【愛の◯◯】たまには、おれのほうから抱きしめたっていいだろ

 

おれの部屋で、愛と勉強会をしている。

おれは大学の課題をやり、愛は学校の宿題をやる。

 

何気なく向かいの愛を見ると、珍しく、宿題に手こずっているような表情だ。

 

「…難しいのか?」

「なにが?」

「宿題が。」

 

愛は強がるように、

「そうね、きょうのは、解きにくい問題があったかもね」

と、ノートをぱたんと閉じた。

「愛でもそういうことあるんだな」

と言うと、さらに強がるようにして、

「別に珍しくないわよ。――天才じゃないんだし」

おまえが天才じゃなかったら誰が天才なんだと心のなかでツッコんだわけだが、

「――ただの優等生になっちゃったのかな、わたし」

強がったと思ったら、なんだか弱気だ。

 

× × ×

 

弱気な愛をどうするか? 

愛を前にして、少しの時間考えていた。

愛は、スマホをぽちぽちし出したかと思えば、やっぱり宿題が気になるのか、スマホを放り出してノートをぱらぱら見返したり、落ち着きがない。

 

「愛、」

「ん?」

「――ちょっとこっち来いよ」

 

なぜか、おれのそばに来るなり、正座する愛。

「いや、正座する必要ないって、もっと楽になれって」

すると、愛は少しだけ姿勢を崩した。

 

しばし、両者沈黙。

のあとで、

おれは意を決して――、

 

愛のからだを抱きしめた。

 

綺麗な髪をサラサラとなでて、

背中を軽くポンポンと押してやる。

 

愛の顔じゅうが、みるみるうちに赤くなっていくのがわかった。

 

「…どうしたの」

あえて、おれは何も言わなかった。

アツマくんのほうから……こうしてくるのって、めずらしいよね

「ああ。

 でも、はじめてじゃないだろ」

そうだけど…、さ

「たまには、おれのほうから抱きしめたっていいだろ」

そうだけど…、さ

「おなじことばを2回言うなっ」

 

そうして、しばらく愛をハグっていた。

 

「――ったく、『ただの優等生になっちゃったのかな』じゃねーよ。

 もっと自信出せ、自信!」

いったんからだをほどいたが、今度は両肩にガシッと手を置いて、元気づけようとした。

でも、愛が、

アツマくん…もう一回、ギュッとしてよ

と、せがんできたので、逆におれのほうが戸惑ったが、

結局、おれのからだでもう一度、愛を包み込んでやって、

長い時間、愛のやわらかさとあったかさを、肌で感じ取っていた。

 

 

 

 

【愛の◯◯】宮脇俊三『時刻表2万キロ』

 

朝、羽田さんみたいに、コーヒーを、砂糖・ミルクなしで飲もうとしたけれど、苦くて飲めたものではなかった。

羽田さん、やっぱし大人だな。

 

× × ×

 

このところ、羽田さんと、週3回電話で話している。

でも、週3回電話で話すのは、羽田さんとだけじゃない。

キョウくんとも、同じ頻度でしゃべっている。

 

ーーというわけで、湘南の実家にいるであろうキョウくんの番号に電話をかけたわけです。

 

 

 

『もしもし』

「もしもし、キョウくん?」

『早起きだなあ』

「え、もう10時すぎてるよ」

『今さっき起きた』

「夜ふかしだったの、きのう? よくないよ」

『ごめん。生活リズム、だめかも』

「大学がなかなか始まらないからって、リズム乱しちゃーだめよ?」

『母さんみたいなこと言うね』

「わっわたし、鈴子(すずこ)さんを尊敬しているから――」

『なるほど』

「も、もうちょっと早起きしようね!?」

 

『大学始まる前に、勉強しておこうと思って、机に向かうんだけどさ、なかなかはかどらないんだよ』

「わたしがもう一度家庭教師で来てあげようかしら」

『うれしいなあ』

「――」

『…うれしいけど、今度は専門的な勉強だから、むつみちゃんには頼れないよ』

「――そっか、そうだよね。

 今度は、『学問』なんだし。

 大学行かないわたしが、キョウくんの専門領域に踏み込めるわけなかった。

 家庭教師なんて、おこがましいね。

 軽はずみに言っちゃって…。

 わたしバカだ、」

『そんなに落ち込まないでよ』

「だってっ」

『むつみちゃん家(ち)、来てあげようか?』

だだだダメっ、いまのわたしキョウくんに見せられない、部屋もグチャグチャ

『――きみ、面白いね』

そりゃ面白いわよ!

 

「えっとね、きょうは伝える要件があるの」

『よーけん?』

「そうよ、

 キョウくんの家に、宅配便を送ったの」

『きみから?』

「わたしからよ」

『なにを?』

「本。文庫本」

『本か~。本…ねぇ』

「キョウくんが読書苦手なのは、わかってるわ。

 でも、キョウくんが好きな分野の本だったら、読んでくれると思って。

 退屈しのぎでも、いいから」

『退屈しのぎ……か。たしかに、引きこもってると、何していいかわかんなくなること、あるなあ。

 何していいかわかんなくてウダウダしてると、しだいにイライラしてくる。』

「キョウくんでもそんなことあるの」

『むつみちゃんも、イライラする?』

こたえたくな~い

『ええ…』

「――ご、ごめんね。

 たしかにアウトドア派のキョウくんが、外に長い時間出られないのは、わたしが想像するより、つらいんだよね」

『本を送った、ってはなしだったよね』

「…ありがとう、会話を軌道修正してくれて。

 えーとね、キョウくんの好きな分野、ってのは、もちろん鉄道に関係する作品で」

『うわぁ~』

「うれしそう」

『ばれたか』

「……、

 宮脇俊三(みやわき しゅんぞう)って知らないかしら」

『名前だけ知ってるよ』

「そっか。

 もともと出版社勤めだったんだけど、鉄道に関する著書が有名な人でね。

 『鉄道文学』っていうのかしら――そっちの方面のパイオニアみたいな人らしくって」

『本の名前は?』

「『時刻表2万キロ』」

 

時刻表2万キロ (河出文庫 み 4-1)

 

『時刻表2万キロ……、

 乗り鉄かな??』

「のり、てつ???」

『いやごめんこっちの話』

「あ、そう」

 

「ええっと、国鉄って、いまのJRでいいのよね」

『うん』

「当時の国鉄が、ぜんぶでだいたい2万キロあったらしいのね。それで、宮脇俊三さんが『国鉄に全部乗ってやろう!』と思い立って、それを実行しちゃう話」

『いつの時代?』

「70年代」

『なるほど。国鉄死にかけだな』

「わかるの?」

『うん。サービス悪かったらしいし。接客とか』

「だ、だれから知ったの、そういうこと」

『――』

「――??」

 

『でもそんな中で国鉄の全路線に乗ってやろうって、勇気がすごいや』

「そんなものなの?」

『たぶん、いまの廃止路線が、どんどん出てくるんでしょ』

「…そうみたいね」

『あ、もう読んじゃったの?』

「読んじゃった」

『すごいね速いね、新幹線みたいに速く読んじゃうんだ』

「きょ、キョウくんのほうがすごいわよ。

 わたしが断片的に伝えたことだけで、本の内容を把握してるみたい…」

『鉄道好きだから。

 まあ鉄道のダイヤや時刻表、というよりは、車両だけど、おれは。

 あのね、全線完乗(ぜんせんかんじょう)ってやつだよ、それは。

 私鉄を含める場合もあるけど、この場合は国鉄全線完乗(こくてつぜんせんかんじょう)だな。

 全線完乗、達成した人、定期的に話題になるんだけど。たとえば――』

「キョウくん……」

『ん? なぁに』

「キョウくん……、

 宮脇俊三になれるんじゃないの

『 』

 

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】寝相の悪さもほどほどに

 

部屋で勉強していたら、こんこんとノック。

あけてみると、あすかちゃんが立っていた。

なんだか申し訳無さそうにして立っているあすかちゃん。

 

「どうしたの?」

「入っていいですか?」

「もちろん。一緒に座ろ?」

 

で、ベッドに腰掛ける。

わたしの左隣で、両手を握りあわせて、なんだか小さくなっているあすかちゃんなのであった。

「だいじょうぶ、なんか元気ないよ?」

「…ごめんなさい。

 それと、きのうはごめんなさい」

 

だいぶ恐縮そうに、わたしの顔を見ているあすかちゃん。

「きのうって…なに?

 もしかして、わたしが作文オリンピックを紹介したときのこと??

 なんにも悪いことしてないじゃん、あすかちゃん。

 謝る必要なんてないよ。

 むしろ、わたしのほうが調子に乗ってた」

「いえ、調子に乗ったのはわたしのほうでした。

 わたし、態度が大きすぎました。

 タメ口になったり。」

タメ口、なってたっけ。

そもそもあすかちゃんがタメ口でも、気にしないけど……。

あすかちゃんのほうに近づいて、なだめようとする。

「そんなことないよ」

「あります…」

「ないない。わたしのほうが態度が大きかった」

「いいえわたしのほうです」

「違うって。わたしのほうだって」

「違わないですわたしです」

「違う違う、あすかちゃん悪くない、わたしが悪い」

「わたしですって」

「違うってば! わたしのせい」

「おねーさんのせいじゃありません!」

「ある!」

「ありません!!」

「あるって!! ど、どーしてわからないかな…」

「ない!!」

「なくない!!!」

「なくなくないですっ!!!」

 

 

口論は、平行線をたどり、

しだいにお互いに、息切れがしてきて、

言葉数も少なく、

休戦状態にーー。

 

 

 

 

 

「……疲れてきちゃった。」

「……おねーさんもですか? 

 実はわたしも…夜だし、なんだかウトウトしてきちゃいました。」

「ほんとだ、あすかちゃん、眠そう」

情けなさそうにあすかちゃんはウトウトしながら苦笑いする。

それを見てわたしは、なんだかホッとした。

そして、

「わたしのーー負け。」

わたしの敗北宣言を聞いたあすかちゃんは肩をひっつかせて、寝言のように、

「かちまけなんかじゃありませんよぉ…」

半分寝てるじゃない。

子猫のようなあすかちゃんの肩を抱きながら、

「わたしのほうがおねーさんだから、わたしの負け」

「いみわかんない」

「年上のおねーさんの責任と、あすかちゃんを眠たくさせちゃった責任」

「だからなんですか…そ…れは……せきにん…なんて、……おーげさなっ」

「あすかちゃん、」

反応なし。

しょうがないなあ、と、

「わたしも、まぶたが重たくなってきちゃった」

でも、返事がなくって、それは、あすかちゃんが寝息をすぅすぅとたてているからで。

やがて、わたしの意識も、うつらうつら、となっていきーー。

 

 

 

 

 

× × ×

 

「久しぶりだね、あすかちゃんと一緒に寝るの」

恥ずかしいのか、彼女はそれには応えず、甘えるようにして身を寄せてくる。

正直、彼女の胸が当たっているのだが、彼女の胸の大きさに配慮して、

「ぬいぐるみとか、持ってこなかったの?」

「もう中学生じゃないんで……」

「関係あるかなあ」呆れたようにわたしは笑う。

 

「おねーさぁん」

わたしにベッドの中で抱きつきながらあすかちゃんが言う。

こんなに寝相悪かったっけ? と訝(いぶか)りながら、

「なにー?」と問いかけると、

おねーさんのからだ、やわらかいですねぇ…

そう言って、わたしの上半身の中心に顔をうずめるように、頭の角度を変えてきた。

わたしの胸が小さいの、わかってるクセに。

あすかのエッチ。

おにいちゃんがうらやましいです~

💢

 

 

 

 

【愛の◯◯】『高校生作文オリンピック 2020』

 

夕食後、ダイニングで雑誌を読んでいたら、おねーさんがやってきて、何やら含みのある笑みを浮かべてわたしに声をかけた。

「あすかちゃんあすかちゃん」

「なんでしょうか?」

「さっきインターネットしてたら、こんなものが見つかってねえ」

こんなもの、って、なんだろう。

おねーさんが差し出す紙。

ウェブサイトをプリントアウトしたと思われる。

目立つ文字で、

 

高校生作文オリンピック 2020

 

と書かれていた。

 

……オリンピック?

 

「オリンピックってことは、もしかして」

イヤな予感がしたのでおねーさんに探りを入れると、

「そう、4年に一度あるらしいの」

「初耳ですが……」

「わたしもそうだった」

 

それに。

「それに、2020っていったって、オリンピック、無しになったじゃないですか」

「代わりにこの『オリンピック』があると思えばいいのよ」

「それは…無茶ってものが…」

 

「無茶じゃないよ」

いくぶん真面目な顔、真面目な口調になって、

「あすかちゃん、これに出てみるといいよ」

とおねーさんが言い放った。

 

「出てみる…? 作文を書いて出す、ってことですか?」

「そうよ。枚数規定はあるけど、ジャンルは指定せず、何でもありだって」

『オリンピック』というネーミングといい、ずいぶん大雑把な賞ではないか、と思う最中(さなか)、おねーさんは続ける。

「あすかちゃん文章上手いから、きっといい線行くよ。締切が8月だから、まだ時間あるし」

「わたしが出るのが既定路線なんですね」

「えっ、乗り気じゃ、なかった?」

おねーさんが応募すればいいのに。

「おねーさんが応募すればいいのに」

そう言ってみたが、ふふん♫ と不敵な笑みを浮かべたと思いきやおねーさんは、

「もしこの『作文オリンピック』であすかちゃんが賞を取ったら、取ったらだよ、

 あすかちゃん、わたしよりいい大学に入れるかもよ」

ーーとんでもないことを言ってきた。

 

「そ、れ、は、おっおねーさん?? それは、ひょっとすると、ギャグという意味をこめておっしゃっているのでしょーか!?!?」

 

「え、本気」

「そもそもこの賞と大学受験になにの繋がりが」

「ほら、推薦入試があるでしょ、推薦入試に『使える』のよ、こういった賞は」

 

あ、なるへそ。

高校2年の春だし、受験なんてまだ早いって思ってた。

大学、いろんな入試形態があるのは、おぼろげに知ってはいたけれど。

そんな方法もある、か。

「近道」ってたとえが、一番しっくりくる。

だけどーーー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どしたー? あすかちゃん、考え込んじゃってるみたいに…」

わたしが眼を閉じてずいぶん長く思案していたから、おねーさんがあわてぎみになってしまった。

ごめんおねーさん。

もう少し考えたいーー。

そう心のなかでつぶやきながら、眼をつむってわたしは最適解答をさぐった。

そして、

「…ごめんねおねーさん。ずっとわたし考えてた」

「わっわたしが無茶振りしちゃったかな??? 『いい大学』とか変なこと言っちゃって、」

 

「ーー『入試に使える』とか、『いい大学に入れる』とか、そういう動機からなのなら、わたし応募なんてしません。

 だって、そういう動機、不純な動機だと思うし。

 色気を出すというか…下心というか…スケベな理由みたいで。」

わたしは片方の眼だけパチクリと開けておねーさんに微笑む。

「やっぱりーーまずかったかな? 衝動的に、あすかちゃんに、押し付けちゃって」

美人な顔が、助けを求めるような顔になると、こっちの良心が痛んだので、

「まずかったですねえ」

と、あえて突き放してみる。

もちろん冗談っぽく。

「そっかー、まずかったかー、

 じゃあ、忘れても…いいよ、

 この、はなしは、

 アハハ、」

恐縮そうに、肩が縮こまってるみたいに、立ち上がって、ダイニングから去ろうとしたおねーさん、だったのだが、

「おね~さ~ん、まだはなしはおわってませんよ~~?」

ワザとおどけたようにして、おねーさんの背中に向けて、わたしは呼び止めの言葉を言う。

ピクンと一刹那(いっせつな)震えたおねーさんの背中。

『話が終わってないって、どうしたんだろう?』と言いたげな挙動で、わたしに振り向く。

矢継ぎ早に、わたしはこう断言する。

 

出ます、応募します

 

どうしてやる気になったの……? あすかちゃん

 

おもしろそうなので。

 やるからには勝ちたい。

 金メダルがいいです

 

 

【愛の◯◯】麻井会長にさやかを重ねて

 

「……それで、『私たちが集団ヒステリーだっていうのを取り消してくれたら、羽田くんをそっちにあげる』って、甲斐田部長が」

「そっち、ってのは、ええと…桐原放送協会、だっけ」

「そう。KHK」

 

まるであすかちゃんの通ってる高校の「スポーツ新聞部」みたいに特殊なクラブ活動が、利比古の桐原高校にも存在するらしい。

KHK(桐原放送協会)の麻井”会長”は性格に難があるみたいで、利比古が助けを求めた放送部の甲斐田部長とは犬猿(けんえん)の仲で、KHKっていうのは麻井会長が放送部から離脱して作った非公認クラブらしくて。

高校のクラブ活動なのに、ずいぶんドラマティックでドラスティックな背景があるものだ。

「利比古は、麻井会長と甲斐田部長の関係がこのままじゃまずい、って思ったんだよね?」

「うん。でも、甲斐田部長といっしょになってKHKに乗り込んだら、『他人(ひと)に頼るなんて卑怯だ』みたいなこと麻井会長に言われちゃって…」

「仕方ないじゃんねぇ。利比古は入学したての1年生なのに。パワハラ上司みたい」

わたしはすこし考えて、

「ねえ…麻井さんって娘(こ)、周りに壁を作ってるのかな」

「基本的にはそういうことだと思う。

 でも、いっしょになって放送部を抜け出した2年生のふたりには心を許してるみたい」

「そっか……誰とも折り合えないわけじゃないのね」

「うん……根っから性格が悪いってわけではないと思うんだ。

 実際に彼女は、『集団ヒステリー』っていう言葉を取り消したしーー、

 ぼく、見たんだ。

『取り消す、だからハネダはこっちのもの』って麻井会長言ったんだけど、

 甲斐田部長の顔を見ずにそう言ったんだけど…いっしゅん、きまり悪そうな顔になってた」

「そっかあ。じゃ、甲斐田部長のこと、じつは嫌いじゃないんじゃないの?」

「絶対にそういうことは表に出さないようにすると思うけどね」

「大丈夫だよ、きっとそのふたり、卒業までには和解すると思うよ」

「安心はできないな……」

 

「それにしても、大変な部活に入ったものね、利比古も。これからKHK一本でやっていくんでしょ?」

「うん。麻井会長怖いけど、2年生のふたりがフォローしてくれるし。甲斐田部長にはきちんとお断りした」

「えらいね。気配りきいてるじゃん。甲斐田部長に対しても、ちゃんと自分の意志を伝えられてる、えらいえらい」

「それほどでもないよ」

「さすがわたしの弟」

「……」

「でも麻井会長とうまく渡り合っていかないとね。利比古の気配り上手が、なんとか良いほうに作用すればいいんだけど」

 

そもそもなんで放送系のクラブ活動やりたかったの、と訊こうと思っていたが、別の機会にすることにした。

麻井会長に関する話を利比古から聴いていて、かつての青島さやかをーー出会ったころの青島さやかを、思い出しはじめたからだ。

「わたしの親友にね、青島さやかって娘がいるんだけど、あんた会ったことなかったよね?」

「たぶん…」

「じゃあこんど会わせてあげるよ。邸(ウチ)に呼ぼうかしら」

「同級生…だよね」

「ついに違うクラスのままだったけどね。

 わたしさっき、麻井会長が周りに壁を作ってるんじゃないかみたいな話したけど、わたしが出会ったころのさやかが、まさに周囲と完璧に壁を作っていて」

「麻井会長とダブるってこと?」

「さすがに呑み込みが早いね~♫」

「でもいまは打ち解けたんだね」

「そうね。

 さやかとの関係は出会うなりケンカから始まったから、ここまで仲良くなれるとは最初は思ってなかったけど。

 不思議ね。

 なにが不思議かって、さやかと仲良くなってから、ケンカなんて一度もしたことないーーたぶん」

「ーーそれでもって、さやかさんをここに呼ぶとして、お姉ちゃんにはどんな魂胆があるの」

弟に軌道修正されるわたし。

魂胆なんて、大げさねえ。

大げさだけど……。

「家庭教師、さやかにやらせようかしら」

「かっ家庭教師!? いきなり!?」

「だって、さやかは未来の東大生だから」

「えええ……」

「利比古の成績がぐんぐん上がるよ~~?」

 

 

 

あっ。

しまった。

さやかの進路、思わず弟にもバラしちゃった。

ごめん、ホントごめん、さやか。

怒らないでね。

(それこそ、ケンカしたくないし…)

 

 

 

【愛の◯◯】苦(にが)みのある日々を繰り返すものか

【第2放送室】。

古い校舎の一隅(いちぐう)にある、【第2放送室】。

KHK』という大きな略称の貼り紙のあるーー、

桐原放送協会(KHK)の、活動部屋……。

 

 

 

「麻井会長は、放送部の活動に縛られるのがイヤだったんですよね」

放課後の、【第2放送室】の、圧迫感のあるパイプ椅子に座りながら、ぼくは麻井会長に話を切り出す。

「もうそのことはしゃべったでしょ、同じことを2度も訊(き)かないで」

そう言うと思った。

麻井会長の反応は、折り込み済みだ。

「ぼくは、甲斐田部長の放送部の見学もしてみたのですが……」

「無駄だったでしょ」

甲斐田部長と敵対している麻井会長なら、そう言うと思った。

でもぼくは勇気を出して、

「いいえ、無駄ではなかったです」

ときっぱり反論した。

麻井会長は凶暴な野良猫のような眼で、視線をガンガンぼくにぶつけてくる。

彼女とともに放送部から独立した2年生の先輩方ふたりが、作業の手を止めてしまう。

強烈に緊張が走っている。

それでも、

「放送部の部員の皆さんは真剣に活動に取り組んでいました。声出し、っていうんでしょうか? アナウンスの技術を良くするために、発声をしたり、早口言葉を言ったりしていて。甲斐田部長も、率先して、その輪のなかに交(ま)じって、いっしょに声を出していました。率直に、素敵だ、って思いましたよ」

ぼくの長広舌(ちょうこうぜつ)を聞きながら、長く伸びたボサボサ髪を掻きむしっていた会長。

極度にイライラしているのが濃厚に感じ取ることができて、ぼくは会長に殴られることまで覚悟し始めた。

「アタシはあれがイヤでイヤで仕方なかった」

「『あれ』って、放送部の練習のことですか」

「虫酸(むしず)が走る……」

「そっ、そこまで言わなくても」

「あれは馴れ合いだから」

ひ…ひどい。

馴れ合いだなんて。

あまりにも麻井会長の言い草がひどすぎたので、甲斐田部長の味方になってぼくは思わず、

「馴れ合いではないと思います」

「見学しただけじゃわかりっこないから」

「直感でも、第一印象であっても、あの練習風景は馴れ合いではなかったとぼくは思います」

「食い下がるねえ」

会長の不気味な語調(ごちょう)に、思わずゾクッとなる。

意味深にほくそ笑んで、彼女は、挑発的に、

「馴れ合いじゃないとしたら、こう呼ぼうか、

集団ヒステリー』って」

 

……いくらなんでも、言い過ぎだ。

甲斐田部長が、自分たちのやってることが「集団ヒステリーだ」なんて言われたら、どう思うだろうか?

このひとは…麻井会長は、他人の立場になって物事を考えたことがないのだろうか?

 

でも、ぼくには返す言葉が、出てこない。

年上の威圧感。

小学生のような小柄な体格とは似ても似つかない、彼女の迫力に気圧(けお)されてしまった。

 

たとえば、ぼくの姉だったら、敢然と麻井会長に立ち向かって、ぎゃくに会長を言い負かしてしまうのかもしれない。

だけど、それは強気な姉だからできることだ。

ぼくにはまだ、姉のような気迫はない。

暴言を吐く麻井会長をだれも止められない。

甲斐田部長不在のこの部屋で、会長を止められるのは……おそらく、会長自身しかいない。

 

 

 

× × ×

 

異常な後味の悪さを感じつつ【第2放送室】から退室した。

古い校舎を出て渡り廊下を歩いていると、向かいから、長身で大人びた雰囲気の女子生徒が歩いてくる。

 

甲斐田部長だ。

 

「あ……どうも。」

控えめに挨拶すると、甲斐田部長は立ち止まって、

「……なんかあった? 羽田くん」

ぼくの名前、覚えててくれたんだ。

「もしかして、麻井のところに行ったんじゃないの?」

ビンゴです、甲斐田部長。

「ぐったりしたような顔色だよ?」

そう言って、のぞき込むように接近してぼくの顔色をうかがってくる。

優しいのはありがたいけど、心拍数が上がる。

あらためて、短めの髪型が、美人な顔に似合っていると思うけれど、やがてそんなことを思っている余裕もなくなる。

「ん…ちょっと顔色よくなったね」

誤解です。

「麻井にやり込められたんだね?」

とりあえず、うなずいておく。

「麻井はだれにでも噛みつくから。

 とくに、何か意見されると、長幼(ちょうよう)の序(じょ)なんて関係なく噛みついてくるからねぇ。

 あんまり気にしちゃダメだよ?」

「…はい。」

自分の姉とは違った意味で、この人、おねえさんだ。

言っていいかどうか迷ったが、「集団ヒステリー」うんぬんはオブラートに包んで、

「あの……麻井会長が、放送部に対して、ひどいことを言ったんです。ぼくが代わりに謝ります。会長は絶対に謝りませんから」

 

「もう慣れてるよ。」

 

驚くほど平板(へいばん)な口調で、甲斐田部長はそう言った。

 

「怒って、たしなめても無駄だから、もう諦めてる。放っておくの。放っておくのが、麻井への報復だから」

 

報復。

ずいぶん物騒な言葉だ。

 

「集団ヒステリー」だとか、

「報復」だとか、

こんな状態で、ほんとうにいいんだろうか?

いいはずがない。

麻井会長にとっても。

甲斐田部長にとっても。

 

少なくとも、ぼくがこの状況を、許せないのだ。

なにがぼくを突き動かしているのか?

正義感?

良心?

いや、もしかしたら、

むしろ、「あわれみ」みたいなものなのかもしれない。

麻井会長と甲斐田部長の対立が終わらないまま、最後の時を迎えてしまうのが、むなしく思えてくるのだ。

これも直感で、第一印象だ。

直感で、第一印象にすぎなくて、「入学したばかりの新入生になにがわかる?」って話だけど。

だけど。

この状況は、この関係性は、異常だ。

 

異常だとしたら、正常にしたい、してあげたい。

でも…ぼくになにができる?

なにもわかっていないぼくに。

 

甲斐田部長はぼくの背後で下校しようと歩(ほ)を進めているはずだ。

このままだと、後味が悪いままだ。

そして、苦(にが)みのある日々を、きっと繰り返してしまうのだ。

 

ーーなにもできないとしたなら。

自分だけでは不可能なら。

そうだ、

頼ればいいんだ。

 

甲斐田部長!!

 

振り返って彼女に向かってぼくは叫んだ。

驚いて立ち止まり、彼女はふたたびぼくを見る。

 

「……どうしたの!?」

 

ーー困っています。

 困っているので、ちからを貸してくれないでしょうか。

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】駒と芝居の因果

 

岡崎さんは新入生の加賀くんに将棋7番勝負で一度も勝てず、加賀くんの入部は叶わなかった。

 

「もう、彼は来てくれないんだろうか……」

ため息ついでに、瀬戸さんが嘆く。

「あんなヤツ、むしろ来てくれないほうがいいよ。将棋部のほうが絶対向いてるよ」

「7連敗したからイキってるの? 岡崎くん」

桜子さんの切れ味のある言葉に、敗北者の岡崎さんはしどろもどろになる。

「ふ、ふん」

「ふ、ふんってなに、もしかして負け惜しみ?」

なおも攻め続けるのを桜子さんがやめなかったからか、完全に岡崎さんは黙ってしまった。

 

「どうするんだ、新メンバー…4人だけじゃきつい面もあるぞ」

瀬戸さんが弱ったように言った。

その直後、

『ガラーッ』と、いきなり活動教室のドアが開いて、

 

どーも

 

なんと加賀くんが入室してきた。

 

「お、おまえっ、なんの用だっ」

たまらず岡崎さんは叫んだ。

すると加賀くんは、

「かくまってもらえませんかね」

かくまう……?

どういうこと?

理由を教えてもらおうとしてわたしは、

「どんな事情か、教えて?」

と穏便に言った。

加賀くんはこう答えた。

椛島って先生に追いかけられてる」

椛島先生ってーーウチの部活の顧問じゃん。

「マズいよ、加賀くん」

わたしがそう言うと彼は、

「なにが?」

「だって椛島先生ってこの部活の顧問だもん…」

ギクッとして、「まじで」と独りごちる加賀くん。

桜子部長が追い打ちをかけるように、

「どうやら自分から罠(トラップ)に入りこんでしまったみたいね。将棋だと、敵陣に入りこんだ王様みたいなものかしら」

「ずいぶんヘタな将棋の喩(たと)えだな」

加賀くんが応戦するので、暴れ馬を抑えつけるようにわたしは、

「上級生を挑発してる場合じゃないでしょ。きょう椛島先生来るって言ってたよ」

「まじかよ」

元から敬語が使えないのかな。

よく入学試験をパスできたね…加賀くん。

「そもそも加賀くんはなんでわたしたちにかくまってほしかったの?」

素朴な疑問をわたしが投げかけたら、

「入学前に国語の課題があったんだ。それを出さずにいたら、椛島って先生が怒り出して」

「ああ、作文の課題でしょ?」

「なんであんた知ってんだ」

「わたし戸部あすかっていうの。『あんた』じゃなくて名前で呼んでほしいな~」

思わずキョドる加賀くん。

「わたし加賀くんの1個上だから。去年も同じ課題出たの。作文」

 

「入学前の課題を今になっても出さないなんて、だいぶ問題児だな、おまえ…」

「岡崎くん!」

「言わせてほしいんだよ桜子、こいつには…」

「そうじゃないわ。椛島先生が近づいてるわ」

「なんでわかるんだよ!?」

「耳がいいから走ってくる音が聞こえてくるの」

 

「ほんとだ、椛島先生、来ますね。もう逃げられないよ、加賀くん」

わたしはそう言って加賀くんを追い詰めた。

『王将』の加賀くんは棒立ちになっている。

『詰み』だ。

 

× × ×

 

 

「作文なんてどう書いていいかわかんねーし。だったら出さないほうがマシだし」

「そういう問題じゃないでしょっ」

正論で叱りつける椛島先生だったが、だんだんお手上げ状態になってきているのがハタ目にもわかった。

説教をし続けたが問題児は聞く耳を持たないかのようで、息切れしそうになってる。

わたしは、椛島先生がかわいそうになってきたし、加賀くんもこのままじゃいけないと思ったので、

「書いてみると案外楽しいものだよ。」

と敢えて言った。

「作文がぁ?」と睨むような眼で加賀くん。

「そう、作文。

 わたしだって、去年その課題を出されたときは、どう書いていいかわかんなかった。もちろん提出はしたけどーー現在(いま)と比べると散々な出来の作文だった。

 雲泥(うんでい)の差、ってやつかなーー現在(いま)のわたしが書く文章と比べるなら」

「上達したってか? 自画自賛か、あんた」

「あすかって呼んで」

歯ぎしりするように加賀くんは無言になる。

「あすかちゃんの自画自賛じゃないわ。上達したっていうこと、わたしたちが保証する」

と桜子部長。

「おれも保証する」と岡崎さん。

「おれもだ」と瀬戸さん。

加賀くんはうつむく。

なんだかこれもお説教みたいになってきたけど、わたしは話を続ける。

「ほら、習うより慣れろ、っていうじゃない。

 わたしもこの部活で文章を書き続けていくなかで、文章を書くことに抵抗感がなくなるーーどころか、書くのが楽しくなっちゃった。

 将棋もそうなんじゃないの? 習うより慣れろ」

すると加賀くんは、不満を吐き捨てるように、

 

習うより慣れろ、じゃねーよ!! 慣れだけで上手くなれるくらい、甘くねーんだよ、将棋は!!

 

その絶叫に呼応するように岡崎さんが立ち上がったが、桜子さんに制止された。

 

わたしは背中が凍るように寒くなってしまった。

すごく困った。

加賀くんの強烈な反発。

場を、どうやって収拾すれば…?

 

 

「とりあえず、昨年度の新聞を見せたら?」

椛島先生が、機転を利かせてくれた。

「加賀くんは、作文の代わりに、渡された新聞の感想文を書いてくること。来週の水曜までにわたしに提出できなかったら、加賀くんにはスポーツ新聞部に入部してもらうよ」

頼もしく提案する椛島先生。

カッコいい大人だ…!

 

「そんな条件ーー無茶振りでしょ」と加賀くんは拒むが、

「作文の課題をいまだに出してないのは学年であなただけよ。それぐらいしてもらわないと、フェアじゃないよね?」と腕を組んで笑いながら怒る椛島先生。

駒落ちの将棋を強いられてる気分だ。しかも何枚落ちだよ、これ…」

「加賀くん、わたしの眼を見て話しなさい」と先生。

「なんでだよ先生」

「なんでだよじゃないっ、態度がなってないっ」

しぶしぶ、加賀くんが椛島先生に顔を向ける。

するとどうしてか加賀くんはやがて何かに気づいたかのように、眼を見張り、

「あんた、どっかで会った気がするぞ」

「あんたじゃない、先生って言いなさいよ。

 

 

 ーーえ!?

 会ったって…わたしと、むかし、?

「あんた……学芸大で、芝居、やってなかったか?」

「どうして…わたしの演劇、観たこと、あったの!?!?」

「ガキの頃、一度大学生の芝居観させられたことあったんだ。

 間違いねえ、先生あんたが出てた」

どうしておぼえてるの……

 

加賀くんは、バツが悪そうに、自分のほっぺたをポリポリかいた。

 

 

 

【愛の◯◯】『この本にたどり着いた貴女、偉いです』

きのうアツマくんが元気づけて、勇気づけてくれたから、きょう学校ではルンルン気分だった。

 

放課後、「部活……行きましょう?」と、率先して伊吹先生を促したら、

「なんかいいことでもあった?」と訊かれたので、

「はい、ありました」

「正直だね。元気そうでよかったよかった」

「わかりますか?」

「声の明るさ、でね」

 

 

いつものように、二人して並んで廊下を歩いた。

「持ち直したみたいだねー、羽田さん」

「先週の金曜はご迷惑をおかけしました」

「いいんだよ」

伊吹先生は笑い声で、

「羽田さんにーーアツマくんがいてくれて、よかったよ」

その、含みのある言葉に、胸の鼓動が少し速くなったが、負けずに、

「はいそうですよ。アツマくんのおかげですね」

そして、きのうのアツマくんの発言を想い起こして、

「アツマくんが、カルヴィーノの『見えない都市』を筆写してくれたんです」

「筆写? またなんで」

「彼との約束なので。」

「へ~~~~~~~~」

 

伊吹先生が、からかい上手なほうであることを、確信した。

図書館の至近までわたしたちは来たが、

「ねえカルヴィーノって、イタリア文学よね」と先生が言ってきたので、

「勿論そうですよ」と答えると、

「そっかー。あたしの大学、イタリア語やスペイン語の講座はあったんだけど、イタリア文学やラテンアメリカ文学の専攻がなくって、読まずじまいだった」

「今も…ですか?」

わたしたちは図書館にすでに入っている。

「今も」

現代文教師としてそれはどうなのか、と思う気持ちもあって、

「読まずじまいはもったいなくないですか? 翻訳でたくさん読めるし、ダンナさんにーー」

「それより羽田さん、きょうは書棚の整理手伝ってよ」

無茶振りだなあ。

「はいはいわかりましたよっ」

ツンデレ~~

かましいですね……

 

× × ×

 

「奥のほうの棚を、手伝ってほしいんだけど」

「海外文学のところ、やっていいですか」

「お願いするよ」

 

けっこう、書棚の配列は、乱されているものだ。

分類記号通りには、到底なっていないぐらい。

「この本、なんでイタリア文学なのにドイツ文学のところにあるんだろ。良識を疑う」

「羽田さん、言いすぎ言いすぎ」

伊吹先生にたしなめられる一方、そのイタリア文学の列に本来は収められるべき本を、わたしは開いてパラパラめくってみた。

すると、ビックリしたことに、本に何やらメモ書きのようなものが、挟まっているではないか。

メモ書きの紙は、だいぶ色あせている。

こんなメッセージが、書かれてある。

 

この本にたどり着いた貴女、偉いです

 

「こら羽田さん、油売らないの」

「先生……この紙に何やらメッセージが書いてあります」

先生に紙を見せると、

 

「あれ、これーーもしかして」

 

先生がとっても意味深なセリフをつぶやいたが、わたしは、ロシア文学の棚に明らかにラテンアメリカ圏の著者の作品が紛れ込んでいるのを見とがめて、

「なんでラテンアメリカ作家をロシア文学棚に入れるかなあ?」

と憤りを発して、やはりそのラテンアメリカ小説を開いてパラパラめくってみると、

なんとーーこの本にも、さっきと同じようなメモ書きが、挟んであった!

 

良い本にたどり着きましたね、貴女

 

伊吹先生が、わたしが本とメモ書きを持っているところをのぞき込んできて、

「やっぱりーー」

「やっぱり、?」

ナオコ先輩のしわざだ」

「だれですか!??!」

「あたしの高校時代のひとつ先輩」

 

「どうしてわかるんですか……」

 

「ナオコ先輩は社交的でなくて図書館にこもりがちだったの。でも文学少女でとくに海外の20世紀文学が好きで、ほらそういう女の子ってどの学校でもレアキャラでしょ?」

「わたしは20世紀文学のことよくわからないので、ナオコさんってわたしよりも文学少女だったんですね」

「ずいぶん謙遜するね…まいいや、とにかくあたしはナオコ先輩の陰ながらのファンだったの」

 

ふいに、伊吹先生が遠い目になって、

 

「いま、どうしているんだろう、先輩……」

 

先生がそんな表情になったのを初めて目にしたので、わたしは思わずドキッとしてしまった。

 

「仲、良かったんじゃないんですか?」

「そんなには」

「え、でもさっき、」

「『陰ながらのファン』だったから。うかつに声もかけられなくて」

「シャイだったんですか? もしかして高校時代の伊吹先生って」

「もー、『シャイ』なんて、ゆとり世代も使わないよぉ、そんな言葉」

「……今とさして違いなかったんですね。」

「う~ん、あえて言うなら、素行不良だったかな?」

話がそれていっている気がするが、

「理数系の授業をサボって先生ににらまれてたんでしたっけ」

「あー、そんなこといったっけ」

「いいましたね」

先生は何かを思い出したらしく、

「そだそだ。あたしが数学の授業抜け出したときに、図書館の脇を歩いてると、窓からナオコ先輩が、読書してる姿が見えて、さ」

そして、目を細め、

「そのときナオコ先輩が座っていた席が、ちょうどここらへんだったんだ」

つまり、図書館の奥まったところ、いまわたしと先生のいる、海外文学の棚のすぐ近くにある席だ。

「こういう棚見てると思うよ……」

「どんなことをですか?」

「『ああ、こんな本は、ナオコ先輩しか読んでなかっただろうな』って」

「わたしだって少しは読んでますって。作品や著者の名前だけ知ってるのも多いですけど」

「またそうやって謙遜するぅ。あのね、羽田さんは別格」

「別格とか、そんな…」

わたしは反論するように、

「葉山先輩だったらわたしより良く知ってます。それこそカルヴィーノだったりボルヘスだったり。いいえ…彼女にとっては、葉山先輩にとっては、そんなメジャーどころ、氷山の一角なのかな。ともかく別格、って言葉は葉山先輩にふさわしいとわたしは思いますよ」

いきなり葉山先輩を引き合いに出したのがまずかったのか? 先生は思案するような顔になり、

「………むつみちゃん?

ど、どうして葉山先輩が『むつみちゃん』呼びなのかな。

たしかに先生にとっては教え子だけど。

「むつみちゃん、どうしてるのかな、いま」

「葉山先輩は元気してますよ。週に3回わたしから電話するんです」

先生は苦笑いみたく、

「手がかからないようで、手がかかる娘だったな~、彼女は」

「先生もそういう印象だったんですか……」

「わたし、ビンタされたことあるし」

、先生が、先輩に!?」

 「あなたならわかるでしょ? 凶暴だったし彼女。あなたのおかげでずいぶん丸くなれたみたいだけど」

わたしは焦り気味に、

「く、暗い話題は、やめましょうか、」

すると先生は、

「教師も大変だよ。」

と、またもや意味深なことばを発した。

「もしかして、葉山先輩に、いい印象持っていないとか」

生徒にビンタされるってことは。

「そんなことないない。手がかかる娘だったから、むしろかわいかった」

かわいかった、ねぇ……。

 

ひとつだけ、伊吹先生に、葉山先輩に関して付け加えておきたくて、

「葉山先輩が、いま、なにしてるか、気になりますか?」

「当然よ。だってむつみちゃん進学しなかったでしょ。というか、進学の意志がなかったってほうが、正しいか」

「葉山先輩はですね……」

わたしは間をもたせて、

 

葉山先輩は、恋をしてます。

 

さすがの伊吹先生も、声も出ないみたい。

わたしは、『ナオコ先輩』のメモ書きを見返しながら、ニヤリと笑っていた。

ーーこの学校には、いろんな先輩がいるものだ。