午後2時台。邸(いえ)の中で3番目に大きな規模のリビング。周りにはわたしとさやかさん以外誰も居ない。さやかさんは本を読み耽り、わたしはスマートフォンをぽちぽちしていた。
わたしが友人とのLINEのやり取りを終えた時、眼前(がんぜん)のソファのさやかさんが本を閉じた。
「読書は終わりなんですか?」
訊けば、
「キリのいいとこまで読んだからね」
という答えが返ってくる。
わたしは長テーブルにさやかさんが置いた本に眼を向ける。分厚くてハードカバー。ハンナ・アーレントという人の書いた本らしい。
「流石はさやかさん。わたしなら15ページも読めずに挫折しちゃいそうな本を読むのに没頭していて」
そう言ってから、本からさやかさんへと視線を移して、
「尊敬します」
と言い切る。
「照れちゃうな~」
そう長くはない髪に右手の指で触れながら言う彼女。
髪から指を離した後で、
「わたしだって、あすかちゃんを尊敬してるんだよ?」
「エッ。どこに尊敬する要素あるんですか」
「音楽活動」
あーっ……。
バンドのことか。
「『ソリッドオーシャン』ってバンド名だったよね。あすかちゃんの高校時代からずっと続いてるんでしょ? 息の長さが特筆モノだと思う」
「ボーカルは交代したんですけどね」
「男の子になったんだよね」
「成清(なりきよ)くんですね」
「彼1人だけが男子メンバーってスゴいよねえ。バンド内恋愛みたいな事態が発生しそうなのは不安要素かも」
「今のところは平穏です」
「ホントぉ?」
わたしはぐぐ、とやや前のめりになり、
「実は『フラグ』が立っていたり立っていなかったりなんですけども」
「マジ!? それ、すっごく興味深いんだけど」
さやかさんも結構乙女(オトメ)だなー。
『桃色の脳細胞』なんて言ってしまったら怒らせちゃうから絶対に言わないけど。
× × ×
それから、さやかさんに請われたので、バンド『ソリッドオーシャン』のレパートリーや、最近わたしがよく聴いている楽曲について話した。
「趣味いいよね~~。あすかちゃん、わたしなんかよりも絶対、聴く音楽の趣味がいいよ」
「またまたぁ。それほどでも」
内心では嬉しいわたしは、
「さやかさんはクラシック音楽に造詣が深いじゃないですか。ヴァイオリンも弾けるんだし。そこは到底及びませんよ。自分が作ったプレイリストの中にクラシックの曲なんて1曲も入ってないし」
「モーツァルトも?」
「ハイ」
「ショパンも?」
「ハイ」
「それは逆に『スゴい』って思っちゃうかも」
「アハハ」
× × ×
お菓子と飲み物を持ってくるためにいったんダイニング・キッチンに行った。大きい丸型トレーにペプシコーラのペットボトルとスナック菓子諸々を載せてリビングに戻った。
すると、どういうわけか、わたしが座っていた側のソファにさやかさんが移動していた。
「あ、あのー、なんでそっちのソファに?」
「ペプシとお菓子、ありがとう」
「し、質問してるんですが」
「――だね。こっちに来た理由を説明する前に『ありがとう』って言っちゃった。順番を間違えた」
長テーブルにトレーを置いて説明を待つわたしに、彼女は、
「女の子同士じゃなきゃ出来ないハナシがしたかったの」
とインパクトのある発言を。
「そ、それって……時と場所によっては、相応しくないようなハナシじゃないんですか?? おやつタイムのリビングで、そういうハナシを展開するのって、果たして……」
「あすかちゃんの隣で耳打ちすれば、ダイジョーブ」
「耳打ち!?」
「ホラホラ、わたしの隣に早く腰を下ろして」
……本当は『覚悟』みたいなモノを決めてから彼女の隣に座らないといけないんだと思う。だけど、覚悟も何も定まらないままに、さやかさんのペースに巻き込まれてしまう。巻き込まれてしまうから、不安に包まれながらも、彼女の言う通りにしてしまう。
腰掛けたわたしの左隣から彼女が身を寄せてくる。
× × ×
『荒木先生と相当距離が詰まってきてるの』
『女子校を卒業してから出会った回数も両手の指で数え切れなくなったし、出会う頻度も上がってるし』
『『デート』の3文字以外の何物でもない。バレたら厄介だから、バレないように、時と場所は慎重に選んでる』
『もう、荒木『先生』って呼ぶのも『卒業』なのかも』
立て続けにこんなことを耳打ちしてくるさやかさんだった。
ダメ押しで、
『――禁断の愛って、あすかちゃんはどう思う? 憧れる?』
と問われたから、とっても辛かった。
× × ×
さやかさんは帰っていった。
昨日のアカ子さん。今日のさやかさん。2日連続で年上女子に弄ばれてしまったような感覚がある。
背中や肩のくたびれが重かった。
長テーブルには片付いていない丸型トレー。さやかさんに耳打ちされた位置にわたしは着座し続けている。
地上波でもBSでもCSでも何でもいいからテレビを視ようかと思って、丸型トレーのそばに置かれたリモコンに触れようとする。
しかし、触れようとした瞬間に誰かの足音が。
これは、利比古くんの足の運び方だ。
× × ×
「テレビはつけなくて良かったんですか」
「利比古くんが来たから気が変わった」
「不思議な理由で気が変わるんですね」
「そう思う?」
向かって左斜め前のソファに陣取った利比古くん目がけ、
「わたしの気分屋さんなトコロ、もうちょい分かってくれたっていいのに。共同生活もとっくに4年を過ぎてるんだよ?」
「4年ですかぁ。4年前はぼくもあすかさんも高校生でしたし、ぼくの姉も高校生でしたよね」
「だね。そして、さやかさんも高校生だった」
「えっ。そうでしたけども……なんだか唐突に、さやかさんの名前が出てきた気も」
「さっきまでさやかさんがここに来てたから」
「アッなるほど」
「彼女の今日の来訪は利比古くんにも伝えてたと思うんですけどねー」
「忘れてました」
溜め息をつく。溜め息をつかざるを得ないので。
それから、
『利比古くんにイジワルなこと言わなきゃ、気が済まない』
という風なキモチがむくむくと盛り上がり、
「ねーねー。利比古くんが桐原高校に通ってた時にさー」
と言い、
「同級生が先生に告白したりとか、そういう『イベント』は無かったワケ?」
と、攻撃的な問いを攻撃的に投げかけてみる。
二枚目な眼を彼は大きく見開き、
「い、いきなり何を訊くかと思えば。生徒が、先生に、告白、だなんて。そういうのは、9割方、フィクションの産物のはずで」
「なんでコトバをいちいち区切って話すのかな」
「こ、こっちは、うろたえて、いるんですっ!」
「――無かったみたいだね、そういう楽しい『イベント』は」
「く、繰り返しに、なりますがっ、『禁断の愛』的なモノは、フィクションの枠に、留まるモノなんであって」
「あれ~~? フィクション『じゃない』例、利比古くんは認知してなかったんだっけ~~??」
「……あ、あっ、ももももしかしたらっ」
「なーんだ。きちんとインプットしてるんじゃん☆」
勝ち誇るわたし。
イジワルに成功して勝ち誇りながらも、こんなことを思っていたりもする。
『『事実は小説よりも奇なり』ってフレーズ、利比古くんは知ってるのかなあ? 帰国子女で海外に居たのが長いし、知らないのかも。もっとも、海外にもこういうフレーズ存在してそうだけどね……』