【愛の◯◯】オトナな美容師のお姉さん、来たる。

 

アパートの水回りがどうにもならないのでお邸(やしき)にしばらく住むことになった美容師のサナさんが、スーツケースを携えて邸(いえ)の中に入ってきた。

「よく来てくれたわね」

お母さんが歓迎のコトバを言って、サナさんの両手を取る。

「重かったでしょ、荷物」

と、スーツケースを見るお母さん。

確かに、小柄なサナさんにとっては重い荷物だと思う。彼女は、155センチのわたしよりもかなり小さいのだから。

でも彼女は、

「全然大丈夫でしたー。わたし、自他ともに認めるぐらい腕っぷし強いんで」

……確かに。

いつも彼女に髪を切ってもらっているわたしだから、なんとなく呑み込める。

 

サナさんが流(ながる)さんに近づく。

「やっほー。流くん、久しぶりね」

「お久しぶりです」

「早速だけど、カレンちゃんとの関係はどーなってるの!?」

当然のごとく、流さんは狼狽(うろた)え始めてしまう。

自分の彼女さんのことにいきなり言及されたんだもんねえ。

『カレンちゃんにはいつプロポーズするの!?』なんて近日中に言われちゃう勢いだ。

流さんは口ごもっている。

果てしなく口ごもってしまいそうな彼の顔を、

「答えにくかったか」

と、苦笑いで見上げて、

「ま、どうせ今夜は歓迎会で『飲む』ことになるんだし、そのとき訊き出せばいいよねー」

と、弄(もてあそ)んでいく。

 

流さんを打ちのめしてから、わたしのところにやって来て、

「よろしくね、あすかちゃん」

「ハイ、よろしくです。一時的ではあるけど、邸(いえ)の住人が増えて、とっても嬉しいです」

「うんうん。嬉しさが表情に出てる」

そう言ったかと思うと、優しい笑顔でわたしの顔面を見つめてくる。

『あすかちゃんもいろいろあったんだってね』

というメッセージを、声には出さず、優しい笑顔だけで伝えてきてくれる。

オトナの女の人はやっぱり違う……と思った。

 

それから、わたしの後方に居た利比古くんに歩み寄って、

「変わらず二枚目だねえ。当たり前だけど」

と、彼の顔面をホメる。

そしてそれから、わざーとらしく、シンキングタイムに入ったかのようなジェスチャーをして、

「――切りごろなんじゃない?」

と、彼に。

「切りごろ? ぼくの髪のことですか?」

鈍感過ぎる利比古くん。

「そ。切ったほうがいいタイミング」

鋭く指摘するサナさん。

「明日は、あすかちゃんの髪を邸(ここ)で切ってあげる『予約』が入ってるから」

と言ってから、

「明後日、わたしんとこのお店に来なよ。予約無しで切ってあげる」

言われた彼は驚いて、

「『アリア(サナさんのお店)』に……明後日!?」

「ヒマでしょ? 大学1年なんだしさ」

「……」

「待ってるから」

「た、ただ、ぼくは普段、別の美容室に」

「え? 利比古くんってそんなに『一途(いちず)』なの!?」

動揺する情けない彼に、

「キミはもっと、美容室に浮気するタイプだと思ってたのにぃ」

と、余裕に満ち溢れたオトナのお姉さんたる、彼女は。

 

× × ×

 

「利比古くんがこの場に居ないの、ちょっと残念かも」とサナさん。

「まあ、彼はアルコール摂取できない年齢なんですから」と流さん。

「わたしなんです。レイトショーのチケット渡して、『歓迎会のごちそう食べたあとで観に行くのが良いよ』って言ったのは」

「あすかちゃんが?」

アサヒスーパードライのロング缶を開けようとしていたサナさんが、こっちを見てくる。

「わたしが追い出し役になった……というわけです」

「ここからはオトナの時間だから……ってことか」

そう言いつつプシュ、とスーパードライを開けるサナさんに、

「レイトショーはレイトショーで『オトナの時間』なんですけどねー。だから、ある意味矛盾はしてる」

とわたし。

横からお母さんが、

「飲酒は、もっと『オトナの時間』なんだってことよ♫」

と説得力のあるコトを言って、ぐびぐびとグラスの中のスパークリングワインを飲み干していく。

「わあ、明日美子さん、お強い」と感銘を受けるサナさん。

「サナちゃんだって相当イケるじゃないの」とお母さん。

「そんなことないですよぉー」とサナさん。

「謙遜しないのよ。あなたはもう邸(いえ)のメンバーになったんだから」

お母さんはそう言うと、グラスにまだ手を付けていないわたしの真横に接近して、

「残念ながら、わたしの『強さ』は娘には遺伝しなかったみたいなんだけどね」

「あすかちゃんのアルコール耐性に配慮しなきゃってコトですよね」

「そうよ。サナちゃん偉い偉い」

「『明日美子パワー』ですか?」

「そーともいえるかしら」

ほんとうに心地良さそうに見つめ合う、お酒が強い人間同士の、お母さんとサナさん。

「あすかちゃんには配慮しなきゃ、なんだけど――」

サナさんは素早い動きで、ソファに座ってキリン一番搾りの缶を持っている流さんに眼を凝らし始め、

「流くんには、配慮したくないかな」

「エエッ」

「そんなにビックリしちゃダメだよ。一番搾りがこぼれちゃうでしょ」

「あの……ぼく、サナさんと比べたら、耐性は、到底及ばず……」

「流くんはたまんないな~~」

「!?」

「そんなにキミは、容赦しないのがお望みなんだね!!」

 

――爆笑しながら、サナさんは、流さんのソファにどんどん躙(にじ)り寄って行くのだった。