祖父の邸宅(いえ)を出て、タクシーに乗り、アルバイト先の商店街へと向かって行く。
タクシーの車内でお祖父(じい)さんとのやり取りを振り返る。
内定が出て就職先を決めた報告をしたら、
『おまえに合った仕事で良かったな。しっかりやるんだぞ』
と言われた。
存在感が大きくて畏(おそ)れ多さみたいなモノも抱いてしまうお祖父さん。でも、今日は終始上機嫌で、
『アカ子よ。お祝いだ。私と呑まんか?』
と訊いてきた。
もちろんお酒を勧めてきたのである。
『とびっきりの酒を用意してやったのだ』
恐らく高級銘柄の日本酒なのだろうという予測がついた。
だけれど、
『いいえ。お気持ちは嬉しいですが、わたしはこれからアルバイトがありますので……』
と辞退した。
『良いではないか? 景気付けの1杯ぐらいなら』
『よ、良くは無いと思うんですけれど』
『真面目だな。おまえの両親とは大違いだ』
どうリアクションして良いのやら分からないお言葉。
お祖父さんもまた、わたしやわたしの両親同様アルコールに尋常でなく強い。その事実を忘れてしまっていた。
何とかお祖父さんの「誘い」を振り切るコトは出来たけれど、邸宅(いえ)を出た途端にかなりの消耗を感じてしまった。
タクシーを降りた。
商店街。
模型店でのアルバイトが始まる時間はまだ先だった。だから、すっかり馴染みになった古書店を訪ねることにした。
古書店のご主人たる天堂(てんどう)さんが日本茶を振る舞ってくれた。恐らく新茶だろう。そういう季節なのだから。
店内に置かれたテーブルで日本茶をいただきながら天堂さんと向かい合い、本の話題を軽く交わした。
その後でわたしは就職に関する報告をした。天堂さんもまた、わたしの進路が気になっていただろうから。
わたしの就職先が某・玩具メーカーであるコトを伝える。
「そーかい。おもちゃのメーカーかい」
と天堂さん。
「おもちゃが作りたいの?」
「玩具製作には以前から興味がありました。ただ、わたしは文系なので、技術者やデザイナーとは違った部門で働くコトになりそうですけれど」
「そこんとこはオレは素人だからなぁ」
「おもちゃにあまり関心が無いような人でも名前だけは知っているような、そんな商品を創りたいんですけれどね」
「それが、アカ子ちゃんの夢?」
「夢といえば、夢です」
天堂さんは満足げに笑い、湯呑みの日本茶をガブリと飲み、
「そういったコトを、アカ子ちゃんはさっき、お祖父さんに話してきたワケなんだな」
「ハイ。……面接の後の面接、みたいな感じでした」
「お祖父さんはそんなに威厳があるの? きみの親父さんが経営してる自動車メーカーからは一線を退(ひ)いてるんだろう?」
「たしかに、祖父は経営にほとんど関与していません。ですけれど、祖父と向き合って話すといつも緊張し過ぎてしまうんです」
「普通は孫娘には甘くなるもんだと思うがなぁ」
わたしの方からもっとお祖父さんに歩み寄るべきなのかしら……と思ったりする。問題は「歩み寄る勇気」なんだけれど。
日本茶を啜る。湯呑みに少しだけお茶が残る。
「オレも孫がいるの」
「そうなんですか。天堂さんにも……」
「よちよち歩きの段階だから、すこぶる可愛いんだわ」
「良(い)いですね」
「良過(よす)ぎるぐらいだよ」
天堂さんはスマートフォンを取り出す。お孫さんの画像を見せたいんだろう。
× × ×
天堂さんの古書店で5000円ほどの古本を購入し、買った古本の入った手提げの袋を携え、アルバイト先の模型店へと向かった。
わたしがお手製エプロンを装着していると、
「アカ子さんが入社する予定のメーカーだけど」
と店主のイバセさんが言ってきて、
「きみにピッタリの仕事だよな? 何しろ、きみは手先がとっても器用だし。玩具(おもちゃ)いじりの能力には言うまでもなく長(た)けてる」
エプロンを装着し終わったわたしは、
「手先の器用さを活かせるかどうかは分かりませんよ。制作だとか設計だとかそういうのよりも、経営的なというか、そういった方面に従事するコトになりそうです」
「でも、アカ子さんは、ウチの商品の取り扱いがとっても上手だし」
「そう言ってくださるのはとても嬉しいですけれど」
「だってなぁ」
レジカウンターに向かおうとするわたしの後ろからイバセさんは、
「トルクチューンモーターとレブチューンモーターの違いが分かる女子大学生なんて、世界中できみ1人だろう?」
「それは誇張なのでは……」
「いいや」
しっかりとイバセさんは首を振って、
「きみはハイパーヨーヨーやビーダマンにも詳しいだろ? そんな女子大学生も、世界にたった1人だと思う」
なぜだかイバセさんは『世界でオンリーワン』にこだわっている。
「ZOIDS(ゾイド)にしたってそうじゃないか。まだアニメも放送されてない80年代のゾイドにまで詳しくて」
やや恥ずかしくなりながらわたしは、
「ほとんどが父の受け売りなんです」
「社長さんか」
「ハイ……」
「なんだかきみのお父さん、少年みたいで良いよな。マスコミに出てる時も、ホビーをとことん楽しんでて少年の心を忘れてないような印象を受けるんだ」
それが父の欠点でもあるんですけれどね。
「わたしこのカウンターで店番します。小学生もそろそろやって来るコトでしょうし」
「ホントのホントで『少年』のお客さんだな」
「ですね」
程無くして小学生がお店に入ってきた。お昼ご飯を食べてから商店街に繰り出してきたらしい。ぞろぞろと集まってくる。
わたしに対して時に生意気な小学生男子はミニ四駆サーキットに移動していく。
レジカウンターまでやって来るコトもあるだろうけれど、ひとまずは暇を潰すようにミニ四駆サーキットの方を眺めてみる。
レジカウンターには『ファイティングフェニックス』というビーダマンが何故か置かれていた。
ファイティングフェニックス。ゆとり世代が直撃世代の、コロコロコミックの漫画で主人公が操っていたビーダマン。
ファイティングフェニックスに関する情報がインプットされている自分が怖くなってくる。
もちろんのこと、ゆとり世代よりも上である父の趣味嗜好のせいで、ひとりでにビーダマン情報がインプットされてしまったのだ。
小学生がレジカウンターにやって来ないし、オトナの来客も今は見えないので、『しめ打ち』というテクニックをこっそりとファイティングフェニックスで試そうとする。
しかし、わたしがファイティングフェニックスを持とうとした瞬間、ガサツな足取りで生意気男子小学生の1人がレジカウンターに近付いてきた。
『タマくん』というニックネームの小学5年生だ。
「ねーちゃん。ビーダマン触ってないで、おれのミニ四駆を見てくれよ」
「わたし『ねーちゃん』って名前じゃないの。『アカ子さん』って呼びなさいよ」
「えーーーっ」
なによ、そのリアクション。
あなたたちの生意気さを象徴しているようなリアクションね。
「どう呼ぶかは後回しでさ。このブロッケンGだけど、なんか動きがおかしいんだ」
どれどれ……? と、生意気さに寛容になるのに努めつつブロッケンGという往年のミニ四駆に眼を向ける。
「ボディじゃなくてシャーシに問題がありそうね」
「シャーシ??」
「ちょっと。あなたボディとシャーシの区別もせずにブロッケンGを走らせようとしてたの」
「ん……」
若干苦い表情のタマくんは、
「できるだろ、アカ子ねーちゃんなら。ミニ四駆のシャーシ? の修理ぐらい」
「程度の問題もあるけれどね」
「『てーどのもんだい』?」
あなたもやがては中学生になるんだから、ボキャブラリーをもっとつけた方が良いと思うわよ……と、ココロの中で厳しく語りかけつつも、差し出されたブロッケンGを受け取る。
わたしは5分と経たずにブロッケンGを元通りの動きにした。
「アカ子ねーちゃんは魔法つかいなんか」
タマくんが問う。
「魔法なんか使ってないわよ?」
わたしはツッコむ。
「でも、なんとゆーかさ。アカ子ねーちゃんって、どんなミニ四駆でもすぐに直してくれるよな。そこら辺が女子大学生らしさから離れてる、というか」
「女子大学生らしさって何よ」
「しかも、何から何まで、大きな会社の『おじょーさま』みたいな感じなのに」
「……わたしの問いに答えてよ」
だけれども、
「サンキュー、ねーちゃん。これでまた、サーキットで戦うコトができるぜ」
と、タマくんは徐々にわたしから遠ざかっていってしまう。
一部始終をイバセさんが眺めていたらしく、
「やはり、きみならば、とても素晴らしいおもちゃを開発するコトができそうだ」
と仰(おっしゃ)ってくる。
「ありがとうございます」
ホメ言葉に感謝しながらも、溜め息をつく。
たしかに、ミニ四駆などを修理できた時は達成感がある。
だけど、修理と同時に、生意気男子小学生の生意気なコトバを聴かなきゃならないコトもある。
それが、ネックといえばネック。
だけれども、男子小学生は生意気であると同時に「愛嬌」もある。
そこは、素直に……可愛らしいわね、と思ってしまう。