【愛の◯◯】クリームあんみつの甘さ

 

流さんとギクシャクしてしまった。

今朝、ダイニングでもろくすっぽ顔を合わせられず、一緒の空間にいるのがつらくて、朝食を投げ出して、自分の部屋に逃げ帰った。

 

部屋のベッドのなかに逃げ場所を求めたわたし。

避け続けで、流さんともう一度向き合おうとしないわたし。

最低、最低、最低。

 

× × ×

 

部屋のベッドのなかに潜り込んでいたら、ノックの音がした。

「あすかちゃん…なのね」

『はい』

 

あすかちゃんはドアを半開きにして、

「おねーさん伝言です」

ベッドに潜り込みのまま、わたしは弱々しく、

「…なに」

「流さんが、おねーさんとキャッチボールしたいそうです」

 

なによ、それ、

なんなの、流さん、なにがしたいの。

 

「意味わかんないっ」とわたしは突っぱねたが、だんだんあすかちゃんはベッドに寄ってきて、

「――せっかくだし、してみたらいいじゃないですか、キャッチボール。」

そう言いつつ、掛け布団越しに、わたしの背中をスリスリと撫(な)でた。

それからわたしの手を握って、

「わざわざ、流さんがお願いしてくれてるんだし」

「歩み寄れってこと」

「はい。」

ずいぶん、単刀直入に言うものだ。

言いかたは優しいけれど、有無を言わせない威力が、あすかちゃんのことばには備わっていた。

「あすかちゃんが、そう言うなら」

むくり、と起き上がると、あすかちゃんが『にぱーっ』と笑っていた。

有無を言わせない笑顏だ…。

 

 

 

× × ×

 

「はじめて、じゃないですか? 流さんとキャッチボールするのって」

「そうだっけ?」

 

流さんがキャッチできるように、心配りをしてボールを投げる。

「もっと速く投げても取れるよ」

「そうですか?」

けれど、乱暴な球を投げたくはなかった。

 

ペナントレースがなかなか始まらなくて、いけないね」

「ほんとですよね」

「愛ちゃん、横浜ファンだったでしょ」

「……だから、夜毎(よごと)3年前の三者連続ホームランを思い浮かべてるわけです」

「……ぼくは、野球のことは、残念ながらあんまり詳しくないんだけどね」

そして「すまないね」とつぶやいて、わたしにボールを投げ返してくる。

意外とコントロールがいい。

 

しばらく、無言のキャッチボールが進行した。

 

「悪かったよ、きのうは。

 きみを戸惑わせるようなことを言って」

 

――そのことばに若干動揺して、捕球したグラブを思わずしばらく見つめた。

 

流さんは続ける。

「つらい思いを、させちゃったと思う。

 申し訳なかった」

 

「あすかちゃんが」

「あすかちゃんが?」

「――お見通し、でした。

 情けないな、わたし。

 あすかちゃんにハッパかけられないと、動けないなんて」

「怒られたの?」

「いいえ、彼女は笑ってました」

「そうか、笑いかけられると、厳しいものがあるよね」

「はい、あすかちゃんの笑顏が厳しかったです」

 

そうやって、お互いのあいだの緊張をほぐしながら、ボールのやり取りをしばし重ねて、

わたしはようやく、

「逃げてて――ごめんなさい」

と言えた。

 

「愛ちゃんは悪くないよ」

「流さんのことばから逃げてたんです。

『たまには自分に同情してもいいじゃないか』っていうことばから。

 でも――、

 残念だけど、

 やっぱりわたし、わたし自身には同情できないと思います」

――そう言ったあとで投げたボールは、少しだけ、アツマくんに投げるみたく、鋭い速球になってしまっていた。

でもその速球を、流さんは、あっさりと、しっかりと、グラブで受け取ってくれた――。

 

 

× × ×

 

「疲れたから甘いものでも食べようじゃないか」

「おごってくれるんですか!?」

「もちろん」

「じゃあわたし、あすかちゃんも呼んで来ます」

「えーと、

 実はその……あすかちゃんが、

『おごるって言ったらわたしも呼んでくるだろうからその時は引き止めてください』って」

「えっ、それってつまり」

「そう…実は、ふたりで行って来い、っていう、あすかちゃんの命令なんだ」

「手厳しいですね」

「…ま、よっぽど、『わだかまり』が続いてしまうのが、我慢ならなかったんだろうね」

「強制デートですね」

「あすかちゃんによる、ね」

 

× × ×

 

近所で人気の甘味処をわたしは所望した。

そしてその甘味処のクリームあんみつをわたしは所望した。

クリームあんみつは、仲直りの味がした。

 

 

【愛の◯◯】自分の甘さ、ことばの苦さ、そしてことばの……重さ

 

GW2日め。

変な時間に起きてしまった。

こんなに早く起きちゃったのは、きのう、お昼寝しちゃったからだろうか。

あすかちゃんも利比古もアツマくんも、まだ起きていないに違いない。

とくにアツマくんなんか、爆睡してそうな時間帯だ。

 

けれど、わたしは二度寝はしない。

早く起きたのを利用して、GWの宿題を消化したい。

着替えもそこそこに、机に向かった。

 

しかしながら――睡眠時間の短さが影響したのか、宿題がイマイチはかどらない。

頭がなんだかボーッと重い。

でも、二度寝は、だめ。

「そうだ、コーヒー飲もう」

 

× × ×

 

キッチンには先客がいた。

流さんだ。

そういえば、きょうの朝食当番は、流さんだった。

それでキッチンにいたのか。

にしても、朝ごはんの支度をするにも、まだ早いような気がするが。

 

「おはようございます」

「やぁ愛ちゃんおはよう」

「ずいぶん早いお目覚めですね」

「愛ちゃんこそ」

「お互いさまですね」

流さんはアハハと笑い、

「歳をとると、目覚めが早くなるんだ」

「え」

「……いまのは、半分、冗談」

流さんがジョークを言うのは、珍しいと思った。

「コーヒーあるよ」

 

いつもどおり、わたし専用のマグカップで、砂糖もミルクも入れずにコーヒーを飲む。

流さんとふたりでモーニングコーヒー飲むなんて、いつ以来かな。

「さてと、朝食当番はぼくだし、ぼちぼち支度を始めようかな」

「まだいいじゃないですか。早いですよぉ」

「そうかなあ」

「そうですよ」

「愛ちゃんがそう言うなら、間違いないか」

「はい、間違いありません、たぶん」

 

「大学院生にも……宿題って、あるんですか」

「あるよ」

「やっぱり」

マグカップを置き、ぽりぽりと頭をかいた流さん。

「…でも、愛ちゃんがやる宿題のほうが、百万倍大変だと思うよ」

「百万倍は、盛りすぎですよ」

「でも…きみは受験生だし」

わたしも思わずマグカップを置いた。

「文系にもいろいろあるけど――どの学部に進みたいとか、そろそろ決めるころだと思うんだけども」

恐縮そうに流さんは言った。

わたし専用のマグカップには、まだ少しコーヒーが残っている。

「やっぱり――文学部かい?」

まだ少し残っているわたしのコーヒーに視線を落としながら、

「どうでしょうか」

と言ってしまった。

バカっ、

『どうでしょうか』じゃないでしょっ、わたし。

けれども、流さんの視線から逃げるように、

「外から――外から文学を見てみたい気も、するんです。

 法学部だったり、経済学部だったり」

こんなの、方便だ。

煮え切らないことばっか言ってどうするのよ、わたし。

「たしかにねえ。

 だけど、文学部のなかにだって、文学じゃない専攻もあるからね」

冷めたコーヒーを飲み干すわたしに流さんのことばが突き刺さった。

第一志望の学部すら固まっていない。

だから、煮え切らないことばっか言って、有耶無耶(うやむや)にする。

やっぱり自分に甘いんだ、わたし。

ブラックコーヒーの味すら、甘ったるく感じてしまうくらいに。

 

「……流さん、流さんは、」

「?」

バーモントカレーとジャワカレーだったら、どっちが好きですか?」

「?? バーモント」

「わたしは――わたしはジャワカレーがいいです、しかもいちばん辛いジャワカレーが」

「???」

 

顔を洗いに、洗面所に行こうと席を立つ。

なんだかシャワーも浴びたくなってきた。

流さんに申し訳なくて、

わたし自身にもイライラきて――。

 

歩き出そうとするわたしの背中に、流さんがことばを投げかける。

 

「たまには、自分に同情してみるのも、悪くないよ」

 

自分に同情する。

自分自身と折り合うためには、自分に同情するのも、必要だってこと――?

そんなの、一歩も前に進まない気がして、わたしは流さんに納得できない。

でも……。

自己嫌悪。

自己嫌悪が続くと、やがて、負のスパイラルに陥っていく。

それはそれで、悪い方向にしか進まなくて、つまり一歩も前に進まないのと同じで。

だから、自己愛が必要になってくるのであって。

でも、でも、自己愛と自己憐憫は、似て非なるもの。

自己憐憫って、つまりは、自分に同情することだから、

やっぱりわたしはわたしに同情できないし、流さんのことばの意味はやっぱり理解できないけれども、

理解できず、納得できない流さんのことばが――、

 

重い。

 

 

 

【愛の◯◯】明日美子さんだもの

 

ゴールデンウィーク突入。

で、宿題がどっさりと出た。

名門進学校ゆえの宿命か。

 

よーーーし。

がんばっちゃうぞ~~~、わたし!!

 

× × ×

 

で、午前中からひたすら宿題に取り組んでいたわけだが、ちょっとだけ疲れちゃった。

ちょっとだけ、ちょっとだけ……と、ベッドに横になるわたし。

ところで5月頭とは思えない暑さで、ついにわたしの部屋もエアコンを導入していた。

冷房でひんやりとなったお布団の感触が、心地よい。

心地よく――、

心地良すぎて、

こう、ウトウトと、

ウトウトウトウト……。

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

『愛』

 

『おとーさん、おとーさんだ!!

 おとーさん、かたぐるまして!!』

 

『しょうがないなあ愛は。

 甘えんぼさんなんだから』

 

『え~~~、いいでしょ~~~、おとーさーん』

 

『わかったよ。』

 

『やったーー!!!!!』

 

『よいしょっ、と』

 

 

 

 

 

『おと~さ~ん、だいすき……』

 

言った途端に、パチリと眼が覚めた。

 

 

恥ずかしい夢見ちゃった。

 

おとうさんの夢見るの、久しぶり……。

 

× × ×

 

疲れてるのかな?

GW初日で、いきなり寝落ちして。

とりあえず顔でも洗わなきゃ! と、階下(した)に降りる。

 

顔は洗ったけど、さっき見たおとうさんの夢が忘れられない。

夢の中で、おとうさんに、

『甘えんぼさんなんだから』

って言われた。

アレは、もしかしたら、わたしの「甘さ」が、夢に反映されたんだろうか。

自分に甘えてるのか。

だから、おとうさんにベッタリと甘えるような夢を……。

 

ちがう。

わたし、自分に甘えてなんかない。

やるべきことは、ちゃんとやる。

自分に疑問なんか持つな、わたし。

もっとシャキッとするんだ!!

 

 

「――頭、ぶんぶん振って、どうしちゃったの? 愛ちゃん」

 

「え……」

 

「ストレス解消?」

 

「明日美子さん……いつの間に」

 

「いつの間に、って」

明日美子さんは、おどけたように笑いながら、

「わたしはここに居たよぉ」

「お昼寝、してたんですね」

「いまおきた」

「わたしも――お昼寝しちゃいました。それで、顔をいまさっき、洗って」

「悪い夢でも見たの?」

「いいえ、良いか悪いかでいえば、まちがいなく、良い夢でした」

「それにしては機嫌悪そう」

 

どうしてわかるんですか――と言いかけたが、

どうしたって、わかっちゃうんだろうなあ、と納得して、

苦笑いするだけにした。

 

そうだ。

どうしたって、けっきょく、わかっちゃうんだ。

お見通し、というか、なんというか……。

明日美子さんだもの。

何年いっしょに暮らしてるんだ、って話。

 

「明日美子さん、わたし、おとうさんの夢、見ちゃいました」

「そっか、そっか」

「アツマくんには、できれば内緒にしてほしいかなー、って」

「わかった、わかった」

 

いつの間にかわたしと明日美子さんはソファにいっしょに座っていた。

 

「愛ちゃん」

「はい」

「やっぱし――守くんやシンちゃんと離れ離れだと、さみしいときもある?」

難しい質問だ。

おとうさんやお母さんは、ここにはいない。

でもここには、アツマくんやあすかちゃんや明日美子さんや流さんがいて、利比古も来てくれた。

でも、おとうさんやお母さんと直接顔を合わせられるわけじゃない。

でもそれは利比古にとっても同じことなんだ。

「利比古のほうが――さみしいんじゃないかなーって」

え~~っ

不満そうな口ぶりになる明日美子さん。

「わたしは、『愛ちゃんがどうなのか』って、『愛ちゃんに』訊(き)いてるんだけどなーっ」

わたしは気まずくなって、

「ご、ごめんなさい、はぐらかすみたいになって」

「弟想いなのは、よろしい」

「――」

「うん、大変よろしい、さすが愛ちゃんだ、利比古くんのお姉さんだっ」

「え、ええっ、わたしてっきり叱られるかと」

「いいのよ~~、答えにくい質問しちゃったのはわたしだから」

そして明日美子さんは、パンパンと両手で自分のほっぺたを叩きながら「よーし」と言ったかと思うと、すっくと立ち上がって、

「きょうの晩はわたしがごちそう作る」

「!? きょうの晩ごはん当番、明日美子さんでしたっけ」

「わたしにやらせて。6人みんなそろうでしょ今晩は。だから久しぶりに腕をふるいたいの」

どうして急にやる気になったんだろう。

ま――いっか。

明日美子さんだし。

明日美子さんが本気出して作る料理、すごく美味しいし。

明日美子さんのごちそう――すごく、楽しみ。

 

 

 

【愛の◯◯】三角関係は小説よりも漫画よりもブログよりも奇なり

 

『ランチタイムメロディ』

『ランチタイムグルーヴ』

『ランチタイム・ステーション』

『ランチタイム・グッドネス』

 

……『ランチタイム◯◯』という形式から、離れるべきか。

 

旧校舎向けの昼休み放送ラジオ番組。麻井会長は「GW明けに正式名称を決める」と言っていたけど、彼女のネーミングセンスは、正直…信用できない。

だから、ぼくも独自に新タイトルを考えようとしているわけだ。

『ランチタイム』という言葉を使わないとしたら。

 

『プレシャス! KHK』

『こちら第2放送室』

『麻井律のサンシャインラジオ』

『木漏れ日は風に乗って……』

 

あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!

思わず絶叫したくなるほど、恥ずかしくってダサいタイトルしか浮かんでこない!!

『木漏れ日は風に乗って……』なんて論外だし、ほかに考えた候補も、ネーミングが、ふたつ前の元号みたいだ……!

麻井会長のネーミングセンスがどうとか、ひとのことを言ってる場合じゃなかった。

このネーミングは古い古すぎる。

老け込むにはまだ早いのに、なんでこういう80年代産まれが考えつきそうな懐古趣味なタイトルしか思い浮かばないんだ……!

 

悪かったね80年代産まれで

 

そのとき唐突に天井から聴き知らない声が降ってきた。

 

「だれですか、どこからしゃべってるんですか」

 

このブログ今回で600回更新のキリ番なんで、報告したかっただけ

 

「…はい?????」

 

それだけ

 

すると天の声はピタリとやみ、ふたたび部屋に沈黙が舞い降りた。

 

× × ×

 

――疲れてるのかな。

幻聴がする、ってことは。

麻井会長に振り回されて、てんてこ舞いで、見えないところでストレスが発生しているのかもしれない。

番組タイトルを考え疲れたぼくは、飲み物でも飲もうと、自分の部屋から階下(した)に降りていった。

 

するとリビングでお姉ちゃんとアツマさんが並んで座っていた。

ただ、リビングにいるのは、お姉ちゃんとアツマさんだけではなかった。

ぼくの見知らぬ男女と向かい合って、なにやら談笑している。

ときおり、笑い声が聞こえてくる。

とても和(なご)やかな雰囲気だ。

 

「そっか利比古くんはまだ会ったことないか」

「い、いきなり出てこないでください、あすかさん」

ぼくが驚くと、不満そうに、

「わたしきょう夕飯当番だし、キッチンに行くにはここが近道だし。いきなり出てきたわけじゃないっ」

「すみません」

すみませんあすかさん。

 

ただ彼女は、ぼくをたしなめたかと思うと、一転して柔和(にゅうわ)で穏やかな表情になって、リビングの男女2組を見つめた。

「あすかさん、姉と向かい合ってるひと、姉の学校の制服着てるってことは、クラスメイト…ですか?」

「正解。――アカ子さんっていうの」

「では、アカ子さんのとなりにいるひとは」

「ハルさんだよ」

ハル……さん……?

あれっ、

ハル……さん……、ハル、って名前…もしや…。

「あすかさんが写真をいっぱい撮ってたひとですか」

ちょちょっと!! 声に出して言わないでよ!!

急にあすかさんが慌てに慌てはじめたので、ぼくのほうがうろたえてしまった。

これが地雷踏む、ってやつだろうか。

しかしあすかさんはやがて平静を取り戻しはじめて、

「ハルさんはわたしの高校の先輩でサッカー部」

やはり。

「それでもって、アカ子さんとつきあってる」

な、なるほど。

隣同士で座ってるってのは、そういうことか。

「つきあいはじめたのは――去年の夏休みの終わり」

「どうしてそんなに詳しいんですか?」

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

ぼくとしては、何気なく訊いたつもりだったのだが、

どうやらお互いに、墓穴を掘ってしまったらしく、

夕飯当番の名目であすかさんがキッチンに引っ込んでしまった。

 

おそらく、あすかさんとハルさんとアカ子さんのあいだで、何事かが起きたんだろう。

あすかさんがハルさんの写真をいっぱい撮っていたという事実から、事態の顛末(てんまつ)は、容易に推測できる。

クラスメイトの野々村さんがこの前、ぼくの現在の家庭環境を「少女漫画みたいだね」と評していたが、

三角関係……。

こっちのほうが、よっぽど少女漫画だ。

 

事実は小説よりも漫画よりも、ブログよりも奇なり、か。

 

 

× × ×

 

あすかさんをフォローしたくて、キッチンに足を踏み入れた。

「あすかさん、手伝いましょうか?」

ヤダ

「そっそんな」

「……って言ったら、どうする?」

 

まな板で具材を切りながら、ずっとぼくに背中を向けている。

 

「テーブルにお茶菓子置いてあるから、4人に運んであげて」

「わかりました…」

 

キッチンを出るときに、それでもあすかさんに言わねばならないと思った。

 

「あの、あすかさん。」

「なんですかとしひこくん」

「怒ってるんですか、

 それとも、

 気にしてるんですか、

 どっちですか」

 

「――わかってないなあ」

ようやく彼女は振り向いて、

さわやかな笑顏で、

どっちでもないよ♫

 

 

 

 

【愛の◯◯】包容力が足りないときは、誰かの包容力に――

 

朝起きて、カーテンを開けた。

いい天気。

すごくいい天気。

「小春日和」、っていうのかな。

「小春」、わたしの小泉小陽(こはる)って名前と、おんなじ。

 

× × ×

 

きょうは、昭和の日。

昭和は遠くになりにけり――か。

 

 

昭和28年にテレビ放送が始まって、

そのあと35年くらい、昭和があって、

平成が約30年、

令和になっても、テレビは放送し続けている。

約70年。

 

それがどうしたって話だよね。

最近テレビって風当たり強いし。

SNSとか、テレビの悪口ばっかり。

テレビ好きって、2世代ぐらい、いやもっと古いのかな?

 

× × ×

 

とあるテレビ好きの集まるコミュニティで出会った、わたしの大切な人。

その大切な人との関係が…この前、ブチッと切れてしまった。

名前も性別も伏せておくけど、その大切な人が言っていて、いちばん印象的だったのは、

 

「テレビは放送が始まる前から嫌われ者だった」

 

放送が始まる前ってのは、つまり昭和28年より前の段階で、ってことだろう。

ずいぶん突拍子もないことを言うものだ、と最初は思った。

でもその人は「根拠」があるらしいような口ぶりだった。

 

そのコミュニティのなかで、いちばん面白いことを言う人だと思って、背中を追いかけるように、その人についていった。

だけど、わたしは、その人の背中を追いかけすぎた。

依存してた。

依存の先に、破綻。

破綻の先に、孤独。

 

× × ×

 

わたしは、さみしい。

「さみしい」なんて感情、今まで生きてきて知らなかった。

でも、

わたしはどこかで、「さみしさ」を背負って生きてきたのかもしれない。

数少ない人間にしか理解されない趣味。

テレビ好きってのは、もっとも孤独に近い趣味だったのかもしれない。

一般論じゃなくて。

「環境」と「経験」から、導き出された結論。

あいまい?

抽象的?

 

大切な人との関係の糸がブチ切れて、ナーバスになってる。

わたしを理解してくれた葉山むつみや八木八重子に、「こころの傷(いた)み」を打ち明けたい瞬間が時としてあって、そのたびにわたしは逡巡(しゅんじゅん)する。

葉山や八木の前で――「弱気」が露出するのが、こわい。

こわい、こわすぎる。

 

 

 

祝日なのに、ソファーでひたすら毛布にくるまってる。

リモコンを操作する気力が、近頃無くなってきた。

 

「ごめん……葉山、八木」

 

ひとりでに、つぶやきが漏れ出す。

 

 

 

 

 

 

振動するスマホ

八木だ。

暗澹(あんたん)たる気持ちで、スマホを手に取る。

 

>『おはよう小泉』

>『いい天気だねえ』

>『元気か~?w』

 

くちびるを、思わず噛みしめてしまう。

 

『通話、したい? 八木』<

>『え、どっちでも』

『ごめん……いまは、通話なしで。

 メッセージだけにして』<

>『ふーん、わかった』

『元気だね八木、とってもとっても』<

 

自己嫌悪がやって来る。

毛布を、頭からかぶる。

 

>『あのね』

>『じつは小泉のこと心配で、連絡したんだよ』

 

わかってる、わかってる、

そう八木が切り出すことを、スマホが振動する前から、わたしはわかってた。

 

>『困りごと、あるんでしょ』

 

『八木ならわかるよね…』<

 

>『だって先月、人間関係がこじれたとか言ってたじゃん?』

『こじれるならまだいいよ』<

『もう、もとにもどらない』<

>『覆水盆に返らず、か』

『ことわざ?』<

>『そ。ことわざ』

 

>『えーと』

>『あんたは今、挫折を味わってる状態なんだと思うんだけど、』

>『あんたが挫折したままだと、こっちまで心苦しくなってくるんでね、』

>『おせっかいだけど、わたしとしてはなんとかしてあげたい』

>『でも、そっとしてほしいんだよね』

>『そっとしてほしいときに、そっとしてあげないと、本当のおせっかいだから』

>『だから、とやかく言う気はないけど』

 

『けど?』<

>『ふさぎ込むだけふさぎ込めばいいと思う。誰だってそんな時はある』

>『でも、しだいに、ふさぎ込むことが苦痛になってくる』

>『そーいうものだからw』

>『だからね、』

>『イヤになるまでふさぎ込んで、ふさぎ込むことすら辛くなってきたならば、』

>『その時は――』

>『戸部くんのお邸に行ってみなさい』

 

?!?!?!

 

『戸部くんのお邸って…羽田さんも…』<

>『去年葉山のお誕生日会で行ったでしょ、もう忘れた?』

『忘れたかも』<

>『重傷だな~~~ww』

>『でもさ』

>『わたしにも葉山にも顔を見せるのがしんどそうだから』

>『なんとなく理解してるからね、それは』

>『そうであっても』

>『ひとりでずっと居るよりは――さ』

 

『迷惑になるんじゃないの』<

『まるで…あの邸が…駆け込み寺みたいに…』<

>『戸部くんも羽田さんも、そんなこと全然思ってないって』

>『あんたから伝えるのはしんどそうだから、わたしから羽田さんに連絡しておく』

『しておくって』<

『既定路線なの』<

>『そうだよw』

>『たぶん、羽田さんに連絡したら、彼女、言うと思うんだ』

『なんて』<

>『「いつでも待ってます」って』

『ほんとかなあ…』<

>『ほんとだよ』

>『包容力が足りないときは、誰かの包容力に頼るしかないよ』

>『説教臭いけどね』

>『説教臭くてごめんね』

『ううん』<

『ありがとう八木』<

『ほんとに、ありがとう』<

>『小泉、なんだかナイーブで可愛いww』

『ありがとう』<

『可愛いって言われるの、素直にうれしい』<

『ありがとう、ありがとう』<

>『感謝しすぎww』

 

 

 

【愛の◯◯】『ランチタイムメガミックス(仮)』

 

麻井律(あさい りつ)。

桐原高校3年。

女子。

 

 

× × ×

 

昼休みのチャイムと同時にすぐさま教室を抜け出し、旧校舎へと急行。

KHK(桐原放送協会)の根城(ねじろ)たる【第2放送室】のカギをあける。

そしてアタシは、ミキサーのスイッチをちからを込めてグッと押すのだ。

 

 

「こんにちは旧校舎の皆様、昼休み、いかがお過ごしでしょうか?

 短い時間ですが、きょうも『ランチタイムメガミックス(仮)』にお付き合いください。

 

 あらためまして、KHKの麻井です。

 

 ~旧校舎での貴重なお昼のひとときを貴方とともに~

 

 それではまず番組に寄せられたお便りを紹介しようと思います。

 ラジオネーム『麒麟が光秀』さん。

『中学生以来、大河ドラマを毎週欠かさず視聴しています。

 その影響か、本棚が歴史小説と時代小説で埋まってしまいました。

 麻井さん、歴史小説や時代小説を愛読する高校生は、もうすでにオッサンなのでしょうか?

 それと、麻井さんが好きな歴史小説があったら、教えてくださるとうれしいです。』

 なるほど……。

 歴史小説・時代小説を愛読する高校生は、オッサンなのか。

 それと、ワタシの好きな歴史小説について――。

麒麟が光秀』さんは、2つ訊きたいことがお有りなのですね。

 順番にお答えしましょう。

 まず、歴史小説時代小説といってもピンからキリまで存在すると思うのですが――、

 

 

 (中略

 

 

 それでは旧校舎の皆さん、午後もがんばりましょう。

 本日のラストナンバー、レッド・ホット・チリ・ペッパーズの~~」

 

 

× × ×

 

放課後。

ふたたび【第2放送室】。

 

あさってとしあさっての『ランチタイムメガミックス(仮)』の構成を考えていると、アタシのところに新入りの羽田利比古が近づいてきた。

「なに」

「あの……質問があります」

「『あの』は、いらない」

「あの……ごめんなさい」

口癖を直さない人間は嫌いだ。

ただ…羽田はまだ入学してきたばっかりなので、「矯正」のし甲斐があって、楽しくなる。

「会長はこの旧校舎限定で昼休みのラジオ番組を放送しているんですよね」

「悪い?」

「いえ……そもそも、先生の許可はとってるのかなー、と」

「許可はとってる」

嘘だろう、と言いたげな表情で羽田は絶句する。

そこでうろたえるな。

「そこでうろたえるなっ羽田」

「は、はい」

あわてて背筋を伸ばす羽田。

ここが軍隊だとしたら、さしずめアタシは軍曹か。

「……もうひとつ、質問というか疑問があるんですけど」

「怒らないから言ってみなさい」

「番組名…『ランチタイムメガミックス』っていう番組名は、しょうじき、変えたほうがいいと思います」

ちぇっ。

怒らないから言ってよ、って言ったの、後悔した。

「(仮)だから。暫定的な番組名だから。いずれ変えるから」

 

「僕も、『ランチタイムメガミックス』は、ネーミングセンス的に疑問ですね」

クロ(黒柳)が横槍を入れてきた。

「だから変えるって言ってんじゃん」

「いつですか?」

横槍をグイグイ入れてくるクロ。

さしずめ、戦国武将に意見する忠臣ってところか。

アタシ、諌(いさ)められたくないんだけど。

「GW明け。GW明けに新タイトルにする。

 それで文句ないでしょ、クロも羽田も」

「承知しました。ですが……」

ですが……じゃないよ、クロっ。

「番組名以外にも、僕にも疑問点があって」

何いってんの、クロ?

主君に謀反(むほん)でも起こしたいわけ??

明智光秀なの???

「番組内でかける楽曲が、時代的に、古い気がします」

「た・と・え・ば?」

「たとえばきょうのラストナンバーだったレッド・ホット・チリ・ペッパーズの曲って、僕たちが生まれたころの曲でしたよね。

 第一、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ自体が――古くありませんか?」

わかった、

コイツはきょうの放課後限定で明智光秀だ。

「音楽に古いも新しいもない。はい、クロ論破」

「――会長は、Official髭男dismの曲の名前を3曲言えますか?」

はぁ!?

「はぁ!?」

本能寺を燃やすがごとく、クロは話し続ける。

「僕のクラスメイトが不満をこぼしていました。

『旧校舎でよくお弁当食べるから、毎回お昼の放送聴くんだけど、髭男の曲を一度も流してくれない』

 と。」

「それがどうかしたの」

「これは別のクラスメイトが話してくれたのですが、『麻井さんは、流行りの音楽を知らないんではないか?』と」

 

あー。

たしかに知りませんよアタシは。

だれのせいだか知らないけど、流行はわかりませんよ。

だれのせいでもないけど。

だれのせいでもないけど、Mステとか観たことないんだよね。

――番組制作に必要な資質が、Mステを観ることで培(つちか)われるわけでもないでしょ。

Mステだけじゃない、テレビ自体、あんま観ないんだよね。

テレビ観てるばっかじゃ、番組制作できないでしょ。

テレビだけ観ててもだめなんだよ……。

あれ、アタシ脱線している???

 

「会長の選曲だけでなく、リクエストを募集したらいいと思います」

そう言ってきたのは羽田。

あんたも明智光秀の味方かっ。

「そうすれば、もっとたくさんのひとに、昼休みの放送を聴いてもらえると思います。需要――というんでしょうか? ここはひとつ在校生の『ニーズ』を考慮して、番組のクオリティアップのためにも、流行を取り入れるべきではないでしょうか。そしたら、ゆくゆくは人気が上がって、旧校舎だけでなく新校舎にも放送が――」

 

羽田、よくもこう、ベラベラとベラベラと。

許さない。

 

うるさいっ、口を動かすんじゃなくて手を動かせっ

ゲンコツで、羽田の頭をグリグリと押さえつける。

手を動かしているアタシ。

畳みかけるように、

見てばっかじゃ、しゃべってばっかじゃ、番組は作れない!! 

 手を動かす!!!

 肝に銘じなさい、新入り!!!

そしてそれまで空気のようだった板東なぎさのほうに首を回して、

なぎさ!! ニュース撮るよ!! スタンバイして

物静かに読書していたなぎさの文庫本を机からふるい落とす。

クロ!! ぼやっとしてないでカメラ!!!

 

「ぼくも…手伝えますか?」

「知るかアンタなんか」

「ひ、ひどいですよ!!」

 

知るか、

新入りの羽田のことなんか。

勝手にしろ。

番組制作は羽田が自分で覚えればいいんだ。

 

あー。

でも。

からだで覚えさせる、って方法があったねえ。

スパルタ教育か。

しごき甲斐がありそうなヤツ。

しごき上げて、黙らせてやる。

GW明けから、デスマーチかな。

楽しみの度合いがぐんぐん上昇してきたので、羽田の見えないところで、アタシはほくそ笑んだ。

 

 

【愛の◯◯】二歩とリア充

 

加賀くんは、みごとに、作文の課題を椛島先生に出すことに失敗した。したがって、加賀くんのスポーツ新聞部入部が決まった。

1年生部員を確保できたものの、これで一件落着、とは行かなそうだ。

 

× × ×

 

わたしは加賀くんと将棋を指している。

もちろん駒落ちで。

自慢じゃないけど、おねーさんより将棋は強い。

というより…おねーさんが将棋に弱すぎて…そもそも、自慢にもならない……。

 

それでも、懸命にコミュニケーションを取ろうとして、加賀くんに将棋を指してもらっているのだ。

 

きょうの放課後、加賀くんはいつもよりなお一層気怠(けだる)そうに入室してきた。

月曜日だから?

「わたしも将棋の理解を深めたいから……指導対局やってくれない?」というずいぶん無理くりな申し出を、彼は渋々受け入れた。

 

加賀くんはほんとのほんとうにダルそうな感じでわたしと対局している。

「――ダルビッシュが無理やり将棋をやらされたとしても、今の加賀くんよりダルそうにはならないと思う」

「――は? 意味分かんないこと言わないでくれよ対局中に」

冗談だけでなく、ダジャレやギャグも、彼には通じなさそうだ。

そもそも彼はダルビッシュ有を知らないのではないか。

…唯一、駒の打ち方だけがサマになっている。

さすが将棋のプロ……。

「駒の打ち方はプロだね、やっぱり」

「あのー、プロ棋士じゃないんで、『プロ』って言い方は、やめてもらえませんかぁ」

しまった。

「しまった」

奨励会……だっけ、そういうシステムがあって、四段以上がプロ棋士だとか、そういう情報は、おぼろげながら知っている。

「加賀くんは…プロは目指さないの」

「もう遅い」

「なんで」

「芽が出なかったから」

「芽、?」

「棋力が……伸びなかったから。というより、これ以上伸びないことを悟ったから」

「それは、いつ?」

「中学時代」

正直加賀くんから「悟り」なんてことばが出るとは思わなかった。

素行は悪くても、案外、精神面はしっかりしているのかもしれない。

初めて会ったときは、反抗期の男子中学生かな? とか思っていたけど。

「そっか、将棋の世界って、厳しいんだね」

「どこの世界でもそうだろ」

「そうかなあ」と、わたしは思わず苦笑いする。

「見切りのつけ方が肝心なんだよ。

 おれは……奨励会の域にも届かなかったから」

「すごい世界なんだね」

と言いつつ、サマにならない手つきで、ぺこんと持ち駒の歩を盤上に打ってみたら、

「はい、あんたの負け」

と、加賀くんが椅子の背もたれにふんぞり返った。

「え……どうして負けなの、わたし!?」

「気づかないのか、思ったよりスジはしっかりしてると思ったのに」

黙って盤上を凝視するわたし。

「二歩だよ、二歩」

「――あっ」

ほんとだ。

歩がある筋に、歩を打っちゃったんだ。

「二歩は反則負けのなかで出現頻度がダントツなんだ。高段者のプロ棋士でも公式戦で犯してしまうほどに」

「解説、ありがとう」

そそくさと駒を片付けようとする加賀くんに、

「こんどから、気をつけるね」

と、意識的に顔を見据えて言ったら、彼はプイッと目を背けたものの、

「…あっそ」

素直じゃないな~。

邸(ウチ)の利比古くんと同学年だけど、まるでキャラが正反対だ。

利比古くんにしたって、素直…というか、従順すぎる面があるけど。

それにしたって、加賀くん、少しは後輩らしく振る舞ったっていいでしょうに。

「ま、いいか」

「ん、なんか言ったか、あんた」

「『あんた』はできればやめてほしいな~~」

終始タメ口は許容するとして。

「名前で呼んで」

「名前…なんだっけ」

「あすか。」

 

「……………」

 

「もしかして、恥ずかしいの?

 そこまで押し黙っちゃうってことは」

 

『強制はよくないわよ、あすかちゃん』

 

こちらに声をかけてきたのは、桜子部長である。

「『先輩』でいいんじゃないの、『先輩』で。

 ね?」

ね? と桜子部長は加賀くんに問いかけた。

「そのうち『パイセン』とか呼びそうで怖いぞこいつは」

岡崎くんはきょうは黙ってて

「えっ……」

 

なにか、言いよどんでいるような感じの加賀くん。

その状態が、しばし続いた。

 

膠着状態になっちゃいそう。

 

あ、そうだ。

漫画の吹き出しで電球が光るように、ピコーン! とわたし、閃(ひらめ)いた。

 

「桜子さん、たしかサッカー部のグラウンドでの練習は、きょうから再開でしたよね?」

「そうよ、工事が終わって」

「じゃあわたし加賀くんと取材に行きたいのですが」

「いいんじゃあないかしら? 行ってらっしゃい」

 

「え、え、おれも……ついてくの??」

 

殺伐とした眼が、戸惑うような眼に変わっている。

 

「ついてくるんだよ。新人研修ってやつ」

そう言って素早くわたしは「後輩第1号」の腕を引っ張る。

「グラウンドってどこにあんだよっ」

「無駄口叩かないの」

「対局中無駄口叩いてたのはあんただろ」

「え~、キミだって結構おしゃべりだったじゃないの~」

わざと、イジワルっぽく言う。

 

× × ×

 

活動教室を出て、グラウンドへ一目散(いちもくさん)だ。

「いい加賀くん? まず取材は部のマネージャーさんを通すの」

「通す??」

「マネージャーさんを窓口にして、取材の交渉するの」

「交渉??」

「話をつけるんだよ。取材してもいいかどうか、とか」

 

そして新装工事の終わったサッカー部グラウンドにたどり着いた。

「いい? ちょっと見てて」

明るく手を振りながら、わたしは四日市ミカさんのところに向かっていく。

 

四日市さ~~~ん!!

「あすかちゃんだ!!」

 

「あそこにいる男子、もしかして、スポーツ新聞部の新入り?」

「そうですよ! 加賀くん! きょうは研修です!」

「会社みたいだね!」

「そうですかねえ?」

「まあいいや。きょうはどんな取材?」

「えーっと、新しくなったグラウンドのこと、それから――」

 

 

 

ひとしきり四日市さんから話は聴いた。

石段に腰掛け、加賀くんと、グラウンドの練習風景を眺める。

ただ、加賀くんはわたしから5メートルぐらい距離をあけて、面白くなさそうに座っている。

「……なにが面白いんだか」

「面白いに決まってるでしょ。いつかわかるよキミにも」

 

左サイドを全速力でぐんぐん上がっていく、わたしがよく知っている背番号とユニフォームに目が留(と)まった。

グラウンドを指で指し示し、

「ね、あのひと、速いでしょ」

「走るのが?」

「わかるでしょ? ダッシュ力があるの」

 

『そのひと』の50メートル走の自己ベストタイムを言った。

とうぜん、加賀くんはこう言う。

「なんでそこまで知ってんだ」

「去年からずっとサッカー部担当だから」

…でもじつは、『この理由』は、はぐらかしに過ぎないのだった。

 

わたしが、夕日に向かって黄昏れるような顔になっていたかどうかは知らないが、加賀くんが、若干震えたような声で、

「お、おいどうしたんだあんた」

「――ん?」

「『ん?』じゃないって。唐突に黙りこくって」

「そんなだった? わたし。

 ゴメンね」

「もしかして、さっきおれ、訊(き)いちゃいけないこと訊いたのか?」

「なんのこと?」

「とぼけないでくれよ…」

 

この子のタメ口は、しばらく治らなそうだ。

それはそうと――。

「ハルさんっていうんだけどね」

「はぁ」

「3年生。

 ダッシュ力抜群」

「それ、さっきも言ってたろ」

「そうだね」

いったん、とぼけたように相づちを打って、

それから、

「ハルさん、彼女持ちなの。――残念ながら」

 

 

 

 

文字通り絶句する加賀くん。

 

 

 

 

「あんた――」

「『あんた』が口癖なんだね、キミ。

 よくわかった。

 それでね。

 ハルさんの彼女さんは、すっごーーく美人なの。

 残念ながら。」

 

 

 

 

――また、しばし絶句したと思ったら、眼を丸くした後輩第1号くんは、

……リア充かよ

と、まさに言葉を吐き捨てるように、つぶやいた。

 

 

 

 

 

「――たしかにリア充でも、わたしは爆発してほしくないけどな~」

「はぁぁ!?」

 

 

【愛の◯◯】「甘いね、アタシ『金八先生』なんか参考にしてないし」

 

放課後、【第2放送室】に行こうとしたら、同じクラスの野々村さんに呼び止められた。

 

「羽田くん、もしかして、『KHK』に入るつもりなの?」

145キロのストレートみたいな尋(たず)ね方だ。

それにしても、KHKの存在、またたく間に、浸透してないか……?

「そうだよ、野々村さん」

ぼくが言うと、

「…意外と物好きなんだね。」

たしかに、ハタから見れば、物好きかもしれない。

自分としては常識人で通したいけれど、そうは問屋がおろさないのか。

「…麻井センパイって、自分のことを『会長』と呼ばせてるって、ほんと?」

「ほんとだよ、野々村さん」

そう言うと彼女は、呆れたような絶句したような表情になる。

「羽田くん」

「んっ?」

「――わたしの兄がじつはここの卒業生で、それで情報が伝わってくるんだけど、

 麻井センパイ――見かけによらず成績優秀で、放送部の甲斐田部長と、テストの点数でも張り合ってるって」

「見かけによらなくないよ」

「!?」

「『見かけによらず』は余計だよ、野々村さん。

 甲斐田部長が成績優秀なのは、まあひと目でわかるけど。

 麻井会長だって、第一印象で、この人は賢いんだろうなあって、ぼくはわかったよ」

「……インスピレーション?」

「インプレッションだよ野々村さん、ファーストインプレッション」

 

ひと呼吸置いて彼女は、

「羽田くんも賢いんだね、きっと…」

そんなことないよ。

「そんなことないよ」

「そんなこと、ありそう。

 お兄さん、がいるの? 羽田くんにも」

「エッどこからそんな噂」

「入学式に大学生のお兄さんらしき人が来てたじゃん。

 わたしは直接見てないけど、『麻井センパイを羽田くんのお兄さんらしき人が懲(こ)らしめてた』って、結構有名になってるよ」

「あ~~」

「あ~~、じゃないっ」

あのー、ぼく早く部活行きたいんですけどね―。

まぁ、いいか。

「ぼくに兄はいないよ」

「えええ、じゃあ入学式に来てたのは?」

「んーっと…」

あ、

説明しにくいぞ、意外と。

「同居人……?」

「ど、どういうことなの!??!」

「あのね、ぼくには兄じゃなくて姉がいるんだ。それで姉とふたりして、アツマさん……入学式に来てた『おにいさん』の邸(いえ)に居候させてもらってる感じで」

「アツマさんは実のお兄さんじゃないんだね」

呑み込みが早くて助かる。

「呑み込みが早くて助かるよ」

「じゃあアツマさんと羽田くんたち姉弟はどういう関係なの?」

うっ……。

鋭い直球で攻めてくる。

「もともと、お互いの親同士が仲良かったんだ」

野々村さんは眼を丸くして、

少女マンガみたい……

 

ぼくは「帰国子女で日本のマンガのことはあまり知らないから…」とやり過ごしたが、

野々村さんの指摘は的を射ており、正直、冷や汗をかいた。

 

 

× × ×

 

 

黒柳巧(くろやなぎ たくみ)さんは2年生男子のKHKの先輩だ。

麻井会長には単に「クロ!!」と呼ばれこき使われているみたいで、かわいそうになってくる。

でも、黒柳さんはKHKの撮影部門を担っていて、カメラを扱えるのは彼しかいない、つまり黒柳さんがいないとKHKの番組制作は成り立たなくなってしまうのだ。

黒柳さんは大きな撮影機材を背負う場面が多いが、そんなに筋力がありそうな体格でもないので、機材を背負う背中が…くたびれて見える。

「持ちましょうか?」とぼくが代わりになってあげようとするのだが、

「ダメ、新入りには触らせられない」と麻井会長の横やりが入り、けっきょく黒柳さんの背中がますますくたびれることになる。

 

麻井会長が【第2放送室】を留守にしているところで、こっそり黒柳さんに、

「会長ズルくないですか? 機材運ぶの、ひと任せにして」

とささやいたことがあるのだが、

「ズルくないよ。

 あんな華奢な体格の人に、重い機材を運ばせるわけにはいかないから」

という返事がかえって来て、なんてこのひとはいいひとなんだろう…! と感動したものだ(KHKに似つかわしくないほどに)。

「それに僕ができるのは撮影までだから。『編集』はね、会長しかできないんだ」

と聖人君子のような黒柳さんは付け加えた。

 

× × ×

 

「金曜日か」

溜め息を吐き出すように、黒柳さんがつぶやいた。

きょうの放課後の【第2放送室】。

なにやら一心不乱に、ニタニタ笑いながら、ずっと大学ノートにボールペンを走らせ続けている麻井会長。

寡黙に読書している、もうひとりの2年生、板東(ばんどう)なぎささん。

黒柳さんとぼくは、1週間の疲れを癒やすように、過去にKHKで制作したテレビ番組を共に視聴している。

感想を言うぼく。

「学園ドラマ…っていうんでしょうか、これは?」

「会長に言わせれば、学園ドラマのパロディなんだよ」

「パロディ…奥が深いですね」

こっちの会話を聴いているのか聴いていないのかわからないが、会長のボールペンを走らせる速度が加速する。

「『3年B組金八先生』って、こんな感じだったんでしょうか?」

「さぁねえ? 僕もじつは観たことないんだ」と苦笑いで黒柳さん。

<金曜日の夜8時枠だから『金八先生』>

という某所で仕入れたマメ知識を黒柳さんに披露しようとしたところ、

会長が、ついさっきまで自分が書き込み続けていた大学ノートをバン! とひっくり返し、

づかづか、という足取りでぼくたち2人に襲いかかった。

「羽田」

「な、なんですか会長っ」

「甘い」

「甘い…なにが?!」

アタシは『金八』なんか参考にしてないの

「でも、黒柳さんが、会長に言わせればパロディだって――いったい、どんな作品を参考にしたんでしょうか!?」

『金八』よりもっともっと前のドラマ。

 

えええええ……。

それ、昭和何年のドラマなんだ!?!?

 

つとめて冷静に黒柳さんが、

「会長は――その、『金八』よりもっともっと前だっていうドラマの映像を実際に視聴して、それをパロったんですよね? 

 じゃないと、パロディとはいえませんよ」

たしかにそうだ。

会長…どんなドラマを…どんな方法で……!

 

だが、しかし。

会長は、『全然なんにもわかってない!!』といかにも言いたげな不満をぼくら2人に示して、

 

観たわけないでしょ

 

 

 

――はぁ!?

ぼくと黒柳さんは、そろって「あんぐり」と口を開けた。

読書していた寡黙な板東さんも、思わず手から文庫本を落とした。