バースデーケーキはほとんど食べ終えていた。わたしのためのバースデーケーキではない。葉山先輩のためのバースデーケーキだ。今日は葉山先輩の誕生日。センパイをお邸(やしき)に招いてお祝いしている。もうすっかり恒例行事ね。
葉山先輩がメロンソーダをストローで静かに飲んで、
「羽田さん」
とわたしに呼びかけ、
「あなたまた美人になったんじゃないの?」
くすぐったくて嬉しいんだけど、わたしは右横の葉山先輩との距離をさらに詰めて、
「美人になったのはセンパイの方ですよ〜」
「え……。わたし今日で24歳だし、これからオバサンに向かってまっしぐらなのよ?」
「そんなこと言わないでよ。」
敢えてタメ口のわたし。
しょーがないなぁ……という気持ちでもってセンパイの顔を見つめる。センパイはドギマギ。案外チョロい。
センパイがわたしの方を上手に見れなくなってしまった。そんな様子がわたしにはオトナカワイイ。
センパイは右腕で頬杖。チラリとわたしに眼を向けるけど、すぐに目線が元通りになる。
わたしと上手にお喋りできないみたい。『彼』が登場してくれたら、こういう状況も打破できるんだけどな。
そう思っていたら、ジャストタイミングで、『彼』が広いリビングに現れてくれた。
来た、来た。
アツマくんだ。
開口一番、
「メロンソーダの飲み心地はどうだ、葉山」
と彼は。
ストローに右手で触れて、少しだけアツマくんを見ながら、センパイは、
「……おいしい」
フニャフニャした受け答えだった。
やっぱりオトナカワイイ。
「都内のスーパーを5軒回ってようやく入手した」
アツマくんが言った。
「エッ……。わたしのために、そこまで……」
「レア物のメロンソーダなんだよな。さぞかし旨かろう」
「……うん」
恥じらうように、センパイは床を見る。
なかなか宜しい雰囲気である。
30秒ぐらいかけて、センパイは徐々に顔を上げていく。その後で、息を大きく吸う。
そしてそれから、
「戸部くん。メロンソーダがまだ残っているのなら」
女子高校生時代とあんまり変わらないような照れ方をして、
「クリームソーダを作ってくれないかしら?」
「うへぇー。メロンソーダがクリームソーダにグレードアップか」
ほっぺたに熱を帯びながら、アツマくんと同学年のセンパイは、
「あ、あなたは、喫茶店勤めなんだから、クリームソーダ作るのも、『朝ごはんの前』でしょっ?」
「うむ」
「どうなの。メロンソーダとバニラアイス、あるの」
「あるさ」
「だったら、作ってほしい……」
「作ってやるが、条件が1つだけある」
「条件?」
「おまえが今一番好きな現役競走馬の名前を言え」
「ななななっ」
オトナカワイイ彼女がテンパり出した。
「戸部くん、とうとう競馬に手を染めたの!? わたしの悪影響!? で、でも、あなた言ってたじゃない、『ギャンブルは絶対やらん!!』って、力強く……」
「馬券は買わんよ」
「そうなら、わたしの推し馬を知って、なんになるの」
「なんになるかどうかは、どうでもいい。大好きな現役競走馬の名前を言ってくれたら、クリームソーダを作ってやる」
「……厳しいのね」
眼を閉じて少しだけシンキングしたセンパイは、眼を開けた直後に、
「ジャンタルマンタル」
と、ご回答。
「ジャンタルマンタルを激推しする根拠は?」
「とっ戸部くんっ。『激推し』って」
テンパり続けのセンパイに対し、優しいアツマくんは、
「ま、いっか。……わかったわかった、ダイニングに行ってくる」
× × ×
アツマくん特製クリームソーダを存分に味わった葉山先輩は、現在グランドピアノの前に腰掛けている。
センパイの座り方がとっても気品があってステキ……とか思っていたら、
「戸部くん?」
とセンパイがアツマくんに呼びかけ、
「ここからは、プレミアムサービス。美味しいクリームソーダ作ってくれたご褒美というか、なんというか」
「おれのリクエストする音楽を弾いてくれるんだな?」
ビックリしたようにセンパイは仰け反って、
「どうしてわかるの!? あなたって恐ろしいわね」
「恐ろしがるな。おれは、こわくない」
センパイは懸命に背筋を伸ばしながら、
「ど……どんなミュージシャンの曲が、いいのかしら」
アツマくんはさほど迷わず、
「レディオヘッド」
センパイは困り顔で、
「……申し訳ないけど、今は、レディオヘッドは、上手に弾けないかなーって」
「なんでだよ」
「なんでもよ」
互いの掛け合いに、わたしは遂に吹き出しそうになる。面白いんだから、爆笑寸前になるのも避けられない。
「葉山」とアツマくん。
「なによ」とセンパイ。
「おまえって、ワガママだよな」
「わるかったわねえ」
「認めるのか」
何も答えず、鍵盤方面に顔を逸らすセンパイ。
彼女に対して先手を取っているアツマくんは、
「トゥー・ドア・シネマ・クラブだ。レディオヘッドがダメなら、トゥー・ドア・シネマ・クラブ」
リクエストされた彼女は、鍵盤に視線を当て、
「戸部くんのそのシュミは、なんなの??」
「演奏可能かどうかを教えてくださらないか」
「きき聞く耳持ってよっ、わたしが言ってることに」
「嫌だね」
「ずっ、ずいぶん、ずいぶんお子様なのねっ」
しかしセンパイの指は鍵盤に触れる寸前だった。
センパイの弾く前奏が流れ出す。トゥー・ドア・シネマ・クラブの楽曲以外の何物でもない。
わたしは、さらさらストレートなセンパイの髪のアクセサリーに注目する。
ヘアアクセサリーは彼女の左耳の近くに付けられている。
そのアクセサリーが絶妙なアクセントになって……すこぶるオトナカワイイ。