【愛の◯◯】マジで女子に鉄拳制裁される5秒前

 

藤村杏(ふじむら あん)。高校時代からの腐れ縁だ。おれと同じく社会人2年目なわけだが、仕事がなかなか激務らしく、出会った時にくたびれた顔をしていることがあるので気になる。

ただ、職場のグレーぶりもやや緩和されたらしく、今日はあっちの方から仕事終わりの飲みに誘ってきた。

 

……で、今は、生ビール中ジョッキが双方の前に置かれた場面なのである。

「早く乾杯しよーよ戸部。お通しを箸でちょぼちょぼつまむなんて、あんたらしくないよ」

素直に、

「わかった」

と言い、箸を置く。

おれも中ジョッキを手に取ると、

「えー、戸部アツマくんのパートナーであります羽田愛ちゃんがご贔屓の球団たる横浜DeNAベイスターズ日本シリーズ制覇を祝しまして」

と、藤村が異様な口ぶりになり、それから、

「カンパーイ!!」

と、おれのジョッキに自分のジョッキをぶつける。

ぐぶぐぶぐぶ、と腐れ縁女子はジョッキの中身を飲んでいき、勢い余るほど勢いよくジョッキを卓上に置いたかと思えば、

「おいしいね。このビールは極上の最高傑作だ。労働の後だからこそ感じられる歓び……。わたしと比べて激務じゃない戸部には、こんな歓びは感じられない」

うるさい。

昨日は八木八重子、今日は藤村杏。2日連続で女子に振り回されようとしている。振り回されてたまるもんかと思う。

だがしかし、

「もっとも、このビールより美味しいもの、あるんだけどね。それは……あんたと愛ちゃんの、ふたり暮らしの◯◯な、お話☆」

と言われてしまい、ちょうど口に含んでいたおれのビールが、急激に苦くなる。

 

× × ×

 

「11月に入ってからのあいつとの生活はだいたいこんなもんだ。あいつの22歳の誕生日があったのが大きなイベントだった。満足か、藤村」

「ほぼ満足」

藤村は卓上の塩を手に取り、

「新婚夫婦同然の生活は、やっぱたまんないねぇ」

と言い、皿に10個以上盛られた唐揚げに塩を振りかけていく。

「かけがえの無いパートナー、わたしにも見つかんないかなぁ」

そう言うと、唐揚げを箸でつまみ、大きく口を開けて頬張っていく。

おれも唐揚げに手を伸ばす。大ぶりの唐揚げを噛み締めると、ザクッとした衣の食感の後でジューシーな味わいが口の中に満ち溢れる。この店は全体的に料理のクオリティが高い。

「ねーねー」

唐揚げに感心していたところに藤村が割って入り、

「愛ちゃんも戸部に、唐揚げ、作ってあげるんでしょ〜」

「作るのはあいつばかりじゃねーよ。おれだって作るんだ」

「え、唐揚げ作れるの!? 予想外のお料理スキル」

おい。

「あのですね藤村クン、ボクの職場が何なのか、キミはご存知のはずですよね」

「なにそのウザくてキモい口調。ご存知無いわけないじゃん、カフェでしょ、カフェ。『リュクサンブール』」

「カフェのスタッフが唐揚げを揚げられないとでも思ったんか?」

おれは若干攻撃的に、

「勤め出す前から、唐揚げを調理するスキルは習得してたよ。おまえよりは大分調理スキルがあるはずだ」

藤村が一気にショボーンとなってしまう。

弱く、

「マウント取らないでよ、調理スキルの格差なんかで」

アフターケアを忘れないおれは、

「すまん、若干言い過ぎた。悪かったな」

と謝って、藤村の顔をジッと見て、

「今度、作ってやろうか、唐揚げ」

「え、エッ??」

動揺を隠せず、

「つ、作るって、わたしに!? つ、つ、作るったって、いつ、どこで……!!」

おれはニヤリと笑い、

「おまえの住んでるマンションに行くとでも思ったか。バカだな。おれの実家の邸(いえ)に来てみろよ。邸(あっち)で唐揚げを振る舞ってやる」

藤村の目線の向きが真下になった。

かと思えば、再び顔を上げ、中ジョッキの中身を一気に飲み干していった。

なんだか、悔しそうだった。

 

× × ×

 

風が少し吹いていて、夜を冷やし、おれと藤村も冷やす。

2次会は無し。藤村の方がおれよりビールをたくさん飲んでいたし、2次会なんて始めると悪酔いしそうで怖いしな。

そもそも、互いに明日も仕事なのだ。おれたちは社会人なのである。

駅に向かう道。駅までまだ10分はある。

並んで歩いている。右には藤村がいる。夜で暗いから、顔を見て酔いの回り具合を推し測るのが難しい。

「おまえ、明日の朝、ちゃんと起きれるよな」

「バカにしないで。むしろあんたの方が心配なんですけど。愛ちゃんの手を借りないと起きられないんじゃないの!?」

おれは苦笑し、

「見くびるな、見くびるな」

「どーゆう意味……」

「明日の朝食当番はおれなんだ。あいつより1時間半早く起きて、日課の筋トレをしてから、朝食の支度をする」

藤村が眼を見張り、

「なんなのあんた。宇宙人みたいじゃん。飲みの次の日に、とっても早起きして筋トレだなんて……」

眼を見張り続け、

「しかも、愛ちゃんに朝ごはん作ってあげるだなんて。超意外。やっぱり宇宙人としか思えない」

「光栄だ」

短く言って、おれは立ち止まる。

とある目論見があって、右横にカラダを向けて、身長159センチの藤村を見下ろす。

「な、なに」

見つめるおれ。

「セクハラは、NGだよ!?」

ビビってやがる藤村。

「アホだなー。おまえより全然酔ってないんだし」

「信用できない」

「信用しろ。『戸部信用金庫』だ、おれは」

「な……なにそれ」

すうぅっ、と息を吸い、おれは、

「なぁ藤村よ。せっかくの『腐れ縁』であるわけだしさ。もっとお互いに助け合っていこうじゃないか」

「助け合い?」

「ああ」

「……具体性、無い気がするんですけど」

「――もっとも、おまえの方が、助けが必要な時は多いんであって」

「ちょ、ちょっと戸部ッ」

構わず、

「くたびれたら、おれのLINEにでも、ヒトコト入れておいてくれ。『疲れた』とか、そういうヒトコトだけでいいから」

「……戸部は、男子だし。男子のLINEにそういうコト書いて助けを求めるだなんて、ハッキリ言って恥ずかしい」

「確かにな」

おれは、

「じゃ、ヘルプの連絡窓口は、おれのパートナーになったっていい」

「愛ちゃんを……窓口に?」

「そーだ。あいつならば、おまえのマンションの部屋に飛んで行ってくれる」

藤村は一瞬固まって、それから、

「……あんたも一緒に飛んで行く、だとか、言わないよね、戸部」

「飛んで行くかもな、一緒に」

「あ、あ、あんたになんか、わたしの部屋の敷居はまたがせないっ!!!」

顔色はあまり分からない。しかし、コトバに熱がこもりまくっている。コトバの発熱。

「藤村」

呼びかけるおれ。その眼に向かって視線を注ぐおれ。1歩距離を詰めるおれ。

「……わたしに暴力振るわれたいの」

「振るいたいんか?」

「あんたの辞書には『ソーシャルディスタンス』って単語無いんだね」

「あるが?」

「む、矛盾してるじゃん。ソーシャルディスタンスより、近いじゃん!!」

おれは笑いを堪えきれない。

藤村がついに右拳をぐぐぐぐ……と握り始める。

鉄拳制裁5秒前……か。