「夕方から、模型屋さんのバイトに行かないといけないんです」
右斜め前の席のアカ子さんが言った。
「バイト、楽しい?」
訊いてみると、
「ミニ四駆サーキットの生意気な男子小学生には手こずりますけれど、手こずるのも含めて楽しいです」
へえぇ。
「生意気な男の子が来るのね」
「『宿題やってくれ』とか言ってくるんですよ。『宿題ぐらい自分でやりなさい』って叱りますけれど」
「微笑ましいじゃないの」
「そう思います?」
「思う」
「……葉山先輩も一度、店(ウチ)に来る男の子と渡り合ってみますか?」
どうして肩を落としちゃうの。
「アカ子さん。わたし、生意気男子小学生以前に、ミニ四駆がどんな形してるか知らないのよ?」
「え、葉山先輩、ミニ四駆の実物を見たことが無いんですか」
「無いわ」
答えると、左斜め前の席の青島さやかさんが、
「ミニ四駆はこんな感じです」
と、わたしにスマホ画面を見せてくれる。
へーーっ。
なかなかのフォルムね。
男の子が好みそうなフォルムだわ。
……ところで。
「青島さん。」
眼と眼を合わせ、呼び掛けてみる。
わたしに呼び掛けられた青島さんは、
「な、なんでしょうか」
と、若干ドギマギする。
あははっ。
「単刀直入に言うわ」
「た、単刀直入??」
「あなたの髪の伸ばしかた、素敵だと思う。」
「え、エッ」
だからぁ。
「だからぁ。ホメてあげたいのよぉ。あなたのヘアスタイルを」
「……」と驚いて沈黙する青島さんに、
「もう少しで、アカ子さんと同じくらいの髪の長さになるじゃないの。肩スレスレまで伸びてる。――高等部時代と比べたら、ずいぶんと長くなった」
ここでアカ子さんが、
「そうね。さやかちゃん、前はボーイッシュ系の髪だったものね」
と加勢。
「ボーイッシュ系って。……もっと具体的に言ってよ、アカ子」
しかしアカ子さんは、楽しそうな無言で微笑むだけ。
わたしも、戸惑いの青島さんをジットリと味わうだけ。
× × ×
青島さんは気を取り直し、
「葉山先輩はよく来るんですよね? このカフェに」
「昔からね」
「アツマさんが働いてるのと、なにか関係があるんですか」
「戸部くんはそんなに関係無い無い。家から近所だから」
右手をヒラヒラ振って答えるわたし。
青島さんは後ろを向いて、
「絵本が充実してるカフェですよね。あそこの絵本、小さい時によく読んでた」
「あら、奇遇ね。わたしも幼稚園時代の愛読書だったのよ」
「本当ですか」
「あなたとこんな共通事項があったとはね、青島さん」
わたしは左手で頬杖をつき、
「ああいう絵本が愛読書だったから、フランス現代思想の本を読み漁るようなオンナになっちゃったのかしら」
「……絶対無理やりフランス現代思想に結びつけたでしょ、先輩」
青島さんは言い、
「ちゃっかりデリダの『声と現象』が、テーブルの上に乗ってるし」
とも言う。
「よく気付いたわね」とわたし。
「いつの間にバッグから取り出したのやら」と青島さん。
「読むの? デリダ」とわたし。
「少しは」と青島さん。
「ドゥルーズは?」
「デリダよりは……読んでるかな」
だんだんテンションが上昇してきて、冷めかけの紅茶のことも気にならなくなってくる。
こんなに青島さんが現代思想キャラだったとは。
はしゃいじゃうじゃない。
『『千のプラトー』、読んだ!?』
そう、身を乗り出して青島さんに訊いてみたくなる。
「青島さん! あなた、『千のプラトー』――」
「紅茶が冷めてアイスティーと化しても宜しいんですか? お客様」
「ドヒャアアアアアアアッ戸部くん」
「騒ぐなや、葉山……。おれが背後に立ったからって」