寝不足のまま大学に行った。
眠気と格闘して講義を受けた。
眠気に懸命に逆らってサークル活動をした。
× × ×
へろへろになって邸(いえ)に帰る。
ダイニング・キッチンに急行し、冷蔵庫のボトルアイスコーヒー(甘さ控えめ)をコップにどぼどぼ注(そそ)ぎ、一気に飲んでいく。
コップの3/4が空になる。ぼくは椅子にもたれかかる。
これで寝不足のダメージもなんとかなるだろうか……と思っていたら、ひょこっ、と明日美子さんがダイニング・キッチンに顔を出してきた。
ぼくは思わず背筋を伸ばした。かなりピーンと伸ばした。
伸ばしたのには、ちゃんとした根拠がある……のだが、微笑みながら真向かいの席に座ってきた明日美子さんが、
「今朝、利比古くん、ずいぶんと慌ててたけど。大学に急ぐ理由でもあったの?」
と訊いてきて、つらくなる。
「朝ごはんも、ロールパン2個ですませちゃってたし」
「それは……その」
ダメだ。
口ごもるのをやめようとするたび、やめられなくなってしまう。
微笑んで、
「まあ、詮索なんかしないけど。優しい保護者役でありたいから、わたしは」
と言う明日美子さん。
「ところで、コップに残ってるコーヒーは、飲まなくてもいいの?」
× × ×
消耗したカラダをリビングのソファに押し付けて、ダラダラとスマートフォンをスクロールしていた。
明日美子さんの娘のあすかさんが、ゆっくりゆっくりとリビングに歩み寄ってきた。
ぼくはスマートフォンをソファに伏せた。
「なに、そんなにスマホ見られたくないの、利比古くん」
あすかさんは落ち着いた様子で、フワリ、と向かい側のソファに腰掛ける。
「おねーさんにメッセージでも送ってた、とか?」
「違います。姉はたぶん、大学で講義受けてる最中だし」
「ふーん」
落ち着いた表情を変えずに、
「昨夜(ゆうべ)のことで、おねーさんに助けを求めてた……というワケじゃないんだね」
「ちがいます……ちがいますから」
「まあ、昨夜(ゆうべ)悪かったのは、わたしだし」
あすかさんはオットリマッタリと、
「ゴメンネ。夜ふかしさせて」
と言い、
「寝不足のまま大学に行かせて、責任感じてる」
と言ったあとで、
「でも、嬉しかった。利比古くんが、あそこまでつきあってくれたんだもん」
と、明るい笑顔を見せてくる。
「また『秘密』できちゃったね」
「『秘密』と言いますと」
「秘密は秘密だよ」
「ちゃ、ちゃんと答えてください」
「えー」
「あすかさん……?」
彼女は左腕の肘をテーブルにくっつけ、頬杖をつく。
「利比古くんだって、だれかに打ち明けにくいでしょ。実のお姉さんに対しても」
そう言って、そしてあっけらかんと、
「利比古くんルームからわたしルームに戻って、わたしルームのカーテン開けたら、外が完全に明るかった。利比古くんルームに居たときは、どのカーテンも閉め切りだったから、気づかなかったけど」
と言って、照れたように視線を少し下げる。
ぼくの心臓がドクドクうずく。
「わたし、ホメてほしいかも」
「どんなことを、ですか」
「決まってるでしょー。好きなところに手を当てて考えてごらんよ?」
「……」
「黙られるのは、好きじゃないかも」
また、照れ笑い。
× × ×
「だいぶ気持ちが明るくなったよ。あなたの部屋で8時間以上過ごしたおかげ」
ぼくは弱々しく、
「はい」
と呟くだけ。
「これで、お母さんのポタージュスープをちゃんと食べられるし、流(ながる)さんの眼をちゃんと見て話せるし、サナさんがしてくれるシャンプーでちゃんとスッキリできる」
確かに、昨夜(ゆうべ)を境に、あすかさんの顔色が良好になった気はする。
「わたし、定期的にさみしくなるんだ」
「定期的に?」
「そ。お父さんがいないから。死んじゃったから」
ぼくは沈黙するしかなくなってしまう。
あすかさんは、続ける。
「わたしの中でいちばんどうにもならないコト。お父さんが戻ってくるワケないんだから。動かしようのない現実があって。その現実に直面することが、1年に1回ぐらい。今回、その現実にぶつかっちゃったワケだけど。利比古くん、あなたが、埋めてくれた」
「埋めた? ぼくが……?」
「穴を。穴を埋めてくれた。ココロの穴。あなたに頼って、あなたの部屋に押しかけて、大正解だった」
「……」
「ちょっとぉー。もっと喜んでよー」
複雑だ。
複雑なキモチだ。
……昨夜(ゆうべ)の諸々(もろもろ)を、思うと。
戸惑いが、持続する。
どうやらぼくのおかげで、あすかさんのココロの闇が晴れたらしいのだが。
どうして、衝動的にぼくの部屋にやって来て、衝動的にぼくと夜を明かしたりするんだろう。
「ビミョーなひょーじょー」
彼女は不満な様子で、
「イケメンが台無し」
と言って、
「せっかく、利比古くんがココロまでイケメンになってくれたから、『決意』を固めることができたってゆーのにさー」
と言う。
よく分からず、
「『決意』?」
と訊くと、
「兄貴とおねーさんのマンションに泊まることにしたの。『パズルの最後のピース』が、まだ残ってるから」