体育館裏
「笹川よ、そのベンチ、もうお前の『特等席』だな」
「なんだ……真島か」
同じクラスの笹川哲 (ささがわ さとる)。
いっつも体育館裏のベンチで、難しそうな本を読んでいる。
なんでも、中学時代、『”認識”ってなんだと思う?』とか、同級生に次々と訊いて回っていて、ドン引きされたという。
だから友だちはできなかった。高校に入ってから、そういう、本人が言うところの『ソクラテスごっこ』は封印したらしい。
おれは、こいつの存在が面白いと思って、「体育館裏にあいつはいるかな?」と思い、足繁く通ったら、自然と仲良くなってしまった。
いまは、面白い、というより、魅力的な存在だ。
「きょうは何読んでんだ……また岩波文庫の『青いやつ』か……ははぁ、またソクラテスの本だな?」
「違う!!」
「おおw」
「ソクラテスは一冊も本を書いていない!! ( ー`дー´)キリッ」
「ごめんごめん、前にそう言われてたな。えーと、プラトンだろ。
『メノン』? 新しい題名だな」
「これで言うのも5回目ぐらいだが、プラトンの対話篇は、哲学書のなかでは読みやすい本だ。それに、プラトンの対話篇のタイトルには副題……サブタイトルが付いている。たとえばこの『メノン』ならば、『徳について』というのがサブタイトルなんだ」
「徳って徳光和夫の徳か」
「そうだな(-_-;)」
「でも真島も1年の倫理の授業で習っただろ。『徳』をギリシャ語でなんていうか」
「アルケー」
「違う!! (・_・ )」
「あ、ああ、『アレテー』だったっけ」
「正解」
一見してみると、こういうふうに近寄りがたい雰囲気をかもし出しているが、おれは笹川のはっきりとした物言いが好きだった。
今でも覚えている。
去年の倫理の授業でのことだ。
先生が、クイズを出した。
「世界でいちばん売れている本は何でしょう?」
瞬時に、おれの席の背後から、「聖書!」という大声の叫びが聞こえた。
みんなビックリして、後ろを振り返った。笹川が右手を大きく上げていた。笹川がクイズに即答したのだ。
若いお姉さんの先生はしばらく呆然として、なにも言えなかった。
そのときから、おれは笹川に一目置くようになった。