おれはアカ子さんファミリーのお邸(やしき)に来ている。
アカ子さんファミリーの支援のおかげで、今のマンションに住むことができたので。今日は仕事が早上がりだったし、『定期的に挨拶しに行かないと』という思いもあり。
夕方である。応接間でアカ子さんと向かい合い。
蜜柑さんがサービスしてくれた紅茶を飲む。美味い。
仕事疲れも、この紅茶で完全に抜けるな……と思っていたら、
「あらためて、ですけど……この前は、失意のわたしを慰めてくれて、ありがとうございました」
と、照れているようにアカ子さんが言う。
お礼を重ねる必要も無いように思うんだが、
「きみは何度でも『ありがとう』を言いたいんだな。その心遣い、嬉しいよ」
「そうですか」
なおも、照れ気味。
「どうぞ夕食も召し上がっていってください。なんだかんだで……蜜柑、料理の腕はピカイチですし」
「うむ。その席で、きみのご両親にも、きちんと感謝の意を伝えたい」
「真面目でステキですね、アツマさんは」
「おれのパートナーはすこぶる不真面目だから……まあ、釣り合ってるのかな」
「愛ちゃんと、アツマさんが」
「そゆこと」
思わず、ふたりして苦笑い。
「愛ちゃんは元気ですか?」
「ああ、元気だよ。ときどきくたびれるけどな」
「くたびれるのは、やっぱり去年の『挫折』が……」
「響いてる。まーそんなときは、おれの出番だ。支えてやる」
「とってもステキ。理想のカップル」
「まーたまた、理想の『カップル』だなんて」
「だって実質的に、夫婦みたいなものじゃないですか」
夫婦、と言われちまった。
照れくさくなると同時に、脈拍が少し速くなる。
「あっすみません。戸惑わせちゃいましたね……。本音も、時と場合によりますよね」
本音なのは認めるんだね。
かなわないな。
× × ×
『今度、朝のランニングを3人でやってみよう』という話を展開していた。そしたら依然メイド服姿の蜜柑さんが、応接間に再度ご登場。
「お父さんとお母さんがそろそろ帰ってこられるそうです」
おっと。
おれもそろそろ、襟を正さなきゃな。
「アツマさん、夕食のとき、ビール飲みますか?」
そう訊いたのは、アカ子さん。明確に「乗り気」のお顔。
「せっかくだし、飲もうかな」とおれ。
「そう来なくっちゃ」とアカ子さん。ものすごーく乗り気だ。
アカ子さんは、「蜜柑だけは、ノンアルコールね」とも。
蜜柑さん、アルコール耐性無いもんな。
釘を刺された蜜柑さんのほっぺたがプクーッ、と膨らんでいる。
微笑ましい。
× × ×
食後のコーヒーをサービスしてくれた蜜柑さんと、応接間でサシ向かっている。
アカ子さん・アカ子さんの親父さん・アカ子さんのおふくろさんは、ダイニング・キッチンで酒盛りを続けている。果てしなく、「強い」。
「アレに付き合ってたら『潰れる』から、避難してきたみたいになっちまいました」
「それで正解ですよ、アツマさん」
まだ蜜柑さんはメイド服だ。
にしても、蜜柑さん、おれのことはデフォルトで「さん」付けなんだよな。そして敬語。彼女のほうが年上だという揺るぎなき事実もあるんだが……。
「蜜柑さん」
「はい? なんでしょうか」
「もっと『フランク』になりたくありませんか」
「フランク……?」
「おれに対して。『さん』付けやめるとか、敬語ナシにするとか」
言われた蜜柑さんは、眼をパチクリさせて、なにも言ってくれない。
あれっ。
「蜜柑さーん?」
ややあって、元来『年上お姉さん』の彼女は、
「あ……あのっ。アツマさんはたぶん、わたしのほうが年上だから、そういうこと言ってくださると思うんですけど。わたしにも、『ご奉仕の精神』というポリシーが、ありまして」
「地球の未来にもご奉仕するんですか?」
「え、エッ」
「余計なこと言っちゃいました。忘れてください」
『東京ミュウミュウ』直撃世代でもなんでもないおれは、
「蜜柑さんが接しやすいスタイルでいいんですけど」
と言い、
「『普段着』の蜜柑さんも、見たくはあります。『普段着』というのは、服装だけでなく」
「態度を普段着に……ということでしょうか」
「ハイ。例えばですが、おれ、タメ口になってる蜜柑さんを、1度も見たことが無いんですよ」
「……」
「タメ口だとか、そういう『くだけた』スタイルの蜜柑さんの振る舞いかたも、見てみたい」
ここでおれは、イタズラ心を出して、
「――おれの後輩に、笹田(ささだ)ムラサキってヤツがいますが」
と斬り込み、
「ムラサキと蜜柑さん、ずいぶん親密なようで」
とさらに斬り込み、
「率直にムラサキが羨ましい。ムラサキになら、『くだけた』振る舞いかたをしてくれるんでしょうから」
と畳み掛けて、蜜柑さんの眼に視線を当てる。
彼女のほっぺたは、だれがどう見ても赤くなっている。
おれが視線を合わせてくるのがつらいのか、逸らしがちになる眼。
やがて、メイド服のスカートにぽん、と両手を乗せ、背筋の伸びた体勢から、前のめりな体勢にジワリと移行して、
「不意打ちは、正直好きじゃないです、わたし」
と、不満の色混じりの声で、コトバをこぼしてくる。
おれは面白くなって、
「ムラサキと今度いつデートするんですか?」
と煽る。
急速に蜜柑さんの顔面が赤くなった。
スカートの上の右拳を握りしめた。
それから、
「ずいぶんイジワルですねっ、アツマさんもっ!」
と、裏返り気味の声を発して、
「おかわりのコーヒー、淹れてあげたくなくなっちゃった」
と言って、
「ほんとーにイジワル。そんなにイジワルだと、タメ口になっちゃうんだからっ、わたし」
いやいや。
もうなってますよ、タメ口に。