【愛の◯◯】彼女の部屋には来たけれど

 

ダイニングキッチン。

 

夕食を食べ終えた愛ちゃんが、

「コーヒー、淹れてくる」

と言って、立ち上がる。

しかし、

「おねーさん。コーヒーなら、わたしが淹れてあげますよ?」

と、あすかちゃんが、横から。

「え……。でも」

惑う愛ちゃんに、

「失敗しちゃうかもしれないでしょ?」

とあすかちゃんは言う。

「し……失敗なんか、しないわよ。コーヒーぐらい、ひとりで淹れられる」

「ホントですか~?」

微笑み顔で迫るあすかちゃんに、愛ちゃんはたじろぐ。

愛ちゃんの袖を掴むあすかちゃん。

「おとなしく座っててくださいよぉ」

「で、でもっ」

「こらこら」

微笑み顔で軽くたしなめ、

「こーゆーときは、わたしに任せるのっ!」

と言い…問答無用で、愛ちゃんを着席させる。

キッチンに歩いていく…あすかちゃん。

 

× × ×

 

20時過ぎに、廊下であすかちゃんとバッタリ会った。

 

ぼくは立ち止まり、彼女に眼を合わせて、

「……あすかちゃんは、強いね。」

と言う。

「え?? 強いってなんですか、流(ながる)さん」

「強くて、優しくて、献身的で」

「――そうかなあ」

「ぼくなんか、敵(かな)いっこないぐらいに」

「えぇ……」

 

あすかちゃんは眉間にシワを寄せて、

「流さん――自己評価、低すぎません??」

「――そうだろうか」

「謙虚なのはいいかもしれないけど、じぶんを過小評価しすぎるのも、なんだかなぁ」

たしかに……。

「流さん」

「……うん」

「高めていきましょうよ、自己評価」

「どういうふうに……したらいいんだろう」

「それは流さん自身で考えてください」

「んっ…」

「だって。立派な社会人なんだから――流さんは。

 オトナなんだから。」

 

× × ×

 

立派な社会人。

オトナ。

 

そうか……。

そうだよな。

 

オトナとして、ぼくのできること。

すべきこと。

 

× × ×

 

意を決して階段を上った。

 

すぐそこに、愛ちゃんの部屋のドアが。

 

1回だけ深呼吸してから、ドアを優しく何回か叩いてみる――。

 

 

『はい』

「愛ちゃん、ぼくだよ」

な、流さん!?!?

「ちゃんと、いまのきみに、向き合いたくて――きみの部屋まで来たんだけど」

『……』

「ダメかな? 入ったら」

『……』

「――ドア越しに話すでもいいけど。できたら、きみの顔を見て、話がしたいんだ」

 

1分間反応が途絶え――それから、

 

『……わかりました。入ってください』

 

× × ×

 

どこに座ろうか。

 

愛ちゃんはベッドに着席中。

その隣になんか、座れるわけもなく。

ベッドにいっしょに座ってあげるのは、アツマやあすかちゃんや利比古くんの役目なんだし。

 

そこをわきまえて――勉強机の椅子に、無難に座ることにする。

 

向かい合い。

 

下目がちで、いささか恥じらい加減の愛ちゃん。

 

彼女は…やがて、

「なんだか……距離感が、微妙で」

とつぶやく。

「そうかな」

「……かといって、わたしの横に来てもらうのも、なんだか違うって思うし」

「…なるほど」

「もうちょっと……前に来てほしいかも」

 

「わかった」と言って、椅子を前進させる。

 

3メートルにわずかに満たないほどの距離。

 

ぼくは――気づく。

彼女も――もう、コドモではないということを。

 

いつまでも「少女」であるかのように、彼女をとらえていた。

 

だけど、

中学生でもないし、

高校生でもない。

 

着実に彼女も成長し、オトナの階段を上り、変わっていっているということ。

 

その事実に気づくのが遅すぎて、彼女を眼の前にして、悔やんでしまう。

 

「……どうしたんですか? 流さん」

「愛ちゃん……」

「わたしの元気のなさが、うつっちゃったみたいになってる」

「……申し訳ない気持ちになっちゃって」

「どうして?」

「……」

「――やっぱ、いいや」

「…えっ」

「説明を求めるの、わたしのほうが『申し訳ない気持ち』になっちゃうし」

「それも…そうか」

 

微妙な空気に傾きかけているところに、愛ちゃんが、

「流さん」

「なんだい…?」

「居てください」

「居てください…って」

「しばらく、この部屋に」

「なぜに…」

「ないです、理由なんか」

「…そんな」

 

愛ちゃんは、

「いいじゃないですか……流さん」

と、苦笑いで言う。

 

彼女の顔にほのかに浮かぶ笑みが……オトナっぽくって、戸惑いを覚えてしまう。