「愛ちゃん、どうしたの? なんだか、いら立ってる感じがするわ」
「……え、わかっちゃう、アカちゃん」
あちゃあ。
せっかく、アカちゃんの邸(いえ)に来ているのに。
「ごめんね……イライラが、アカちゃんにも伝わっちゃってるみたいで」
「なにがあったの?
教えてちょうだいよ――親友の、わたしに」
アカちゃんは優しい微笑みで言う。
――意を決し、蜜柑ちゃんが淹(い)れてくれた紅茶をごくん、と飲んだあとで、
「イライラの原因は――ふたつあって」
「あら、ふたつも」
「まずひとつは――わたしの横浜DeNAベイスターズが、にっくき阪神タイガースにサヨナラ負けを喫したこと」
「……それは悔しいわね」
「悔しいし、腹が立つ」
「……ふたつめは? ふたつめのほうが、原因としては大きいんでしょう」
「そう。そうなのよ。
……。」
「言うのに、勇気が要(い)ることなの?」
「……」
「愛ちゃんが、なかなか、言い出せないってことは……」
「――いいえ、言うわ」
もったいぶらせたくない。
「あのね、アカちゃん、わたし――、
きのう、大学で、ナンパされちゃったの」
「それで――様子が、いつもと違ったのね」
「うん。…ナンパされたのは、初めて」
「ほんとにあるのねえ、ナンパって」
「ほんとにあるのよ。あったことに、ビックリしたし、してきた相手にも、いまだに腹が立っていて」
「でも、断ったんでしょう?」
「もちろん」
「じゃ、いいじゃないの。さっさと、そういう男(ひと)のことは忘れちゃえば」
「…そうね、そうよね。
いま、アカちゃんに、打ち明けて…楽になった、というか、イラ立ちが収まってきたような気がする」
アカちゃんは、たとえるなら、女神のようなスマイルで、
「それにしても――その男(ひと)は、まるでドン・キホーテね」
「――ま、ドン・キホーテなとこは、評価してあげてもいいかな」
わたしもようやく楽しくなってくる。
「アツマさんには報告したの?」
「した、した」
「なぐさめてくれた?」
「なぐさめられた……のかなあ」
と、わたしは苦笑。
「たしかに、きのうの夜は、ナンパ事件の傷を、アツマくん、癒やしてくれた」
「さすがはアツマさんね」
「――朝起きたら、イライラがぶり返してきたけどね」
「アツマさんを、もってしても――」
「簡単には、せき止め切れなくって、イライラを。
でも――だんだん、こころも落ち着いてきてる。
アツマくんのおかげは、もちろんだし、
こうやって打ち明け話を聴いてくれてる、アカちゃんのおかげでもある。
それと…蜜柑ちゃんの、紅茶のパワーも」
「そんなに貢献してるのかしら? 紅茶パワーが」
「だめよー、そんな笑いかたしちゃ。蜜柑ちゃんの紅茶飲むと、ほんとうにスッキリするんだからぁ」
おかわりほしいな……と思ってたところに、
ちょうどよく、メイド服姿の蜜柑ちゃんが、やってきてくれた。
「蜜柑ちゃん、紅茶、とっても美味しいわ。ありがとう」
「どういたしまして、愛さん」
「お菓子との相性も最高」
「そこまで、言っていただけるとは」
「紅茶は蜜柑ちゃんに淹れてもらうに限るわね」
「ベタぼめですね。ずいぶんと」
「きょうはとくに、ほめちぎり」
「なぜですか?」
「――わたしさ。
さっき、アカちゃんにも話したんだけど、
人生で初めて――ナンパしてくるオトコに遭遇して」
「あらら、そんな災難が」
「そのショックが、尾を引いてたの――でも、蜜柑ちゃんの紅茶飲んで、アカちゃんにきちんと打ち明けたら、気持ちも落ち着いてきた。
蜜柑ちゃんの紅茶を――飲んだおかげ。
だから、特別なくらい、蜜柑ちゃんに感謝して、ほめちぎりたくなったのよ」
「…わたしは、わたしの仕事を、しただけですから」
「だけど、嬉しさを隠せないような、顔してる」
「…愛さんの、ご指摘どおりかも、しれません」
「もっと感情を前面に出したほうが、蜜柑ちゃんらしいわよ?」
――そう言うと、蜜柑ちゃんは、ニッコリニコニコとした顔になった。
かわいい。
かわいいついでに――、
「蜜柑ちゃんはそっち方面の経験が豊富そうよね」
「エッ」
「とつぜん、こんなこと口に出して、ごめんね。
…ナンパされるのだって、一度ならず経験してるんだろう――って、勝手にそんな認識、抱いてて」
「わたしに対して、ですか?」
「そう。『モテっ子』でしょう?? 蜜柑ちゃんにしたって」
「『モテっ子』、とは」
「蜜柑ちゃんは、ぜったい、『モテっ子』な人生をこれまで歩んできたって、わたしの勝手な確信があって」
「……」
「どうかな? わたしの勝手な確信」
「……」
口ごもる蜜柑ちゃんを見かねたのか、
「愛ちゃん、勝手な確信じゃ、ないわよ。まるっきり真実なんだから」
「…やっぱり」
「蜜柑ちゃんのモテっ子は、アカちゃんのお墨付きなんだ」
「わたしよりだんぜん、モテっ子な人生を歩んできてるから…蜜柑は」
照れくさいようで、ほっぺたをちょっぴり赤く染める、蜜柑ちゃん。
眼も泳いでいる。
かわいい…!
「ねっ? 蜜柑」
アカちゃんが、おだてる。
「ナンパの対処法だって、熟知してるはずよね」
立ちんぼの蜜柑ちゃんは、
「『はずよね』ってなんですか、お嬢さま」
「オトコのひととのかかわりに、いちばん慣れているのは――蜜柑でしょ。この3人のなかだと」
おだてられて、不満混じりの口調で、
「なんですかー、その口ぶりはー、お嬢さまー」
「これこそ、『真実』よ」
「…いまのお嬢さま、いったいなにを考えてらっしゃるやら」
「蜜柑。蜜柑も席に座ってちょうだいよ」
「…どうしたいんですか? わたしを。」
「どうもこうもないわ」
「…なんだか不穏なんですけども」
「――『オトコのひととのかかわり』と、言ったけれど」
「…けれど、?」
「生粋(きっすい)のモテっ子として、蜜柑に、いろいろとアドバイスがもらえると思って。わたしと愛ちゃんへの……ね」
「アドバイスと言いましてもねえ」
「――肌で感じてるから、」
「肌で?? 感じてる??」
「だ・か・ら」
「お嬢さま……?」
「オトコのひとを、肌で感じてる、ってことよ!」
「ええぇ……」
「『ええぇ……』じゃないわよ蜜柑っ!!
あなたがいちばん、たくさんのオトコのひとと、肌を重ねてるんだから!!」
「は、はしたないですよっっ!! アフタヌーンティーの時間帯で、そんなハレンチなことを、言うなんて――」
「わたしだって言うときは言うわよ」
「あ、アカ子さんっ、言いますからね、言うんですからねわたし。
お父さんに、『アカ子さんがTPOをわきまえないハレンチなことを口走るようになった』って――」
「――似たもの同士でしょ?」
「だっ、だれと、だれがっ」
「わたしと、お父さん。お父さんだって、邸(いえ)では、お上品とはとても言えないじゃない。くだらないことだって、言ってくるし、お父さん」
「……下品なところを受け継がないでくださいっ」
「――さて、肌を重ねた経験の豊富さを買って、ここはひとつ、蜜柑に貴重なアドバイスを」
「アカ子さぁぁん、しつこいですっ、下品ですっ」
すごいなー。
手玉に取る、って、こういうことかー。
アカちゃんと蜜柑ちゃんの、力関係、
どっちが上でどっちが下か、とか、言い切れないような関係性だけど――、
きょうは、アカちゃんのほうが、力関係、上だ。
手玉に取られてる、蜜柑ちゃん――、
女子高生に戻ったみたいな、かわいらしさで、
すこぶる、面白い。