ほぼ正方形のテーブル。
わたしから見て右にはたまきセンパイ、左には松若センパイ。
正面の席には、羽田センパイが座るはずなのだが、遅れて来るという連絡が入ってきていた。
「羽田さんを待ちながら――だねぇ。ね? 川又さん」
カフェラテをもてあそびながら、松若センパイがわたしに言う。
「強引にサミュエル・ベケットの戯曲にひっかけなくても」
「つい、ひっかけたくなっちゃうんだよね」
「松若センパイは『ゴドーを待ちながら』を読んだんですか?」
「案の定――途中で、挫折した」
「……はぁ」
「失望したか~?」
「いいえ。……それでこそ、松若センパイだと思います」
「川又さんさ、部長のお勤めは、どうよ?」
ストレートティーを飲んでから、たまきセンパイが問いかけてくる。
「これといった気苦労もなく、順調にやってますよ」
「まあ基本、まったり部活だしね」
「まったり文芸部なんですけど、卒業に向けて、やり遂げたいことがあって――」
「あーっ、短歌の同人誌を作るんだったっけ?」
「そうです。今年中には、ある程度形にしたいと思っていて」
「そっか。がんばってくれたまえ」
「……たまきセンパイらしいですね」
「?」
「がんばって『くれたまえ』とか言うところが」
「……かなぁ?」
わたしの指摘をさほど気にするそぶりもなく、たまきセンパイはおもむろにじぶんのカバンから本を取り出して、ページをめくり始める。
文庫本ではない。文学全集的なサイズ。たぶん、古本屋で購入したんだろう。
「川又さんは、読んだことある? 『眠れる美女』」
「いいえ」
「――わたしの勝ちだな」
「……勝利宣言は、読み終わってからにしてください」
……それにしても。
「たまきセンパイ、さいきんはひたすら文学を読んでる感じなんですか?」
「そうだねー。大学入学してから、すっかり文学少女」
意外だな。
「すごい方向転換ですね。文芸部にいたころは、いっさい文学系統の本に手をつけてなかったのに」
「ズバズバ言うねえ、川又さんは」
「すみません」
「気にしないよ。だれだって本音が出ちゃうこともあるでしょ。――あのね、文学に方向転換したのは、完全に羽田さんの影響」
「ああ……『どんな文学作品から読み始めればいいのかな?』って、卒業間際になって、羽田センパイに訊いたりしてましたよね」
「カンペキ、羽田さんのおかげ。彼女のおかげで、新しい世界を切り拓くことができた」
「待ち遠しそうですね。羽田センパイがここに来るのが」
「もちろんだよ」
このとき、わたしのスマホに通知音。
「いま電車に乗ったそうです、羽田センパイ」
「じゃあ、彼女を待つ時間が、まだまだありそうね」
と松若センパイ。
「彼女、久しく『メルカド』に行けてなかったみたいで、あたしらに誘われて、すっごく嬉しそうだったよ」
なるほど……このお店も、ご無沙汰だったと。
「常連だったもんねぇ。あたしの同級生のなかで、間違いなく彼女が、いちばん通い詰めてた」
「そんなに、ここのコーヒーが美味しかったんでしょうか?」
注文したブレンドコーヒーのカップを見つめながら、ポツッとつぶやく。
松若センパイがニヤニヤして、
「――シビアなんだ。川又さん、実家が喫茶店だから」
たまきセンパイがそれに乗って、
「『わたしんちのお店のコーヒーがいちばん美味しい!』って言いたそう」
「べ、べつにっ、ここのコーヒーが美味しくないとか思ってませんっ。張り合うつもりも、ありませんっ」
『ホント~~?』
ふたり一斉に言わないでくださいっ。
奇妙なくらいハモってるじゃないですかっ。
「……おふたりって、息ピッタリですよね。ほんとうに仲良しさんって感じ」
松若センパイは微笑みながら、「当たり前じゃん」。
たまきセンパイも微笑みながら、「当たり前でしょ」。
「そういえば……入った大学は違うといえど、おふたりとも、経済学部」
「マツワカのほうが格上だけどね。わたしはしがない私立文系」
「たまきぃ、べつに比較しなくたっていいじゃないの」
「マツワカのほうが断然偉いでしょ。東京大学の次じゃん、格で言えば」
学歴トークは……あまり、いただけない。
「おふたりとも、やめましょうよ、大学ランクとか生々しい話は」
「おー、厳しい後輩ちゃんだ」
松若センパイ……。
「……偏差値とか、大学のブランドとか、そういうのにいっさいとらわれなかった羽田センパイを、見習ったらどうですか」
「おおーっ」
なんですか、「おおーっ」って。松若センパイっ。
「すっごくいいこと言うじゃ~ん、川又さん」
……どこまで本気で感心してるのやら。
「オトナになったね、川又さん」
たまきセンパイもたまきセンパイで、なにを言い出すと思いきや……。ひとりで納得して、うなずきまくってるし。
「――あとは、大学受験がうまくいけば、川又さんはパーフェクトだな」
「たまきセンパイ……理論が謎すぎます」
「――早稲田受けるんだっけ?」
「い、いきなりなっ!」
「そんな雰囲気をかもし出してるでしょ」
雰囲気が早稲田志望だ、とか言ってるけど、たまきセンパイ、明らか情報強者だから、少しも油断できない。個人情報をいつの間にか把握してそう。
「早稲田行きたいんだとしたら、偏差値やブランド重視だよね」
「決めつけはよくないと思うんですけど。早稲田を志望するにも、もっといろいろな動機があって当然じゃないですか」
「でも、ある程度は、気にしちゃうでしょ。気にしないほうがウソだよ」
「というか……たまきセンパイのなかで、わたしが早稲田志望であるってのが『前提』になってません?」
「どうだろうねぇ」
「……」
「思うんだよ、わたし」
「……はい?」
「川又さんには、バンカラな校風の大学のほうが、よく似合うって」
「――そんなこと言ってきたのは、たまきセンパイが初めてですよ」
――たまきセンパイお得意のポーカーフェイスで、
「ね、ね、ゲームしようよ」
「なぜ?」
「羽田さんが来るまでの時間稼ぎ」
「……どんなゲームを?」
「『作家の名前どれだけ言えるかなゲーム』。わたしは、東大出身の作家をひたすら言っていく。川又さんは、早稲田出身の作家をひたすら言っていく」
「……どうして、たまきセンパイが東大で、わたしが早稲田なんですか」
「わたしが東大なのは、川端康成を読んでるから」
「わたしが早稲田の理由は……?」
「決まってるじゃん。だって、来年の4月には、戸山キャンパスの坂道のぼってそうだし」
どうしようも……なさすぎる……。
……冷静に考えれば、このゲーム、早稲田しばりのわたしのほうが、断然有利。
だけど、そんなこと、ほんとうにどうだっていい。
羽田センパイ……遅くないですか。
乗ってる電車が遅延してたり、しませんよね!?