【愛の◯◯】涙の図書館

 

谷崎潤一郎の『春琴抄』」

「読んだ」

志賀直哉の『暗夜行路』」

「読んでない」

川端康成の『伊豆の踊子』」

「読んだ」

三島由紀夫の『潮騒』」

「読んだ」

安部公房の『砂の女』」

「読んでない」

「えーっ。…大江健三郎の『芽むしり仔撃ち』」

「読んだ」

「じゃあ、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』」

「あー、読んでない」

「……」

 

「川又さん、日本文学から離れましょうよ」

「何文学にしますか?」

ロシア文学はどうかな?」

ドストエフスキーしばりとかどうですか?」

「いいわよ、かかって来なさい」

「では…、『罪と罰』」

「読んだ」

「『カラマーゾフの兄弟』」

「読んだ」

「『悪霊』」

「読んだ」

「『白痴』」

「読んだ」

「『未成年』」

「読んだ」

「……えーっと、『地下室の手記』…」

「読んだ」

「ま、『貧しき人びと』」

「読んだ」

「『永遠の夫』は……」

「読んだ♫」

 

『もう、何なら読んでないんですかっ』

そう言いたげな表情になる、わたしの可愛い後輩の川又さん。

 

わたしが誇らしげにしていると、

 

「だめよー。何を読んでるかとか読んでないかとかで、自分を語っちゃ」

 

伊吹先生の横槍が入った。

 

わたしと川又さんは、名付けて『これ読んでないんですよゲーム』に没頭していたのだ。

川又さんが作品名を言っていき、わたしが読んでるか読んでないかを答えていく。

今はわたしのターンだけど、ひとしきり答え終わったら、次は川又さんのターン。

 

ところが伊吹先生に横槍を入れられてしまった。

苦笑いしながらわたしは、

「べつに自分語ってませんけど」

と応戦する。

「ハタから見てると、ずいぶん不毛なゲームだと思っちゃう」

不毛だからいいんじゃないですか!!

「え~~っ」

「伊吹先生も、参加しませんか?」

わたしの要請を華麗にスルーして先生は、

「川又さん川又さん。ドストエフスキーでも、羽田さんがたぶん読んでない、って作品があるよ」

「えっ知ってるんですか先生」

あたしに任せてよ――と言わんばかりに、わたしのほうに向き直り、

「『賭博者』。

 『賭博者』は、さすがに読んでないんじゃないの?」

 

甘いなー先生も。

 

「残念、読んでます」

「どうして……」

「どうしてもこうしてもないです。多分、『賭博者』っていう題名だけ知ってるってパターンでしょ先生」

 

ギックリ、と伊吹先生は固まってしまうのだった。

 

「でも羽田センパイも、結構有名な作品を読んでなかったりするものなんですね」

「例えば?」

「『砂の女』とか。センパイは安部公房好きだったような気が……それに『砂の女』、薄いから2時間で読めちゃうと思うんですけど。それなのに」

「ほんとうに2時間で読めちゃうのかな」

 

あえて、鋭い指摘で、可愛い後輩をからかってみる。

 

返答に窮(きゅう)する川又さんに、

「ほら、次は川又さんのターンだよ」

 

「もう、不毛だなあ」

しつこく「不毛」という表現を使いたがる伊吹先生にたまりかねたわたしは、

「そう言いつつも、先生もさっきゲームに参加してましたよね。『賭博者』はさすがに読んでないでしょ~、とか言って」

「…………しょぼーん」

「『しょぼーん』を声に出さないでください」

「羽田さん…………稽古は? 劇の稽古、見学行かないでいいの?」

「話を逸(そ)らさないでくださいっ」

 

伊吹先生の頃は、『6年劇』はまだあったのかな。

それも気になるけど、『これ読んでないんですよゲーム』のほうが優先だ。

 

× × ×

 

「――川又さんもなかなかやるじゃないの。わたしが読んでない作品読んでたり」

「それほどでも」

「おあいこ、ってところかな」

「それ言い過ぎですよっ、センパイの勝ちです」

「だけど勝敗をつけるのってこのゲームの目的じゃないでしょ?」

「たしかに。そうでした」

 

「羽田さん、きょうは稽古見学には行かないの?」

 

伊吹先生の次は、たまきさん――か。

たまきさんの疑念に対し、

「そろそろ行くかな~」

「あ、やっぱり行くんだ」

図書館ご自慢の、年代モノの振り子時計を見つめながら、

「きょうは、松若さんが気になったから、文芸部で松若さんの様子を確かめてから行こうと思っていたの」

 

だけども、松若さんは、未(いま)だ図書館に現れていない。

『これ読んでないんですよゲーム』は、実のところ、時間稼ぎも兼ねていたのだ。

 

「マツワカなにしてんだろうね」

「来るはずなんだけどなあ。『行くよ』ってLINEまで、わざわざ送ってきてくれてたのに」

 

振り子時計が夕方5時を知らせた。

まずいなあ、どうしよう。

そう思いかけていたところに、

勢いよく、図書館のドアが開かれる音がした。

 

「や~ゴメンゴメン遅れちゃった」

「マツワカ、そんなに乱暴にドア開けたらだめでしょ」

たしなめるたまきさんだったが、

「『ダブルドアオープン!』ってか」

たまきさんは冷たい視線を浴びせて、

「……寒いよ、マツワカ」

「たしかに気温、低めかも」

「どこまでボケんのよ。羽田さんが心配してたんだよ!?」

 

「松若さん、稽古を見てきた――とかではないよね」

「うん。ぶっちゃけ最近、ちょっと行きにくくて」

「しょうがないよ」

「あたしが遅れたのは――進路指導に、ちょっと引っかかってさ」

「進路指導?」

「そ。先生につかまって、進路指導室で、面談という名のお説教」

「それは……大変だったのね」

「『あなたのためを思って言ってるのよ』って繰り返し言われた。あの先生の口癖なんだよね」

 

『6年劇』どころの話じゃない。

松若さん――どんどん追い詰められていってる気が、してしまう。

 

図書館で油を売ってる場合じゃなかった。

もっと、わたしが頑張らなきゃ。

 

「――そんな深刻そうな顔しないでよ、羽田さん」

「だって――!」

「あたしのぶんも頑張らなくっちゃ、って思ってない?」

「だって――そうでしょ」

「――羽田さんにしたって、『6年劇』ばっかりに関わってるわけにもいかないでしょ」

「それでも……そうだとしても」

 

続く言葉を、言いあぐねる。

気まずくて、うつむく。

 

羽田センパイ

 

……気がつくと、川又さんが、そばにいた。

「わたしも稽古を見に行きます」

「それはダメよ。自分たちの学年だけでなんとかするのが前提なの」

少し、詰(なじ)るような口調になって、後悔する。

「でも、なんとかならなくなりそうになってる。空回りみたいになってる」

川又さんの指摘が突き刺さる。

「おふたりに――提案があります。

 話し合いませんか?

 稽古に行くのがダメなら、わたし話し合いの聞き役になります。

 困ったときは、話し合ってみるのが一番だと、思うんですけど」

「あのねぇ……松若さんがどんな状態か、わかってる? 今から話し合うどころじゃないぐらい、つらいんだよ」

 

『それぐらいわかりなさいよ』という言葉を、なんとか、押しとどめる。

ごめん……川又さん。

わたし……攻撃的になってる……切羽詰まってて……トゲトゲしい言いかたになって……川又さんを、責めるみたいになってて……。

 

「まぁまぁ」

松若さんが、穏やかに、

「川又さんの言うこと、もっともだよ。あたし、原作者なんだしさ。責任や義務もある」

「松若さん……どうしてそこまで、強がるの」

「羽田さんらしくないなぁ」

彼女は温和(おんわ)に、

「強がってなんかない。引き受ける覚悟なら、できてる」

そして、あっけらかんと笑いながら、

「あした、土曜だけど、稽古、するんでしょ?」

「稽古は、するけど……見学するのつらいって、さっき……」

「気が変わったの。変わり身早いんだよ、あたし」

川又さんの顔を見て、

「川又さん。ありがとう――川又さんがズバリと言ってくれたおかげで、あたし、振り切れた」

それに応えて、

この劇で、自分を変えるんでしたもんね……松若センパイ

 

思い出した。

脚本合宿での、松若さんの決意表明。

松若さんの決意表明に、なんてわたしは応えたのか。

 

『ひたむきで、素敵だ』って、

わたし松若さんに言った、はずなのに。

「あたしはあたしを変えられる」っていう松若さんを、全力で応援するって、決めたはずだった。

それを……忘れてしまっていた。

 

 

「そんな哀しい顔にならないでよ、羽田さん」

立ち尽くすわたしを、気遣ってくれる。

「土曜の稽古――あたしも、ついていくしかないな」

 

「余計かもしれないけど…」

今度はたまきさんが口を開いて、

「話し合い、わたしも参加していい? れっきとした、高等部3年なんだし」

「そうしてくれると嬉しいよ、たまき。あんただって、『6年劇』に関わる権利は全然ある」

「『6年生』なんだもんね」

「そういうこと。」

本を閉じ、『いいよね羽田さん?』と、たまきさんもわたしに笑いかける。

 

泣きそうになっていた。

 

とりあえず、

ひどい空気作ってごめんね……

と、みんなに対して、精一杯謝る。

 

川又さんが、わたしの背中にそっと手を当てる。

「センパイだって、そんなときもありますよ」

「川又さん……ほんとごめん、イヤな気持ちにさせた」

「考えすぎなんだから。」

「あなたの言う通りだった。空回りで。空中分解までさせちゃうところで」

「言いすぎです。」

 

ずっと事の成り行きを眺めていた伊吹先生が、

「羽田さんが泣き止(や)むまで……待ってあげたほうがいいかな」

 

ちょっとしか泣いてないのに。

伊吹先生はいつでもイジワルだ。

でも、涙が出たのは事実だった。

 

……思い出すよ。あたしたちも、こんな感じだった

伊吹先生の、意味深な言葉が、聞こえてきた。