【愛の◯◯】フッサールが泣いている

 

爽やかな目覚めだった。小鳥のさえずりが気持ちいい。

「世はすべてこともなし……」とベッドの上で思わずつぶやく。

 

珍しいことに、きょうは朝食当番ではなかった。

いつもより遅めの寝起き。

赤毛のアンでもなんでもないわたしは、作ってもらった朝ごはんを食べに、ダイニングへと階段を下りていく。

 

× × ×

 

朝食当番は、流(ながる)さん。

 

「ごちそうさま。美味しかったです、流さん」

「――お世辞じゃないよね?」

「え~、お世辞なんか言うわけないじゃないですか~~」

「そ、そうか。ご、ごめん、ありがとう」

 

クスッと笑ってしまう。

微笑みを持続させながらわたしは、

「流さん」

「――んっ?」

「もっと出番が欲しくないですか?」

「でばん……??」

「もっと自己主張したっていいのに」

「……なんのことやら」

 

せっかく、お邸(やしき)の住人なのにねぇ。

ことし何回、流さん、ブログに登場したのやら……!

 

× × ×

 

新しい朝ドラが始まったらしい。

『カムカムエブリバディ』。

題材的に、ちょっと興味がある。

 

ところできょうは祝日。文化の日だ。

午前9時前、リビングを通りがかると、例によって案の定……アツマくんが、ソファに寝転んでいた。

だらしなさすぎ!

 

「あのねー、アツマくん。ダラ~ンダラ~ンしすぎなんじゃないの?」

「いやダラ~ンダラ~ンってなんだよ」

「ダラけ指数が2倍ってこと」

「意味わからん指数作るな」

 

わたしは両手を打ち鳴らして、

「ほらほら、起き上がってよ。もう9時よ」

「『まだ』9時だ」

「うるさい!!」

一喝するわたしに、

「きょうはなんの日か知ってんだろ、愛も。ったくよぉ」

「ええ知ってるわ。文化の日よね。――そして、『読書週間』まっただなかでもあるわ」

「読書週間?? 知らねえ」

 

なにを言うの。

モノ、投げつけるわよ??

 

「――あなたほんとうに大学生なの!? そしてほんとうに文学部なの!?」

「……大学生で、文学部ですが」

「読書週間を知らないなんて、ありえない」

「ありえないのなら、教えてくださらないか」

「読書週間について?」

「うむ」

 

わたしは簡潔に読書週間のことを説明した。

 

「――まあ、この時期が、いちばん『読書の秋』にふさわしいってことね」

「でも、なんで『秋』なんだろ」

「ハア!?」

「『読書の冬』『読書の春』『読書の夏』ってことばは無いよな」

「そんなことどうだっていいでしょうに」

 

寝転ぶアツマくんの腕を引っ張って、

「つべこべ言わずに起きるのよ。起きて、わたしの部屋に入って」

「え!? おまえの部屋!? 祝日の朝からなんたる積極性」

「積極性とか言うんじゃないわよ!! バカ!!」

 

× × ×

 

すったもんだの末、わたしのお部屋。

 

「はい、わたしはもう読む本を選んでるから、アツマくんも早くじぶんが読む本を選んでちょうだい。10分以内で、ね」

「速い速い、10分以内は」

「どうして?」

「ところせましと本があるからだよ。そんなにすぐには選べねーよ」

「じゃあ20分以内でもいいわ」

「それでよろしく……」

「あ、積ん読タワーを崩壊させたら、お昼とおやつ抜きだからね~」

「うるせーなー……」

 

なぜか、読む本に目星をつけようともせず、佇(たたず)んでわたしの部屋を見回しているアツマくん。

なんなのよ。

 

「……ちょっと、散らかってきてるな」

「この部屋が!? あなたの部屋よりは100倍マシでしょ」

「ほら、こことか。文庫本が、床に散らかされてる……読み終わったのなら、ちゃんと棚とかにしまえよな」

「そこは……あとで、どうにかする」

「『あとで』とか言ってると、後回しになり続けで、ますます部屋が汚くなっちまうぞ?」

 

ぐぬ。

 

「……アツマくん。正論言ってないで、読む本を、探して」

 

そうわたしが弱々しく言うと、彼は、満面の笑みで、本棚に向かっていった……。

 

× × ×

 

スタインベックの『赤い子馬』」

「そーだ。なんてったって、おれは英米文学専攻だからな」

「……まだ読んでなかったの?」

「悪いか」

「あなた、いま、ハタチよね」

「ハタチなのがどーかしたか」

「わたしはその小説を12歳のときに読んだわ」

「早熟文学少女アピールは……やめていただけませんか」

 

「おまえのほうは、なに読んでんだ。……岩波文庫の青ってことは、哲学系か」

「それぐらいの知識はあるのね」

「とーぜん!」

密着スレスレに、アツマくんが、からだを寄せてきて、

「なになに、フッサールの……『デカルトしょうさつ』」

 

――唖然呆然。

 

「――あなたやっぱり大学生じゃないでしょ」

「え??」

「『しょうさつ』じゃなくて、『せいさつ』よっ!!! 『デカルト省察(せいさつ)』!!!」

「あーっ、そうだったんか」

 

 

「そうだったんか」、じゃないでしょっ!!

初歩的な、あまりに初歩的な……。