夜。
「……立ち話で済むでしょ? わざわざ部屋まで入らなくたって」
自室の入り口に立って、あすかさんが、ぼくが入っていこうとするのを拒む。
「立ち話で済むとは思いません」
ぼくは言う。
そして、あすかさんの顔を真剣に見る。
彼女はたじろぎ、後ずさる。
その隙(スキ)に、部屋に足を踏み入れていく。
× × ×
正座して、
「怖い顔になってましたか? そうだったら、ごめんなさい」
と言うぼく。
もちろん、まっすぐあすかさんにカラダを向けて、まっすぐあすかさんの眼を見て言う。
「怖いといったら……怖かったかも」
曖昧なあすかさん。
「そうですか。悪かったです」
そう言ってすぐさま、床の散らかりに眼を転じる。
衣類は散らかっていないが、紙類が大量に散乱している。
書籍や、大学の講義のレジュメと思しきもの。
それに加え、あすかさんの母校であすかさんも作っていた校内スポーツ新聞や、あすかさんが現在携わっている雑誌『PADDLE(パドル)』なども。
「こんなにグチャグチャに散らかってるのなら、言ってくれたら良かったのに」
散らかりを眺めながら言う。
「利比古くんには……言えないよ」
「どうしてですか?」
あすかさんは返事を言えない。
「ぼくがダメだとしても、明日美子さんに片付けを手伝ってもらう術(すべ)だってあったでしょうに」
言いながら、再び彼女のほうに向くと、
「それは……ダメなんだよ」
と彼女が言うから、
「なぜ?」
と訊く。
「あのね。『明日美子ルール』ってのがあって」
「なんですかそのルールは。初耳です」
「ひとことで言うと、お母さんはこのフロアにのぼって来ないってルール」
「不干渉主義、ということでしょうか?」
「よく分かったね。理解が早いね」
「このフロアで起こったことは、このフロアで寝起きしている人間だけでなんとかしろ、と」
「そゆこと」
明日美子さんの娘であるあすかさんが頷く。
「それならば。――なおさら、ぼくのチカラを借りて片付けをしても良かったんでは。ぼくの姉とアツマさんが『ふたり暮らし』を始めて、このフロアで寝起きするのは、ぼくとあすかさんのふたりだけになったんですし」
反発も反論も無い。
なにも言えないのだ、あすかさんは。
「ぼくは、干渉しますからね」
敢えて、強いコトバを投げかける。
「散乱している紙類を拾いますんで」
× × ×
そして有言実行で、あすかさんがどうにもできなくなった部屋を、清潔な部屋に近づけていく。
整理整頓にぼくが勤しんでいるあいだ、散らかした張本人のあすかさんは、俯き加減にベッドの側面にもたれかかっているだけだった。
「はい。ひとまず終わりました」
ぼくはあすかさんに告げ、
「整理整頓は、終わったんですけど」
と言い、
「まだ終わっていないことも、ありまして」
と言い、
「あすかさんとの『対話』が、始まってすらいません」
と、視線を合わせながら、強めに言う。
心なしか彼女の視線は上昇していた。
しかし、
「『対話』って、なに。生真面目な話は、あんまりしたくない気分なんだけど」
と返す声は、弱めだった。
「訊きたいことがあるんです。確かめたいことがあるんです。知りたいことがあるんです」
押していくぼく。
彼女の表情が弱っていく。
「言いたいことを最初に言いますよ」
押し黙る彼女に構わず、
「あすかさん。現在(いま)、だれかに頼りたい状態なんじゃないですか。もっと言えば、だれかに助けてもらいたい状態なんじゃないですか」
見開かれる彼女の眼。
でも、それも一瞬で、目線は下降していき、
「……なんでそう思うの?」
と弱く問い返すだけ。
「ぼくだって、あすかさんとの共同生活は、そこそこ長いんですし。……『センサー』ですよ、『センサー』」
「『センサー』? よく分かんないよ」
「あなたの内面を察するチカラも身についてきた、ということです」
普段は使わない「あなた」という2人称を敢えて使う。
「あなたは100%、問題を抱えている」
そうやって畳みかけて、
「『問題』という名の毒素に蝕(むしば)まれないうちに、打ち明けてみたらどうなんでしょうか」
と言って、今度は優しさを込めて彼女を見つめてみる。
しかし、
「……なにカッコつけてんの」
と、不穏さを帯びるようになった声で彼女は言い返し、
「カッコつけ過ぎの言い回しはやめてよ。嫌な気分になる」
と、不快さをコトバにしてくる。
さらに、
「お母さんの『明日美子ルール』じゃないけど、不干渉主義でいいから。この場合の不干渉主義ってのは、利比古くん、あなたがわたしに干渉しないってこと。干渉して欲しくないのが、わたしの紛れもない本心で……」
と吐き捨てる。
だけど、
『素直じゃないから、こんなふうに言って誤魔化すんだ』
という確信があった。
彼女は口では、不干渉主義と言っている。
だけども、彼女の内面で鳴り響いている『助けて欲しい』『だれかに寄りかかってみたい』という感情が、彼女の話しコトバのあちらこちらに露出しているということに、ぼくは気付いていた。
だから、
「本心だとは思えませんし、思いません。あすかさんのココロは、悲鳴を上げたがっている」
とキッパリと言う。
でも、返ってくるのは、
「……利比古くんは、モノを投げつけられたいの!?」
というギスギスした声。
「わたしがこれ以上攻撃的になる前に、出ていったほうがいいよ」
と吐き捨てて、
「『ほうがいいよ』、じゃない。出てってよ、早く」
と付け加えて。
……これまでにない感情が、ふつふつと、滾(たぎ)ってくる。
どうして、話を聴いてくれないんだよ。
どうして、拒絶するんだよ。
どうして、頼ろうとしないんだよ。
「……ココロを開いてくれって、言ってんだよっ」
「……え!? 利比古くん……!?」
びっくりして、眼が大きく見開かれている。
ぼくのコトバづかいが変わったからだ。
気まずくなったのは、ぼくのほうだった。
乱暴ともいえるコトバが、出た。出てしまった。
距離をとっていても、あすかさんの動揺が、伝って、届く。
気まずさは増していく。
ぼくは立ち上がってしまっていた。
コトバづかいの乱暴さを謝ることもできずに、ドアのほうを向いてしまう。
一歩一歩ドアに近づく。
ほとんどドアノブを持ちかけていた。
そのときだった。
あすかさんが……ぼくの背中に駆け寄ってきたのは。
あすかさんが、あすかさんの右手で、ぼくの右手を握った。
握るチカラを強くして、
「待って!!」
と大声で言った。
「待ってっ!! 利比古くん!! わたし前言撤回する、この部屋から、出ないでっ!!!」
振り向いて欲しい気持ちが伝わる。
だから振り向いてあげる。
見つめ合った。
155センチの彼女を、168センチのぼくが、見下ろし気味に見る。
彼女はつぶらな瞳になって、見上げ気味にぼくを見ている。
彼女が右手でぼくの左手を握る。
自分のベッドサイドまで連れて行く。
ぼくの背中に彼女が両腕を回すのに、時間はかからなかった。
「利比古くん……わたし、こわくて、かなしいの」
「――どうしてですか」
「出禁(できん)に、なった」
「……ミヤジさんのところから?」
「カンが……いいんだね」
「勘付くんです。センサーの品質が向上してるので」
「バカ……。とぼけたコトバ言うシチュエーションじゃないでしょっ」
「そういう反発も、あすかさんですよ」
「あなた、日本語、少し乱れてる……」
「帰国子女だからかなあ」
「これ以上とぼけないで、バカっ。バカ利比古くんっ」
3度目に「バカ」と言ったときには、もうすでに。
彼女は、あすかさんは。
ぼくの胸に、顔を、埋(うず)めていた。