わたくし川又ほのかの実家たる喫茶店『しゅとらうす』。
今店内には、セロニアス・モンクの楽曲が流れている。
『しゅとらうす』という店名だというのに、クラシックではなくジャズだ。
ま、わたしの両親、割りに手広く音楽を知ってるからね。
ヨハン・シュトラウス1世やヨハン・シュトラウス2世やリヒャルト・シュトラウスじゃなくて、セロニアス・モンクだったりビル・エヴァンスだったりオスカー・ピーターソンだったりが流れていたって全然不思議じゃないの。
さて。モンクのピアノが鳴り響く店内に、ひとりの女の子が居る。
武藤さん。
わたしの女子校時代の同級生で、なおかつ同じ文芸部の所属だった。
当初は幽霊部員状態だった彼女だけど、3年になってわたしが部長になった頃から定着し出して、部の有志による詩歌の同人誌づくりにも積極的に参加してくれた。
そんな武藤さんが、わたしと同じテーブルに座っている。
斜向かいの武藤さんが、
「少ないね、お客さん」
と呟く。
「平日のこの時間帯はこんなものだよ。ランチタイムとコーヒータイムの狭間みたいなものだから」
「ふうん」
武藤さんの眼は訝しげだ。
分かるよわたし。武藤さんが抱く疑問、分かる。
「心配しなくても、『しゅとらうす』は15年連続黒字経営だから」
「それもまた凄いね」と彼女は。
「川又さんのご両親が、自営業のことを熟知してるんだね」とも。
それは疑問だなぁ。
ところで、
「武藤さん、今日ずっとわたしを苗字で呼んでるよね? どーして? 高3のときとか、ずっと『ほのかさん』って名前で呼んでくれてたと思うんだけど」
すると彼女は微笑して、
「オンナの気まぐれ」
と。
思わぬヒトコト。
ついにわたし&武藤さんの他に店内で過ごしているお客さんが2人だけになってしまった。
リー・モーガンの楽曲が大音量で鳴り始める。
それとともにわたしは、
「今日の肝心かなめのところを忘れちゃいけないよね。わたしと武藤さんコンビが、『だれ』をここで待ち構えているのか」
武藤さんがすぐに、
「羽田愛センパイ。」
と、そのお人の名前を言う。
「そう。文芸部のレジェンド部長」
「レジェンドなんだ」
苦笑の武藤さんに、
「レジェンドだよ! 羽田センパイの在学中は武藤さんあまり文芸部に来てなかったから、イマイチ実感できなかったかもだけど」
「確かに文芸部では接点薄いままになっちゃったよね。わたしはむしろ、文芸部活動以外のところでレジェンドだったと思う」
「スポーツとか」とわたし。
「音楽とか」と武藤さん。
「学業とか」とわたし。
「華々しい容姿とか」と武藤さん。
おおっ。
「武藤さんも、羽田センパイの容姿の麗しさにホレちゃったタイプ!?」
「惚れてはいないけど」と武藤さんは苦笑。
しかし苦笑と同時にほっぺたの赤みが強まってきていたのを、わたしは見逃さなかった。
× × ×
そしてカランカラン! と玄関ドアの鈴が鳴った。
羽田センパイが入店してきたのだ。
「いらっしゃいませ羽田センパイ。わたしこの店の娘なのに、接客用のエプロンも着てなくてごめんなさい」
「なにゆーの。川又さんが出迎えてくれたら、それでじゅーぶん」
ジトリとわたしを眺めてきて、
「コーディネートも、かわいいし」
「えっ。わたしの、本日の、コーデが?」
首を縦に振って、
「そ。本日のコーヒーよりも、あなたの本日のコーデのほうをじっくり味わってみたいわ」
少し恥ずくなって、「お席はこっちですから」と背を向けて案内しようとするわたし。
わたしは案内先のテーブルに来る。
そしたら。
そしたらば、武藤さんの様子がさっきと変化していることに気がついた。
兆候はあった。羽田センパイが待ち遠しかったからか、武藤さんのほっぺたが赤くなってきていたから。
でも今は、さっきよりもっと落ち着きを欠いている。
ヒトコトで、ソワソワしている。
こんなに落ち着きのない武藤さん、高校時代に見たことあったっけ??
視線が派手に泳いでる。
まるで、羽田センパイが入店してきた瞬間から、激しい動揺が始まったみたいに。
「む……武藤さんだいじょうぶ。眼が泳ぎまくってるよ」
なにか言おうとするけど、そのたびになにも言えない。
そんな状態の武藤さん。
わたしまで動揺してくるよ……!? なんて思っていたら、
「武藤さんよね! こんにちは!!」
と、元気よく羽田センパイが挨拶した。
武藤さんは唖然となってテーブルから両肘を浮かせた。
「あ、挨拶挨拶、武藤さん」
わたしは懸命に促す。
「ここここんにちは。こんにちはっ。む、む、武藤と申します……どうもすみませんでした、高校の文芸部のときは。あのそのその、わたし文芸部のっ、完ぺきなる幽霊部員で。幽霊から妖怪にメタモルフォーゼしちゃうんじゃないかってぐらいの、そのっ、そんなふうで。それで、それでもって……会えて嬉しいですっ、今日は」
着席する羽田センパイ。
今日も鮮やか過ぎる栗色のロングヘアーのセンパイは、右手で頬杖をつき始め、レジェンド美女スマイルでもって、
「あなた面白いわね、武藤さん♫」
と、朗らかに、必殺のお言葉を。
× × ×
3杯目のブレンドコーヒーにセンパイは手をつけていた。
「会計は忖度なしでいいから。川又さん」
「な、なんですかそれは、センパイ」
「『文芸部名誉部長特別割引』は、ナシでいいってことよ」
「……いつ『名誉部長』になったんですかね」
「あなたのツッコミももっともね川又さん。なんか長嶋茂雄みたいな肩書きで、しっくり来ない気もする」
「だったらそんな肩書き、最初から言わなくったって」
「おこられちゃった。」
「……おこってないですよ」
グイ、と3杯目コーヒーを飲んでいくレジェンド羽田センパイは、勝手気ままに、恣(ほしいまま)に、
「ところで。武藤さんがさっきから、喋ってもいないし、カフェオレに手をつけてもいないみたいなんだけど」
「それは……わたしの責任でもあり、センパイがレジェンドであるがゆえの『罪深さ』によるものでもあり」
「もっと噛み砕いて言ってよ〜、ほのかちゃ〜〜ん」
あの。
いつの間にか『ほのかちゃん』呼びになってるのは、レジェンドだからいいとして。
今日の羽田センパイ……レジェンドの度合いが、少々強過ぎる気がするのですが。