日曜日なのだが、大学に行って『PADDLE(パドル)』の編集作業をしている。
記事を書いていたら、背後から粗雑なノック音。
返事をする間(ま)も与えず、にっくき天敵留年女子学生の浅野小夜子(あさの さよこ)が編集室に入ってくる。
「今日はレッドブル・シュガーフリーなのね、結崎(ゆいざき)」
そんなにぼくの飲むエナジードリンクのバリエーションが気になるか。
「ちゃんと缶は処分するのよ」
「それぐらい分かっとるわ」
浅野はクスッと笑ってから、
「ねえねえ。わたし気づいたことがあって」
「は!?」
「先々週の日曜日だったと思うけど、この部屋で結崎と『時雨(しぐれ)』がどうこう、っていう話をしたでしょう?」
「時雨?? 時雨って、雨の時雨だよな? おのれはいったいなにに気づいたんだ」
「あのときは、『降り続く雨』のことが『時雨』だって、わたしもあなたも認識してたと思うんだけど。わたし、あのあと自宅で、歳時記や『広辞苑』を見てみたのね。そうしたら、『時雨』っていうのは降り続く雨ではなくて、『降ったりやんだりする雨』のことを指すらしいことに、気がついたのよ」
「……なんだそれ」
「誤解は訂正しないと。このブログの過去ログに間違いが書かれてるんだから」
「おいコラッ、メタフィクション的な発言をするな」
「どーして?? ブログの中の人だって反省してるのよ、素直に間違いを認めてるの」
ぼくはレッドブル・シュガーフリーの缶でデスクをゴツン、と叩く。
「これからは、わたしとあなたも認識を改めないとね」
勝手に言いやがれ、浅野ッ。
プライベートゾーン寸前まで身を寄せて、PC画面を勝手に見てきたウザい浅野が、
「意外。結崎がクラシック音楽の記事を書くだなんて」
「あなたが~~~?」
バカにしたような反応を見せたかと思えば、ぼくの間近で大爆笑。
「もしかして、『悲愴』とか」
「……」
「黙るってことは、『悲愴』聴いてるのね。今のあなたが醸し出す悲愴感にピッタリかもね」
「うるさい。うるさいし、ウザい」
「捨てゼリフ!!」
どうにかして形勢を逆転させたい。
なので。
レッドブル・シュガーフリーの2本目の缶をプシュッ、と開け、ひと口目を飲んだあとですぐに、
「日曜日だが、兄貴なら来ないぞ」
と、ぼくの兄の結崎一眞(ゆいざき いっしん)に言及する。
浅野は戸惑い始めたような声で、
「え……。どうして急に一眞さんに言及するのよ」
「おまえだからだ」
のけぞるように浅野がぼくの近くから離れた。
「オーバーリアクションなこった」
形勢逆転できる手応えを感じつつ、
「疑いようも無いだろ、兄貴が来るのをおまえが楽しみにしてることは」
浅野は眼を逸らす。
ぼくは安楽椅子に背中を預け、
「ひとつ訊いていいか」
「な……なによっ。訊く内容によっては、拒絶するわよ」
ふうん。
「訊くということ自体は許してくれるみたいだな」
言ってから、シュガーフリーをぐび、と飲み、それから、
「たとえばの話だが。
もし、兄貴に恋人がいるとしたら――どうする?」
やはり押し黙る浅野。
眼をやると、カチコチに固まっているみたいになっている。
うろたえて、下向き目線で、思春期の入り口の13歳女子みたいな困り顔になっている。特に、口元が幼く弱々しい。
幼く弱々しい口元からなんとかコトバを発そうとするが、発そうとするたびに、なにも言えなくなってしまう。
ほっぺた辺りの仄(ほの)かなる赤みも眼についた。
「ゆ、ゆいざき……ゆいざき、なにそれっ。どうしてそんなヒドいこと言うの」
「そんなにヒドい質問だったかぁ?」
「ヒドいったら、ヒドいのっ。わたしに向かって、そんな速球ストレート投げて、しかもその速球ストレートが、わたしにブチ当たって、危険球で」
だんだん言語が乱れてきて、
「『あのひと』に、コイビト!? コイビトなんて……いたらいるんだし、いなかったらいないんでしょっ。その2つなのよ。その2つしかないの。そうでしょ、ゆいざきっ。わ、わ、わかってるのよね!? わたしが『ゼツボー』するパターンが、どっちのパターンなのかってこと……!」
「浅野に言われんでも分かっとるわ」
右拳を握りしめる浅野が若干可哀想にもなってきたが、構わず、
「恋人がいるほうに決まってる。おまえが奈落の底に突き落とされるパターンは」
浅野が顔面蒼白になった。
『お灸(きゅう)のすえどころ』というタイミングでもあった。ちょっとはこの女も追い詰めてみなければいかん。『ヒドい』と言われても、苛烈な問いを浴びせて、追い込ませる。
イジメているようなものだが、致し方ない。この女にも悪行(あくぎょう)の積み重ねがある。
ここでドアノブがひねられる音がした。
「浅野ー。あすかさんだ。助けが来て良かったな」
後輩の戸部あすかさんが入ってくる。
浅野のつぶらな瞳を目撃して、『なにごと!?』というふうな顔になる。
それからぼくのほうに視線を向ける。
批判や非難なら……甘んじて受け止める。