眼の前には大きな姿見。
ポンチョを着て座っているわたし。
背後にはサナさん。
美容院の仕事が休みなので、わたしの髪を邸(いえ)で切ってくれるのだ。
「どーしよっか?」
訊くサナさん。
「どれくらいの長さがいい? あすかちゃんは」
「そうですね……」
迷い始めてしまうわたしがいた。
髪を切ってもらうのは事前に『予約』していたのに、考えがまとまらないまま、この時を迎えてしまって。
考え込むのもサナさんに悪いと思う。
だから、
「この際、バッサリと……」
と言いかけた。
言いかけたんだけど。
だけども。
『このタイミング』で、バッサリとショートカットにするなんて、ありふれた発想で。
そういう発想に嵌(はま)るなんて、わたしらしくないと思って。
だから。
『失恋を機にショートカットにするのは、安直な発想だよね……』と、思い直して。
……軽く首を横に振って、
「いいえ。バッサリとじゃなくていいです。いつもよりほんのちょっと短いぐらいで」
とお願いする。
「そっか。わかった」
サナさんが明るく言ってくれる。
わたしが現在(いま)置かれた状況を理解してくれているから、オトナの気配りの籠められた言いかたをしてくれる。
そんなサナさんをわたしは改めて尊敬する。
× × ×
「こんなものかな」
髪を切り終えたサナさんが後ろから言ってくる。
「パーフェクトです、サナさん」
言ってあげるわたし。
「ほんとにパーフェクト。山本由伸の制球力(コントロール)よりも、2段階精密」
「なんでいきなりピッチャーの喩えになるの」
サナさんの苦笑いが感じられる。
「でも嬉しいよ。そんなにホメてくれるなんて」
「ホメますよ」
軽く笑い混じりの声で応えて、
「プロですよねー、サナさん。仕事休みの日だとか関係なしに、わたしの髪をしっかりと切ってくれて」
彼女はやはり苦笑い声で、
「こらこら、手を抜くわけなんかないじゃないの」
と言い、
「現在(いま)のあすかちゃんの髪を切ってあげるんだから……なおさら、手抜かりなくやってあげたかった」
と、優しく、言ってくれる。
「あっ。……マズいこと言っちゃったかな、わたし」
ふるふる首を振って、
「全然言ってませんよ。気にする必要なんかないです」
「……よかった」
「サナさん」
「うん」
「また散髪してくださいね、邸(ここ)で」
「うん。いつでもオールオッケー」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
サナさんがわたしの頭頂部に手を乗せる。
「マッサージしてあげる。ほぐされたいでしょ?」
「ハイ、ほぐしてもらいたいです」
「じゃあ、手抜かりなくホグるよ」
「楽しみ。どんなふうにホグられるのか」
「お楽しみに」
「ハイ」
× × ×
大学から帰ってきた利比古くんが、もうリビングのソファに座っている。
言うまでもなく、手にはタブレット端末。
ほぐされて肩がすごく軽くなったわたしは、彼のソファの後ろに軽やかに近づいて、
「利比古くん、タブレット置いてよ」
振り向いた彼は、
「なにか手渡したいモノでもあるんですか?」
と、予想外の鋭い問いを投げてくる。
わたしはその鋭い問いを受け止めて、
「あるんだな~、これが」
そしたら彼はタブレット端末を素直に横のソファに置いて、
「だったら、焦(じ)らさずに渡してください」
「急(せ)かすねえ」
「急かしてません」
「え、まさかの反抗期!? しかも、わたし目がけて」
「違いますから」
「ホントぉ?」
「ホントですよっ!」
「あ、今の反応可愛かった」
「ななっ」
「萌えキャラな反応だったよ、利比古くん」
「そ、そんなことばっかり言うのなら、受け取ってあげないんですからね」
ツンツンしながらもデレデレしているようなリアクションを見せられたから、思わず爆笑してしまうわたし。
わたしの大爆笑に直面して、彼は苦い顔になっていく。
せっかくのハンサムなんだから、苦い顔を解きほぐしてあげたくなって、
「ごめんごめん、笑いすぎたね。さっさと渡してあげるから」
と言って、にゅ~っ、とチケットを2枚、彼に手渡しする。
「割引券ですか?」
「そ」
「……これ、サナさんの美容院の」
「そだよー。『友だち紹介キャンペーン割引券』と『ヘッドスパ割引券』」
「なるほど」
「サナさんにさっきもらったの。ヘッドスパ割引券を付けてくれるなんて、彼女も大盤振る舞いでしょ」
「サナさんの『アリア』に行かない理由が――無くなっちゃいましたね」
「明日行ってあげるんだよ? さっそく」
「わかってます。サナさんも、ぼくが明日来店することを期待してる」
「期待に応えようね。ヘッドスパもきっと気持ちいいよ」
「ヘッドスパが気持ちよくないわけがないでしょう」
「――今日の利比古くんって、二重否定よく使うよね」
「……」
「黙っちゃイヤだよ~」
「……」
「エッ、どしたの~? 割引券見つめちゃって」
「『友だち紹介キャンペーン』ですか」
「それがどーかしたの??」
「いえ……。その、あすかさんは、ただの『友だち』とは違う存在だと、ぼくは思ってるので」
「!!」