【愛の◯◯】ココロの中の深いところで

 

お母さんが作ってくれたポタージュスープを食べ切れなかった。

「ごめんなさい。せっかく作ってくれたのに」

ポタージュスープの皿もお母さんも見られない。

「そういうときだってあるわよ」

わたしのそばに近寄って、肩を撫でてくれるお母さん。

「『食べ切れなくて、情けない』なんて言っちゃイヤよ、あすか」

もどかしくて、なにも言えない。

「季節の変化も関係してるのよ、きっと。かなーり寒くなったでしょう? カラダだけでなくココロまで冷え冷えしちゃうのも、無理ないわ」

いつものように優しく、

「あったかくするのよ。毛布を二枚重ねにするとか」

と言ってくれるお母さん。

「うん」

しょぼしょぼと言う娘のわたし。

「マフラーあるから、あすかにあげる」

「屋内でマフラーは、変じゃないかな」

「そうかしら?」

わたしは席を立って、

「マフラーは貰っとく。けど、カラダの温めかたは、自分で考える」

と言って、ダイニング・キッチンを離れる。

上手なカラダの温めかたなんて、わたしは知らないのに。

 

× × ×

 

とりあえず、お母さんの言うように、毛布を二枚重ねにした。

でもベッドに入ったら、ずっしりと毛布が重かった。

寝心地が良くなくて、お昼寝を中止する。毛布から脱出して、枕の近くに腰を下ろす。

肩を落として、枕元に雑然と置かれたぬいぐるみ群(ぐん)を見つめる。

その中からクジラのキャラクター「ホエール君」のぬいぐるみを拾い上げて、抱きしめる。

『だれに頼ればいいんだろう』

胸の奥で呟く。

お母さんに頼れるだけ頼っても、ココロが温まり切らない。

お母さんのせいじゃない。わたしの内面が寒々とし過ぎているんだ。

お母さんのほかにもうひとり、家族。

お兄ちゃん。

お母さんに甘え切っても満たされない部分を、お兄ちゃんなら……。

いったんはそう思う。

だけど、ベッドの上で首を横に振ってしまう。

お兄ちゃんの心強さが、こそばゆい。

それに、わたしはもう既に大学生で、お兄ちゃんに寄りかかる年齢でもないし、『寄りかかっちゃダメなんだ』というキモチが日に日に強さを増している。

そもそも、お兄ちゃんは、社会人。いつでも会えるわけでもなく、いつでも助けを求められるわけでもない。いきなりマンションに押しかけるのもどうかと思う。

 

× × ×

 

『お兄ちゃんに甘えられないのなら、だれに甘えたらいいの』

 

「ホエール君」を抱きしめたまま、途方に暮れた。

その場に仰向けになる。

部屋の天井を見る。

それから眼を閉じて、ホエール君を抱くチカラを強くする。

眼を閉じ続けていたら、『彼』の顔が浮かび上がってきた。

 

利比古くん。

 

わたしの部屋のすぐ近くの部屋の、利比古くん。

頼りないけど時たま頼りある、利比古くん。

今年の夏のわたしの失恋を癒やしてくれた、利比古くん。

少しずつオトナらしさが出てきている、利比古くん。

見かけだけじゃなくて中身もハンサムになりかけている、利比古くん。

 

そっか。

利比古くんの顔が浮かび上がってきたってことは、わたし――ココロの中の深いところで、彼の助けを求めていて。

 

× × ×

 

邸(いえ)に来た頃の利比古くんのままだったら、わたしは『こんなこと』を思いつかなかっただろう。

利比古くんが利比古くんらしく成長して成熟してきているから。そんな今だから、わたしは彼の部屋のドアに近づいていくんだ。

ドアの1メートル手前。

利比古くんとつきあっている川又ほのかちゃんのことが食い込んできて、歩みが止まる。

ほのかちゃんを意識して、ためらって、立ち止まる。

だけど……わたし自身の、利比古くんへの信頼感が、前に進むことを促す。

 

「どうしたんですか?」

尋ねる利比古くん。

わたしはもう部屋に足を踏み入れている。

わたしのほうからドアを閉めた。

閉めてから、下目がちになりながらも、

「ちょっと、利比古くんの部屋で、過ごしたいかなーって」

「どうしてですか」

「いいじゃん」

「ど、どんな点で『いいじゃん』なんですかっ」

「理屈、こねくり回したくないし」

わたしは柔らかに、

「座りなよ利比古くん。あなたの部屋じゃん」

と言ってあげる。

言うことを聞いてくれて、彼は彼のベッドに腰掛ける。

わたしは床にそっと腰を下ろす。

「あすかさん。もう夜の9時ですよ」

「それがなにか?」

「……ぼく、明日(あす)午前中大学に行くので、講義とかサークルとかの準備をして、11時には寝ようと思ってたところなんですけど」

「それが??」

ジトッと見るわたし。

ジトッと見られる利比古くん。

「もしかして、わたしにジャマされたとか、思ってる??」

「じゃ、ジャマだなんて。いきなりあすかさんがノック無しでドアを開けてきたんで、ビックリしてはいますけども」

「わたし、利比古くんのジャマはしたくないかな」

そう言いつつも、視線を彼の眼に固定して、

「だから、手伝ってあげるよ、今から」

「えっ?」

「手伝ってあげる。講義を受ける準備も、サークルで活動する準備も」

「なに言い出すんですか。いきなりそんなこと言われても」

「わたしだったら、手伝ってあげられるから」

その場から立ち上がり、彼の勉強机の椅子に座る。この椅子に座るのは初めて。

まっすぐに利比古くんを見る。

押していくしかない。

そうするしかない、から。

「11時まで、わたしと一緒に、準備しよ?」

と言い、それから、

「準備ができたら」

と言い、それからそれから、

「もう少し、寝る時間を……遅くしようよ」