わたしの左前方には松若響子(まつわか きょうこ)さん。右前方には木幡(こわた)たまきさん。どちらも母校の同級生で、同じ文芸部でもあった。
今日は3人ともブレンドコーヒーを頼んだ。わたしだけブラックで、あとのふたりは砂糖とミルクを入れている。
「最近どーですか、元・文芸部部長」
コーヒーを啜ったあとでカップを両手で持ったままそう言ってきたのは、右前方の木幡たまきさんのほうだった。
「元気?」
と訊くので、すぐにわたしは、
「元気よ。誕生日も近いし」
と答えてあげる。
「そっか。21歳か。でも羽田さんはやっぱ、『永遠の女子高生』だな」
またまた。
「またまた、たまきさん。『永遠の17歳』みたいじゃないの」
「『永遠の17歳』?? なぁに、それ」
あ。
ヤバい。
「な、流して流して、たまきさん」
「羽田さん、相変わらず面白いねえ」
たまきさんがニッコリ笑う。
ニッコリ笑って、
「肝心なこと訊いてなかった。彼氏のアツマさんとふたりで住んでるんでしょ? 幸せだねえー」
わたしは少しだけ突っぱねるようにして、
「そうよ。幸せなんだからね。アツマくんが居てくれる有難みをいつでも実感できるの」
そして流し目で、
「たまきさんは、『そこらへん』どーなのよ」
「ん? 含みアリアリなのは、なんでかな」
「男の子よ、男の子」
「んっ……」
虚を突かれたかの如くたまきさんが静止する。
「アハハ。羽田さんもなかなかやるね。恋バナなんて羽田さんから振られるなんて思ってもみなかったんでしょ、たまき」
松若さんがたまきさんをからかう。
たまきさんは置いたコーヒーカップに視線を落とし、
「わたしは……文学作品の中の恋に、夢中だから」
『ほほー』
「な、なんでハモるの!? ふたりとも」
慌てるたまきさん。かわいい。
かわいいから、
「すっかり文学少女なのね、たまきさんも」
とわたしは言ってあげる。
「高校時代なんて、文芸部に居たにもかかわらず、文芸書以外の本ばっかり読んでたのにね」
「こらこら松若さん。いちばん大事なのは現在(いま)じゃないの。わたし嬉しい、たまきさんが文学に夢中になっていってくれて」
「羽田さんが居てくれたから、文学の世界に入っていけたんだよ……」
嬉しいコトをたまきさんが言ってくれる。
やや肩をすくめ、
「学部は、経済学部なんだけどね」
と付け足す。
「わたし四谷の私立大学でしょ? あそこの経済学部だから、影が薄いんだよね」
と自嘲するたまきさん。
「そんなこと無いわよ。わたしの大学の政治経済学部よりはよっぽど名門よ」
「な、なに言うかな羽田さん。偏差値そんな変わんないじゃん、羽田さんの大学と。あなたの大学のほうが名門かもしれない」
「まあ、学歴的なトークで引っ張るのは少しぐらいにするとして」
「あっああっ、羽田さんにゴーインに流されちゃった」
「だって、たまきさん。あなたの隣にいる子の所属してる経済学部には敵わないでしょう」
松若さんにジト目になってたまきさんは、
「確かに羽田さんの言う通りなんだよね。泣く子も黙る関東国立大学ナンバー2の経済学部」
「それホメてるのかな、たまき」
「ホメてるに決まってるよ、マツワカ」
軽く笑い、松若さんは、
「だけど『ナンバー1』は、なんてったって高校時代の羽田さんだよねー。最高学府に余裕でパスできたのに、最高学府を蹴っちゃうんだもん」
「こらこら、偏差値的で大学ランク的なトークを引きずらないの」
と叱りつつもわたしは、
「優等生だったって言われるのは、嫌いじゃないけどね☆」
と余計なコトバを付け足す。
顔なじみの店員さんを呼び、指一本立てるだけのサインで、お代わりコーヒーをオーダーするわたし。
「今日、松若さんに訊きたいことあって」
「あたしに??」
「そーよ」
「……意味深だな」
「そんなに深い意味は無いのよ」
じっくりじっくりと松若さんの様子を見ていったあとでわたしは、
「松若さん、あなたが、本を最初から最後まで読み通せるようになったのかなー、って。それを訊きたかったの」
訊かれた彼女は苦笑して、
「痛いとこ突くね〜。さすが元・文芸部部長というか、なんというか」
「敢えて厳しくするの」とわたし。
「その厳しさはどこから来るの?」と松若さん。
「愛情。」とわたしは即答。
「完全に愛のムチだな」と松若さん。
「わたしの下の名前の通りね」
「羽田愛さんなんだもんね。仕方が無いか」
「仕方が無いのよ松若さん」
『しょうがないなー』と観念したご様子で、わたしに愛のムチ的な問い詰め(?)を食らった松若さんが、
「今年度、4月から10月で、最初から最後まで読み通した本が、5冊」
あらー。
「ずいぶん進歩したのねぇ。お姉さんは嬉しいわ☆」
「タハハ、お姉さんになっちゃったよ、羽田さん」と松若さん。
「まさかのマツワカが妹と化す展開か」とたまきさん。
「正直あんたに妹キャラは似合わないけどね。似合わないというか、そぐわない」とも、たまきさんは。
「理由はー?」と松若さん。
「帰って鏡を見ながら考えてみるといいよ」
「良くないなー、良くないぞー、たまき。ルッキズムというかなんというかじゃーん」
「マツワカがそう言うんならそうかもね」
「話を脱線させないっ、ふたりとも」
「うぉ、羽田さんが前のめりで叱ってこられた」
「たまきがいけないんだよ」
「そう?」
まったくもう。
ふたりの会話の応酬が面白いから、許すけど。
わたしのお代わりコーヒーが運ばれてきて、湯気が立ちのぼる。
お代わりコーヒーに口を付けるよりも先に、
「読み切った5冊の内訳を、教えてほしい」
と、前のめりを持続させつつわたしは松若さんに言う。
「んーっと」
松若さんは手指を折りながら、5冊の内訳を伝えてきてくれる。
「あなたもなかなかやるわね。負けたくない気持ち、出てきた」
「強気だな〜、もう」と松若さん。
「だって5冊の中に、カルヴィーノの『冬の夜ひとりの旅人が』が含まれてるんだもの」とわたし。
「羽田さんはカルヴィーノぐらい全部読んでるんじゃないの?」
「全部じゃないわよ松若さん。たしかに『冬の夜ひとりの旅人が』は3回通読してるけど、全部なんてありえない」
「あたしより2回も多く読んでるのに、張り合っちゃうんだ」
「あなたならば熟知してるでしょう? どこまでも強気なわたしの性格」
張り合っちゃうわたしに、たまきさんが、
「こりゃー完全に女子高生的な勢いだ、羽田さんが」
「そう言ってくれてどうもありがとう」
「女子高生的な勢いなのは全くかまわないんだけど」
「? なにかあるの、たまきさん」
「せっかくの2杯目のコーヒーが、冷めちゃうよ」
「あっ!!」