新入生会員の、笹田紫――ムラサキに、好きなバンドの好きな曲がいかに素晴らしいかを熱弁していたら、
「戸部くん――元気だね」
――八木八重子が、そう言ってきた。
「おー、元気だぞー」
「……」
「八木?
なんだよ、おまえ、気がかりなことでも……」
「わたし自身のことじゃなくって――」
「?」
「――あすかちゃんのことが、気がかりで」
あすか??
おれの妹??
なにゆえ??
「わかってないって顔だね、戸部くん」
「だって八木、おまえ唐突にあすかの名前出してくるから」
「あすかちゃん、今、高校何年?」
「3年」
「3年生ってことは、どういうことか、わかるでしょ。わかってよ」
シンキングタイムに入るおれ。
正式会員でもないのに、またもやサークル部屋に紛れ込んできた星崎姫が、
「戸部くんは、なんにもかんにも、ニブいのね」
「はあ?」
「……妹さんの、『来年の春』を、イメージしなさいよ」
『来年の春』。
あ、ああ。
なるへそっ。
「つまり……受験か」
八木が、
「ようやくわかった? わたしが気がかりなのは、あすかちゃんの進路」
「って言われても、ねえ」
八木は呆れたような顔で、
「なんにも聞いてないの? なんにも話してないの? 進路や受験のこととか」
「まだ、4月だし……」
「言い訳はいいから」
八木はしみじみとした語り口で、
「わたし、人一倍、受験で苦労したから……他の子の進路も、他人事(ひとごと)とは思えないんだよ」
「あすかのことが、そんなに気になるか?」
「気になる。」
「そうか…」
「『そうか…』じゃないよっ。
あすかちゃん、去年、『作文オリンピック』で銀メダルもらったでしょ?
その実績を活(い)かせるような受験形態が、きっとあると思うんだけど。
ううん、きっとじゃない。絶対あるよ」
……銀メダリストの肩書きは、あすかもたぶん、意識しているんだろう。
八木の言うように、その肩書きを活(い)かした受験の方法を、あいつは選んでいくのかもしれない。
具体的には、AO入試……とかな。
「――アツマさん、妹さんがおられたんですね」
ハイトーンな声で、ムラサキが話に入ってきた。
「言うのが遅かったな」
「いえいえ」
「……おまえよりは小柄だ。安心していい」
「そ、そこですかあ?」
× × ×
邸(いえ)に帰る。
くつろぐ。
くつろいでいると、
妹が、向こうからやってくる。
「……あんまり消耗してないって感じだね。お兄ちゃん」
「おまえのほうはどうなんだ? 消耗してるってか?」
「……お兄ちゃんよりは、消耗してると思うよ」
高校の勉強に加え、
部活動、
バンド活動、
その他もろもろ。
いろいろなことを、全力でやり遂げようとするのが、
おれの妹だから。
「……すり減ってんなら、ここで少し休んでけよ」
「言うと思った……」
「ん、そうか」
「だって、お兄ちゃん、『いたわり上手』だから」
「なんだそりゃ」
初耳だぞ。
「チャランポランだけど、いざという時は、気くばりを見せてくれる。優しくしてくれる。いたわってくれる」
「――おれの存在が、そんなにありがたい、ってか」
首を『横に』振りつつ、
「うん、ありがたい」
「どっちなんだ――それ?
動作と言葉が、矛盾してる」
首を『横に』振って否定しながら――ありがたい、と、『言葉』では、肯定している。
「――とりあえず、座るね」
「あ、はい」
妹は、ソファに座り、だら~っと背もたれに寄りかかる。
おれの真向かい。
「お兄ちゃん」
「なんだ」
「疲れた」
「……そうか。じゃあ、休め」
「少しだけ休む」
「よし」
それから――少しだけ、無言の時が流れた。
八木に言われたことが、心のなかで、ぶり返してくる。
その日のことは、その日のうちに――、
おれのモットーは、それだから、
「なあ。訊きたいことがあるんだけど、聴いてくれるか?
おまえがほんとうに疲れてるなら、訊かないが。
まあ、そうであっても――受け流す程度に、おれの話、耳に入れてくれないか」
「受け流さないよ。受け流すわけないじゃん」
「――うれしい。
じゃ、聴いてくれ。
今日、大学で、八木八重子に、おまえの進路のことを気にしている、と言われた」
「八木さん、か」
「進路っていえば、大学受験のことになっていく――と思うんだが」
「そうだね」
「おまえは……具体的に、どこの大学に行きたい、とか、あるんか?」
苦笑いといえば、苦笑い……といった顔になって、あすかは、
「ない。まだ考えてない」
少し、焦る口調になって、おれは、
「…クラスメイトとかから、そういう話が出ること、ないんか?」
「んーっ」
くちびるに、人差し指を当て、
「まだ…4月だからねえ。進路がらみの切羽詰まった話とか、出てない。
わかるでしょお兄ちゃん? 同じ学校通ってたんだから。ウチの高校の、3年生4月の雰囲気……」
「……まあな、超進学校でもなんでもなかったからな」
「焦る必要、まだ、ないと思う。わたし」
「……」
「そして、お兄ちゃんが焦る必要は、もっと、ない」
「……」
「なんで、口を真一文字(まいちもんじ)に閉じてるかなあ」
おれとあすかを、比較して。
「学校は同じかもしれんが……あすかは、おれとは違うんだと思う」
「どゆこと?」
「テストの結果とか、通知表とか、おれにも、見せてくれるだろ?」
「うん」
「単純に言って……あすかは、おれより、頭がいい」
「――わかる」
「自分で納得すんな。
――まあ、いいんだ、それは別に。
肝心なのは――おまえは、『上を目指していける』んだってことだ」
「偏差値のこと――言ってるの?」
「リアルな話だけど、ま、そんなところだ」
「偏差値だけで、決めないよ、わたし。おねーさんだって、そうだったじゃん。
そこは――強調しとくよ」
愛は愛、あすかはあすか。
そういうことを、言いたかったけれども……喉元まで出かかって、やめた。
「――兄から、ひとつアドバイスだが」
「なんですか、お兄ちゃん」
「おれが、高3の4月のときは、もう、大学のことについて、調べ始めていた。
いくらでも、調べられるツールは、あるんだから、さ。
だから――少しは大学のことも、知ろうとしろよ。
学業以外でいろいろがんばってるのも、兄として、理解してるけど。
理解してるから――、なおさら」
あすかはクッションを抱きかかえて、
「妹思いのアドバイス――しかと受け取りました」
「ほんとにか?」
「おせっかいだ、とも思うけど――お兄ちゃんがわざわざ、そんなふうに言ってくれてるんだから、受け取らないわけ、ありません」
なぜだか、ちょっぴし、バツが悪くなって、
「リサーチ……してくれよな」
「うん。進路指導室とか、行ってみる」
「あー、あったなー、そんな場所も」
「バッチリ覚えてんじゃん、お兄ちゃん」
「簡単には、自分の母校、忘れない」
「なんで、五・七・五みたいなリズムで、言ってんの」
「おかしいかっ」
「おかしくないよっ!」
あすかは笑う。
満面の笑みで、おかしくないよっ! と言って。
笑い通しのあすか。
しょうがねーなー、と、観念して、おれも妹に、笑い返す。
この調子なら――、
あすかの進路も、明るそうだ。