『PADDLE(パドル)』編集室。
デスクトップPCのキーボードをカタカタと打っている結崎純二(ゆいざき じゅんじ)さん目がけ、
「結崎さぁん」
と呼び掛ける。
キーボードを打ち続けながら、
「何だ? あすかさん」
と結崎さんは。
後方のパイプ椅子に座るわたしは少し息を吸ってから、
「浅野小夜子(あさの さよこ)さんが卒業しましたが、結崎さんは『浅野さんロス』になってませんか?」
キーボードを打つ音が止んだ。
「なんだかんだ、結崎さんと浅野さんって良いコンビだったと思うんですよ。結崎さんは『反りが合わない』と思ってたかもしれないけど」
机上のリポビタンDに右手を伸ばして結崎さんは、
「別に。どうというコトも無い。喪失感だとか大げさ過ぎる。浅野がここに来ないのが淋しいワケが無い」
「結崎さん!!」
わたしが大きな声で言ったので、
「どっどうした」
と結崎さんの声が慌て気味になる。
ここが勝負なので、
「わたし結崎さんに感心してるんですよ? 感心ってゆーのはですね、ほらっ、結崎さん、浅野さんの『アフターケア』をしてあげてたみたいじゃないですか」
結崎さんはリポビタンDを飲んで机上に置く。
15秒ぐらいの静寂の後で、
「浅野のヤツがきみに何か話したみたいだな」
「話してくれたんですよ。彼女、あまり具体的には説明してなかったですけど、『結崎が卒業間際のわたしに優しかった……』って、遠くを見るような眼で言ってて、それが印象的で」
「……」と結崎さんの沈黙。
考え込んでいるみたい。
しばらくしてから、机上を両手で軽く叩いて安楽椅子から立ち上がり、
「ぼくはリポビタンDの空き瓶を捨ててくる」
「ちょっとちょっと。浅野さんの話題はまだ終わらせちゃいけませんよ」
「あいつの話題が長引きそうだから小休止するんだ」
「小休止なのなら、今から3分以内にここに戻って来てくださいね?」
こっちを向いた彼は困ったように、
「……ゴミ箱、意外に遠いんだが」
× × ×
結崎さんを困らせられたのは良かった。
さて、大学から帰ってきたら午後の4時。
邸(いえ)の1階には大きめのリビングもあれば小さめのリビングもあるわけだが、わたしは小さめのリビングの中の1つに向かっていった。
するとそこにはお母さんが居て、雑誌を読んでいた。
とある文芸誌だ。確か現役時代のお母さんが編集に関わってたとかじゃなかったっけ。
わたしを察知するとアッサリと文芸誌を閉じた。
某乳飲料を右手に持っていたわたしに向かい、
「その飲み物美味しそうね、あすか」
「お母さんも飲みたいのならダイニングの冷蔵庫から持って来るよ?」
「心配りだけ受け取っておくわ」
「そうですか」
わたしがソファに座ろうとすると、
「あっ! そうだそうだ」
「な、何かなお母さん。ひらめきがあったみたいに……」
「ひらめきよ。乳飲料よりも、あすかに持って来て欲しいモノあるの」
「持って来て欲しいモノ?」
「『PADDLE』よ。あなたも記事を書いてる雑誌」
「読みたいの?」
「読みたいのよ。あなたの執筆した文章が沢山載ってる号が良いな」
「ん……。抜き打ちチェックみたいだな、なーんか」
「そうとも言う。でも、ダメ出しがしたいワケでは全然無いから。むしろあなたの文章の『良かった探し』をしてあげたいわ」
『良かった探し』。
それもまた、緊張しちゃうかも。
× × ×
素直に自分の部屋からバックナンバーを持って来た。
お母さんはニコニコしながらバックナンバーに眼を通す。
「トレンドが分かって良いわね」
と雑誌を賞賛。
「あすかも『筆が乗っている』し」
「筆じゃなくてPCで書いたんだけどね」
「ツッコまないでよぉ。ホメてるのよ〜〜?」
「ごめん」
バックナンバーの『PADDLE』を開いたままに、
「うんうん。あすか、調子が悪かった時期も短くなかったみたいだけど、これを読んでると、スランプから抜け出せたのがハッキリと分かるわ」
スランプ、か。
精神的に参っていた時期は確かにあった。そんな時は書く文章も精彩を欠いていたと思う。質のみならず量も落ちていた。長い文章を書けない時期もあった。
調子の波が上がったのは、今年に入ってから。
「流石は『高校生作文オリンピック』の銀メダリスト。母親として誇らしいわ」
「ありがと」
「ふふ♫」
朗らかに笑ってお母さんは、
「この調子この調子。記事の執筆を積み重ねていけば、きっと良いコトがやって来るはずよ」
と言い、意味深にも右の人差し指を口元に当てて、それから、
「新しいカレシだって、できちゃうかもしれない♫」
「お、おかあさん!?」
いきなり『新しいカレシ』がどうとか言われて恥ずかった。
だから、
「まったくもう……。突拍子も無いコト言わないでよね」
と言いつつ、L字形のソファの端の方に腰掛けているお母さんのもとに寄っていく。
L字形ソファの先端の方で母娘が隣り合った。
「あすかって怒りながらわたしに寄り添って来るのね」
「怒ってなんか無い。お母さんの突拍子の無さにツッコミ入れただけ」
「あらあら」
「……」と一旦わたしは下の方を向くけど、
「……お母さん?」
と、顔を上げて、
「今日は、お邸(やしき)メンバーの残りの3人の帰り、遅くなるみたいだし」
と言って、
「『月に1度甘えたい日がある』とかとは違うんだけど」
と言って、それから、
「この場で、ちょっとだけ、コドモに戻らせてくれないかな」
と『おねだり』をする。
「なになに、スキンシップの『おねだり』??」
はしゃぐようなお母さんに、
「だいたいあってる、かな」
と答える。
すぐに、わたしの左肩をお母さんの右肩にくっつける。
くっつけると、くすぐったいのと同時に、優しい気持ちになるコトができて、だから左手でお母さんの右手をそっと握る。
胸があったまらないワケが無くって。
「……お母さん」
「はいはい」
「好きだよ」
「照れる〜〜♫」
「……照れてないでしょ、絶対に」