起きる。
カーテンを開ける。
――うん、いい天気。
松若さんと川又さんが、脚本合宿で、ここに泊まりに来たのも、もう3週間前。
わたしのベッドのとなりで、2人が寝ていたのを、思い出す。
昨日は、情けなくも取り乱してしまった。
学校で泣くなんて、いつ以来だっただろうか。
文芸部がらみだと――、先代部長の香織センパイの引き継ぎで、わたしに香織センパイが言ってくれたことばに感極まってしまったとき。
今年の1月だった。センター試験の…すぐあとだったと思う。
そっか。
引き継ぎ、といえば、今度はわたしが後輩に部長職を引き継ぐ番なんだな。
だれに?
……実はもう、決めている。
それにしても、松若さんや川又さんに対して、昨日はヒドい態度を取ってしまった。
わたしらしくもない。
あまり、引きずるのもどうかと思うけど――今朝になっても、反省しきり。
松若さんには今日、会うとして、
川又さんにもお詫びしなきゃ。
お詫びの代わりに――メルカドでなにか奢(おご)るのが、無難かな。
たまきさんにも。
空回りしまくってたわたしを、助けてくれたから。
たまきさんにも、感謝しなきゃ。
感謝するだけじゃなくって――なにか、「お返し」を、しなきゃだな。
今日の朝食当番はあすかちゃんで、まだ7時台だし、階下(した)におりていくにはまだ早い。
「自分の時間」ができたから、勉強机で、読書を始める。
読書を始めたのはいいが、著者の文体になかなか馴染めない。
読点の打ちかたがヘタで読みにくい。
× × ×
埒(ラチ)もあかず、読書を中断し、階下(した)のダイニングに向かう。
キッチンでは、あすかちゃんが、朝ごはんを盛り付けている。
「おはようございますおねーさん」
「おはようあすかちゃん」
「……なんでそんな、ムスッとしてるんですか?」
「やっぱりわかるのね。…本に、ムカついちゃって」
「本に?」
「そう。正しくは、本に罪があるんじゃなくて、著者に罪があるんだけど」
「それでイライラしてるんですか。やっぱりこだわりがあるんですねおねーさん、読書に関しては……」
「音楽と本には、特にね」
「わかります」
「このブログの名前を見てください、って感じ」
…そしてお互い、小さく笑い合う。
「朝ごはん食べたら気も晴れますよ」
「そだねー」
盛り付けられたお皿を見ながら、
「美味しそう」
「ですか?」
「お世辞なんか言わないよ」
ところで。
「ところで」
「?」
「あすかちゃんは――いま高校2年だよね」
「はい」
「ってことは、川又さんと――同学年か」
「川又さんって、おねーさんの後輩の、この前泊まりに来た」
「そうだよ」
「――どうかしたんですか? それが」
「ううん、どうもしないの」
「???」
× × ×
制服は着たけれど、土曜登校には、まだ少し時間がある。
時刻は午前10時をまわった。
わたしはテレ朝の「題名のない音楽会」を観ている。
いつの間にか、「題名のない音楽会」の放送時間が変わっていた。
それを知らずにいつものように日曜9時、テレ朝にチャンネルを合わせたら、仮面ライダーが始まってギョッとした。
日曜朝9時っていったら「題名のない音楽会」じゃないの。
どうして放送時間変えるのよ。
わたし、幼少期から、プリキュアなんかに目もくれず、日曜朝9時になったら、テレビの前に正座してたのに。
あ、正座ってのは、誇張でした。
だけど真剣に観てたのは確かよ。
――不都合はあった。
周りの女子のプリキュア談義に、ついていけなかった、悲劇――。
小学校のクラスの誰も「題名のない音楽会」を観ていなくて、話し相手になってくれる子がいなくって。
なによ、フレッシュって。
なによ、ハートキャッチって。
女子がみんな自由帳にプリキュアの絵を書いていた小学校低学年のころ、わたしはひとり寂しく、自由帳に五線譜を作っていた。
わたしの自由帳、オタマジャクシだらけだった。
――そんな悲しい過去を思い出していたら、番組も佳境に入っていた。
そろそろ10時半。
そろそろ行くかな、学校。
立ち上がろうとしたら、そこにアツマくんがやってきた。
「なぜに――制服?」
「女子高生は忙しいの。休日出勤だってしなきゃなんないの。あなたとは違うのよ、アツマくん」
「ふ~ん。…文化祭がらみ?」
「そうよ、劇の稽古に立ち会うの」
「脚本だけじゃなかったのかよ」
「そうもいかなくなったの。大変なんだから、いろいろと」
「ふむ。」
「いかにも大学生活謳歌(おうか)してますって顔ね。別にいいけど」
カバンを持って、玄関に行こうとした。
そしたら、アツマくんが、後ろから右手をつかんできた。
「ちょっと! なんなのよ」
「大変なのは……わかった。だが、」
「……?」
「おまえ、ヘアブラシ、持ったか? ちゃんと」
……え?!
「その顔は『マズい忘れてた』って顔だなぁ」
たしかに……忘れていたのは、事実だけど。
「大切なヘアブラシなんだろう?」
「どこまで知ってるの……? わたしのヘアブラシのこと」
「文芸部の先輩が卒業するときに、くれたヘアブラシなんだろ。言われたんだよな、『肌身はなさず持ち歩いてほしい』って」
「どうしてそこまで知ってるの……」
「パパは何でも知っているんだ☆」
「ふ、ふざけないでよっ」
「取りに行ってこいよ、部屋に」
「言われなくたって――」
「パパのいうことを聞きなさい」
「聞いてるわよっ!! ちゃんと」
× × ×
なんて、茶番……。
朝から、悔しかった。
× × ×
で、登校して、稽古スタート。
「来てくれてありがとう松若さん」
「約束は守るよ。行くって決意したんだから、稽古から目をそらさないって決めたんだから」
「あんまり肩肘(かたひじ)張らなくてもいいって」
「でもさ、話し合ったでしょ? 昨日」
「そうだね、せっかく話し合ったからね。たまきさんも加勢してくれたんだし」
「今日は、あたしもなんか言おうと思う」
ふと、なにかに気づいたように、松若さんが、
「羽田さん」
「え、なに」
「アホ毛が1本」
「あ……あほげ????」
「ごめんごめん、オタクワード言っちゃった」
「オタクワード?」
「んっとね、ピーンと1本、髪の毛が伸びてるから」
「わたし? どこに……」
「ほら、ここだよ」
「ああっほんとうだっ、寝グセ、直してきたはずだったのに」
情けない。
すかさず、カーディガンのポケットに入っていた、香織センパイがくれたヘアブラシで、『アホ毛』を直した。
× × ×
「違う!」
相変わらず、水無瀬さんの怒号が飛んでいる。
月曜に、会議室で1対1でお話ししたんだけど、水無瀬さんの八洲野(やすの)さんに対する接しかたには、変わりがない。
う~む。
様子を見て、水無瀬さんと八洲野さんの関係のことを、もっと訊き出してみたいところだけど。
今度は、八洲野さんにも、接触できないものか。
強情気質の水無瀬さんよりは、秘密を打ち明けてくれる可能性は高いと思うけど。
もうちょっとだけ様子見かな。
休憩。
「水無瀬さん、お茶だよ」
湯呑みをそっと差し出してみる。
「あー、ありがとう」
水無瀬さんがお茶を飲み終えるのを見計らって、
「水無瀬さん、脚本担当からお願いがあるの」
眼の前の彼女は、空っぽの湯呑みをつかんだまま、
「なんの、お願い?」
今度は、わたしに代わって、松若さんのターン。
勇気を出して――松若さんは、水無瀬さんに要望を伝える。
「演技指導に関する――意見というか、要望というか。
原作者として、お願いしたいんだけど、
それぞれの幕が、起・承・転・結であることを意識してほしいの。
構成というか……幕ごとの役割、というか……ごめん、うまく、説明できなくって」
応答する水無瀬さん。
「つまり、例えば――第3幕は、『転』の役割を担っているから、第3幕に出てくる青島さんには、物語の『転』に見合う演技をしてほしいってことでしょ。
――わかった。そういうふうに指導してみる」
伝わった……。
よかったね、松若さん。
スローでも、着実に、劇が前進している。
そんな感じがする。
劇が前進するとともに、わたしたちは、少しずつ変わっていって――、
成長していくんだな。
成長がなきゃ、嘘だ。