【愛の◯◯】浅野の隙(スキ)

 

集中して『PADDLE(パドル)』の記事を書いていたら、天敵留年女子大学生の浅野小夜子(あさの さよこ)が、ノックもせずに編集室に押しかけてきた。

浅野は入ってくるなり、ぼくのデスクを見て、

「あらー。いつもよりエナジードリンクの缶の数が少ないわね」

と言って、もっとデスクに近づいてきて、

「3本だけ?」

ぼくはPC画面に向かったまま、

「缶をだいぶ処分したし、飲む量も減らしてるんだ」

と言う。

ぼくは真実を言った。

「飲む量減らした? まったく信用できないわね。どうせまた量が増えるんでしょうに」

おそらく浅野は、ニヤリニヤリとした顔で、こう言ってきているんだろう。

「増やさない。ずっと減らす」

タイピングする手を止めてぼくは断言する。

「せいぜい頑張るのね」

と留年女子大学生は言い、その場に立ったまま、

「ところで、今日は雨が降り続いてるわね。気温も12月みたい」

「こういう雨のことを『時雨(しぐれ)』と言うんだ。おまえは知らんだろ」

「え? 『時雨』ぐらい、一般常識でしょ」

ちっ。

「そんなに他人の知識をナメてるから、留年を繰り返すのよ」

「ま、まだ繰り返しとらんわ。5年生なんだぞ」

「でもどうせ結崎(ゆいざき)は留年スパイラルでしょ」

「留年スパイラルだとか、勝手に造語を作るなっ!」

「ねえねえ、あすかちゃんはどーしたのよ?」

容赦なき浅野の会話文脈の「ぶった斬り」に、ぼくはこめかみを指で押さえつつ、

「あすかさんなら休みだ。理由を訊いたら、『女心となんとやら、です♫』と」

浅野がクスクス笑った。

「あすかちゃん面白~い。結崎は完全に手玉にとられてるわねえ!」

「やかましい!!」

「だけど」

幾分真面目になった口調で、

「最近のあすかちゃんデリケートみたいだから、留意しておくのよ、結崎」

「それはなんとなく分かる」

「あなたが思うより100倍デリケートなんだから」

「なんだそれ」

「さすが彼女いない歴23年。女の子のデリケートさ、少しも分かってない」

エナドリの缶を投げつけられたいか。

おい。

浅野ッ。

 

× × ×

 

彼女いない歴」とか言い出した浅野に対するヘイトのレベルがどんどん上昇していたら、またもやノック無しでドアが開く音。

侵入者は、結崎一眞(ゆいざき いっしん)……ぼくの兄だった。

「やあ純二(じゅんじ)元気か」

「兄貴ほどではないがな」

ぼくは安楽椅子の向きを変えて兄貴を睨む。

兄貴の側(がわ)に向いたということは、浅野の様子も視界に入ってくるということだ。

案の定浅野の様子がおかしかった。

最初は立ち尽くして兄貴を見つめ、そのあとで恥ずかしさからか? 視線をやや横に逸らした。

その次に不安定な足取りでパイプ椅子があるほうへと行き、パイプ椅子に腰を下ろし、猫背のようになって押し黙った。

異変の浅野に、兄貴が、

「小夜子ちゃん元気無いね」

と笑って言う。

「い、いいえ。げんきなら、ありますよ」

浅野のたどたどしい話しぶり。

「そーだ兄貴。浅野は元気アリアリだ。今日もいつものごとく、ぼくをコトバのピストルで撃ちまくっていて」

一気に浅野がぼくを睨みつけた。

鋭利な刃物のような視線だ。

「そーかそーか。元気が無いの反対だったか★」

そう言って、兄貴はデスクの端っこに右手を置いて、パイプ椅子の浅野を見下ろしていく。

「兄貴。月曜日から仕事サボりとは、とんでもない度胸だな」

「違うぞ純二。おれは外回りなんだ★」

「部外者のくせに大学のキャンパスにやって来ることが外回りなんか」

ここで、浅野小夜子が、人格が変わったかのごとき幼さ満点の表情で、兄貴をまっすぐ見上げていき、

「イッシンさんは……じゆうで……いいとおもいます。そうおもいます、わたし」

と、ひらがなとカタカナだけで表記するのがピッタリの、「よわよわ」な声で言う。

「見ろよ純二。小夜子ちゃんがホメてくれたぜ」

「ぼくはホメないからな」

「厳しい弟だなあ」

「厳しくもなるわっ」

浅野が、

「結崎っ。ムダグチ叩かないでよ」

とぼくに向かってたしなめて、

「愚弟(ぐてい)ね」

と有り難くないワードをぶつけてきたかと思うと、

「あっ、あのっ、あのっ、イッシンさんの、そのコートですけど……とっても、ステキです」

と、中学校に入りたての女子のような幼さと拙さでもって、兄貴のファッションをホメやがる。

「ありがと~~!!」

満面の笑みの兄貴。

浅野がうつむいた。

明確に照れている。

いや。

明確に、『デレ』ている、のではないか??

このオンナも、案外隙(スキ)を見せるもんなんだな。

「好き」だから、「隙(スキ)」を見せるってか??

そこんところ、どーなんですかー、浅野さーーん。

未開栓だったエナドリ缶を左手で持ち、右手でプシュッと開栓する。

『惚れた弱み……っていうコトバも、あったよな』

そうココロの中で呟きながら、喉にエナドリを流し込みつつ、胸のトキメキを懸命に隠しているような御様子の大学5年生女子を眺める。