朝、羽田さんみたいに、コーヒーを、砂糖・ミルクなしで飲もうとしたけれど、苦くて飲めたものではなかった。
羽田さん、やっぱし大人だな。
× × ×
このところ、羽田さんと、週3回電話で話している。
でも、週3回電話で話すのは、羽田さんとだけじゃない。
キョウくんとも、同じ頻度でしゃべっている。
ーーというわけで、湘南の実家にいるであろうキョウくんの番号に電話をかけたわけです。
『もしもし』
「もしもし、キョウくん?」
『早起きだなあ』
「え、もう10時すぎてるよ」
『今さっき起きた』
「夜ふかしだったの、きのう? よくないよ」
『ごめん。生活リズム、だめかも』
「大学がなかなか始まらないからって、リズム乱しちゃーだめよ?」
『母さんみたいなこと言うね』
「わっわたし、鈴子(すずこ)さんを尊敬しているから――」
『なるほど』
「も、もうちょっと早起きしようね!?」
『大学始まる前に、勉強しておこうと思って、机に向かうんだけどさ、なかなかはかどらないんだよ』
「わたしがもう一度家庭教師で来てあげようかしら」
『うれしいなあ』
「――」
『…うれしいけど、今度は専門的な勉強だから、むつみちゃんには頼れないよ』
「――そっか、そうだよね。
今度は、『学問』なんだし。
大学行かないわたしが、キョウくんの専門領域に踏み込めるわけなかった。
家庭教師なんて、おこがましいね。
軽はずみに言っちゃって…。
わたしバカだ、」
『そんなに落ち込まないでよ』
「だってっ」
『むつみちゃん家(ち)、来てあげようか?』
「だだだダメっ、いまのわたしキョウくんに見せられない、部屋もグチャグチャ」
『――きみ、面白いね』
「そりゃ面白いわよ!」
「えっとね、きょうは伝える要件があるの」
『よーけん?』
「そうよ、
キョウくんの家に、宅配便を送ったの」
『きみから?』
「わたしからよ」
『なにを?』
「本。文庫本」
『本か~。本…ねぇ』
「キョウくんが読書苦手なのは、わかってるわ。
でも、キョウくんが好きな分野の本だったら、読んでくれると思って。
退屈しのぎでも、いいから」
『退屈しのぎ……か。たしかに、引きこもってると、何していいかわかんなくなること、あるなあ。
何していいかわかんなくてウダウダしてると、しだいにイライラしてくる。』
「キョウくんでもそんなことあるの」
『むつみちゃんも、イライラする?』
「こたえたくな~い」
『ええ…』
「――ご、ごめんね。
たしかにアウトドア派のキョウくんが、外に長い時間出られないのは、わたしが想像するより、つらいんだよね」
『本を送った、ってはなしだったよね』
「…ありがとう、会話を軌道修正してくれて。
えーとね、キョウくんの好きな分野、ってのは、もちろん鉄道に関係する作品で」
『うわぁ~』
「うれしそう」
『ばれたか』
「……、
宮脇俊三(みやわき しゅんぞう)って知らないかしら」
『名前だけ知ってるよ』
「そっか。
もともと出版社勤めだったんだけど、鉄道に関する著書が有名な人でね。
『鉄道文学』っていうのかしら――そっちの方面のパイオニアみたいな人らしくって」
『本の名前は?』
「『時刻表2万キロ』」
『時刻表2万キロ……、
乗り鉄かな??』
「のり、てつ???」
『いやごめんこっちの話』
「あ、そう」
「ええっと、国鉄って、いまのJRでいいのよね」
『うん』
「当時の国鉄が、ぜんぶでだいたい2万キロあったらしいのね。それで、宮脇俊三さんが『国鉄に全部乗ってやろう!』と思い立って、それを実行しちゃう話」
『いつの時代?』
「70年代」
『なるほど。国鉄死にかけだな』
「わかるの?」
『うん。サービス悪かったらしいし。接客とか』
「だ、だれから知ったの、そういうこと」
『――』
「――??」
『でもそんな中で国鉄の全路線に乗ってやろうって、勇気がすごいや』
「そんなものなの?」
『たぶん、いまの廃止路線が、どんどん出てくるんでしょ』
「…そうみたいね」
『あ、もう読んじゃったの?』
「読んじゃった」
『すごいね速いね、新幹線みたいに速く読んじゃうんだ』
「きょ、キョウくんのほうがすごいわよ。
わたしが断片的に伝えたことだけで、本の内容を把握してるみたい…」
『鉄道好きだから。
まあ鉄道のダイヤや時刻表、というよりは、車両だけど、おれは。
あのね、全線完乗(ぜんせんかんじょう)ってやつだよ、それは。
私鉄を含める場合もあるけど、この場合は国鉄全線完乗(こくてつぜんせんかんじょう)だな。
全線完乗、達成した人、定期的に話題になるんだけど。たとえば――』
「キョウくん……」
『ん? なぁに』
「キョウくん……、
宮脇俊三になれるんじゃないの」
『 』