【第2放送室】。
古い校舎の一隅(いちぐう)にある、【第2放送室】。
『KHK』という大きな略称の貼り紙のあるーー、
桐原放送協会(KHK)の、活動部屋……。
「麻井会長は、放送部の活動に縛られるのがイヤだったんですよね」
放課後の、【第2放送室】の、圧迫感のあるパイプ椅子に座りながら、ぼくは麻井会長に話を切り出す。
「もうそのことはしゃべったでしょ、同じことを2度も訊(き)かないで」
そう言うと思った。
麻井会長の反応は、折り込み済みだ。
「ぼくは、甲斐田部長の放送部の見学もしてみたのですが……」
「無駄だったでしょ」
甲斐田部長と敵対している麻井会長なら、そう言うと思った。
でもぼくは勇気を出して、
「いいえ、無駄ではなかったです」
ときっぱり反論した。
麻井会長は凶暴な野良猫のような眼で、視線をガンガンぼくにぶつけてくる。
彼女とともに放送部から独立した2年生の先輩方ふたりが、作業の手を止めてしまう。
強烈に緊張が走っている。
それでも、
「放送部の部員の皆さんは真剣に活動に取り組んでいました。声出し、っていうんでしょうか? アナウンスの技術を良くするために、発声をしたり、早口言葉を言ったりしていて。甲斐田部長も、率先して、その輪のなかに交(ま)じって、いっしょに声を出していました。率直に、素敵だ、って思いましたよ」
ぼくの長広舌(ちょうこうぜつ)を聞きながら、長く伸びたボサボサ髪を掻きむしっていた会長。
極度にイライラしているのが濃厚に感じ取ることができて、ぼくは会長に殴られることまで覚悟し始めた。
「アタシはあれがイヤでイヤで仕方なかった」
「『あれ』って、放送部の練習のことですか」
「虫酸(むしず)が走る……」
「そっ、そこまで言わなくても」
「あれは馴れ合いだから」
ひ…ひどい。
馴れ合いだなんて。
あまりにも麻井会長の言い草がひどすぎたので、甲斐田部長の味方になってぼくは思わず、
「馴れ合いではないと思います」
「見学しただけじゃわかりっこないから」
「直感でも、第一印象であっても、あの練習風景は馴れ合いではなかったとぼくは思います」
「食い下がるねえ」
会長の不気味な語調(ごちょう)に、思わずゾクッとなる。
意味深にほくそ笑んで、彼女は、挑発的に、
「馴れ合いじゃないとしたら、こう呼ぼうか、
『集団ヒステリー』って」
……いくらなんでも、言い過ぎだ。
甲斐田部長が、自分たちのやってることが「集団ヒステリーだ」なんて言われたら、どう思うだろうか?
このひとは…麻井会長は、他人の立場になって物事を考えたことがないのだろうか?
でも、ぼくには返す言葉が、出てこない。
年上の威圧感。
小学生のような小柄な体格とは似ても似つかない、彼女の迫力に気圧(けお)されてしまった。
たとえば、ぼくの姉だったら、敢然と麻井会長に立ち向かって、ぎゃくに会長を言い負かしてしまうのかもしれない。
だけど、それは強気な姉だからできることだ。
ぼくにはまだ、姉のような気迫はない。
暴言を吐く麻井会長をだれも止められない。
甲斐田部長不在のこの部屋で、会長を止められるのは……おそらく、会長自身しかいない。
× × ×
異常な後味の悪さを感じつつ【第2放送室】から退室した。
古い校舎を出て渡り廊下を歩いていると、向かいから、長身で大人びた雰囲気の女子生徒が歩いてくる。
甲斐田部長だ。
「あ……どうも。」
控えめに挨拶すると、甲斐田部長は立ち止まって、
「……なんかあった? 羽田くん」
ぼくの名前、覚えててくれたんだ。
「もしかして、麻井のところに行ったんじゃないの?」
ビンゴです、甲斐田部長。
「ぐったりしたような顔色だよ?」
そう言って、のぞき込むように接近してぼくの顔色をうかがってくる。
優しいのはありがたいけど、心拍数が上がる。
あらためて、短めの髪型が、美人な顔に似合っていると思うけれど、やがてそんなことを思っている余裕もなくなる。
「ん…ちょっと顔色よくなったね」
誤解です。
「麻井にやり込められたんだね?」
とりあえず、うなずいておく。
「麻井はだれにでも噛みつくから。
とくに、何か意見されると、長幼(ちょうよう)の序(じょ)なんて関係なく噛みついてくるからねぇ。
あんまり気にしちゃダメだよ?」
「…はい。」
自分の姉とは違った意味で、この人、おねえさんだ。
言っていいかどうか迷ったが、「集団ヒステリー」うんぬんはオブラートに包んで、
「あの……麻井会長が、放送部に対して、ひどいことを言ったんです。ぼくが代わりに謝ります。会長は絶対に謝りませんから」
「もう慣れてるよ。」
驚くほど平板(へいばん)な口調で、甲斐田部長はそう言った。
「怒って、たしなめても無駄だから、もう諦めてる。放っておくの。放っておくのが、麻井への報復だから」
報復。
ずいぶん物騒な言葉だ。
「集団ヒステリー」だとか、
「報復」だとか、
こんな状態で、ほんとうにいいんだろうか?
いいはずがない。
麻井会長にとっても。
甲斐田部長にとっても。
少なくとも、ぼくがこの状況を、許せないのだ。
なにがぼくを突き動かしているのか?
正義感?
良心?
いや、もしかしたら、
むしろ、「あわれみ」みたいなものなのかもしれない。
麻井会長と甲斐田部長の対立が終わらないまま、最後の時を迎えてしまうのが、むなしく思えてくるのだ。
これも直感で、第一印象だ。
直感で、第一印象にすぎなくて、「入学したばかりの新入生になにがわかる?」って話だけど。
だけど。
この状況は、この関係性は、異常だ。
異常だとしたら、正常にしたい、してあげたい。
でも…ぼくになにができる?
なにもわかっていないぼくに。
甲斐田部長はぼくの背後で下校しようと歩(ほ)を進めているはずだ。
このままだと、後味が悪いままだ。
そして、苦(にが)みのある日々を、きっと繰り返してしまうのだ。
ーーなにもできないとしたなら。
自分だけでは不可能なら。
そうだ、
頼ればいいんだ。
「甲斐田部長!!」
振り返って彼女に向かってぼくは叫んだ。
驚いて立ち止まり、彼女はふたたびぼくを見る。
「……どうしたの!?」
「ーー困っています。
困っているので、ちからを貸してくれないでしょうか。」