「おーっ、元気でやってるかー、羽田新入生」
「荘口(そうぐち)さんっ。『新入生』呼びはいい加減やめてくださいと、あれほど……!」
「なぜだ」
「今日がなんの日かお分かりですよね!? 後期の最終日ですよ!? 明日から長期休暇です。長期休暇が明けたらぼくは2年です。もうほとんど『新入生』じゃない状態なんですよ」
「そんなにカッカして。うまくできなかった試験やレポートがあるのかな」
「ぼくの話聴いてるんですか!?」
「ふうむ。私は、きみの2学年上の頼れる先輩女子として、『宿題』を出したかったんだが……」
「『頼れる先輩女子』だから、『宿題』を出すんですか!? 荘口さん、『因果関係』ってコトバ、分かんないんですか!?」
「うーん。そんな様子だと、羽田新入生の長期休暇が心配になってきてしまうよ」
これ以上ないほどにどうしようもなくて、思わず右拳を握りしめてしまう。
そんなぼくの眼の前に、荘口さんは分厚い洋書を何冊か積み上げる。
「これはなんですか」
「『宿題』だよ」
「荘口さん。あなたは、まさか」
彼女は恐怖のニッコリ顔で、
「きみは、ほとんどバイリンガルなんだろう?」
× × ×
泣き出したいような気持ちで、荘口さんが積んでいった『宿題』の洋書を見つめる。
荘口さんと入れ替わりに「CM研」の部屋に入ってきた吉田さんが、ひょこり、とぼくの前に現れて、
「これ、なあに」
と、積まれた洋書について、髪に付けた緑と白のリボンを揺らしながら訊く。
「さっき、荘口さんに『全部読め』と言われて……」
「あー」
吉田さんは楽しげに、
「荘口さん、羽田くんの英語力を頼ってるのね」
「自分で読もうともせずに、丸投げですよね。ヒドいです」
「いいじゃないの。頼られてるんだから」
「ですけど丸投げという事実には変わりが無く」
ぼくの荒(すさ)んだ気持ちを吉田さんは少しも慮(おもんばか)ることなく、
「あたし、知りたいことあって」
とか言い出して、
「あなたとあなたのお姉さんは、どっちが英語力が高いの?」
「はい!?!?」
「お姉さんだって英語ペラペラなんでしょ? どっちが『勝(か)ってる』のか、気になって仕方無いんだけど」
どうしてそんなことが気になって仕方無いの!?
そもそも、どういう『尺度』で、判定するの!?
× × ×
「うわぁーっ。利比古くんがショボショボ状態」
向かい側のソファに座るなり、あすかさんが言った。
「消耗もスゴいみたいだね。ブログの下書きを3時間以上書き続けてる人みたいにグッタリしてきてる」
『すぐにメタフィクショナルな方面に寄せていくのはやめてください……』と言う気力も無い。
「コーヒー作って、持ってきてあげよっか」
「そこまでしなくてもいいです。夜なのにコーヒー飲んじゃったら、眠れなくなるし。ぼくは姉とは違うんです」
「じゃあドリンク剤でも買ってくる?」
「◯ンケルでも買う気ですか?」
「◯ンケルは、効くよ」
「でもやはりドリンク剤ですから、眠れなくなっちゃうんでは……」
「わたしそこんとこがよく分かんないんだよね」
「理解してから買いに行くべきでは……」
「確かに」
ソファにもたれて、眼をつぶってしまうぼく。
しばらくして、ぼくの耳に、
「ホンキで疲れてるんだ」
というあすかさんの声が届く。
「今日って利比古くんの大学の後期最終日だったよね? ずいぶん頑張ったんだね」
彼女の声から優しい温かさを感じる。
予想外の、優しい温かさ。
「わたしが、『ずいぶん頑張った』って言うのは」
彼女は、
「今日1日頑張ったっていうのと、試験やレポート頑張ったっていうのと、後期の約4ヶ月間を通して頑張ったっていうのと――全部に対して」
と言ってくれる。
「どうしてそんなに優しいことを言ってくれるんですか」
意外に思う気持ちから、訊いてしまう。
「決まってるよ」
彼女は答える、
「優しくしたいからだよ、優しいことを言うのは」
× × ×
互いにソファから降りた。
長テーブルを挟んでの向かい合いだ。
極細ポッキーの箱をあすかさんが開ける。
極細ポッキーが入った袋も開ける。
2本同時につまんで、
「はい。あなたにあげる」
「あの、あすかさん」
「わたし『あげる』って言ってるんだけど」
「ポッキーのチョコの部分を持つと、指が汚れて……」
「そこ!? そこ、気にする!? 信じられない」
消耗が極まっているからか、彼女のリアクションに少しムカついてしまう。
だから、彼女がポッキーを持っている指のほうへと、一気に右手を伸ばしていく。
ポッキーのチョコではない部分。そこには、彼女の親指と人差し指と中指。
引っ込めさせたくなかった。
だから素早く、彼女の親指と人差し指と中指から、2本のポッキーを奪い取った。
ぼくの指とあすかさんの指とが触れ合ったのは言うまでもない。
ぼくは咀嚼(そしゃく)する。
彼女は呆然とぼくを見る。
食べ切って、飲み切って、
「どうしたんですか。あすかさんも食べましょうよ、ポッキー」
と言い、
「食べないなんて、もったいないですよ」
と言う。
彼女はポッキーの袋を持ったまま、しばらくぼくを見つめ続けていた。
微動だにせず。