可愛い可愛い弟の利比古がマンションに来てくれた。
アツマくんはもちろん仕事場に行っている。
独り占め。
午後1時ちょうどに大学からマンションの部屋に帰り、利比古がインターホンを鳴らすのを待っていた。
現在、午後2時53分。
薄い黄緑色のエプロンを着て、キッチンを背にして、ダイニングテーブルの席についている利比古と向き合っている。
エプロンを着る必要は本来は無かった。お菓子を調理して食べさせてあげるワケでは無かったから。でも、家庭的な雰囲気を身にまといたくて、敢えてエプロンを装着した。
家庭的な雰囲気に加え、エプロンの薄い黄緑色が醸し出す清涼感が、利比古に良い印象を与えているはず。
ニコニコ笑顔を絶やさないように努めつつ、
「どう、利比古? 用意しておいたシュークリームが、コーヒーと絶妙に合うでしょ」
と言ってみる。
「美味しいよ。シュークリーム、甘いけど、クドくない」
そうでしょそうでしょ〜。
期待通りの返答をしてくれたから、嬉しくなり、ダイニングテーブルに歩み寄り、椅子の前に立って向かい側の弟を見つめて、
「ねえ、食レポしてよ」
「食レポ?」
「シュークリームの食レポしてくれたら、『愛ポイント』500進呈。コーヒーの食レポもしてくれたら、追加でもう500ポイント」
『面倒くさいコトになってきてしまった……』と言わんばかりの表情になる弟。
こういう表情になっちゃうのは想定済み、なのだが、
「お姉ちゃん、『ポイントシステム』にずいぶんこだわるんだね。アツマさんやぼくが良いことをしてあげたらポイント進呈するのは、お姉ちゃんの自由ではあるんだけど、自由過ぎて自己満足になってしまわない?」
と言ってきたから、わたしの笑顔の持続が途切れてしまう。
どうしてそんなコト言うの!?
ポイントシステム、そんなに拒否感があるの!?
両手を思わず強めに握り締めてしまう。
目線が下向きになる。利比古を上手に見てあげられない。
「……ガッカリさせちゃったかな」
利比古のそんな声が聞こえてくる。
「この流れで、お姉ちゃんをさらにガッカリさせちゃうようなコト、言えないよね」
えっ?
さらにガッカリさせちゃうようなコト?
「あんた……もしかして、今日、わたしに言いたいコトがあったの?」
「あったんだよね」
思わず顔を上げた。
弟のハンサムな顔に恐る恐る視線を伸ばす。
ふるふる震える声で、
「お説教……かしら」
と訊くわたし。
「長々とお説教する気とかは無かった」
と弟は言いつつも、
「この前、お父さんとお母さんの家で、ベイスターズの試合中継を家族4人で観たでしょ? その時、思ったコトがあったんだよ」
もしや。
それは。
声がふるふる震えるのは避けられないけど、それでも勇気を出し、
「わたし、おとうさんと、しゃべりすぎてた……?」
と訊いてみる。
「……」と、申し訳無さげな表情で、弟はわたしと眼を合わせる。
それから、軽く息を吸い込み、弟は、
「あんまりお姉ちゃんを追い込みたくないけど」
と前置きしてから、
「試合中継観てる時、お姉ちゃん、ほとんどお父さんとしか喋ってなかったよね? お母さんがベイスターズの若手投手のコトをお姉ちゃんに訊こうとしてたのに、それを遮って、お父さんにカラダを寄せながら今永昇太情報を熱く語ってたりとか……」
わたしの全身が一気に冷え込む。
物理的にも心理的にも、嫌な汗が出てくる。
ベイスターズ若手投手についてのお母さんの質問をスルーしたのも事実だった。そして、おとうさんにベッタリしながら今永昇太情報を語り倒したのも事実だった。
お母さんの相手をするヒマが無かった。
でもそれは、『おとうさんしかほとんど視界に入っていなかった』が故(ゆえ)でもあった。
わたしの『おとうさん大好き』が発動したのはいつものコト。でも、勢いが余り過ぎていた。
おとうさんとの距離が近過ぎで、お母さんとの距離が遠過ぎだった。
利比古は、そんな『フェアじゃない』距離感を、あの時、キチンと測っていたんだ。
「ごめんよ、お姉ちゃん。絶対に今、キモチが落ち込んじゃってるよね。ぼく、『お父さんだけじゃなくてお母さんも大事にしないといけないよ』って、そういう意味合いのコトを伝えたかったんだけど」
遠慮気味の利比古の声がわたしに突き刺さる。
わたしは、手元のテーブル付近を見つめながら、この状況をどう改善していくのかを懸命に考えようとする。
愛しい弟からお叱りを受けた。お叱りを受けたあとでいたわられた。いたわられたのだから愛しい弟に愛情をお返ししなきゃいけない。
それならば、その愛情の表現方法は。
姉としての愛情表現の方法(メソッド)。それを考え始める。
簡単に10分が過ぎる。
ウジウジしてたらいけない……。そう思い、覚悟を決めた。
ふんわりと柔らかい声になるように注意して、
「『ごめん』を言うのは、わたしの方よ、利比古。あんただけじゃなく、お母さんにも『ごめん』を言わなきゃいけないわね」
と、利比古の前髪付近を見ながら言って、
「少し、こっちに来てほしいかな」
とコトバを継いで、リビングのソファにカラダの向きを換えて、ゆるやかにソファへと接近していって、
「寒いワケじゃないし、冷えてるワケでもないんだけど。利比古に、できたら、『温かさ』をもらいたいって、そう思って」
利比古は優しく穏やかに、
「『温かさ』?」
「そうよ。」
答えてから、照れ臭さが拭えないなりに、ソファの前に立ちつつ、
「ちょっとの間でいいから、このソファで、わたしと隣同士になってください。」
と告げる。
どうしようも無い姉の要求に対して、愛しい愛しい弟が、
「いいよ」
と、受け容れのコトバを言ってきてくれる。
30分間ぐらい、利比古とヌクヌクして。
それから、お母さんに対する『ごめんなさいの伝え方』を、わたし自身のチカラで考えていかなきゃ。