを推し量るのは簡単だ」
「どうして簡単だと思えるの?」
愛が前のめりになって、顔を近付けてくる。
おれが気持ちを推し量れる理由を真剣に問おうとしているのではなく、遊び心やからかい気分が溢れんばかりの笑い顔。
遊ばれてからかわれる前に、
「本読むのと音楽聴くのとどっちが先が良いんだ?」
と訊く。
「読書よ。読書の方が頭を使うでしょ」
と愛は即答。
「よし分かった。本棚で読む本選んでくる」
そう言って、リビングの本棚に行くために椅子から立とうとしたら、
「エッ、あなたもう本棚に行っちゃうの」
「本を選ばにゃ読書もできんだろ」
「わたしもう少しアツマくんと一緒に座ってたいのに」
なんじゃそりゃー。
「わたしに15分だけ時間をちょうだい?」
「15分間で何するつもりなんだ。15分間おれの顔を見続けたって何にもならんぞ」
愛は笑ったまま、
「アツマくんってホント何にも分かってないのね。『気持ちを推し量るのは簡単だ』って言ったばかりじゃないの。あのコトバは嘘だったのかしら♫」
と罵倒……。
× × ×
本棚の前で迷っていたら、ラテンアメリカ作家のフリオ・コルタサルの短編集を愛が薦めてきた。おれは愛の薦めに素直に乗っかる。
愛の方はルネ・デカルトの『省察』を読むようだ。哲学専攻らしいチョイス。
互いに黙々と本を読む。
おれは本棚の間近に腰を下ろしてフリオ・コルタサルを読んでいる。
愛はリビングの奥の方でデカルトを読んでいる。時折横向きに寝転がったり仰向けになったりと、読む体勢が結構変わっているのが眼に付く。
愛がコロコロ読む体勢を変えるのが『猫のようだ』とか思ってしまい、読書の集中力が少し途切れる。
愛を猫に見立ててしまった自らを恥じ、気合いを入れてフリオ・コルタサルに取り組もうとする。
キリの良い所まで読み、一旦フリオ・コルタサルから眼を離す。
すると何と愛のヤツは、某横浜DeNAベイスターズの某マスコットキャラクターのぬいぐるみを左手で抱きかかえながら、丸テーブルの上に開いたデカルトの文庫本を右手で支えていた。
「こ、コラッ! スターマンを抱きかかえながらデカルトを読むなっ」
器用さを褒めるよりも叱る声が先に出てしまう。
「ええぇ〜〜〜っ」
やや不満げな愛は、
「こういう読書のスタイルも有りなんじゃないの〜っ? スターマン抱きながら読むと集中できるのにぃ」
「デカルトかスターマンかどっちか選んだらどうなんだ」
「選べないもん」
「相変わらず不真面目な……」
「アツマくんアツマくん」
「なんだよっ!!」
「もうすぐ正午よ」
「それが!?」
「お腹空いたでしょ。あなたの顔、お昼ご飯を欲してるような顔」
「す、す、好き勝手に言いやがって」
「わたしが『お昼ご飯作ってあげる』って言ったらどうする?」
「……ぬぐぐ」
「たのしーい☆」
× × ×
飯を食った後は音楽鑑賞である。
ソファのおれは、
「せっかくフリオ・コルタサルを読んだんだから、ラテン系の音楽が聴きたいな」
「サルサ?」と愛。
「サルサだな」とおれ。
「OKよ」
と言ったかと思うと、軽やかな足取りで愛がソファに接近。
そして、ぽしゅっ、とおれの右隣に座ってくる。
「わたしは何聴こうかなー」
「なあ、愛」
「どしたの」
「おまえそろそろ美容室行ってきたらどうだ?」
「な、なに、それ!?!?」
盛大に驚き、
「音楽鑑賞からかけ離れた発言をしないで」
と言うも、おれは引き下がらず、
「髪を伸ばすのは良いと思う。ただ、伸ばすにも限度あるだろ。このまま伸ばし続けると暮らしのジャマをするかもしれんし」
「……」と、狼狽(うろた)え混じりに俯き、考え込んでしまいそうな勢いになる愛。
おれはポン、と愛の背中を軽く叩いてやって、
「ま、これは個人的アドバイスだ。散髪のお代はおれが出してやるから、行きたくなったら言ってくれや」
「それは……嬉しい」
もう一度愛の背中をポン、として、それから軽く撫でてやる。
背中を撫でられたおれのパートナーは、
「音楽に戻るけど、わたしさっきデカルト読んでたから、フランス繋がりでモーリス・ラヴェルが聴きたいわ」
と、ふにゃけたような声で伝えてくる。
「よっしゃ」
と言い、背中の次に、サラサラとした栗色の鮮やかな長髪を撫で始めて、
と、右隣のパートナーに告げるおれ。
× × ×
おれはジャンケンに勝った。したがってサルサを先に流した。
サルサを聴き終え、今度はモーリス・ラヴェルを聴くお時間になる。
『亡き王女のためのパヴァーヌ』がステレオコンポから流れ始めた。
右隣の愛は眼を閉じて『パヴァーヌ』に聴き入り始める。
聴き入り始めるのとほとんど同時に左肩をくっつけてきた。
とうとうスキンシップを敢行してきた愛が、本当の本当に小声で、
「わたしの髪の長さのこと、気にしてくれてて、ありがと。」
と言ってきてくれる。
「くすぐったい気持ちもあったけど、嬉しい気持ちのほうが大きかったわ……」
うむうむ。