【愛の◯◯】松若さんを待ちながら

 

わが校には、通称『6年劇』という伝統があったらしい。

『6年』とは、ほら、中高一貫だから、最高学年の高等部3年のこと。

――つまりは、文化祭で、高等部3年の生徒が劇を演じる、そういうことね。

 

――長らく封印されていた『6年劇』だが、

今年、突如として復活することになった。

諸々(もろもろ)の事情がありそう。

 

最初は伝統にのっとって、チェーホフ劇を上演する方向だった。

演目も『三人姉妹』で決まりかけていた。

ところが――チェーホフだと、某少女漫画とあまりにも丸かぶりだから、というわけではないが――難色を示す意見が生徒からいろいろと出て、案は白紙に戻ってしまった。

「どうせならオリジナル作品にしようよ!」というわけ。

「だから、誰か原作を書くひといない?」ということになって、誰からも手が上がらなければ『6年劇』の復活自体おじゃん、という瀬戸際まで来たところに、

文芸部の松若さんが立候補したのだ。

 

実は松若さんには前々から構想を練っていたストーリーがあったらしい。

「どういう表現形態にしたらいいか、わかんなかったんだけど……劇をするなら、ちょうどいいと思って」

というわけで、原作・脚本は松若さんの担当になった――、

と思いきや、

羽田さん、一緒に脚本を書いて!

と、せがまれてしまったのだ。

「あたしだけじゃ力不足だから……」

具体的には、松若さんが書いてきた叩き台に、わたしが加筆修正する、という流れ。

 

そんな共同脚本作業も、いよいよ追い込みの時期に来たのである。

今週末までに完成させないと、スケジュールに支障をきたす。

放課後の図書館で、文芸部の活動と並行して、松若さんとふたりで、検討に検討を重ねて脚本づくりをしてきたのだ。

――いつの間にか、文芸部そっちのけ状態で、脚本づくりに専念するようになっていったけれど。

繰り返しになるけど、期限は今週末。

ピッチを上げないと終わらない。

追い込みの時期に、追い込まれてる状態の松若さんとわたし。

金曜の放課後までにできなければ、土日返上で、松若さんをお邸(やしき)に招いて――カンヅメするしかない。

ふたりとも、必死。

 

× × ×

 

「疲れたね、さすがに……」

松若さんの表情が青い。

「松若さん、休憩したほうがいいよ」

「でも、明日までには…」

「急いては事を仕損じる、だよ。焦らないで」

 

「マツワカ、飲み物おごってあげる」

木幡(こわた)たまきさんが急に近寄ってきた。

「たまき、おごるったって、『メルカド』なんか行ってるひまないことぐらいわかってるでしょ」

「わたしも喫茶店でおごるつもりなんてないよ」

「はぁ?」

するとたまきさんは何やら小銭らしきものを松若さんに手渡しした。

「これじゃあ自販機でしか飲み物買えないじゃん」

「そういうことマツワカ。自販機で買うんだよ」

「あんたが買ってくれば済む話じゃん」

「図書館は飲食禁止でしょ?」

「…おごられてんのか半分パシリなのかわかんない」

 

「外の空気吸ってきなよ松若さん。頭が軽くなって、スッキリすると思うよ」

「羽田さんのお言葉に甘えて…」

立ち上がる松若さん。

「たまき」

「何」

「借りは返さないからね」

「おごりなんだから当たり前じゃ~ん」

 

× × ×

 

松若さんの休憩中、わたしは超ハイスピードで、これまで出来たぶんの脚本に目を通していた。

わたしが頑張らないと、間に合わない。

こういうときに持久力がものを言う。

持久力には自信があるから、ロングスパートするんだ――と決意して、一心不乱に文字を追うわたし。

ところが――不覚にもだんだん目が疲れてきて、連日連夜の疲労の蓄積を思い知ることになった。

いくらわたしでも……エネルギー、切れそう。

 

眼精疲労解消には、外の景色を眺めることが効果的だと聞いたことがある。

脚本から顔を上げて、窓の外に視線を移してみよう。

いい天気だ。

いまが1年間のなかでいちばん素晴らしい季節なんじゃないかしら。

10月、それはいちばん素敵な月。

 

「羽田さんが……たそがれてる」

たまきさんの不意打ちを食らった。

わたしの顔を覗き込むようにして、

「ロマンチックな眼になってる」

「どっどうしてそう思うの」

「なーんとなく」

「わ、わたしロマン主義じゃだめなのよ、眼の前の現実と戦わないと」

「眼の前の現実って?」

「脚本」

「あーなるほど」

脚本を持つ手が微妙に震える。

切羽詰ってるからか。

「とりあえず、落ち着こうよ」

「なかなか落ち着けないのよ……」

「そ~だ」

「え、なに」

「羽田さん、この新書、読んだことある?」

 

『貨幣とは何だろうか』。

今村仁司著、ちくま新書

 

「ち…ちくま新書の最初期よね」

「というより第一冊だよ。ここ(←表紙)に『001』って書いてあるし」

「…読んだことあるかもしれないし、ないかもしれない」

「ずいぶん切羽詰ってるんだねぇ羽田さん」

 

あ、あたりまえでしょっ。

 

「だってさ」

いきなり神妙な顔と口調になってたまきさんは、

「いつもの羽田さんなら――はっきり言うじゃん。

 読んでたら『読んだ』。

 読んでなかったら『読んでない』。

 そういう羽田さんのはっきりしてるところ――読書に対するスタンスかな、そんなところが、わたし好きなの」

 

たしかに。

そうやって、読書と向き合ってきた。

読んでるやら読んでないやらわからないとか、そういう中途半端さで、本と向き合いたくなかった。

 

切羽詰ってるから――読書に対して、本に対して、おざなりになってしまっていた。

 

「さてマツワカもそろそろ帰ってくるかな」

「たまきさん……たまきさんは、いいこと言うね」

「ありがと。

 けど、脚本作ってるのに、水差しだったかも。そこは、ゴメン」

「いいのよ……少しくらい、脱線しても。

 たまきさん、『貨幣とは何だろうか』って本読んでるってことは、お金に興味があるのね」

「あるねー」

…松若さんに小銭を渡したこととの因果関係が、ありそうでなさそうで。

ま、いいや。

 

「――もしかして経済学部志望?」

「わたし?」

「あなた」

「受けるねー、経済学部『も』」

「ああ、ほかの学部も受けるのね」

「――そういう羽田さんは?」

「……文化祭が終わるまで、待って」

「ずいぶんじらすね」

「楽しみがないじゃないの」

「いまバラしちゃっても変わりなくない?」

「あるのっ、あるのよ! ぜったい」

「なんで?」

もう一度、たまきさんが持っている新書を見て――、

「『進路とは何だろうか』」

「???」

「『受験とは何だろうか』」

「羽田さん――??」

「――『学問とは何だろうか』」

「そういうタイトルだと――新書1冊じゃすみそうにないね」