アカ子さんは予想通り気品ある社長令嬢だった。背丈はさほどでもない。女子の平均ぐらいだから158センチぐらいだろう。でも、涼やかな白地のスカートに代表されるような服装が、真夏のカラリとした空気と存分に響き合っていた。コーディネートはまさに社長令嬢らしい完璧さだった。そして顔立ちは、私が劣等感を抱く寸前なぐらいに整っていて、黒髪ストレートもまた、彼女の美しきルックスと見事に響き合っていた。
それから、話し方も洗練されていた。
「川口小百合(かわぐち さゆり)さん、どうぞよろしくね。早速だけれど、わたし、あなたを『小百合さん』って呼びたいんだけれど……承諾してくれるかしら?」
そう訊いてきたアカ子さんの喋りは、22歳の実年齢よりも上みたいな研ぎ澄まされた印象を私に与えた。
「もちろん良いですよ」
豪邸に相応しき応接間のソファに座って彼女と向き合った私はすぐに承諾した。
『小百合さん』呼びを承諾してから15分ほど経っていた。軽めの雑談をアカ子さんと重ねた。慶応を卒業したら某・玩具メーカーに入社するコトは前もって知っていた。就職の詳細を彼女は説明してくれた。
雑談が一段落したタイミングで、
「それにしても蜜柑は何をしてるのかしら。アップルパイ焼くのが難航してるとは思えないんだけれど……。せっかくの小百合さんへのおもてなしの日なんだから、もっと素早く行動して欲しいわ」
と、後ろを向きながら言うアカ子さん。ダイニングキッチンの方角をきっと向いているんだろう。
「……まあ、少しなら蜜柑を許してあげても良いわ」
こっちに向き直り、端正な微笑みで、
「小百合さん? わたしピアノが弾けるんだけれど、リクエスト楽曲とか思い浮かばないかしら? この近くにあるグランドピアノで後で演奏してあげるわ」
と言ってくれる。
どんな楽曲をリクエストしていいのやら迷い始めたタイミングで、大きめの丸いトレーにティーポットやアップルパイを乗せて運んできたメイド服姿の女性が視界に食い込んできた。
蜜柑さんだ。
本当にメイドさんなんだ。この邸(いえ)には初訪問だから、蜜柑さんのメイド服姿を眼にするのはもちろん初めて。168センチだと言っていた身長は私と同程度。アカ子さんより少し茶色がかり、アカ子さんよりやや長めに伸びた髪。軽く染めたりしてるんだろうか? とにかく、お嬢さまたるアカ子さんと同様に洗練されている外見。何よりスタイルが抜群だ。美しく長い脚をメイド服スカートが覆っている。ついつい、蜜柑さんのお姿を舐めるように眺めてしまう。
「蜜柑。取り掛かりが遅かったんじゃないの? 紅茶とアップルパイを用意するのにどれだけ時間をかけるのよ。おもてなしするべき小百合さんが可哀想だわ」
たしなめるアカ子さんに私は右手を軽く振り、
「そんなコト無いですよ。時間掛かるとか関係無く、紅茶を淹れてくれたりパイを焼いてくれるのは凄くありがたいです。アップルパイの良い匂い、私のもとまで届いてきてるし」
こう言うと、蜜柑さんは大人のスマイルで、
「ほらぁー。小百合さん、素晴らしいじゃないですかぁ。わたしをきちんと労(ねぎら)ってくれるし。何処かのお嬢さまとは決定的な違いがありますよね〜☆」
と、アカ子さんをからかうように言う。
「蜜柑!! 余計なコトを口走らないで」
アカ子さんは反発するけど、蜜柑さんは優雅にスルーして、切り分けたアップルパイのお皿を私の手前の大きなテーブルに置いてくれて、そしてそれから前屈み体勢でティーカップに紅茶を注いでくれた。スタイルの良さがあらためて眼に焼き付く。
「蜜柑さん」と私。
「ハイ」と蜜柑さん。
「いただいても宜しいでしょうか。紅茶とアップルパイ」
「遠慮無く」
「分かりました」
紅茶とアップルパイを堪能していたら、蜜柑さんが、結構な勢いの良さで、私の右斜め前のソファに着座した。
紅茶もステキに美味しい。アップルパイもステキに美味しい。『食レポみたいな感想を蜜柑さんに言ってあげないとな』と思う。蜜柑さんへのリスペクトがさらに増す。
メイド服のスカートに両手を引っ付け、蜜柑さんは、
「現在(いま)は、アカ子さんはマトモな服装してますけど」
と、奉仕する対象のアカ子さんの方角を向き、
「寝起きは酷かったですよねえ〜。『そんな状態じゃ、小百合さんへの応対の仕方を懸念してしまいますよ』ってたしなめたくなっちゃう感じでしたよ」
「な、なにを言うの蜜柑」
アカ子さんが慌て出す。蜜柑さんの指摘が図星であるかのように。いったいどんな寝起きだったのやら……?
「ご自慢の黒髪の手入れもせずにパジャマ姿でダイニングキッチンにやって来て、ウトウトしながら朝食を食べ始め、半分眠ってるような状態にもかかわらず食パンとロールパンを3つずつ――」
「ややややめて蜜柑!! だらしない格好だったのは言ってもいいけれど、わたしの大食い属性だけは晒さないで!!!」
慌てふためくアカ子さん。
「あの。アカ子さんって、『いくら食べても太らない』的な?」
「そうなんですよ小百合さん。漫画の中から出てきた美少女みたいですよね☆」
蜜柑さんが満面の笑みで答えた。
蜜柑さんはさらに、
「その他にも、アカ子さんには漫画的なキャラクター性が結構あって……」
と満面スマイルで仄(ほの)めかすが、右拳をぎゅぎゅぎゅ、と握り締め始めたアカ子さんが、
「実力行使ってコトバ知ってるかしら蜜柑」
とシリアスな早口で怒りのコトバをぶつける。
「なんですか? 暴力ですか? 非常によろしくありませんねえ。わたしをパンチしても何にも出て来ませんよ」
明らかにワナワナと震えているアカ子さんは、
「せっかくここまで良いムードで来てたのに。ピアノを弾いて、小百合さんを喜ばせてあげようと思ってたのに」
と言ったかと思うと、ガンッ! とテーブルを右拳で叩き、立ち上がってしまった。
× × ×
私の正面のアカ子さんが座っていたソファがぽっかりと空いている。
「仲直り、できるんですか、蜜柑さん? アカ子さん、相当怒ってた感じでしたが……」
「そーですねぇ。アップルパイを半分しか食べずに立ち去ってしまいましたし、相当のお怒りなんでしょーねぇ。アップルパイをお代わりするのがデフォルトなのに」
相当のお怒りだと蜜柑さんは言う。でも、さっきみたいなアカ子さんの取り乱しには慣れているといった様子だ。話す口調に、状況を面白がっている風な色が滲(にじ)んでいる。
「夕方には元に戻りますよ。お嬢さまの方からは決して謝らないでしょうけど。『お腹が空いたから早く夕ご飯の支度に取り掛かって』と言ってくるコトでしょう」
「ケンカは、どのくらいの頻度で……」
「日常茶飯事レベルです。互いに幼かった頃から、ずっとずっと」
「お訊きしても良いですか? 蜜柑さんは、いつからこの邸(いえ)に……」
「それがですねえ、ハッキリと記憶に無いんですよねえ」
「えっ?」
落ち着き払う蜜柑さんは穏やかに、
「いわゆる『捨て子』だったんですわたし。捨てられていたのをアカ子さんのお父さんとお母さんが拾ってくれて。その後諸々あったみたいなんですが、邸(ここ)でわたしは育つコトになって」
胃がきりきり締め付けられ、返すコトバを見失ってしまう。
蜜柑さんが、捨て子だったなんて。不用意だった。不用意な質問をしてしまった。彼女の痛みを突っついてしまった。彼女と比べたら、なんて私はコドモなんだろう。
「ごめんなさい」
情けなさに充ちた声で私は謝った。
「すみませんでした」
謝りに謝りを重ねた。
すると、
「謝るのは1回で良いんですよ」
と優しさの籠もった声が届いた。
「ホントは謝る必要も無いんですが。謝り過ぎてあなたが追い込まれてしまうのは、わたしも見ていて辛いです。だから、そんなに過剰に縮こまらないで」
初めて私に「あなた」という二人称を使った蜜柑さんが、ダメな私にカラダを寄せてきた。
すーっ、と蜜柑さんの左手が伸びてくる。
ドキドキし始めた私の右肩に蜜柑さんの左手のひらが置かれた。
私の顔面は瞬時に熱々になった。年上の女の人にこういうスキンシップをされたのは初めてだった。蜜柑さんの甘酸っぱい匂いがした。柑橘系のシャンプーを使っているから甘酸っぱい匂いであるに違いなかった。