「どうだ? 美味いか?」
マンション。夕食。向かいの席に座る妹のあすかに問う。
「美味しい。美味しいボンゴレスパゲッティ」
素直に「美味しい」と言ってくれる妹。
なのだが、
「流石は、おねーさんが作ったボンゴレだけある。兄貴だったら、絶対こんなボンゴレは作れない」
と、『勘違い』されてしまう。
妹の隣の席の愛が、苦笑して、
「違うの違うのあすかちゃん。このボンゴレは、わたしが作ったわけじゃないの」
「えっ!?」
思わずフォークをポロッと手から落とすおれの妹。
「あなたのお兄さんが作ったのよ。あすかちゃんはさっきマンションに来たばっかりだから、アツマくんが調理するとこを見られなくて。それで勘違いしちゃったのね」
「そんなばかな」
驚きの眼になる妹。
「そんなばかな、じゃねーよっ、あすかぁ」
「だって……兄貴が今まで、こんな美味しいスパゲッティを作ったことなんて……」
『兄貴』呼びは遠慮してほしいおれだったが、
「磨いて腕を上げたんだよ。仕事場で特訓したのさ。特訓するの、苦じゃないしな。その甲斐あって、仕事場の店でも出せられるレベルのボンゴレを作られるようになった」
あすかはボンゴレの皿に向かって俯いている。
俯いて、沈黙して、手に取ったフォークでスパゲッティを巻く。
× × ×
完食したあすかが、
「お兄ちゃん。ごちそうさまでした」
と、おれに向き合いながら言ってくれる。
『お兄ちゃん』呼びにもなってくれた。
「美味しかったよ、お兄ちゃん。料理の腕前を過小評価してて、ごめんなさい」
とも。
× × ×
食事の片付けのあと、あすかはカーペット、おれと愛はソファで、ワイワイとやっていたわけなんだが、
「アツマくん」
と、おれの右隣の愛が、横目で視線を伸ばしてきて、
「あとはお願いね」
と笑顔で言ってくる。
「? 意味深じゃないですか? おねーさん」
「そうかもねえ」とあすかの姉貴分たる愛は。
「……」と戸惑い始めるあすか。
ゆっくりとソファから立ち上がる愛。
本棚に歩み寄る愛。
分厚いハードカバーを取り出す愛。
あすかを見下ろして、
「わたし、寝室に行って読書するから」
と告げる愛。
「な、なんでですかっ」とあすか。
「なんでもよ」と愛。
愛は、「『おねーさん』の言うことを聞いてよ」とも付け加える。
寝室のドアがぱたん、と閉まる。
「行っちまったな。これで、おまえとふたりきりだ」
縮こまり加減のカーペットの妹。
「なんだよぉ。イヤかー?」
言われて20秒か30秒後、妹は首を横にふるふると振って、
「違うよ。むしろ、その逆まである」
と言い、
「おねーさん、わたしに配慮してくれたんだね」
と言って、
「兄妹ふたりだけのシチュエーションを、作ってくれたんだ」
と言ってから、おれの顔を見上げていく。
× × ×
さてと。
× × ×
「コワい夢、見ちゃったんだ」
そう口を開くあすか。
「詳細を教えれ、妹よ」
「分かった」
いつもより、素直。
あすかは父さん絡みの悪夢の詳細を伝えてきてくれる。
「それはコワかったな、つらかったな」
優しく言って、
「その夢には、色もついてたか?」
あすかは、
「どうだったかな。白黒だったかもしれない。悲惨な情景だったから」
「そりゃー、トラウマ級だわ」
「そ。トラウマ級って形容が、ピッタリ」
見つめ合う。
父さんと死に別れたことを共有しているからこそ。
「おれもさ。ときどき、父さんのこと、想うんだ」
「うん」
「おれが9歳のときだっただろ、亡くなったのが。『おれの人生の運命、9歳で決まっちまってたのかなー』って思ったりして、だけど、『いや。決まってねぇ。9歳で決まるわけがねぇ』って、やっぱり思い直したりして」
「……うん」
「前向きになったほうが、絶対いい」
「わかるよ。今回は、立ち直るのに時間かかっちゃったけど」
妹は言ってから、
「より正しく言うと、まだ完璧には立ち直ってなくって。パズルのピースの最後のひとカケラ、残ってて」
「それを埋められたら、立ち直れるか」
「立ち直れる。わたしらしいわたしに、戻っていける」
「どうやって埋めるんだ」
黙って妹はソファ座りのおれに近寄ってきた。
正座っぽいカーペットへの腰の下ろしかたで、おれを見上げ、見つめる。
熱を帯びたようなほっぺたで、
「大学2年にもなって、恥ずかしいんだけど。ほんとうに、恥ずかしいんだけど」
とあすかは言って、それから、
「甘えなきゃいけないんだ。お兄ちゃんに」
と言ったすぐあとで、小さく両手を掲(かか)げ、両手のひらを開いていき、眼を潤ませて、おれの上半身に身を傾けていく。
あすかは真正面から抱きついた。
「かなしかった。かなしかったよ、おにいちゃぁん」
おれの胸の中心に顔を埋めながら、弱々しく、自分自身のキモチを吐き出していく。
「かなしかったよ~~っ。もうダメになるかと思っちゃったよぉ」
純然たる涙声。これ以上無いぐらいの涙声だ。
わんわん泣き始めた。
大学生が小学生に戻ったみたいに、わんわんわんわん大泣きの声を上げ始めた。
心底悲しいからこその、泣きじゃくり。
その甘えを、真正面から受け止めてやる。その甘えを、真正面から肯定してやる。
あすかを抱きしめ、温める。
悲鳴のミックスされた泣きじゃくりを受け止め、受け容れ、肯定し、
「そりゃそーだ。よーく分かるぞ、おまえの悲しいキモチは。おれはおまえのお兄ちゃんなんだからな。でも、もう大丈夫だ。お兄ちゃんが、居るからな」
と、コトバでも温めてやる。
何十回と背中をさすり続けてやる。
次第にあったまってきたのか、
「冬に入って寒かったのと、ミヤジと別れちゃったことも、追い打ちかけてきた」
と、いささか早口に、甘えの籠もった声で言ってくる妹。
「失恋は、こたえるよな。特に」
「こたえる」
「よしよし」
泣き疲れたあすかが、自分の顔をおれの腹にくっつけてくる。
「気が済むまで、甘え続けていいんだぞ」
「なんで5・7・5ぽい言いかたになってんの、おにーちゃん」
「俳句っぽいリズムは、得意みたいだ」
「季語が無いじゃん。」
「たしかに」
「でも、ありがとう。『甘え続けていい』って言ってくれて。おにーちゃん、わたしのコト、全部わかってくれて、全部抱きとめてくれる」
そう言ってから、軽くスリスリと、頭部をおれの腹にこすりつける。
そんな妹の頭頂部に、ぽん、と右手を乗っけて、慰めのキモチを、頭頂部から全身に注(そそ)ぎ込ませてやる。