岡崎さんは新入生の加賀くんに将棋7番勝負で一度も勝てず、加賀くんの入部は叶わなかった。
「もう、彼は来てくれないんだろうか……」
ため息ついでに、瀬戸さんが嘆く。
「あんなヤツ、むしろ来てくれないほうがいいよ。将棋部のほうが絶対向いてるよ」
「7連敗したからイキってるの? 岡崎くん」
桜子さんの切れ味のある言葉に、敗北者の岡崎さんはしどろもどろになる。
「ふ、ふん」
「ふ、ふんってなに、もしかして負け惜しみ?」
なおも攻め続けるのを桜子さんがやめなかったからか、完全に岡崎さんは黙ってしまった。
「どうするんだ、新メンバー…4人だけじゃきつい面もあるぞ」
瀬戸さんが弱ったように言った。
その直後、
『ガラーッ』と、いきなり活動教室のドアが開いて、
「どーも」
なんと加賀くんが入室してきた。
「お、おまえっ、なんの用だっ」
たまらず岡崎さんは叫んだ。
すると加賀くんは、
「かくまってもらえませんかね」
かくまう……?
どういうこと?
理由を教えてもらおうとしてわたしは、
「どんな事情か、教えて?」
と穏便に言った。
加賀くんはこう答えた。
「椛島って先生に追いかけられてる」
椛島先生ってーーウチの部活の顧問じゃん。
「マズいよ、加賀くん」
わたしがそう言うと彼は、
「なにが?」
「だって椛島先生ってこの部活の顧問だもん…」
ギクッとして、「まじで」と独りごちる加賀くん。
桜子部長が追い打ちをかけるように、
「どうやら自分から罠(トラップ)に入りこんでしまったみたいね。将棋だと、敵陣に入りこんだ王様みたいなものかしら」
「ずいぶんヘタな将棋の喩(たと)えだな」
加賀くんが応戦するので、暴れ馬を抑えつけるようにわたしは、
「上級生を挑発してる場合じゃないでしょ。きょう椛島先生来るって言ってたよ」
「まじかよ」
元から敬語が使えないのかな。
よく入学試験をパスできたね…加賀くん。
「そもそも加賀くんはなんでわたしたちにかくまってほしかったの?」
素朴な疑問をわたしが投げかけたら、
「入学前に国語の課題があったんだ。それを出さずにいたら、椛島って先生が怒り出して」
「ああ、作文の課題でしょ?」
「なんであんた知ってんだ」
「わたし戸部あすかっていうの。『あんた』じゃなくて名前で呼んでほしいな~」
思わずキョドる加賀くん。
「わたし加賀くんの1個上だから。去年も同じ課題出たの。作文」
「入学前の課題を今になっても出さないなんて、だいぶ問題児だな、おまえ…」
「岡崎くん!」
「言わせてほしいんだよ桜子、こいつには…」
「そうじゃないわ。椛島先生が近づいてるわ」
「なんでわかるんだよ!?」
「耳がいいから走ってくる音が聞こえてくるの」
「ほんとだ、椛島先生、来ますね。もう逃げられないよ、加賀くん」
わたしはそう言って加賀くんを追い詰めた。
『王将』の加賀くんは棒立ちになっている。
『詰み』だ。
× × ×
「作文なんてどう書いていいかわかんねーし。だったら出さないほうがマシだし」
「そういう問題じゃないでしょっ」
正論で叱りつける椛島先生だったが、だんだんお手上げ状態になってきているのがハタ目にもわかった。
説教をし続けたが問題児は聞く耳を持たないかのようで、息切れしそうになってる。
わたしは、椛島先生がかわいそうになってきたし、加賀くんもこのままじゃいけないと思ったので、
「書いてみると案外楽しいものだよ。」
と敢えて言った。
「作文がぁ?」と睨むような眼で加賀くん。
「そう、作文。
わたしだって、去年その課題を出されたときは、どう書いていいかわかんなかった。もちろん提出はしたけどーー現在(いま)と比べると散々な出来の作文だった。
雲泥(うんでい)の差、ってやつかなーー現在(いま)のわたしが書く文章と比べるなら」
「上達したってか? 自画自賛か、あんた」
「あすかって呼んで」
歯ぎしりするように加賀くんは無言になる。
「あすかちゃんの自画自賛じゃないわ。上達したっていうこと、わたしたちが保証する」
と桜子部長。
「おれも保証する」と岡崎さん。
「おれもだ」と瀬戸さん。
加賀くんはうつむく。
なんだかこれもお説教みたいになってきたけど、わたしは話を続ける。
「ほら、習うより慣れろ、っていうじゃない。
わたしもこの部活で文章を書き続けていくなかで、文章を書くことに抵抗感がなくなるーーどころか、書くのが楽しくなっちゃった。
将棋もそうなんじゃないの? 習うより慣れろ」
すると加賀くんは、不満を吐き捨てるように、
「習うより慣れろ、じゃねーよ!! 慣れだけで上手くなれるくらい、甘くねーんだよ、将棋は!!」
その絶叫に呼応するように岡崎さんが立ち上がったが、桜子さんに制止された。
わたしは背中が凍るように寒くなってしまった。
すごく困った。
加賀くんの強烈な反発。
場を、どうやって収拾すれば…?
「とりあえず、昨年度の新聞を見せたら?」
椛島先生が、機転を利かせてくれた。
「加賀くんは、作文の代わりに、渡された新聞の感想文を書いてくること。来週の水曜までにわたしに提出できなかったら、加賀くんにはスポーツ新聞部に入部してもらうよ」
頼もしく提案する椛島先生。
カッコいい大人だ…!
「そんな条件ーー無茶振りでしょ」と加賀くんは拒むが、
「作文の課題をいまだに出してないのは学年であなただけよ。それぐらいしてもらわないと、フェアじゃないよね?」と腕を組んで笑いながら怒る椛島先生。
「駒落ちの将棋を強いられてる気分だ。しかも何枚落ちだよ、これ…」
「加賀くん、わたしの眼を見て話しなさい」と先生。
「なんでだよ先生」
「なんでだよじゃないっ、態度がなってないっ」
しぶしぶ、加賀くんが椛島先生に顔を向ける。
するとどうしてか加賀くんはやがて何かに気づいたかのように、眼を見張り、
「あんた、どっかで会った気がするぞ」
「あんたじゃない、先生って言いなさいよ。
ーーえ!?
会ったって…わたしと、むかし、?」
「あんた……学芸大で、芝居、やってなかったか?」
「どうして…わたしの演劇、観たこと、あったの!?!?」
「ガキの頃、一度大学生の芝居観させられたことあったんだ。
間違いねえ、先生あんたが出てた」
「どうしておぼえてるの……」
加賀くんは、バツが悪そうに、自分のほっぺたをポリポリかいた。