夕方の『PADDLE(パドル)』編集室。
結崎(ゆいざき)さんがエナジードリンクを飲んでいない。
『心境の変化でもあったのかな』
彼の座る安楽椅子を見ながら思う。
デスクトップPCのキーボードを叩く音が止(や)んだ。記事を書き終えたようだ。
安楽椅子が回転する。結崎さんがわたしのほうに向いてくる。
「あすかさん」
呼ばれたので、
「ハイ」
と言う。
右のほっぺたをポリポリと掻く結崎さん。
「どうしたんですか? 結崎さんにしては珍しい素振りですね」
訊くと、
「えーっとな。浅野のことなんだが」
浅野さんのこと?
「浅野さんになにかあったんですか?」
結崎さんは一瞬口を閉じてから、
「あすかさんには浅野を見守ってやってほしいんだ」
疑問の量が増えていくわたしは、
「『見守ってやってほしい』なんて。話が見えてきませんよ」
「……ほら。きみと浅野は女同士なわけじゃないか」
「だから?」
詰め気味なわたしに少しうろたえて、
「とにかく。とにかく、あの女のそばに寄り添って、見守ってやってくれないだろうか」
× × ×
日が落ちて、学生会館を出た。
結崎さんの明らかなる異変。
その異変がどうやら浅野さんの事情と連動しているらしい。
結崎さんは詳細をとうとう明かさなかったから、ミステリーになった。
× × ×
わたしの兄は新宿駅に先に着いていた。
「よぉ、あすか」
「お疲れさま、お兄ちゃん」
わたしより遥かに高い背丈の兄を見上げる。
思わずニヤついてしまいながらも、
「馬場に行こうよ」
「は!? 高田馬場に行く予定なんて無かったろ」
「この時間帯の新宿はゴミゴミし過ぎだから」
「高田馬場のゴミゴミも相当なものがあると思うが」
あー、もうっ。
わたしは兄貴の右手首を掴んだ。
「乗るよ、山手線」
「強引すぎないか」
「そんなことない」
× × ×
「結局行き着く先がファミレスだとは」
「いいでしょ。新宿のファミレスよりはセカセカしてないし」
「ホントかぁ?」
「つべこべ言わないで早く注文しよーよ」
わたしから先にタッチパネルを操作する。
事前にメニューを調べていたので迷わない。
兄貴に顔を向けて注文を促す。
兄貴はタッチパネルのいろいろなボタンをタッチしまくる。
どうやら迷っているらしい。
肝心なときに優柔不断でこっちが困る。
「決められないんならわたしが決めちゃうよ」
「急かすな、妹よ」
「急かすよ! 早くネコちゃんロボットに触りたいんだから」
「おまえネコちゃんロボットのファンなのかよ」
「わるい!?」
ようやく兄貴がメニューを確定する。
「やっとネコちゃんロボットを召喚できる」
「オイオイあすか。『召喚』とはなんぞや、『召喚』とは」
わたしは右人差し指でテーブルを叩きまくりながら、
「愚兄はドリンクバー担当」
そして、ネコちゃんロボットがお料理を運んできてくれた。
「顔だけじゃなくて声も可愛いと思わない?」
わたしは言うのだが、愚兄はノーコメント。
自分の分のお料理を取ってからすぐさま食べ始める愚兄。
「技術の進歩ってスゴいんだよね。ネコちゃんの耳のあたりをナデナデすると特殊ボイスが出るんだよ」
「おまえ特殊ボイスを出す気なんか」
答えるよりも早くネコちゃんの耳付近をナデナデしてあげるわたしだった。
「出た~~~、特殊ボイス」
「派手に喜んでないで皿を取れ」
「お兄ちゃんっ」
「な、なんだよ」
「このネコちゃんロボット、裏技がいくつもあるんだよ。いまの特殊ボイスだけじゃないの」
「ほ、ほーん」
「ノッて来ないんだからぁ。もっとちゃんとしてよ」
そう言いつつ『完了』のボタンを押す。
去っていくネコちゃんロボを愚兄が横目で見ながら、
「なあ」
と言ってきて、それから、
「あのネコちゃんロボって、フィクションの産物だよな?」
「事態をややこしくしないで。ますます兄貴を尊敬できなくなってきちゃうじゃん」