「愛、きょうは、おまえの女子校時代の友だちが、泊まりに来るんだって?」
アツマくんが言ってきた。
「そうよ。松若響子さんと、木幡たまきさん。文芸部で一緒だったの」
「ふむ……。いい友だちに恵まれてるな、おまえは」
「ほんとうに、そうよね……」
わたしは、コーヒーカップを両手で持ち上げながら、キッチンの窓を見る。
向かいの席にはアツマくん。
「おれの出る幕は、いっさい無さそうだな」
「そうよ。おとなしくしておいてね」
「じぶんの部屋にでも籠(こ)もっておくよ」
「それもどーかしら」
「え、えぇ……」
コーヒーカップを置き、彼をまっすぐに見つめながら、
「ねえアツマくん。わたし、あなたに、してあげたいことがあるんだけど」
と言う。
「……なんだよ? してあげたいことって」
「ハンドマッサージ」
「ハンドマッサージ?」
「現代人は、スマホとかで、手が疲れてるでしょ? アツマくんだって、例外じゃないはず」
「…手の疲れなんて、とくに意識してないが」
あのねー。
「あのねー。そこはウソでも、『ちょっと疲れ感じる』とか、言っておくものでしょ??」
「う、ウソなんか、つくかよっ。依存症みたいにスマホ使いまくってるわけでもないし…」
あー、もうっ。
「問答無用よアツマくん。見えない疲れだって、手に潜んでるかもしれないじゃないの!」
問答無用で彼の右手に右手を伸ばす。
わたしの右手で、彼の右手を、包み込む――。
× × ×
「アツマさんって、やっぱり強くてたくましそうだよね」
わたしの部屋に入った松若さんが言う。
「タフさだけが取り柄だから」
と言って、わたしは苦笑い。
「…厳しいねえ、評価」
と松若さん。
「一緒に生活してると、どうしてもね」
とわたしは言うけれど、
「でも――今朝は、スキンシップしてあげた」
と付け加える。
すると、松若さんが、興奮した様子で、
「スキンシップ!? 朝から!? どんな!?」
と迫ってきて……わたしは、たじろいでしまう。
「て、手を、ほぐしてあげただけ。ハンドマッサージ」
たじろぎつつ答えるわたし。
今度は…たまきさんが、
「ハンドマッサージか~、いいねえ。アツマさん、幸せ者だね」
と、満面の笑みで言ってくる。
「うらやましいかも。」
「う、うらやましいってなに……たまきさん」
「うらやましいものは、うらやましいんだよ。
羽田さんの手って……やわらかいし」
「ど、どうしてわかるの!? わたしの手がやわらかいって」
たまきさんだけでなく、松若さんまでもが……満面の笑みに。
× × ×
それから、たまきさんが急速に文学少女キャラになってきているという話になって、
「――たまきね、川端康成の『掌(たなごころ)の小説』を、読み切っちゃったんだって」
ということを松若さんが伝えてくる。
「そっ、それはスゴい……。新潮文庫でしょ? あんなに分厚い新潮文庫を……」
「気づいたら、読み切っちゃったんだ」
と、照れ気味に、たまきさん。
「わたし……『掌の小説』を通読する体力と気力なんて、いまは無いな」
と言い、少しうつむくわたし。
すると、
「そりゃそうでしょ」
と、たまきさんに、キッパリ言われてしまった。
「羽田さん、充電期間なんだから。…羽田さんが読書をがんばれない分も、わたしががんばってあげる、ってこと」
たまきさん……。
「わたしの文学の師匠は、羽田さん以外のだれでもないから……だから、恩返し。」
まぶしい笑顔のたまきさん。
恩返し……。
恩返し……か。
恩返し、ということばが、次第次第に、わたしの胸に沁み込んでくる。
「たまきも、ごくごく稀に、いいこと言うんだよねえ」
と松若さん。
「ずいぶんヒドい扱いだねー、マツワカ。そーゆうところ、中高生時代から少しも変わってないし、これからも、変わらないんだろうね」
「個性よ、個性」
「なーにが個性だか」
ふたりの掛け合いが面白くて、思わず、笑う。
「お。羽田さんのツボにはまったみたい」と松若さん。
「良かったじゃんマツワカ。こんなどうでもいいやり取りも、無駄じゃなかったみたいだ。羽田さん――その調子、その調子」とたまきさん。
ふたりとも――ありがとう。
× × ×
わたしたちの通っていた女子校には、修学旅行が無かった。
だから、今晩は、『疑似修学旅行』みたいなことを、やってみることにした。
具体的には――わたしの部屋で寝るのではなく、八畳間の和室に3人分の布団を敷いて、そこで寝る。
さすがに、枕投げなんかは、しないけれど。
わたしを中央にして、両サイドの布団に、松若さんとたまきさんが、居てくれて。
修学旅行気分は、じゅうぶんに味わえた。
味わえたし。
友情って――やっぱり、尊い。